107話 王太子の黒のサロンにて
フィリップがリリアンの応接室に来た。
「待たせたね」
「あっ、フィル様!いらっしゃいまし、今日の執務はもう終わられたのですか?」
相変わらずリリアンは嬉しそうにフィリップの元に駆け寄って行き、抱き上げられたままソファに戻ってくる。
その間、「終わったよ、リリィは変わらず元気だったかい?」などと優しく聞かれながら頬にキスされて、リリアンも「はい、変わりありません」そして「どう?困ったことはなかった?」と聞かれれば「ええ、フィル様は?」などと答えている。
まるで久しぶりに会ったみたいじゃないか。
フィリップが入って来たので立って迎えるニコラとソフィー。
「ああ、お前たち。今日は早くから来てたらしいな」
客の2人に対してはあっさりしたものだ。
「ええ、もう準備万端ですよ」
元気だったかなどと言うのは普通は訪問して来たニコラたちに掛ける言葉ではないのか、まあ一昨日会ったばかりだからこっちからも言うことはないけど。
しかし毎日毎日飽きもせず・・・。
ニコラは自分も人のことを言えた口じゃないクセに心の中で呆れているが、いえいえ毎日どころかこの2人、今日はフィリップの執務中に3時間ほど離れていただけですから。
2人はこれが平常運転、いつ顔を合わせても毎回毎回こうですから。
「ではニコラ、ソフィー、今日の昼は私たち2人だけだから一緒に食事をとろう。その後で馬を選びに行こうか」
リュシアンとパトリシアは息抜きと称して建国祭後に王宮から20kmほど北にあるかつての狩猟用の別荘だった『北の離宮』に行っているから不在だし、結婚式でエマとパメラもいないので今日は変則的だ。
通常はリリアンは王族方と食事をとるので、ニコラとソフィーは別室に用意してもらい、パメラとエマ達侍女は国王陛下の護衛や給仕女中がいるのでこの間にリリアンの元を離れ食事をとるようになっている。
リリアン専属護衛隊に限っては交代で休憩を取るので関係なくリリアンの護衛を継続し少なくとも室内とドアの外に2名ずつはいることになっているのだ。
ちなみに北の離宮だが、冬に訪れるのに王都より寒そうな北の地にわざわざ行くこともないだろうと思われるかもしれないが、あそこには温泉があるのだ。逆にパトリシアは冬にしか行かないのだ。
そういう訳で今日は自由だ。とは言え流石に王族用のダイニングルームにニコラ達を招く訳にはいかないので『王太子黒のサロン』で食べることにした。
「おお、ここは初めて入った。広っ!すごい豪華!!床もピッカピカ」とニコラ。
「これは・・・足を踏み入れるのも緊張しますね」ソフィーはニコラの腕にしがみつくようにして恐る恐る入る。
「素敵、私も初めて入りました」
「そうだね、いつもリリィの部屋に集まるからここを使うのは初めてだね」
リリアン用の応接室とは別のフロアにあり、黒地に白のマーブルが入った大理石の床がリリアンのとはまるで趣が違っていて重厚かつハイセンスな印象だ。
それに白い壁と広い窓で部屋の中は充分に明るいのだが固い大理石で守られているから堅牢なというか、秘密の部屋という雰囲気がして妙に落ち着く。
豪華な秘密の隠れ家といった感じだ。
その日の昼食はメインが魚料理で野菜も多く使われていた。これはフィリップのリクエストらしい。
キノコとクリームのソースが添えられた鱒のポワレはカリッと香ばしく焼かれていて絶品だった。ニコラにはやはり足らないと思ったのか、お心遣いでとり胸肉のポワレが一品多く付いていた。
ひとしきり料理について賛辞を送ったのち、リリアンは切り出した。
「フィル様、先ほどソフィー様に学園には部活動というものがあると教えていただいたんですよ。
それを聞いて私、女性の為の乗馬部を作りたいと思ったのです」
「ふうん、女性の為の乗馬部ね。
だけどリリィ、我が学園には現在乗馬をする女生徒は多分いないし誰も興味を持っていないという状況だよ。どうやって部員を集める?」
「それはこれから考えるところです。
どうにかして多くの方々に興味を持って貰いたいのですが・・・例えば私が馬術大会に挑戦して女性が馬に乗れるというところをお見せ出来たらどうかとも考えたのですけど、どれくらい乗れるようになるか分かりませんし」
「そうか、馬術大会はまだしばらく先の5月だよ。入学してから大会まで少し期間があるし2月はまだ屋外の活動をするには寒いから女性の部員を募るのは時期的に難しそうだね。
でもリリィが馬で何かパフォーマンスをするのは興味を持って貰うのには有効だろうから今から少し練習してみようか」
「はい、フィル様お願いします教えて下さいませ。
それと女性向けの体術と剣術の部活動も作りたいのです・・・」
フィリップはフッと笑った。
「何か企んでる?」
何を企んでいるかは見え見えだ。
ちょっと前からリリィが何か考えにふける事が時々あって、薄々そんな事を考えているんじゃないかと思っていた。大方パメラのために女性騎士を養成しようとしているのではないかと推測する。
