追放? あぁ、契約解除って事ですね
「フレッド、お前とは今日限りだ」
冒険者として活動しているチームリーダー、マーカスがそう告げたのは依頼を終えてやってきた酒場での事だった。
「うん? どういう事だいマーカス」
「どうもこうもあるか!」
何を言われているのか意味がわからない、とばかりの反応をするフレッドにマーカスは思わず拳をテーブルに叩きつけていた。ダァン、という音と衝撃でジョッキの中身が零れそうになる程揺れる。
「お前のような役立たずといつまでもいられるか、という話だ!」
「役立たず、ねぇ……」
「大体貴様ときたら魔物相手に戦うにしてもそこまで役に立つわけでもない。かといって荷物持ちをするわけでもない。ロクな功績もない。結果も出さない。ただいるだけ。そんな相手をいつまでもチームに入れておくわけがないだろう。それでなくともうちはじきにギルドランクが上がるかどうかなんだ。だというのに足手纏いがいたらいつまでたっても昇格なんぞできやしない」
「昇格、したいんですか?」
「したいに決まっているだろう!!」
何馬鹿な事言ってるんだ、とばかりにマーカスは声を荒げる。
現時点、ギルドで評価されたマーカスのチームのランクはBだ。大半がCランクであるのに対しその一つ上というだけでもそれなりに評価はされるけれど、世の中上には上がいる。
Aランクの冒険者たちはBランクに比べれば数が少ないし、更にその上のSランクなんて最早片手の指で数える程度しかいない。だが、そこに自分たちも昇り詰める事ができれば。
Sランクは無理だろうと思ってもAランクは夢ではなくなりつつあるのだ。ランクの高い冒険者にはギルドの支援だけではない。場合によっては国の支援だってある。実力のある者が少ないが故、並大抵の冒険者では対処できない魔物を討伐するという危険はあるが、そのために様々な支援が行われる。そしてそんな危険な魔物を討伐すれば、たちまち英雄のような扱いだ。
かつて、幼い頃に憧れた物語の英雄のようになれるかもしれない。
そんな、夢物語のようなものが現実味を帯びてきたのだ。これがまだランク昇格には遠すぎる、というのであればマーカスだってこんな事言いださなかった。けれど、憧れて、それでも自分にはでっかい夢だななんて諦めつつあったそれが、目の前にあるのだ。この状況で諦めるというのは流石に無理があった。
ランク昇格のためにはいくつかの危険な依頼をこなす必要がある。だが、その危険だとわかっている依頼にロクに使えない仲間を連れていくとなると、下手をすれば自分の命も危うい。
だからこそマーカスは、役立たずであるフレッドをチームから追放する事に決めたのだ。
「ふぅん、まぁ、きみがそれでいいならいいけど。それじゃ僕はこれで」
「待てよ」
「何かな?」
「お前の持ってる弓、それは置いてけ」
「どうして?」
「どうして、だぁ? 役立たずには過ぎた代物だろうが。今まで役に立たなかった分の慰謝料代わりにもらってやるって言ってんだよ。つべこべ言わずにおいていけ!」
「マーカス、きみ、いつからそんなバカになったんだい?」
「なんだと!?」
「これは、最初から僕が持ってた物だ。ダンジョンで見つけたとかじゃない。最初から僕の物だ。そもそもダンジョンで見つけた物に関してほとんどきみたちが持って行ったんだから、慰謝料も何もないだろう」
「役立たずにやる報酬なんてあるかよ。使えねぇくせに報酬だけは一丁前に欲しがるとかどんだけ図々しいんだ。いいから置いてけ」
これでフレッドがごねるようなら、力尽くでも、とマーカスは思っていた。
だがフレッドは露骨に溜息をついて、その弓をテーブルの上に置いた。
「ここまでしたんだ。どうなっても知らないからね」
「負け惜しみかよ。知ったこっちゃねぇ」
はん、と鼻で嗤ってマーカスはその弓を自分の方へ引き寄せた。
この弓は矢がなくとも魔力によって無制限に矢が生成される一種の魔導武器であった。こんな役立たずに持たせるには過ぎた代物。マーカスたちの中で弓を扱える者はいないが、新たに仲間に追加した者が使えるならそちらに、そうでなければ売ればいいだけの話だ。売れば確実にとんでもない金額になる。慰謝料としては丁度いい。
頼んだメニューが揃わないうちに、フレッドはさっさと席を立ち店を出ていった。
騒がしかった酒場がいつの間にやら静まり返っていた事なんて、この時のマーカスには些細な出来事であった。少しでも気にしていれば、この後に起こる展開は避けられたかもしれないというのに。
「――すまんマーカス、言おうと思ってたんだが実はうちの親が危篤でな。流石にこのままだと後悔する事になるから悪いがチームを抜けさせてくれ!」
フレッドが店を出て行った直後、突然そう宣言したのは魔術師レッドだった。がたりと音を立てて椅子を蹴るようにして立ち上がり、すまん! と再度謝罪して頭を下げる。
役立たずならともかくレッドの魔術は中々に役に立っていた。けれど、親が心配で、駄目かもしれないがせめてそれなら最期は近くにいてやりたくて……と語るレッドに親なんぞ知るか、とは流石にマーカスだって言えない。そこまで酷い人間になったつもりはなかったからだ。
「そうか……仕方ねぇな。その、お大事にな」
「あぁ、本当に済まない。もしまた縁があれば、その時は是非」
「そうだな。考えとく」
「一応ここの代金分は置いておくぜ。本当にすまないな急な話で」
「いいって事よ。親御さん、大事にしろよ」
「あぁ……!」
じゃらじゃらと硬貨をテーブルの上に置いて、レッドはすぐさま店を出ていった。
残されたのはマーカスと、マーカスを兄貴分として慕っているダスティンだけだった。
ランク昇格が目前に迫っているというのにいきなり二人だけになってしまった。とはいえ、探せば仲間になってくれる奴はいるだろう。レッドが抜けたのは痛いが役立たずのフレッドが抜けた分を考えて新しく二人仲間に引き入れる事ができればレッドが抜けた分程度、すぐに補える。
レッドがテーブルの上に置いていったここの食事分の代金は、どう考えても多い。けれどもそれは急な話でここを抜けるというレッドなりの誠意だったのだろうと思う事にして、マーカスとダスティンはやってきた料理と酒をたらふく堪能した。
この頃になると、静まりきっていた酒場も少しずつではあるが元の賑やかさを徐々にではあるが取り戻しつつあった。とはいえ、その騒がしさにマーカスやダスティンがもう少し耳を傾けていれば、まだ引き返せたはずなのだ。
「――坊ちゃん!!」
酒場を出たレッドは大急ぎで先に出ていたフレッドを追った。幸いな事にそう遠くに行っていなかったのでレッドはその後姿が見えたと同時に声を張り上げる。
「レッドか。どうしたそんなに慌てて」
「慌てるに決まってるでしょう! あのままあいつらの所にいたらどうなると思ってるんですか」
