114話 兄が実はモテていたという話
パトリシア王妃が朝食の席でリリアンに言った。
「リリアンちゃんは最近はよく乗馬をしているそうね」
「はい、フィル様に教わり馬の扱いも随分上達してきました」
「そうなの、でももし宮殿外で乗ることがあるならパンツスタイルは皆に受け入れられにくいから横乗りにした方が良いと思うわ、あれなら品があるように見えるからこの国の人達にもそんなに悪く思われないんじゃないかしら。
ねぇ、あなたはどう思って?」
パトリシアはリュシアンの方を向いて聞いた。
「そうだな、婚約者候補がお転婆だという評価は好ましくないな。リリアン、乗るならせめてドレスで乗ってくれ」
「えっ?ドレスで馬に乗れるんですか?」
「乗れるぞ。サイドサドルという鞍を使うんだ」
「サイドサドル・・・」
サイドサドルは聞いたことがある。
確か最初に行った馬具店で兄達が私が使う横乗りの鞍は無いのかとお店の人に尋ねていた。
あの時はお店にある他の商品に目を奪われていたので深く知ろうとせず、ただ単に両足を同じ方向に下ろして乗るのかなって思ったくらいだった。
足を開いて乗るのは女性にとってはしたない格好だから足を揃えて乗りましょう的な・・・どちらにしてもパンツスタイルで乗るものだと思っていたわ。
そう言えば私、フィル様と二人乗りでジョワイユーズ宮殿に行く時は道中だけドレスで馬に乗せて貰っていたんだったわ。でもあれはスカートで足を隠し跨いでフィル様に支えてもらっていたから横向きじゃないし。
横向きに座ったらアッという間に落ちちゃいそう。それに横向いて、更にドレスで、どうやって馬に指示を出すの?全く想像がつかない。
未知の世界に不安を覚える。
「サイドサドルは以前行ったシェルリにも今回のラ・プランセスにも置いてあったけどリリィは見なかったかな?
角みたいなのが2本ついた鞍なんだけどあの突起に脚を掛けて挟むようにして乗るんだ。
元々は外国から入ってきた鞍で教本で必ず紹介されているから知名度は高いよ」
「よく見てませんでした。その鞍はフィル様も乗れるのですか?」
「え!僕が?ムリムリ!
女性用のサドルだし、それに使ってる人自体今まで見た事が無いよ」何故か慌てて手をぶんぶん振って否定するフィリップ。
何を焦っているのだろうか。
「あら、いるわよ。確か歴史相の子が通勤に使っているわ、何度か見たことあるもの」
「その方は女性ですか?」
「ええ、彼女の乗る姿は優雅で美しくなかなか様になってたわよ」
「まあ!そうなのですか、宮殿勤めの女性で乗馬をされる方がいらっしゃるならぜひお近づきに、いえ、乗り方を教えていただきたいです」
それを聞いたリュシアンはすぐに手を打った。
「そうか。
ではリリアンの為に段取りをしてくれ!」
「はい、直ぐに手筈を整えます」
リュシアンの側に仕えていた男はそう応えるとすぐに部屋を出て行った。まだ始業時間にもなっていないが随分と急いだものだ。
「ふぅ、歴史相か・・・案外近くにいたんだ。良かった」
フィリップは例えリリアンの為であってもサイドサドルだけは自分が乗って使い方を教えるというのはとても無理だと感じていたので助かったと安堵の息を漏らした。
だってあらぬ所から変な突起が生えた鞍に自分が座ったならあらぬ所を潰してしまいそうで想像しただけでヒュンとなる。
フィリップがそんなアホな事を考えて身震いした事に気がついたパトリシアは密かに笑っていたが、リュシアンも「あれは俺も無理だぞ、考えただけでゾッとする」と真面目な顔で呟いた。
さすが親子、変な所が似ている。
リリアンはそんな彼らの会話はもう耳に入っていない。自分がラポムにドレス姿で横乗りする姿を想像したらだんだんワクワクしてきた。
いつも使っている人がいるならきっと怖くないわ、教えて貰えたら乗れるはず。
最初に領地の馬具屋で聞いた時はよく分からない変わった乗り方よりも、普通の乗り方の方がずっと良いと思い抵抗があったけど、パトリシア母様に勧められたことでそれがとても優雅で格好良い乗り方のように感じてきた。
だって、今気がついたけど横乗りってお姫様みたいな乗り方じゃない?
