105話 フィルたんの出番だよ
今日のお出掛けはとーっても楽しかった!
帰ってパトリシア母様にお土産を届けた後、エマ達侍女とオランジェットでお茶したの。
「あのね、2つ目に行ったサロン・ド・テでパイを食べたらソラマメが当たったの。それでこのオランジェットがお皿に盛られて出て来たのよ。食べたら美味しかったからあなたたちにお土産にしたいと思って包んで貰ったの。どう?美味しい?」
「はい、美味しいです」
「こういうの、だーいすき!」
「こら、コレット。婚約者候補付きの侍女がそんなお行儀悪そうな言葉遣いをしてると家に返すぞ」とパメラに睨まれてコレットは肩をすくめた。
「いいのよ、今は私たちだけしかいないのだから」
私たちだけでドアを閉めている時くらいパメラも一緒に座ってお茶をすれば良いのに、相変わらず1人ドア横にピンと立って警戒してくれている。
「それでねそこから帰る時にね、サインを頼まれて皆で壁にサインを書いたのよ」
リリアンの話は続く。だって話したい事の山場はこれからなのだ。
「レーニエはパメラの名前の前に『私の愛しい人』って赤で書き加えて大きなハートを描いたのよ。
ね?パメラ。
素敵だったな〜!背中で熱く愛を語っていたわ・・・もうレーニエったらやる事がいちいち推せるんだからっ」
「へ〜、愛されてるぅ〜!」コレットは元主人が愛されているので満足顔だ。
「リリアン様もやっぱり奥様と血が繋がっているのですね、そのノリ、っぽいです」とあまり嬉しくないことを言うエマ。
「でね、お兄様はそれに対抗して『私の恋人であり宝物』って書いたのよ」
そこまで言うとクラリスとアニエスが「素敵!」「私も強面にそんな甘いことを言われてみたい」と言い出した。2人はニコ兄様のファンなのか。
いや、パメラの嫉妬を買ったら怖いのでレーニエについては言及を避けただけだと思うな。
「それでね、それで次にフィル様が私の名の上に『私のお姫様であり私の天使』って書いてくれたの〜」とニヤニヤ、モジモジするリリアン。
誰も『告白されてようございましたね』とか言ってくれないからリリアンは自分で言う。
「とうとう私に告白してくれたのよ」と嬉しそうに報告するリリアンに皆は首をひねり不思議そうに言った。
「告白?
それ、普段からおっしゃってますよね?」とエマ。
「今更です」とコレット。
「僕のお姫様と僕の天使は殿下がよく使われる決まり文句かと・・・」クラリスとアニエスの声がハモる。
頼みの綱とパメラを見ると向こうで深く頷いて皆に同意している。
「ええ〜!?そうなの?」
ガーン!!そうだっけ?そうだった。よく僕のお姫様って呼ばれてた。天使もそう呼んでくれることがある。
ああ、それでか・・・。
お店から出たらフィル様の態度がいつもと全然変わらないなって思って、変だなとは思ったのよね。私、てっきりあの時に愛の告白をしてくれたものと勘違いしてたから、お外だからかな、とか思ってて。
レーニエとお兄様が『愛しい人』とか『恋人』って書いていたからフィル様も同じくらいの気持ちを込めてくれたものと思い込んでしまったけど、お店では私から(告白されたと思って嬉しくて)抱きついたから相手をして下さっただけだったのね。
はぁ、久々に大きなガッカリ来た。
肩を落とすリリアンにエマは優しく声を掛けた。
「殿下が一番大事に思っていらっしゃるのは間違いなくリリアン様ですよ。じきに告白して下さいます」
「うん。ありがとう・・・期待しとく」と消え入りそうな声で応えた。
フィリップが「僕のお姫様」という言葉にどれほどの想いを込めているのか、それをまだリリアンは知らない。
『王子様のお姫様』は王子妃、つまりお嫁さんのことなのだから、フィリップが『僕のお姫様』と口にする度にリリアンをフィリップのお嫁さんと考えていますよとプロポーズしているのと同じ意味があるのだけど・・・。
いつも近くで見ている侍女達だって気が付いていないのだから仕方がないか。
リリアンは気を取り直してエマに話を向けた。
「エマの結婚式は明後日ね、こんなにギリギリまで働いていて準備は大丈夫なの?」
「はい、ドレスはエミール様が用意してくれましたし親族だけでやりますので特に私が準備することは無いかなと」