「どう、って……まぁ、ロクな事にはならないな」
「でしょう? そのくせあいつらといろだなんて、言いませんよね? 坊ちゃんは私に死ねとおっしゃるとかないですよね!?」
「まさか。行き倒れていたお前を拾ってから今の今まで、お前には随分と助けられていたからね。そんな事を言うはずがないだろう」
そう言われてようやくレッドは胸のつかえがとれた気がした。
親が危篤だなんて嘘だ。そもそもレッドは孤児である。食うに困って生きるのに精いっぱいだった日々。空腹でロクに動けず倒れていたのを当時まだ幼かったフレッドに拾われて、それからは彼を主として生きてきたのだ。
ちなみにレッドという名はフレッドの父が名付けた。いざという時は影武者として使う事もあるからそのつもりで、と言われたのを覚えている。今のところそういった影武者としての働きはないけれど、いざとなったらレッドは勿論そのつもりであった。
どうにか追いついた主に付き従うようにして、レッドはあの二人これからどうするんだろうなぁ……なんてどうでもいい事を考え――るわけもなく。
さっさと色んな手続き終わらせてしまいましょうね坊ちゃん、なんて言いながらフレッドと二人、彼の家へと帰っていったのである。
――フレッドの家はそれなりに名のある家であった。貴族と簡単に言ってしまえばそれまでの話だ。代々宮廷魔術師を輩出している家であり、城の中での発言力もそれなりにある。
フレッドは次期宮廷魔術師長が約束された跡継ぎであった。
有事の際は勿論魔術でもって戦う事にもなる。
その有事が魔物に対してなのか人に対してなのかで多少異なりはするが、フレッドにとってそれは大した違いでもなかった。
現宮廷魔術師長でもある父に、ある日フレッドは実戦経験を積んでこいと言われたのが事の発端である。
当時まだ駆け出しであった冒険者でもあるマーカスとダスティンを雇い、フレッドはレッドと共に冒険者チームとして活動する事になった。三年ほど前の話である。
この時フレッドは父に呼び出され、魔術を使ってはならない、と言われていた。魔術師なのに魔術を使うなとはとんだ無茶振りである。代わりに魔術は全てレッドが使えとも。
フレッドは家にあった家宝でもある魔導武器を持たされた。それで戦えという事らしい。正直今の今まで弓なんて扱った事がないので最初のうちは苦労した。どうにか様になっている、と思えるようになるまで大体一年がかかった。矢に関しては魔力さえあれば無制限に出るので本来の弓矢のように矢の残りを気にしなくてもいいというのが良かったのかもしれない。
今までは有り余る魔力に物言わせての蹂躙であったが、この武器によって魔力の制御の仕方を何となく掴めるようになってきた。自分の代わりに魔術担当になったレッドも勿論自分に劣るもののそれでも実力はついてきていたのだ。
マーカスとダスティンがレッドの魔術を褒めるたび、世間一般の魔術の認識ってああいう感じなんだ……とフレッドは内心で思っていた。今まで周囲にいたのがそれこそ自分以上の実力者しかいなかったので、むしろレッドはちょっと落ちこぼれてる感すらあったのだが。そっか、世間的に見ればレッドの魔術師としての実力ってかなり有能なんだな……と目から鱗であったのもある。
同時にじゃあ自分が魔術を使うと多分周囲の人間ドン引きするな、と理解もできたのでそれは良かったとしよう。そうとは知らずに行使するような事になっていたら、それこそ陰でこそこそどんな悪口を言われたか……想像はできるが現実になる前に回避できて良かったなとフレッドは思っていた。別に率先して傷つきたいわけじゃないので。
とりあえず家に帰って父に今までの事を報告して仲間から外されました、と伝えれば父は頭痛が痛いとか言い出しそうな顔をしていた。実際そんな頭の悪い発言を父がするとは思っていないが、その表情はまさにそう語っているといっても過言ではないくらいの顔だったのだ。
別の言い方をすれば寝起きにレモン果汁一気飲みさせられたみたいな顔をしていた。
ついでに家宝も奪われたと伝えると父の顔はますます何ともいえないものに変化する。
「そこまで愚かな者たちには見えなかったのだが……な」
長い長い沈黙の果て、どうにか父が絞り出した言葉がこれだった。
「いや、当初はそうだったと思いますよ。でも途中から見失ったというか。何せ数少ないAランク昇格を目前に控えていたわけですし。欲が出てもおかしくはありません。まぁ、その結果今までの恩恵全部捨てる事になったわけですが」
「恩恵どころか家宝奪った時点で……って話ですけどね」
レッドがぽそりと呟いた。
あの時点で家宝でもある魔導武器はフレッド自ら置いていったようなものだが、そうしなければ暴力沙汰になっていた可能性が高い。身の安全を考えた結果ああしたわけだが、そもそもあいつらにくれてやる道理なんてありはしなかったのだ。
それに。
これがどこか、ダンジョンから出た直後だとか、町に入る前だとかであればまだ彼らも言い訳の一つや二つ言えたかもしれないが、よりにもよって人目の多い酒場だ。しかもマーカスは己の言い分こそが正しいとばかりに声を上げていた。チームから出ていってもらうにしても、普通はあんな大声でなんてやらないというのに。
フレッドがいかに無能で役立たずであるか、というのを周知させたいという思いもあったのかもしれない。結果自らに正当性があると信じてしまった。
結果はその逆だというのに。
本来、フレッドたちがチームを組んだ時、マーカスとダスティンは一つの依頼を受けたようなものだった。
フレッドには魔術無しでの実践経験を。レッドはその逆で魔術を使っての実戦経験を積ませる必要があった。とはいえ、城の兵士たちを伴って、となるとマトモに訓練になるかも微妙なところ。何せ彼らは二人の実力を把握している。魔術を使わず、というのであればサポートに入る必要もあるがフレッドが魔術師として既に一流の実力を持つと知っていれば、助けに入るにも咄嗟の判断が遅れる事もある。
だからこそ何も知らない冒険者、それも駆け出しの者に依頼を出したのだ。
魔術を使えばフレッドならもう駆け出しの冒険者として扱うには無理があるが、魔術無しとなれば駆け出しと考えた方が丁度いい。レッドはいざという時フレッドの影武者として動く必要もあったので、彼はなるべくフードを深めにかぶり周囲に顔をわかりにくくしてはいたが、そのせいで人とあまり関わりたくないです、という雰囲気が前面に出ていた。そのため冒険者となっても仲間が他に見つからない、というように見えていたとは思う。
「しかしまぁ、恩恵もあったというのにあれ、今後どうするんだろうな」
フレッドはふとあの二人の事を思い返してしまった。