午前のバレリー夫人のレッスンが終わって部屋に戻ると『横乗りレッスン』はもういつでも始められますとのメッセージが届いたので、午前のオヤツの時間が終わったら行きますと返事を返しておいた。
オヤツの時間を割いてまで他の用事を優先させるのは野暮なのだ。
そうして約束の時間に約束の場所に馬に乗ってやって来たのは歴史文化相室所属のビジュー・オークレアだった。
ドレスのスカートを馬の片側に垂らし靴先をのぞかせ、背をスッと伸ばして馬を操る姿はリリアンが想像した以上に品があり、なんとも優美だ。
「わぁ〜、素敵!」私もあんな風に乗れたらとドキドキしてきた。
オークレアは前もって設置されていた階段状になった踏み台の横に馬を付け、慣れた様子で馬から降りた。
リリアンの近くに立つ護衛隊の中で最も背の高いジローが気を利かせて手を貸し台から降りるのを助けたが、実は先に小柄なセザールが気が付いて手を貸そうと前に出たが台に乗ったオークレアまでちょっと手が届きそうになく諦めたのだ。それくらいオークレアは地面に降りてもめっちゃスラッとしてて背が高~い!のだった。
「ありがとう」とジローとセザールに向けて礼を言い、リリアンの前に立つとカーテシーをして言った。
「初めまして、リリアン様。私はプリュヴォ国の歴史と文化を研究する仕事をしておりますビジュー・オークレアでございます。
今日は横乗り鞍の乗り方をリリアン様にお教えするようにと国王陛下から申しつかってまいりました。ご満足頂けるまで誠心誠意務めますので何なりと私をお使い下さいませ」
宮殿勤めの凄い人なのに、王族方に対してするみたいにすごく丁寧に挨拶されてしまった。
どう見てもこの人の方が上の立場だろうに・・・でも、王太子婚約者候補は準王族の扱いだからこの人もこうするしかないんだわ。
確かに公の場でなくても普段から準王族として振る舞うのが正解だった。普段狭い人間関係の中だけで過ごしていて、あまりこういった宮殿の中で働いている凄い人とは接する機会がないのでリリアンはこういう時の距離感に未だに慣れない。
「王太子婚約者候補のリリアン・ベルニエです。オークレア様、お忙しい中来て下さってどうもありがとう。早く上達するよう頑張りますのでどうぞよろしくお願いします」
「そんな恐れ多い、オークレアで結構ですよ」
「あの、では私が教わる立場なのでオークレア先生と呼ばせて貰っても良いですか」
「そうですね、その方がやり易いと仰られるなら、この場ではそう呼んで頂いても結構ですよ。では早速始めましょうか」
オークレアは手慣れた様子で馬丁から引き綱を受け取りテキパキと自分の馬を馬繋ぎに繋げた。
そしてリリアンの馬であるラポムに近づくと声を掛けながら首を撫で、サイドサドルが問題なく付けられているかを手で触りながら確認した。もちろんラポムの鞍の取り付けは王室お抱えの最上級の馬丁達の仕事だから完璧なのは間違いないはずなのだが。
リリアンは思った。(うわ〜落ち着いてて大人の女性って感じ、いかにも仕事が出来そうでこの人最強だ!カッコイイ)
背がスラリと高く美人で胸も大きい、しかも宮殿勤めの才女。
自信に満ちた立ち姿は正に怖いもの無しといった風情だ。
「リリアン様、これはリリアン様がなさる事ではありませんが次回は一度装具の取り付けを最初からやってみようと思います。今日はもう取り付けてありますから一応乗馬前点検で注意すべきことをお伝えしておきますね。
そこでオカシイとか大丈夫かなと感じたら遠慮せずお乗りになる前に分かる人に言って直して貰って下さい。これは安全に関する事ですからどうかお見過ごしになさらないように」
「はい」
「ではまず鞍が既についている時、この腹帯の状態がですね、このような状態であればベストでですね、もしこれより緩ければ・・・」
2人がラポムの横で真剣にやり取りしているその後ろに今日ももちろんパメラはいる。
どんな貴婦人がやって来るのかと思っていたら馬に乗って現れたのがオークレアだったから驚いた。
間違いないあの時の。
以前、廊下でハンカチを落として兄エミールに声を掛けさせていた。