ホントかな?とパメラを見ると、無言で呆れたように首を左右に振っていた。何かやるべき事はあるらしい。
ちなみにエマは明日から長期休暇に入る。
今までお休みをとっていなかった分と結婚式とその前後のお休みを合わせるとちょうど2ヶ月取れる計算らしい。エマはそんなに休んでいたら身体が鈍るからもっと早く出て来るつもりだと言っていた。
そんなの無理なのに。
パメラとローズ夫人が後半ギッシリと教育プログラムを組んでいるのだから・・・それを知ったら休暇前半が楽しめないだろうから、まだ内緒にしているらしい。
ローズ夫人曰く『知らぬが仏なり』
挨拶に来られたローズ夫人は休暇明けのエマがどう変わっているのかお楽しみにと微笑んでおられたわ。
そして国王陛下と王太子殿下の直属の部下になるエミールの結婚式は慣例として王族は出席しないので私もそれに倣うことになっている。
式に参加出来ないのは残念だからマイア様に行っていただいて絵を描いてきて貰うようお願いした。マイア様は春からしばらく壁画の為の材料を探したり技法を探求するため、また能力の高い人を探して弟子をスカウトするための旅に行かれるそうで、出発される前に式があって良かった。
そんな話をしていると、エマが外から呼ばれて出て行った。
リリアンの私室であるこの部屋に居る人に用がある時はそれが侍女に用がある場合であっても直接来ることは出来ず階段の下にいる護衛に伝言を託す仕組みになっている。
「ねえパメラ、エマ達の結婚式の様子を私たちの分もしっかり見て、戻って来たら報告お願いね!」
「ええ分かりました。事細かに報告しましょう」とパメラはニッコリと笑って頷いた。
パメラはエミールの妹なので式に出席する。
式と言ってもドレスを着て指輪の交換を行うくらいで署名した後は歓談するくらいだ。ニコラの婚約式が結婚式並みかそれ以上に豪華だっただけで、あんな感じらしい。
あとは社交界の人々に結婚の報告の手紙を送ったり、お祝いをくれた人への礼状と返礼とか・・・建国祭で沢山の人にエマが顔見せして挨拶した為にこの短い間にものすごい量のお祝いがぞくぞく白亜の家に届いているらしい。
それはあの場にいなかった貴族も噂を聞いて新たに縁を結びたいと贈り物を送ってきているのでエミールでさえも想像を絶する量になっているのだとか。
エマ、がんばれ!
リリアンが心の中でエールを送っているとエマが涙目で戻って来た。
「リリアン様・・・・オコタンがこんなになってしまいました・・・」
「ええっ何それ?」
よれよれ、ボコボコで・・・ペシャンコだ。
可愛かったオコタンは片方の目が取れかけ、もう片方の目の上にはコブみたいなのが出来て怖い顔に豹変し、お腹には穴まで空いてワタが出ている。
よくここまでボロボロに出来たものだという程の変わりよう。
「これ、本当にオコタン?」リリアンは立って行ってオコタンを受け取る。
「はい、今日はその、汚れていたから・・・洗濯に出したらこんな事に。今までは私が手洗いしていたのだから今回もそうすれば良かったのに私の落ち度です、本当に申し訳ありません」
鎮痛な面持ちで深々と頭を下げるエマ。
今日はリリアン達がお出掛けをしている間に部屋の模様替えがあった。就学に備えて新しい家具の書棚や書き物机などが入り、間の部屋にも上に色々と飾れるようにと壁いっぱいの幅があるサイドボードが入れられた。その間侍女達は物の入れ替えをしたり何か失くなったりしないようずっと部屋にいて細々とした作業をしていたのだ。
オコタンは洗濯女達がいつもの調子でお喋りをしながら足で踏んで洗っていたら形が変形してしまい、焦ってとにかく乾かそうとギューっと絞ったらこんな事になってしまったらしいのだがそんなお粗末な事情をリリアン様に言える?そんなの傷つくに決まってるのに私にはとても言えない。
「いいの、いいの、エマ気にしないで。もう古くて布もワタも弱っていたんだわ」
バレリー夫人に捨てると言われた時はあんなに辛くて悲しかったのに、なぜだかリリアンはそれほどは悲しくなかった。姿がすっかり変わってしまったからだろうか、それとも精神的に大人になってきたのかな?