最初の頃は多分どっかの金持ちの坊ちゃんの道楽、みたいな認識もあったはずなのだ。一応護衛らしき人物を連れてはいるが、顔もロクに見せない陰気な魔術師。それだけじゃ不安だろうとなって駆け出しではあるが無いよりマシ精神で護衛を雇った、と思っていたはずなのだ。初期の頃は。
けれども彼らと行動を共にして三年。
その間にそういった事情を忘れつつあったのかもしれない。いや、それだけ気安く打ち解けて仲間としてやっていけていた、と考えるとそれが完全に悪いというわけでもなかったはずなのだが。
そうして、最初の頃は恐々として受け取っていた恩恵の数々もいつの間にか当たり前のものとなってしまったのかもしれない。人は何だかんだで慣れる生物なのだから。
「ま、仕方ないよな。最初の依頼の時点で契約はきちんとしていたのにそれを忘れたのは向こう。契約破棄するにしてもきちんとした手順踏まなかったのも向こう。更に欲をかいて我が家の家宝に手を出したのも向こう」
「Aランク昇格目前っていうのが目の前にぶらさがった途端本来の事を忘れちゃうってのもどうかと思いますけれど……結局Aランク昇格は無理でしょうねぇ……」
フレッドもレッドも、そんな風に呟いて。
数秒後には、でもまぁ、仕方ないよな。なんてお互いにのたまっていた。
ところでギルドランク昇格する際、基本的には数多くの依頼をこなす必要がある。
けれども簡単な依頼を沢山こなしたからといってランクが上がるわけでもない。
かといって難しい依頼を沢山こなせばいいというわけでもない。
ある程度、様々な難易度の依頼をこなして彼らが信用に足る、となれば昇格できる。簡単な依頼だからとて雑にこなされると困る者だっている。どんな依頼であってもその依頼をこなすと決めた以上きっちりと果たしてもらえなければ依頼を出した者もそうだが、それらの依頼を仲介しているギルドの評判にも関わってくる。
このあたりの難易度の依頼であれば彼らなら問題なくこなせますよ、という目安がランクなのだ。
一部勘違いしている者もいるが、強ければいいというものでもない。確かに上のランクの依頼は危険な物も増えるので強さは必須ではあるが、強さしかなくてもダメなのだ。
依頼は実に様々なものがある。日帰りで終わるようなものから一日や二日じゃ終わらないようなものまで。
そしてマーカスとダスティンがフレッドたちと出会った時に受けた依頼は長い時間を要するものだった。その分拘束するわけだし、色々な便宜を図ったのだが。
彼らはそんな事すら忘れてしまったのか、受けた依頼を途中放棄する事となってしまったわけだ。
その結果どんな事になるかなんてこれっぽっちも考えもせずに。
マーカスとダスティンが酒場を出た後行ったのは宿屋だった。
彼らは拠点とするべき家などを借りていたわけではない。一つの町に留まるというわけでもなかったので基本的に宿をとった方が都合が良かったのだ。だが――
「どういう事だよいつもの部屋が空いてないって」
「どうもこうも言葉の通りだよ。どうする? いつものよりランクの低い部屋ならあるけど」
「チッ……まぁいいや。じゃあそこで」
現在いる町でとっていた宿。少し前から滞在してはいたものの、宿だってずっと同じ部屋を確保できるわけではない。けれどもマーカスたちは今までずっと同じ部屋を割り当てられていた。
宿の中でも一等いい部屋。時々遠くからやってくる貴族やら金だけはしこたま持ってる商人が泊まるような豪勢な部屋ではなかったが、それでもそこらの冒険者から見れば充分すぎる程にいい部屋だった。
今までは特に何もせずともその部屋を使っていた。だからこそ今回もそのつもりだった。
だが、よくよく考えてみればずっとその部屋を借り続けているというわけでもなかったのだ。だからこそ、マーカスは残念な気持ちがありつつもそれは仕方がないと思う事にした。例えばこれが予約してあったのに無い、というのであればまた違っていたが。
結局その日はしぶしぶといつもよりみすぼらしく見える部屋に泊まり、一夜を明かした。いつもの部屋と比べると寝床の寝心地が悪く、そのせいでいつもと同じくらい眠ったはずなのになんだかあまり眠った気がしなかった。寝起きは最悪。一日の始まりだというのに気分はちっともよろしくない。
それでもだからといってだらだらとしているわけにもいかないな、と思ってマーカスはどうにか寝床から起き上がった。
そうして簡単に身支度を整えるとダスティンを伴って食堂へと向かう。この宿は食堂と兼用になっていた。小さな宿だと食堂は別の場所に……なんて事もあるがここは違う。起きてからわざわざ少し離れたところにある食堂に行く手間が面倒で、そのため食堂も兼用している宿を選んだのだ。
そしていつものように食堂の席につく。しかしいつまで待っても食事が運ばれてこない。
「なぁ、どうなってんだよ」
他に客がいるわけでもない。食堂は現在ガラガラだった。一人二人、ぽつぽつといるけれど混雑しているわけじゃない。だというのに、いつもならとっくにテーブルの上に並んでいるはずの食事は一向に運ばれてくる様子がない。
どうなっている、と声をかけられたのはこの宿で働く娘だった。名をアイシャという。彼女はマーカスに声をかけられた際、露骨に鬱陶しそうな表情を隠しもせずに浮かべた。普段はにこやかに笑う愛嬌のある娘であったはずなのに。
「どうって、何が?」
「いつまでたっても食事が運ばれてこないじゃないか」
「そりゃそうでしょ。だってあなたたち、注文してないじゃない」
「はぁ!? いつもはそんな事しなくても運ばれてくるだろ」
マーカスの言葉に、アイシャは露骨に溜息を吐いた。何だその態度は。そう思ったしそれを指摘しようとしたものの、それより先にアイシャが口を開く方が早かった。
「そりゃいつもの部屋に泊まってたならそうかもしれないわよ? でも今回違うでしょ。あの部屋に泊まる客は基本的に食事つかないもの。食べたいなら別料金で注文してもらう必要があるわ」
「なんだって?」
「宿に入ってすぐのとこに貼り紙してるでしょ。読んでなかったの?」
呆れた、と小さな呟き。
アイシャがそう言うのも無理はなかった。
そもそも宿はどこもかしこも同じサービス、というわけではない。町や村でかなり対応が違うし、料金だって一律どこの宿も同じじゃない。
ここで最低ランクの部屋が、他の村では最高ランクの部屋だ、なんて事だって普通にある。食事に関してだって食堂と兼用して営業しているところとそうじゃないところとで異なるし、宿に泊まった客に対して食堂でサービスするなんて事もないわけではない、がどの宿でもそうというわけじゃない。
そういったものの違いがあるので基本的にどの宿でもまずわかりやすいところに料金表や食事についてといったものが記された物が存在している。冒険者たちが宿を利用するのであればまず最初にそこを確認するというのは当たり前の事だった。