エマが荒れてめっちゃ酔いつぶれた原因の・・・兄を狙っていたあの女狐じゃないか。よくぞノコノコと澄ました顔で私たちの前に現れたものだ。
兄上はついこの間まで結婚相手を探していたが断られ続け全然見つからなかったという非モテ男だ。
妹である私のせいがあったにせよ、私が王太子婚約者候補付きの騎士となり更に父が宮殿に復帰し活躍するや、これまで箸にも棒にもかからないと相手にしなかった令嬢達が急に手の平を返したように尻尾を振って近づいて来るようになったのだからその面の皮の厚さと神経を疑ってしまうじゃないか。
このオークレアとやらももちろん兄の家柄と職位に興味を引かれて近づいてきたような打算的な女の1人だ。
こんな私何も関係ありませんわ、みたいな顔をして教師面をしているがどうなんだか!ここはエマの為にも兄上を諦めたのかどうかちゃんと確認しておきたい。
それに、そんな性根を持っているのだからそれこそリリアン様にもお近づきになりたいと馴れ馴れしく擦り寄ってくるに違いない。リリアン様は全く邪心のない澄んだお心のお方だ。騙されないように私がしっかりお守りしなければ!
パメラは元々身内贔屓で家族や仲間など親しい人ほど大事に思いそれ以外は敵認定というところがあるが、仕事柄でもそのような性質を要求されていた。護衛騎士は人がよく騙されやすい性質ではとても務まらないから。
護衛は主人に起こりうる災難を予測し、最大限の注意を払って対策し、事が起こる前に防止するというのが鉄則だから主人に変わってまずは疑ってかからなければならないのだ。
そういうことでパメラはオークレアに対してかなり悪い印象を持ち、気に入らないヤツに違いないと勘ぐっていた。
が、今のところ随分真面目でお固そうだ。早く尻尾を出せ出せ女狐さん。
そんな事を思っているとオークレアが振り向いてパメラに声を掛けてきた。
「あなた、ちょっとあなた。ボーッとしてたらダメよ。リリアン様と常に一緒にいるのだったらあなたも一緒に聞いていてくれないと」
今、オークレアはリリアンにここにいるパメラは専属護衛で朝から晩まで常に側にいるのだと聞いたところだ。
「リリアン様の馬の乗り降りはあなたが手助けする必要があるし、馬丁や他に人がいないこともあるかもしれないから一通り何でも知っておかなければ困るでしょう、ほらここに来て確認して。
あっそうだ。あなた自身もどんな感じか実際に乗って体験しておいた方がいいと思うわ、横座りの鞍がないなら私の馬を使っていいから。
じゃあ続きをいくわよ、いい?」
「はい!お願いします」
オークレアの言うことは尤もだ。
余所事を考えてる場合ではない、リリアン様の為にもここは真剣に彼女の話を聞くべきだとここは態度を改めた。
これから乗り方を実演しましょうということになり、オークレアはスカートのボタンを外して折り返しながら言った。
「では実際に私が鞍に乗ってみますから見てて下さいね」
「え?それどうなっているのですか?」
「へぇ、そうなってるんだ」
「ええ、こんな風に開くようになっているんです。
ドレスでは1人で乗り降りするのにちょっと不便だったから外国の書物に紹介されていたのをこんな感じだろうと想像して自分で作ったのですよ。徐々に改良して現在のこの形になったのです。
今は着替えを持って行き帰りするもの大変だから仕事もこれでやってるんですよ。同じ型紙で色や柄違いで何着も作ってあります」
オークレアのドレスのスカートは全体のボリュームはないもののいかにも優雅なドレープがあり、実はここに秘密があって馬に乗った時に綺麗に見える工夫なのだそうだ。ウエストのボタンを外し後ろを開くと中はパンツスタイルになっていた。
「まあ不思議!そうやって途中まで開くと後ろのスカートは短くなっているんですね」
「そう、それでこの外した先をこっちのボタンに嵌めるとホラ、前はちょっとボリュームのあるスカートに見えるでしょう?馬に乗った時にこれのお陰でより優雅に見えるの。
そして降りた後、元に戻しておけば普通のドレスに見えるわ」
「へ〜」
「でも今は全部外してしまいますよ、その方が脚の位置が分かり易いでしょうから」
なんとスカート部分は全部外れてパンツスタイルになってしまった。斬新すぎる!!