それより何より一番の理由はこんな事でエマを責めたくなかったからだ。
「エマ本当に気にしないで。あなたはこれから人生最大のイベントがあるのだから、心の底から一点の曇りなく幸せに浸って欲しいの。これくらいのことは何でもないのよ忘れてしまったらいいんだわ」
結局、ボロボロになったオコタンは下げられどこかに連れていかれてしまった・・・。
オコタン・・・ぐすん。
夜になり1人になってみるとオコタンが無くて悲しくなってきた。
あんな変わり果てた姿になってしまってもまだここに置いておいて欲しかった。でも、そんな事を言うとエマが余計に気にしそうだったから・・・いつも抱いていたオコタンが無いと心許ない気持ちになる。
でも泣かないもんっ!エマが気にするからもう寂しがっちゃダメ!
くすん・・・。
ベッドに座り、口をギュッと結んで涙がこぼれないように耐えていたら、フィル様がいつもより随分早く顔を覗かせた。
「あ、フィル様」
「リリィ、やっぱり悲しんでた」
フィル様は誰か・・・きっとエマにオコタンに起こった顛末を聞いて私が泣いてるかもと早く様子を見に来てくれたんだろう。
「いいえ、もうオコタンから卒業するのにいい機会だったんです。だから、だから・・・これで、良かったんです・・・」笑おうとしたけど、なんとも情けない表情になった。
「ねぇリリィ、こんな時こそフィルたんの出番だよ」
「え?」目をパチクリする。
何て?
「ほら、抱き枕フィルたんがいるでしょ、今夜からは僕を抱いて寝ればいい」
ね?というように首を傾げ、フィリップは両腕を広げて膝を折り「おいで」と優しく微笑んだ。
そうだった初夢を見た夜にもフィル様が抱き枕になってくれた。幸せな記憶で心が満たされてくる。
「フィル様・・・フィルたん!」
言い間違えて言い直し、リリアンはふらふらと引き寄せられるようにフィリップの胸に抱きつきに行った。
この抱き枕は優しくて温かく、抱き返してもくれる特別仕様だ。
んん、最高。
しばらくすると「こうしていると逆にリリィが僕の抱き枕みたいだね」とフィリップは笑って「僕の抱き枕リリたん」と言って、より包むように抱きしめた。
「ふふっ」涙はすっかり引っ込んでしまった。
「私、フィル様のリリたんです」腕の中で笑って自己紹介をしてひっつくと、胸にスリスリした。
ちょっと待て、リリィ。
いきなりのその波状攻撃は破壊力抜群だ。無自覚に攻めてくるの止めて!!
「リリたんくすぐったいよ」
「フィルたんは抱き枕なんですから我慢して下さい」とリリアンはクスクス笑う。
「絶対わざとやってるだろ、リリたん抱き枕はいたずら好きだな?」
「すりすりは私の癖なのです」
「あ、また!」
キャッキャとはしゃいでいても、お互いにその腕の中から逃げようとはしない。
こうして2人は間の部屋ではお互いのことをフィルたん、りりたんと呼び合うようになった。
そうしてお互いを抱き枕と称して抱き合って眠るのだ。
後日訪れたニコラを介してオコタンはまたリアムに発注されたが、新しいオコタンが届いても2人のその新しい習慣は元に戻ることはなかった。
今まではリリアンがオコタンを抱いて寝ていたから同じベッドでくっついて寝ていても別々に寝ている感じがあったのだけれど、お互いが抱き枕になることで心の距離もより近くなり、2人の夜は前よりほんの少し糖度が高くなったのかもしれない。
きっと三代目オコタンは椅子に座ってそんな2人を温かく見守ってくれるだろう。