中には文字が読めない者も時々いるが、そういった者には宿で働く者が文字を読み上げ説明している。
読めなくてわからなかった、というのであればまだしもマーカスもダスティンも文字は読める。だからこそ、その上で確認を怠ったというのであればそれは二人の落ち度でしかなかった。
だが彼らは最初この町にやって来て宿をとった時――その部分を確認していなかった。宿をとったのはフレッドであったし、料金も既に払った後だと言われていたし確認する必要がなかったからだ。
「それで? 食事を注文するの? きちんと値段は確認してよね」
食べた後で値段に文句を言われるかもしれない、と考えたアイシャは念を押すように伝えてメニューを手渡す。マーカスはそれを受け取り何の気なしに視線を落とし――
「おい、なんだこれ」
「何よ」
「だって値段が高すぎるじゃないか!」
思わずそう叫んでいた。その言葉にアイシャは面倒くさそうな表情をしている。
「おいまさか勝手に料金吊り上げたりしてるんじゃないだろうな!? いくらなんでも横暴がすぎるぞ! 女将さんが知ったらただじゃすまないだろこれ!」
「何言ってるの? 正規の料金よそれ。あたしが勝手に値段吊り上げるだなんてそんな事できるわけないじゃない。馬鹿な事言うのやめてよ。その言いがかりを女将さんが本気にするわけないけど、それでも他の人が本気にしたらどうしてくれるの? 何の正当性もない悪評流されるのとても迷惑なんだけど」
今まで以上に冷ややかに言われ、その勢いに思わずマーカスは黙り込んだ。
いつもの朝食に出されていたメニューを頼もうと思ったものの、その料金を見ればとんでもない値段だったのだ。
今までこの宿で払ってきた金額は一泊五十ゴルト。食事込みでこの値段であった。
だがしかし、いつも出てきていた朝食のメニューを注文すると一人八十ゴルトである。明らかにおかしい。
けれどアイシャは鼻で嗤い、なんにもわかっていないのね、とだけ言うとそのまま他の客に呼ばれたためかマーカスたちの所から立ち去っていった。他の客に対してはいつも通りのにこやかな対応である。
「マーカスの兄貴ぃ、どうします? 食事分くらいは別に問題なく出せますけど、この後ギルドにいって依頼を受ける前に仲間の勧誘もするわけでしょう? ならここでの出費は少し抑えた方が……」
「わかってるよ。いつものよりも大分ランクは落ちるが、パンとスープがあればどうにかなるだろ」
「できれば肉も食べたいっすけどねぇ……」
「それは外で動物を狩って調達するぞ」
「へーい」
結局二人は一食二十ゴルトのメニューを頼み、もそもそと食べ始めた。
そうして宿を出る時に、またマーカスは叫ぶ事になったのである。
「どういう事だよ!?」
「どうって何がだい」
「部屋が高いじゃないか!」
「高くなんてあるもんか。そもそもそこの料金表に書いてある通りだよ」
一泊分の宿代を払う時にもマーカスは食堂で叫んだような事を口に出していた。
ほら、とばかりに指し示されたそこには確かに宿の料金が書かれている。食堂で食事込みの部屋は上のランクで、下のランクの部屋は食事は別料金と書かれていた。
料金表の紙が昨日今日新しく貼られた形跡があったなら、不正だなんだと言えただろう。しかしそこに貼られた紙はずっと前からそこに貼られたままのようで、若干日に焼けて端の方が変色していた。
納得いかない気持ちがありながらも、どこかに穴がないかとマーカスはその料金表を食い入るように見つめる。いつもとは違うランクが下の部屋。今回マーカスたちが泊まった部屋のお値段一部屋六十ゴルト。
マーカスとダスティンは同じ部屋で泊まったので、この時点で先程の食事代金を含めると百ゴルトの支払いが生じる。
今までの値段の倍だ。
どういうことだと思いながらも今まで泊まっていた部屋の料金を確認する。
そこには一部屋一泊二百五十ゴルトと表記されていた。
「……は?」
おかしい。明らかにおかしい。だって今まで五十ゴルトしか支払ってこなかった。だというのに実際の値段はその五倍だと……?
「おかしいじゃないか」
「おかしくなんてあるもんか。いいかい? 今まではフレッド様がいたからあの値段だったんだよ。けどそのフレッド様を追い出したのはあんただろう? 昨日の酒場での一件、もう町中に広まってるんだから知らない奴なんていやしないさ。フレッド様がいないのに今までと同じようにだなんてムシのいい話さね。
……まさか、払えないとか言うんじゃないだろうね? もしそうなら警備兵呼ぶよ」
じろり、と女将に睨まれてマーカスは思わず震え上がった。単なる宿の女将相手に怖れるだなんて冒険者として名折れだと思いつつも、女将の迫力は尋常じゃなかった。安全な依頼を受けていた先で、予想外の危険な魔物と遭遇した時のようなものに近い。
実際女将も昔は冒険者として活動していただけの話だが、マーカスもダスティンもそんな事は知らなかった。
マーカスとダスティン、そして女将以外に近くに別の冒険者の姿が見えた。三人組の男。そちらは明らかにこちらを見ていたし、ここで下手な事をすればきっとあの三人はたちまちマーカスたちをひっ捕らえようと動くだろう。町や村の中で犯罪者が出た時にできるのであれば捕縛するのも冒険者としてやるべき事の一つなのだから。勿論、自分の実力よりも上であろう相手が犯罪者だった場合、無理をして人死にが出ても困るのでそういう時は速やかに他の誰かを呼びに行く、なんて事もあるのだが。
男たちの顔にマーカスは一応見覚えがあった。こちらも同じBランクの冒険者で、もう少ししたらAランク昇格も可能だろうと言われている者たちだったので。今ここでマーカスが下手な事をして捕えよう、となったのであれば人数的にも明らかに向こうが有利だ。
いや、マーカスとて別に暴れるつもりはない。ないのだが……昨日までとは明らかに異なる状況に苛立つのは仕方なかった。
フレッド『様』だぁ? あの役立たずになんで様付けなんかしてるんだ。
そんな事を思う。マーカスはこの時点になっても本来の彼の事を思い出しやしなかった。一応仲間として対等な立場であったように思えるが、実際はフレッドの立場が上であるという事実も近々Aランク昇格可能になるかもしれない、という部分で綺麗にすっぽ抜けている。
彼はあくまでも実戦経験を積む、という部分が目的であって別に冒険者ランクにはこだわっていなかったし、依頼とは別にダンジョンに潜りそこで金銀財宝を見つけようなんていう欲もなかった。
最初のうちはそれでよかったのだ。お互いに駆け出し状態。マーカスもその頃はまだまだ実力もなかったし、だからこそ自分と同じように少しずつでも強くなっていくのだろうと思っていた。
だが、三年。
三年共にいたが、フレッドは向上心というものがマーカスの目からは皆目存在していないように見えた。