元々は謎の手紙によってリリアンに危険が迫っているという事で新しく設けた専属女性護衛騎士だったが、学園に通う間はもちろんその後もずっとリリアンの側に置くつもりだ。
それにパメラの働きぶりを見て父上は母上にも同じ様に女性騎士を付けたいと考えたらしい。出来れば人数をかなり増やして女性護衛隊という1つの隊を作りたいと考えているとも言っていた。
問題は成り手だ。
いくら身体能力が高くて忠義を誓ったとしても王妃や王太子妃に付けるのに庶民出というわけにはいかない。常識や感覚がかけ離れて過ぎていて少々教育したとしても、もしもの時に信用できず危険だからだ。
だから貴族の女性の中から騎士志望の者が出て来てくれないと困るのだが・・・我が国の常識では乗馬や剣術などは男性がするものという認識で、女性はそんなお転婆は嫁の貰い手がないと考える風潮が強くあり老若男女に関わらず抵抗感を持っている。この意識は根強くて少々のことでは変えられないだろう。
しかしこの国で最も高貴で最も私に愛されているリリィがそれらをするのを見たなら、その気持ちに変化が起きるかもしれない。むしろそれに賭けるのが一番現実味がある方法だと思う。
「どの道、女性の護衛はこれからも複数必要になるから僕もリリィに積極的に協力するよ」
「えっフィル様、なぜそれを?」
「リリィの顔にそう書いてあったから」
そう言ってフィリップはにっこり笑って人差し指でいかにもリリアンの顔にある文字をなぞったかのように動かした。
「えっ?顔にですか?」どこですかと自分の顔に手をやるリリアン。
「ああ、俺もさっきそれを読んで当てたのさ」とニコラが乗っかってくる。だってリリアンが本当に書いてあるのかと狼狽えているのが面白いから。
「あの、鏡を・・・。
でもやっぱり先に顔を洗ってきます」と立ち上がりかける。
「お待ち下さいリリアン様、気持ちが表情から読み取れるくらい分かりやすいという意味ですから大丈夫ですよ。顔に字が書いてある訳ではありません」
「本当ですか、誰かが知らないうちにいたずら書きをしたのかと思いましたよ」とホッとした顔をしている。
「マジか」
大人びた事を言うと思ったらこんな子供っぽい顔を見せたりする。そういうところも可愛いのだが、いったいその犯人が誰だと思っているのかをリリアンに聞いてみたいところだ。
なんか俺が一番疑われてそうなんだが、無実だぞ。
「じゃあリリィ、こうしたら?
まずは最初に2月は体術部の部員を集める。5月の馬術大会で馬術部員を募集、そして9月になったら剣術大会があるよ。
女性はほとんど身体を動かすことがないからそうやって徐々に体力をつけていったほうがいいだろう。部の掛け持ちや色々な部を渡り歩くのは我々男性ではよくやることだからね」
「確かに私も一度に全部の部は参加出来ませんから、そうやって始まりをずらした方が良いかもしれません。
でもそれでは女性騎士の誕生が来年に間に合わないかも・・・」
「うーん、リリィは来年を目指してたのか。
それはどうだろう、全部を2月にすぐ初めたとしても流石に来年に間に合わせるのは無理じゃないかな。
パメラは小さい頃から自主的に鍛錬を続けていたからこそすぐに現場に出られたんだ。
ああそれからリリィは剣術は父上から禁止されているのを忘れないでね、怪我でもしたら大変だから隠れてでもやらないように」
「はい、決してリュシー父様との約束を破らない事を誓います」
「裏で女性騎士の養成を狙っているんだ、総合的にどれも出来なければならないのだから3つバラバラより1つの部で全部兼ねてやってしまった方が良くないか?」とニコラ。
「面白い案だとは思いますけどその場合はなんといって部員を募るのですか?女性騎士養成部ではまず誰も敬遠して入りたがりませんよ」とソフィー。
「じゃあもう妖精部にしたら?
リリィは妖精のように可愛いから皆でリリアンを目指そう!とか言って実は騎士の養成部という罠ってどう?」
「そんなネーミングでは誰も来ませんよ」と半ば呆れるリリアン。
「いいね!その謳い文句で一網打尽にして後は逃さないようにしないとな!
出口は俺が塞ぐ。ネズミ一匹通さないぞ!!」
しかしニコラは大乗り気だ。
「そうですね!名前で集めるのならこんなのもどうですか?『リリアン様と一緒に嗜む愛され女性の心得部』なんて言ったら大変な人数の集客が出来そうです!」嬉しそうに今度はソフィーが提案する。
今までで一番盛り上がってるけど話が脱線しているし、集めたいのはお客ではない。
それに皆んなどれほど私を買い被っているのかしら、学園イチ年齢が若い女の子にそれほどの興味を引く要素があるとは思えないのですが・・・。
お〜い、さっきまでの真剣な話し合いはどうなった〜?
とうとうリリアンは言った。
「皆さん、真剣に話し合いましょ?」
「真剣さ!」
「大真面目だよ」
「もちろん私もそうですわ」
ずっと話し合っているがまだ何も決まっていなかった。この様子では秘密の会議はいつまで経っても終わりそうにない。