100話 新年のパーティー
「我々には見慣れた光景ですが、さすがに皆は驚いて目のやり場に困っていそうですよ」とエミールが挨拶にやってきた。
バルコニーに出る前にも一緒にいたから挨拶も今更なのだが、形式的に婚約者をこの場で紹介するために来たのだ。
「王太子殿下、リリアン様、私エミール・バセットと婚約者のエマ・ブーシェでございます。私共は今月7日に婚儀を挙げる事になっております。私達2人をこれまで同様可愛がって下さい」
「もちろんだ、そのようにしよう。
今年からリリアンが学園に通う、2人ともよろしく頼むぞ」
「はい、万事怠りなく努めます」
「はい、承りました」
「よろしくお願い致します」とリリアンも挨拶する。
「うん。ところでエマはちゃんと挨拶出来たのか?」とフィリップは訊ね、リリアンも「エマ、どうだった?」と小首を傾げて訊いた。
「はい、たぶん。王妃殿下にはこれからは直接話しかけても良いと仰っていただけました」
エミールに伴われエマが挨拶に行くと、パトリシア王妃は微笑んで迎え、そうお声を掛けて下さったのだ。
本来ならばこの上ないお言葉を頂いたと喜ぶところだがまだエマは自信がなく本当に許して貰えたのかどうか疑心暗鬼なのだ。
それもこれも社交界に慣れておらずそのルールをよく理解していないせいだろう。
エミールはそんなエマを気遣って心配そうに見ている。
エマのパーティー出席は建国祭前日の夕方にパメラによって急遽決まった。
少し前にエミールがエマに建国祭にパートナーとして出席してほしいと申し出た時には、リリアン様の仕度をしなければならないので無理ですと断り、エミールもそれで引き下がってくれていた。
だからエマは『パーティーは仕事を理由に断ってもいいし、私ごときが出なくても問題ないはずだわ』と考えていて、今後も全く出席するつもりはなかったのに、昨日パメラに王妃様からいただいたドレスの礼をしていないと話してしまったばかりに半ば強引に出席することに決められてしまったのだ。
パメラ曰く「建国祭の後のパーティーで王妃殿下にお礼を言わずにいつ言うの?この機会を逃したら一生後悔する羽目になるよ。大体エミール・バセットの嫁が社交界に顔を出さずに済むと思ってる?」
ということで退勤後パメラに伴われ一緒に新居に行き、先に来て待っていたローズ夫人とドレスを選び、今日の為だけのピンポイント一夜漬けマナー講座(超厳しい)を受けて今ここにいる。
フィリップのマントの中から顔を出していたリリアンは顔を上げてフィリップに言った。
エマにパメラ達が社交界のマナー云々と言っているのにリリアンが礼を失した態度では王妃を目指す者として規範となることはないだろう。
「フィル様、私は少し動きとうございます。皆様の挨拶を受けるのに立ち歩いてもよろしいですか?」
「ああ、いいよ。では下で皆と交じろうか」
最初の儀式用のマントは本当に重くて長かったから、裾を4人がかりで持たせるのでなければ会場を歩いている内にグルグル巻きになって足を取られてしまいそうだった。だからと言って本当に裾を持たせて歩くのも今時の感覚からすれば何か大袈裟で滑稽に思える。
そのため、建国当時のマントに似せた短い丈のマントも用意してあった。本来ならそれに代えるのに一旦奥に下がるのだが、そうすると皆にふれ回って退場することになる。お色直しでもあるまいしとフィリップはマントを取りに行かせた。
クラリスとアニエスに持って来させて2人がくるぶし丈のマントをその場で身につけると、会場にいる者達に王太子殿下と王太子婚約者候補様がフロアに降りられると告げられる。
リリアンはフィリップが差し出す手に手を重ね一緒に壇から降りた。
案の定、エミールとエマは今日はパーティーの出席者としてここにいるのにその場に留まってその様子を見守っていた。
「では、参りましょうか」
リリアンはいつもの少女らしい愛くるしい笑顔を社交用の気高く余裕のある微笑みに変え、エミールとエマに視線をくれて声を掛けるとフィリップに導かれ挨拶を受けるべき相手の所へゆったりとした足取りで赴く。
リリアンはまだ社交界で無名のエマの立ち位置を皆に知らしめる為に彼らの従者と侍女という立場を利用して連れて歩くことにしたのだ。