フレッド自身は淡々と己の中で設定した日々のノルマをこなすだけ、という状態だったのだが、それはマーカスの目からは怠けているようにしか見えなかったのだ。自主的な訓練をするでもなし。魔物との戦闘でも一応それなりに戦えてはいたけれど、決め手に欠ける。
マーカスからすれば適当に魔物の気を逸らす程度に矢を射っているだけ。
実際にフレッドはこちらに攻撃を仕掛けようとしている魔物に矢を射って注意を逸らすだとか、一撃で仕留められなくとも手足に攻撃を仕掛けて相手の動きを封じたりしていたのだが。
マーカスの中ではそれすらやっていないという事になっていた。単純にその事実に気付いていなかったとも言う。気付いていないのだから、それは無いのと同じ事だ。少なくともマーカスにとっては。
戦闘で役に立たないのであればせめて他の雑用をこなせばいいというのに、フレッドは一切そういった事もしなかった。そういうのをやっていたのはいつもレッドだ。魔術で戦闘に貢献している挙句、雑用まで。
そういう意味ではレッドが抜けたのはかなり痛い。
これも実際はレッドはフレッドの部下なので当然の結果だったのだが。
マーカスは本当に忘れていた。最初の頃はどこかのお坊ちゃんが冒険者ゴッコしたくてやってきたんだろうなぁ、と思っていたはずなのに。
レッドがフレッドのかわりとばかりに雑用をこなしたりしているのを見て、従者か何かのようだな、なんて思っていたはずなのに。
月日の流れはそれらをやがて、ロクに動かない怠惰な弓使いとなんでもこなす有能な魔術師という認識へと変化させていった。
出会った当初、冒険者ランクはDだった。お互いに実力をつけようと様々な依頼をこなしていった。そうしてランクが上がった時は嬉しくもあった。もっと上を目指そうとも思っていた。
けれども、それもフレッドが使えないなと思うようになってからは……どうしてこんなのと仲間になんてなってるんだろうという思いが強くなっていって。
マーカスの中ではもう完全にフレッドは役に立たない口先だけの男、という認識で固まってしまっていたのだ。
もしそうでなければ、女将がフレッド様、と言った時に態度を改めようもあったというのに。その思い込みを捨て去れば、まだ引き返せたはずなのに。
――思った以上の出費になってしまった。なにせいつもの倍の金額だ。そのくせいつもより質が低下した状態。なんだかとても大損した気分である。
マーカスは苛立ちを隠しもせずにダスティンを引き連れてとりあえず冒険者ギルドへと向かっていた。
何はともあれ仲間を勧誘せねばなるまい。
Aランク昇格が目の前にあるとはいえ、この先二人だけでやっていくとなるととても厳しい。簡単な、それこそ薬草の採取だとかちょっとした荷物を運ぶだとかの依頼であればまだどうにかなるけれど、魔物の討伐だとかになると二人だけでは場合によっては命にかかわる。
それに、依頼と関係があるかは微妙だが時々ダンジョンに赴く事もある。ダンジョンには魔物が多く存在しているものの、その分金になりそうな物も手に入る。素材であったり財宝であったり。だがしかしやはりそこへ二人だけで行く、となると小規模なダンジョンくらいしか行けそうにない。小さなダンジョンは危険度こそ低いがその分実入りも少ないのだ。
依頼でたいして稼げなかった時にそういった小規模ダンジョンでちょっとだけでも更に金になりそうな何かを探しにいくというのはたまにやるが、そこをメインにするのは避けたい。
ともあれ、どちらにしても仲間の増員は決定事項だ。マーカスは剣を、ダスティンは棍棒で相手を殴り倒すので前衛職と考えれば足りている。ただ、ダスティンの攻撃は威力こそ高いが若干スピードが足りないのでできればそこら辺のサポートに回ってくれそうな人物が望ましい。レッドのような雑用もこなしてくれる魔術師がいればいいが、それは高望みだろう。雑用に関しては全員で手分けすればいい。力仕事に関してはダスティンがいればどうにかなる。
どうせなら治癒魔術が使えて料理なんかも得意な可愛い女魔術師なんかが仲間になってくれれば……マーカスは己が置かれている状況を未だ把握していないまま、そんな妄想をしていた。どのみち二人ほど仲間を増員するのだ。それなら二人とも女性であれば……それでいて可愛かったり美人だったりすれば……
まぁそう都合よくいくとは思っていないが、もしそうなったらいいなという下心は表に出さず、若干浮かれつつある気持ちでマーカスは冒険者ギルドへ辿り着いた。
まぁその浮かれた気持ちも即座に消滅するわけだが。
ギルドに入ってマーカスが最初に向かったのは、言うまでもなく受付嬢の所であった。受付嬢のところでは依頼を受ける手続きだとか完了した報告だとかをする他に、現在他に仲間を募集している冒険者がいないかを問い合わせたりもする。内容によっては受付嬢以外のギルド職員に引き継がれる事もあるが、何かあったらまずは受付嬢のところへ、というのは冒険者の中では常識だった。
ギルドの中は案外広く、依頼が張り出されている掲示板以外に時々行商人が立ち寄ったりだとか、はたまた冒険者同士での交流などにも利用されている。
酒場なんかでも大抵の冒険者は集まっているが、昼間から酒場に行く冒険者は実の所そう多くはない。酒を飲まず食事だけ、という冒険者なら酒場に居るだろうけれど昼間は大抵ギルドに来た方が集まっているくらいだ。
マーカスとダスティンがギルドの中に入った途端、賑わっていたギルドの中が静まり返る。一瞬ダスティンだけがそれにたじろいだ様子を見せたが、マーカスは気にも留めなかった。
受付嬢は一瞬だけ眉を顰めたもののすぐに普段通りの営業スマイルを浮かべ、受付にやってきたマーカスへ、
「いらっしゃい。今日のご用件は何かしら?」
といつものように言葉を発した。受付嬢も、どころかこの町にいる人間の大半はもう昨日の出来事を知っている。なにせ目撃者は大勢いたのだ。噂が広まるのなんて本当に一瞬だった。
恐らく今、この町にいる者でこの二人に好意的な人間なんていやしない。受付嬢も正直こんなの相手に営業とはいえスマイルなんて浮かべたくなかったのだが、もしかしたら、万が一、心を入れ替えた、とかそういうのであったなら、とあり得ないがもしかしたら奇跡的にあるかもしれないもしもを想定したのだ。
まぁそんな気持ちは秒で消滅したけれど。
「仲間の募集をしている冒険者を探している」
マーカスのその言葉に、受付嬢は僅かに保っていた営業スマイルの仮面をすんっと消してしまった。
あぁ、この人駄目な人だったかぁ……そんながっかりした気持ちで一杯である。
一応今までそこそこの依頼を受けていたのを知っているし、昨日までは問題のない人間だったから昨日の朝までは多少好意的に見ていた部分もあったけれど、今はその好意的に見れる部分が消滅している。
受付嬢は基本的に依頼に対して真摯な態度で臨む人間を好ましいと思っていただけに、マーカスのその言葉でどん底レベルに失望していた。