ちなみにリリアンも今日は初日なので動き易いようにと最初からパンツスタイルだ。リリアンの場合はジョゼフィーヌが護身術の稽古の為に手作りして着せていたのでパンツスタイルに親しんでいるが、普通の令嬢はまずこんな格好はしないものだ。
まあ騎士であるパメラは当然のごとくパンツスタイルなのだが・・・とにかく相当珍しい格好をした3人がたまたま揃ったと言わざるを得ない。
「ということはサイドサドルは普通のドレスでは乗れないということですか?私、とてもこんな複雑なドレスは作れないわ、どうしよう」
「いいえ、リリアン様には必ず誰かが側にいらっしゃるのですから乗り降りはサポートしてもらうのが前提ですよ。あまり繊細な生地はダメでしょうが普通のドレスで大丈夫です」
「そうですか、でもそのドレスは素敵だから欲しいわ、動きやすそうだし見た目もお洒落だもの。
あっそうだわ先生、今度王都に出店してくるウェアのお店に頼んで作って貰えるかもしれないから、作り方を教えていただけませんか?」
「ええ、もちろんいいですよ。
そんな風に仰ってくださるのはリリアン様だけですわ。実際、私も自分でするしかないからこうしているだけですから。
馬に乗ると傷みやすいから本を読みたいのにしょっちゅう新しい服を縫わないといけなくて時間泥棒だし本当に面倒で。でも宮殿に上がるのにボロボロってわけにいかなくて渋々夜なべするんですが捨てどきも含めてどこまでなら許されるか頭が痛いところで。
作って貰えるなら型紙も提供しますし安価にしていただけるととっても嬉しいんですけど、王族の方はそんなに安い所で作ったりしないですものね?
はぁ、服にお金をかけてたら生活が困窮するからやっぱり自分で作るしかないわね」
先ほどまで礼儀正しく近寄りがたい雰囲気さえあったのに急に親しみやすくなった。
こっちが素なのか・・・でもオークレア先生、ちょっと内情を暴露し過ぎだぞ!