壇の上に居るときは皆の方から挨拶に来るのを待つが、壇を降りたら王太子から声を掛けるまで下々の者から話し掛けられることはない、そういう決まりだ。
王太子が壇から降りたので皆は歓談を止め、横に並んで声を掛けて貰うのを待った。
「アングラード侯爵、ご機嫌よう」フィリップがアングラード侯爵夫妻に声を掛ける。
「おお、これはこれは王太子殿下並びに婚約者候補リリアン様、この度は建国93年目の・・・」とか「王太子殿下の婚約者候補様はお美しい」などとまずは定型の挨拶だ。
「ああ、もちろんだ。私のリリアンほど美しい女性はどこを探しても他にいないだろう」とフィリップは返す。
「お褒めいただきありがとうございます、マチュー侯爵。
先の街道整備の件ではベルニエ領からの依頼を受けていただきご協力感謝致します。当初これは我が祖父マルセルからの依頼を受けジラール辺境伯領の氷を王都に運ぶために考えられたものでしたが、もちろん運べるものはそれだけに留まりません。氷街道が完成した暁には人と物の流通を活性化させ必ずやこの国を発展させることになるでしょう。共にその恩恵に預かりましょう」とリリアンは悠然と微笑んだ。
王太子が連れてはいるがまだ社交界デビューする年齢ではないリリアンを添え物のように考えていた侯爵は、王太子に対してご機嫌伺いのつもりで婚約者候補を褒めはしたがリリアンをまだ小さな子供だと侮っていた為に自分の名前さえ名乗っていなかった。何故ならば婚約者候補と言えど自分の小さな娘より若いのだ。
しかしリリアンは当然のように侯爵のことをよく分かっていて名を呼んだ。
これはリリアンが王妃教育を受けており、既にそれを身につけていることを示すと共に情勢に聡いこと、そして名を教えられずとも覚えているほど重要視している、あなたを決して軽視していませんよという意思表示となり侯爵の自尊心をくすぐった。
侯爵は胸に手を当てリリアンに頭を下げた。
「はい、我々の領地も恩恵に預かれる事を光栄に思います。
ベルニエ伯爵と夫人には大街道の建設について多くの助力をいただき大変お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいでございます」
そうだ、実際のところ相当助けられたのだ。ベルニエには足を向けて寝られないほどに。
侯爵は考えを改めてその言葉と態度に誠心誠意感謝の気持ちを込めた。
フィリップが「お前のところは今年から学園に通う事になっていたな」と今度は夫人に話を向ける。
「はい。王太子殿下、次女ルイーズは今年から学園でリリアン様とご一緒出来ることになっております。その事を私達は大変光栄に思っております。リリアン様、是非ともルイーズと末長くお付き合い下さいますようお願い致します」と夫人が答える。
「ベアトリス夫人、共に学んでまいったルイーズと春からも学園で会えるのを私も楽しみにしておりますよ。学園での事を話がしたいので近いうちに王宮に顔を見せるよう伝えてください」
そんな事をひとしきり話していると「エミール様とご一緒のそちらの御令嬢はどなたですか?」と侯爵が2人の側に当たり前のように立つ見慣れない令嬢について聞いてきた。
今回は国の建国93年目と新年を祝うパーティーで主役は王族、その建国と治世を感謝し祝うのだ。貴族同士の交流を主目的としたカジュアルなパーティーとは違う。
だから今日は率先して婚約者候補のリリアンからエマの紹介を主目的のように扱うことは出来なかった。だけど聞かれたら答えることは出来る。
フィリップが答える。
「私の従者エミール・バセットの婚約者エマ・ブーシェです。彼女はリリアンの筆頭侍女なのですよ」
エマは紹介を受けて挨拶をする。フィリップやリリアンが居ることで落ち着いていた。余裕があるように見せるために微笑むことも忘れない。
「マチュー・アングラード侯爵様、ベアトリス侯爵夫人、エマと申します。どうぞよろしくお願い致します」
昨夜、高位貴族の名前を覚えるようにローズ夫人に言われて最初に暗記した名前だった。即席講座が役に立って良かった〜!
「それはそれは目出度いことだ。従者同士なら志も同じで気が合いきっと良い家庭を築く事が出来るでしょう。こんなに美しくリリアン様の侍女を務めるほどの有能な妻を娶ることが出来るのは流石エミール様ですね」とエマの事を褒めてくれた。エマ的には侯爵を攻略し第一関門突破!!