「仲間の増員、ですか……その前にやるべき事があるように見受けられますけれど」
「何を言っている。優先すべきは仲間の増員だ。先に進むにしても今の状態じゃどうしようもない」
貴方が真っ先にやるべき事は他にある、と冷ややかに告げてもマーカスは理解していないようだった。
受付嬢も多くの冒険者を見てきたので、一応マーカスが何を言っているかはわかっている。
受付嬢はまず依頼を途中破棄した事について報告しろ、と暗に述べたのだがマーカスはそれすら理解できていないようだ。ちら、とお仲間でもあるダスティンへ視線を向けるも、彼はぼーっと立っているだけ。
マーカスを兄貴と呼び慕っているのは前々から知っていたが、この状況でもそうなのか、と受付嬢はある意味呆れなのか感心なのかわからない感情を抱いていた。多分ダスティンは何も考えていない。受付嬢だけではない、その場にいた他の冒険者からもそう見て取れた。
マーカスの言い分は勿論そうなのだろう。本来の状況であれば。
多すぎても困るがそれでも二人だけで冒険者としてやっていくとなると、余程の実力が要求される。けれどもこの二人にそこまでの実力はない。だからこそ、仲間を増やそうという考えは理解できる。何事もなければ確かにそれが優先されるべきだとも。
っはー、と受付嬢は気付かれない程度に小さな溜息をこぼした。えっ、この馬鹿に現実突き付けなきゃいけないの? 理解できる頭あったかしら……とりあえず近くにいた職員に目配せをすれば、そちらも彼女の意図を理解してくれたのだろう。足早に移動してくれた。
「仲間、と言いましてもね。今の貴方たちと組もうと思える冒険者がいるかどうか……事情を説明すればまぁ、駆け出しのDランクの方たちなら一時的に……とは思いますが」
「はぁ!? どうして今更Dランクなんて連中と! こっちはAランク間近に控えたBランクだぞ!? 組むなら同じBランク、そうでなくてもせめてCが妥当だろうが!!」
冒険者だって人間なので上手くいく者もいればそうじゃない者もいる。上手くいく相手ならまだしも、そうじゃない相手と共に行動をし続けてもいずれは命の危機に陥るかもしれない。信用できない仲間に命を預けるはずもない。だからこそ、案外仲間を募集している冒険者というのはそれなりにいるのだ。
ずっとじゃなくても一時的にどこそこに用があるからそれをこなすために手を貸してほしい、だとかの要請もある。そういうお試しで一時的に仲間になる、というのを続けている者も多い。
だからこそ、マーカスは受付嬢の言葉に考える間もなく頭に血が上って声を荒げていた。
この町で活動して既に受付嬢とも顔見知りだ。だからこそマーカスとダスティンの冒険者ランクを間違えるはずもない。
だというのに、まさかDランクの冒険者を勧められるなんてどういう事だ。
馬鹿にされている。見下されている。マーカスはそう思ってしまったしそれが真実なのだと疑う事もなかった。
この受付嬢、ちょっと可愛いからって調子に乗りやがって!! そんな風にも考えていた。この思い上がった女にわからせてやろうと考えて、マーカスは机で隔てられたとはいえ腕を伸ばして受付嬢の胸倉を掴みあげようとして――
ぷっ。
くすくす……
はは……
という失笑が聞こえてきたのはその直後だ。
咄嗟にそちらへ視線を向ければギルド内にいた冒険者たちが一斉に笑い始めた。
どっ、と沸きあがる会場――というかギルド内。一体何がそれほど面白いのか、というくらいにその場にいた冒険者たちが笑う。
「なっ……!!」
何が、おかしい!? 一体どこに笑う要素があったというのだ。マーカスにはさっぱりわからないが、とりあえず自分が笑われているというのだけは理解できていた。これがちょっと面白い発言をしてウケた、というのであればまだしも、明らかに馬鹿にされているとわかる笑い方だ。
カッ、と更に頭に血が上るのを感じていく。
「兄貴ぃ……」
ダスティンの不安そうな声。それは何が起きているのかわからないという事と、マーカスの顔が真っ赤になって今にも怒りが爆発しそうになっているという事への危機感だろうか。どうにか落ち着かせようと試みるも、ダスティンにはそういった他者の精神の安定をどうこうする、というのは向いていなかった。
「何思い上がってんだ冗談も程々にしとけよ。BやCが妥当? そいつぁ酷い侮辱ってもんだぜ」
笑いがおさまりかけた中、そう声を上げたのは筋骨隆々とした大男だった。誰が見ても鍛えられているとわかる肉体。腕なんか下手したら丸太みたいに太くそしてごついが、全体的に大きいので一見するとそうと気付かない。威風堂々というのがまさしく、といったその男は紛れもない実力者であった。
豪傑のラズと呼ばれるAランクの冒険者だ。
自分が目指すその位置にいる冒険者に言われ、一瞬マーカスは勢いを失う。これが自分と同じかそれ以下の冒険者に言われたのであれば更にヒートアップしていただろう。
「いいか? こっちはな、どんな依頼だろうと真摯に向き合ってるんだ。ランクなんてのはそういった積み重ねてきた結果に過ぎない。どんな奴だって真面目にやってりゃいずれはBは勿論Aランクだっていけないわけじゃないんだ。
だがな、それをFランクのお前がとやかく言う事じゃあない。お前は今、ランクで冒険者を侮った。妥当? 何を根拠に言っている。
Fランクのお前らとつり合うのが、って事か? だとしたらそいつぁ冒険者全体に対する侮辱だぜ」
「……は? Fランク? 一体何を言って……じきにAランクになるんだ。Fランクだなんてそんなはずあるわけないだろう!」
冒険者のランクというのは基本的にDランクからスタートする。だが、Fランクというのはそれより下のランクだ。本来ならばなる事のないランク。
だが、あまりにも依頼を失敗し続けていたりすると冒険者に向いていないという事でランクが下がる事もある。折角Aランクに昇格したとしても、挽回できないような失敗をすれば再びBランクに降格する事もあるのだ。
Aランク目前のB、それがマーカスの冒険者ランクだ。ここで何かの依頼を失敗したとして、それだって立て続けにでもなければランク降格はあり得なかった。そう、あり得ないはずなのだ。
「嘘だと思うなら自分のギルドカードを確認してみるんだな」
ラズに言われマーカスは咄嗟に胸元にしまい込んでいたギルドカードを取り出した。
このカードは身分を証明するものであり、登録の際に己の血と魔力を使うものだ。誰かのを自分のだと言い張る事はできないし、魔導技術により作られたこのカードには己の冒険者ランクも表記されている。ランクが上がればその部分も自動的に変化する仕組みとなっているのだ。
「な……嘘、だろ……」
そしてマーカスは見た。
自分のギルドカードを。