「そうだよ、どうしてそうまでして馬に乗ってんの?さっき馬丁に毎日雨の日でも馬で来てるって聞いたけど騎士でもないのに大変でしょ?」
パメラはオークレアに不躾なまでに突っ込んだことを聞いたがオークレアはサラッと答えた。
「それはアパルトマン暮らしで馬車を持ってないからですわ」
「ふうん、オークレア家は王都に屋敷を持ってないの?それに宮殿馬車の送迎を使うっていう手もあるじゃない」
「オークレア伯爵家には王都に屋敷がありますわ、ただそれはもう私の家では無いだけで。
両親が早逝したので叔父に爵位が移りましたの。それでも私が学生のうちまでは住まわせて貰いましたが私が仕事に就いたのを機に妹と屋敷を出たのです。姉妹2人で贅沢は出来ませんから送迎馬車が回る宮殿近くの家賃の高いアパルトマンには住めません。
そう言うとよくお可哀想にと同情の眼で見られるのですが、辛くはありませんよ。妹との生活は気兼ねがなくてラクだし、馬に乗るのは好きですから」
「ああ、ごめん。知らなかったとはいえずけずけと失礼な聞き方をしたね」
両親が早くに亡くなって寂しかっただろうし、子供の頃から苦労していたに違いないのに無神経な聞き方をしたと思ったのでパメラは素直に謝った。
「いいえ、いいんです。よくあることですから。
宮殿に努めているだけでも結婚も出来ない女と白い目で見られるし、女だてらに馬で通勤しているとお転婆だからと蔑まれるものなのです。
でも、あなたも宮殿に勤め、馬に乗っているじゃありませんか。私たち同士と言ってもいいと思うんですけどそう言ってはいけませんか?」
「確かにね・・・」
言われてみればパメラも女だてらに騎士になり、馬に乗っている。同士か、確かに我らは似ているかもしれない。
「オークレア先生、私も宮殿にいて馬に乗る仲間です。私とも是非仲良くして下さいませ」とリリアンはオークレアの手を取った。
パメラと対峙していたオークレアが目線を下げると、そこには仲間が見つかって嬉しいという喜びの笑顔で両手でヒシと自分の手を握るリリアンがいた。
その小さな手はとても優しく温かく感じられた。
小さな小さな手なのに、まるで大きな力で守られているような心強い気持ちになってくる。だってそれがリリアン様の心からの言葉だと伝わってくるから。
「ありがとうございます、リリアン様。
こちらこそ仲良くして下さいますようお願い致します」
オークレアが瞳を潤ませる姿を見たパメラは(この人、絶対悪い人じゃない)と感じ自分も両手で2人の手を包んだ。
無言だったのは口を開いたら貰い泣きしそうだったからだ。
こんなにちょろくてはパメラこそ人がよく騙されやすい性質じゃないかと心配になってくる。もちろん強気なところは多分にあるが元々いいとこのお嬢ちゃんなので根は素直なのだ。
年齢も立場も全く違う3人だけど仲良くなれそう、そんな気がした。
3人は向き合いお互いの手に手を重ねていた。
パメラはちょっと決まり悪そうだったけど。
やがて手を外しオークレアは言った。
「そう言えばあなたとはまだ自己紹介をしていませんでしたね。私は歴史文化相室所属のビジュー・オークレア。あなた様のお名前をお聞かせいただけますか」
「ああ、そうでした。
私はリリアン様専属女性護衛のパメラ・バセット。私たちは仲間ですから気軽にパメラと呼んで下さって結構ですよ」
「え?」
名前を聞いてオークレアは目を見張った。
パメラの名も顔もオークレアは知らなかったらしい。バセットの家名を聞いて気が付いたようだ。
「パメラ、バセットですって?
あなたはバセット伯爵家のご令嬢でいらっしゃいましたか!
・・・それは存じ上げず失礼を致しました。
わたくし、普段は研究室にこもりっきりで外部の人とほとんど交流がなくて、妹さんが騎士をされてたとは思いがけず・・・だって全然似てないし」
妹さんときたもんだ。
ちょうど聞きたかったことを聞ける絶好のタイミングがやってきた。
「いや、別に私はそれほどのその有名人ではありませんからお気になさらず。
・・・それよりあなたは私の兄、エミール・バセットのことをよくご存知のようですね?」
それから兄と似てなく見えるのは染めた髪色と化粧のせいでスッピンだと結構似ているぞ。なにしろ私が馬に乗れるのは兄上の服を着て兄上のフリをして外で乗り回していたお陰だからね!
「えっ?いいえ、それほど存じ上げている訳ではございません」
「そうかな?