それから次々に挨拶を交わしていったが前の人の会話を聞いている為にアングラード侯爵のリリアンを敬愛する気持ちが伝播し皆リリアンを丁寧に扱うし、エマにも必ず声を掛けてくれる。そんな時も先にリリアンが相手の名前を呼ぶので、それを覚えておきエマはまごまごせずに済んだ。
社交界では相手に名を知られているということが重要だからそうするだけでこちらの評価も上がっていく。
王太子と婚約者候補が直々に紹介して回るのだから、誰も失礼な態度を取ったりしない。皆、下級貴族で社交界に出た事のないエマを笑顔で迎え好意的に受け入れてくれた。
もうエマはただの使用人ではない。
言わばフィリップとリリアンが社交界でエミールとエマの後ろ盾になった形だ。
エマはこれで怖いものが無くなった。
挨拶をした中に実はエマの過去を知る同級生もいた。だけど厳しい言葉を投げてくる人はいなかった「あなた頑張ったのね」とか「良かったな」と声を掛けてさえくれたのだ。
実際のところはマナーを知らない云々以前に、学園でそうだったように領地も屋敷も失った下級貴族と馬鹿にされ無視されたり嫌がらせを受けるかもしれない、そんな事を恐れて今までど社交界にはどうしても出たく無かったのだ。
リリアンが『エマが何かを恐れている』というそんな気持ちを察した上でこれから上手くやっていけるよう人生のはなむけにこうして連れ歩いてくれたという事はエマも言われなくても分かってる。
(たった7歳のリリアン様が私の事をここまで考えて下さったのだわ)
(それにリリアン様は全ての貴族の名前を覚えていらっしゃった)
パトリシア王妃殿下とリリアンが、偶さか言った「年齢は関係ない」という言葉を思い出した。リリアンは会った事もない顔も知らない相手の名前をスラスラと呼んでいたのだ。
心構えが違う・・・というのはこういう事なのか。
そうは思ったものの、エマはまだその凄さが分かっていなかった。それがどれほどの努力で成せるものなのか。
その夜、フィリップが間の部屋に顔を覗けたら夜8時という早い時間だったのにも関わらず珍しくリリアンはもうスウスウと寝ていた。
ベットに上がってすぐ寝落ちたに違いない、抱き枕のオコタンが椅子に置かれたままなのは始めてだ。
「頑張ったね、リリィ」
エマがこれから先、社交界に馴染んでいけるように下地づくりをしてやろうと気を張って大人達と渡り合ったのだ。余程疲れたのだろう、エマも初めての社交界だったかもしれないがリリアンだってそうだったのだから。
しかし、こんなに疲れている日でさえ枕元のアイルサ王女に貰ったウサギの置物には花が一輪挿してある。
「もうリリィはすることがいちいち可愛すぎる」
今日、フィリップは社交界デビューを迎えていないリリアンにはまだ貴族達の間を回らせるつもりはなく、壇上で王太子として挨拶を受けつつリリアンと仲睦まじい姿を見せて周囲を牽制するつもりでいた。
これからは学園で、そしてまた社交界や公務でと多くの者達と交流することになる。リリアンを婚約者候補という立場から引き摺り下ろし取って代わろうと画策する者や、そうでなくてもリリアンのお陰で最近国王と近くなった思われているベルニエ家を羨んで足を引っ張ろうとする者が出る可能性がある。
そんな事は絶対許さないぞというところを示そうとしたけれど、リリアンはそれ以上に次期王妃としての高い資質を見せて周囲を圧倒し魅了した。
優雅で洗練された表情と態度、教養高さが伺える会話の中に思いやりも見せ、余裕を持って社交をやってのけたのだ。
それがどれほど凄いことなのか、同じ教育を受けてきたフィリップには分かる。
そしてまた百戦錬磨の大人達が気に入られようと褒め、必死で話題を探していたことからもリリィが皆に認められた事も分かるのだ。
こんな素晴らしい女の子はどこをどう探したって他にはいない。
なんて愛おしい、僕の頑張り屋のお姫様。
おやすみ。
少し本でも読んでから寝ようとフィリップはリリアンを起こさないように静かに部屋を出た。