間違いなくそこには自分の名前と冒険者ランクが記されている。
他にもちょっとした個人情報が記載されているが、そちらはどうでもよかった。
少し前に見た時は確かに冒険者ランクはBだった。
もうちょっとしたらAランク昇格も夢じゃありませんね、なんて言われていた事を思い出す。
だが今は何度見てもそこに記された自分の冒険者ランクは……
「F……」
「どういうことですか兄貴~」
ダスティンもまた自分のギルドカードを確認したらしく、わけがわからないと言わんばかりに混乱していた。ダスティンもまたFランクとなっている。
「どうもこうも、お前さんがた、大口の依頼を意図的に失敗させたんだからそうなって当然だろう」
そう言ったのはギルド職員に連れてこられたギルドマスターであった。ラズ程ではないがこちらも鍛え上げられた体躯であるのが一目でわかる。実際に彼もまた歴戦の戦士と呼ばれるに相応しい実力を備えていた。若かりし頃は冒険者ランクSに上り詰めたとされているが、年齢を理由にSランクを返上、Aランクへとなった後ギルドマスターに就任したという男である。
そんな、この場で絶対的な地位を持つ男がやってきた事で、ホッと受付嬢は安堵の息を吐いた。
そりゃあこういう仕事をしている以上ちょっとやそっとの荒事に免疫がないわけではないが、危うく危害を加えられそうになっていたという事実は無かったことになるわけじゃない。
いざとなったらこの場にいた冒険者たちがどうにかしてくれたとは思うが、それでも運が悪ければ受付嬢はその顔面を殴られていた可能性もあったのだから。
「依頼失敗って……そんな、最近受けた依頼は全部きっちり達成してたはず……」
「最近のはな。だが別にそれらの依頼を失敗したとしてもFランクなんてならんよ。お前さんたちがFランク降格になったのは大口の長期契約を一方的に破棄した事が原因だ」
「破棄……? そんなのした覚えが」
「そうか? その瞬間を見ていた連中は大勢いるぞ? 誤魔化すにしても雑な言い訳だ」
嘘や冗談で言われているわけじゃないのはマーカスにも理解できていた。いくらなんでもギルドマスターが出てきてわざわざそんなつまらない事を言うはずがない。それくらいはマーカスにだってわかる。
依頼を破棄した? それも大勢が見ている?
マーカスには何の事かわからない。いや、思い至らないと言うべきか。
「まぁともかくだ。その依頼に関して途中で破棄したのはそっちの一方的な都合だと周囲で見ていた者たちも証言している。どうしても続けられない事情があるなら断念するにしてもこっちに連絡入れてくれればよかったのにな……依頼を受けた冒険者としては最悪の結果だわな。ついでにギルドの評判にも関わるんだから、勘弁してほしいぜ」
本当に。せめて事前にもうこいつらとはやっていけそうにない、とか相談されていたならまだ穏便にどうにかできていたはずなのに。依頼人はフレッドの父名義であるもののその息子であるフレッドに直々にやらかしたのだ。あっさりと出て行ったフレッドはとっくに家に帰っているし、既に本来の依頼人である彼の父にも話が伝わっている。ついでにそこから連絡も既に来ていた。
依頼を破棄した事による違約金の支払いも請求されている。
依頼をこなせなかったからといっても、全部の依頼に違約金が発生するわけじゃない。魔物退治なんかで失敗して冒険者が帰らぬ人になった場合誰が払うのだという話にもなるし、彼らでは達成できそうにないので別の人材を派遣する、なんて事もある。
だが、フレッドに関する依頼に関しては途中で別の誰かと組むにしてもマーカスのやり方が不味過ぎた。
「さて、お前さん方がやらかしてくれた依頼失敗の件でだ。
事前契約に基づくとお前ら違約金支払う事になるんだわ」
「……え?」
はーやれやれ、みたいに肩をすくめているギルドマスターに、マーカスは最初何を言われたのか理解できなかった。
これが写しな、と言われて目の前に広げられたのは一枚の契約書であった。
そこに書かれている事を見て、先程まで顔を真っ赤にしていたマーカスの顔色はみるみる青へと変化していく。
思い出した。
思い出してしまった。
そうだ。自分たちは冒険者となったばかりの頃に確かに依頼を受けたのだ。
フレッドとレッドと共に五年ほど、チームを組むという依頼を。
彼らはお互いに実戦経験がほとんどなかった。だからこそお互いに協力しながら戦ってきた。時に魔物の巣に迷い込んだ事もあった。あの時はまだ依頼であるとわかっていたからこそフレッドの身を守るためにマーカスも動いていた。
いつから。
一体いつからだ。
そんな事を忘れてしまってフレッドをお荷物だと思うようになったのは。
五年間、フレッドに付き合うかわりに様々な便宜を図られた。それは傷薬などを買う時であったり、宿であったり。本来ならば駆け出しの冒険者には高くて手が出せないような高価な薬もかなり割り引きされて売ってもらう事だってあった。
宿はいい部屋を破格の値段で借りる事ができた。
それ以外にも、少し遠くの町や村へ行く依頼の時は馬車もすんなりと借りる事ができた。普通は乗合馬車を使うがそれだってその時乗る人間が多ければ次の馬車を、なんて言われて乗れずに待たされる事だってあったのに。
それに武器や防具も。
買うだけじゃない。手入れなどは自分でも勿論やるが、やはり時々は本職に見てもらわないと思わぬ部分が駄目になっていたり、なんて事もある。そういった時のあれこれも、本来ならそれなりに値がかかるものだ。
行く先々でかかる費用。薬などの必要な物資にかかる金額。日々の食事代。宿代。そういった生活にかかわる費用も含めて。
値引きされていた、というわけではない。一部、というか大部分をフレッドの家が負担していてくれたのだ。
だがしかし、依頼を完全に達成すればそれらは払う必要のない金額となるが、もし途中で破棄した場合は。
そのフレッドの家が負担していた分の金額も支払う事になっていた。
「それで、今朝方届いた今までにかかった費用に関してだがな。
三年だろ。レッドがこまめに帳簿をつけてたらしいが、これがその金額だ」
ほらよ、と別紙を差し出されてそちらに目を向け――文字通りマーカスは目をひん剥いた。
今までに稼いでため込んだ金額で到底足りるものじゃない。今まで、フレッドがいたからこそ安値で随分と楽をさせてもらっていたが、結果それで貯めこんだ金は時々豪遊して使ったりもしてしまった。普段使う費用に比べて貯まる金額がこれなら、ちょっとくらいパーッとやっても大丈夫だろう。そんな風に思って。
そしてマーカスはレッド、という名前を聞いてそこで更に思い出す。
そうだ、あいつ確かフレッドの……思い返せば随分前に自分は天涯孤独の身でフレッドに拾われたのだと言っていた。
あいつ、チームを抜ける時に親が危篤だなんて言ってたけど嘘だったじゃないか!