でも前に廊下でハンカチを落としてデートに誘ってたよね」
「うぐっ、なぜそれを・・・」
ビジュー・オークレアは赤くなり、かなりバツが悪そうだ。
「あれはですね・・・あの時初めて勇気を出してお声を掛けさせてもらった、それだけです。それでも私のことなど全く気にもかけて下さいませんでしたからノーカンです」
下を向いて大きく息をつき言葉を続けた。
「・・・実は私、学生の頃からずっとエミール様をお慕いしていたのです。
もちろん最初から諦めてはいました。
でも、浮いた話がなかったから安心していたという所もあったみたいで、歴史相の人たちが最近エミール様が女性たちの人気を集めていると話していたのを聞いて急に焦燥感にかられて。
最後に一度だけでも一緒に過ごしたという思い出が欲しくなったのです・・・。
私のことなど相手をしてくれようもないのに、少し期待してただなんて本当に浅はかで恥ずかしい事でした」
オークレアは可哀想なくらいズドーンと落ち込んだのでリリアンは励まそうとそっと手を取った。
なのにパメラは眉間に皺を寄せる、そんなの信じられない。
「まさか!あの全くモテない兄上のことを前から慕ってただって?ウッソだ〜」
「いいえ、王太子殿下を支える健気な姿に心を打たれてからずっとです。
当時は誰に何を指導してもらえるわけでなく手探りでなさっておられました。私は中庭の見える窓からいつも走り回っておられるエミール様を陰ながら応援しておりました。
王太子殿下の不安定な時期も本当に真摯に支え続け、お力になり、その上ご自分の勉学も疎かにせず、血の滲むような努力されて今に至るのです。
今では立派にお成りになられてそれはそれは眩しいほどですが、当時も今もその真っ直ぐで崇高なお志は変わってはいらっしゃらない。今でも真摯に走り回っておられる」
オークレアの表情や言葉から本当に長い間兄エミールを見てきたのだな、好きだったのだなとさすがのパメラにも感じられた。
もっと早くに求愛していれば応えて貰えていただろうに・・・。
エマが現れてからでは遅すぎた。
「なんで今頃。なんでもっと早く言わなかったの?その頃に告白すれば良かったじゃない」
「だって、私の方が年上だし、私の方が背が高かったし、いつもお忙しそうにされていたし・・・」
「そんなの気にするかどうかは本人に聞いてみないと分からないよ。タデ食う虫も好き好きって言うじゃない。
じゃなかった、そんなのそんなに気にするほどの事じゃないってオークレア、あんたほどの人なら兄上の妻になれてたよ。けど兄上に想い人が出来てからでは遅かった、時期を間違えたね。
まあ、どちらにせよもう結婚してるから今から言ってもどうしようもないけどね」
「あぁ」パメラの言葉を聞いて絶望の声を漏らしオークレアは泣き崩れた。
こんなに素敵な人が、恋が実らず泣いている。リリアンは堪らない気持ちになった。
だからと言ってオークレアが選ばれていたら今度はエマが泣くことになる。
どちらかは泣かないといけない運命なのだ。そして選ぶのは他の誰でもないエミール自身で、振られた方はその結果を受け入れるしかないのだ。
もっと良い人がいますよ、なんて子供の私が言っても励ましになるのかな?
リリアンが悶々としている中、パメラがオークレアを立たせながら言った。
「ほら、立って。
可哀想だけど、諦めて貰わないと困るんだ。兄上夫婦には幸せでいて欲しいからね。
でも今にきっと良い人が現れるって!あんた綺麗だし秀才だもん引く手数多だよ」
「引く手数多じゃないもん!綺麗でも秀才でも、モテないもん!
モテたことないもん!」
「ないもんって、あはは、全然似合ってないよ。あはは、その顔でないもんって」
パメラが笑うものだからオークレアはいつまでもグズグズ言いにくくなって泣き止むしかなかった。
「もう。『その顔で』は言い過ぎじゃないかしら」
「綺麗過ぎると近寄りがたいのかねぇ?
確かにお高くとまってこっちのことを相手にしてくれなさそうに見えるから近寄りがたいわ。美人過ぎるのも逆に損なんだね〜。
でもさ、さっきの『ないもん!』は良かったから、これからはその路線でいったら親近感が湧いていいんじゃない?」
パメラは上から目線でそんな変なアドバイスをしている。
そのアドバイスを真に受けて、これからオークレア先生の語尾が全部「ないもん!」になっても大丈夫なのかしらと思いつつ、ふとリリアンが視線を王宮の方へ向けるとちょうどフィリップを先頭にした集団がゾロゾロとこちらへ来ているのが見えた。