怒りのポイントはそこか? と思われそうだがマーカスは現在色々な事が降りかかりすぎていて、一番簡単に目を向けやすい部分に意識が向いてしまっていた。
フレッドを疎むようになったのだって元はといえばAランク昇格が目前、とかいうのが発端だ。彼は一つの事に目を向けると他の事がすっぽ抜けてしまいがちになる傾向があった。
だからこそ、自分とダスティンが支払わなければならない違約金の金額を目の当たりにして、重要な事を忘れてしまっていたのだ。
「あ、ちょっと今すぐ持てるだけ金を用意してくる!」
「あ、おい」
ギルドマスターの制止も聞かず、弾かれるような勢いでマーカスはギルドを飛び出していく。
そうして向かった先は、様々な物を買い取ってくれる店だ。
「すまないこいつを買い取ってくれ!!」
そうして店内のカウンターに置いたのは、フレッドが置いていった魔導武器である。彼の家の家宝とも呼ばれるべき一品。フレッドとの関係を思い出したのであれば、この武器に関してももうちょっとよく考えるべきだったというのにマーカスは更に自分で自分を追い詰めるかのように、最悪の選択をしてしまったのである。
依頼を破棄してしまったという事は理解した。
そして違約金を支払わなければならないという事も。
そしてその金額が、到底すぐには支払えない金額であるという事も。
どうにかしなければ、という思いばかりが先行して――
結果、彼はこうなるんじゃないかと予想されていたレッドによって手配されていた兵士に連行された。
罪状は勿論窃盗であり盗品売買である。
フレッドはそもそも弓を手放すつもりなんてこれっぽっちもなかった。ただ、あの時は置いていかなければ身の危険を感じたからこそそうしただけで、マーカスにやるとは一言も言っていない。そしてフレッドは家に戻った後レッドに言われて一応被害届も出しておいたのだ。
結果として、盗まれたと訴えが出ている物を売りにきたマーカスが捕縛されたというわけだ。
問答無用で牢にぶち込まれたマーカスは、しばし呆然とその場に座り込んで……それからようやく現実が追い付いてきたといったところだろうか。
そうだ。どうして忘れていたんだろう。依頼を受けて、五年経てば。そしたら自分は駆け出しの頃から引き受けていた大口依頼を無事成功させたという評価が残るはずだったのに。
マーカスたちは基本的に外の国に行った事がない。けれどもそれはフレッドがいたからであって、そして依頼を受けた時点ではまだまだ駆け出しの身。他国へ行こうなんて思ってもいなかったしこの国の中だけでも大抵の事は間に合っていた。
フレッドの家による資金援助は五年の間だけ。依頼を受けている間の話だがそれでも充分過ぎる程だった。商品の価格も一部負担してもらっていたからか安く買えていたし、施設の利用だってそうだ。
今更のようにアイシャや女将、そして受付嬢の態度が理解できた。
とんだ恩知らずじゃないか。
マーカスだけならまず最初の頃は利用できそうにない高価な宿も、豪勢な食事も、全部全部フレッドがいたから格安で提供されていたというのに。それをいつの頃からか当たり前のように受け取って、まるで自分の功績のような認識を持ってしまっていた。ランク昇格が目前というのもあったからだ、と言ってしまえばそれまでだ。数少ないAランクになれるかもしれない貴重な冒険者。だからこそ、そう思い込んでしまっていた。
そしてそんな素晴らしい自分に、目に見えてわかる成果を出さないフレッドは邪魔なのだ、と。
逆だ。
むしろフレッドからすれば本来の依頼内容を忘れてしまっている自分の方こそ役立たずだった。
毎日仕事の報告書を提出していた、とかいうのであればもしかしたら忘れなかったかもしれない。けれどもそういうのはなかったし、それこそ最初の頃はフレッドたちとも上手くやっていた。いつの間にか依頼で期間限定で組んでいるだけだというのに本当の仲間のように思い込んで、そしてその結果フレッドの扱いを雑なものにしてしまった。
本来の依頼内容をすっかり忘れて勝手な振舞いをする冒険者。しかもその依頼すら忘れて一方的な破棄を行う始末。
そりゃあ信用できるはずがない。信頼を築くだなんて土台無理な話だ。
そう、だからこそ冒険者ランクも――
「ッ!? そうだ、ギルドカード」
まさか一気に冒険者には向いていない、という評価を受ける最低の最低ランクにまで落ちるとは思っていなかったけれど、更にこんな――牢屋にぶち込まれるなんて事になってしまったのだ。
マーカスは慌ててギルドカードを確認した。
「あ、あぁ……あ、うわああああああああッ!?」
そして表記されているそれを見て、信じられないとばかりに勝手に漏れた声はやがて慟哭へと変化する。
ギルドで冒険者ランクを確認した時はFランクだった。本来ならばならないはずの、それこそ崖っぷちのランクだ。失敗したらもう後がないと言われるようなそれ。
しかし今確認したカードに表記されていたランクは――
空白、だった。
それ即ち冒険者としての資格を失った事を意味する。
資格を失った冒険者が再び資格を得る事はない。
もう彼は冒険者として活動する事すら許されなくなってしまったのだ。
勝手に依頼を引き受けるにしても、ギルドを利用する事はできない。個人でのやりとりならば可能だろう。けれども、そういった依頼は大抵がまっとうなものではない。そしてそういった依頼を達成できたとしても、そもそも冒険者として認められないのだから冒険者ランクが上がるような事にはなり得ない。
それどころかそんな事実が表沙汰になれば彼は罪を背負う事となり、それなりの処罰をうける。
気持ちだけでも冒険者というのを体験したかった、なんて言い分が認められるはずもない。
マーカスは、幼い頃から憧れていた強く、人を助ける物語に出てくる英雄のような冒険者に憧れていた。
夢物語だろうと笑われたとしても、けれどもその夢を捨てたりはしなかった。いや、それでも何度かは現実を見て英雄になろうだなどとまでは思わないようになっていた。けれどもAランク昇格の話が持ち上がった時に、見ないふりをしていた夢が再び浮上してしまった。その結果が英雄とは真逆の犯罪者になってしまうとは笑い話にもならないが。
Aランクになれば、いつかはSランクも夢じゃないかもしれない。そんな風に夢想にふけった事もあった。だがそれも今となっては――ただの夢幻である。
こうなってしまえばもう二度と冒険者として返り咲く事はできない。思い上がってしまったが故の結果は、彼にとっては重たすぎるものだった。
――ギルドに残されたダスティンもまた、マーカスが捕まった後に連行された。彼は何もしていない。マーカスがフレッドに一方的な依頼破棄を告げた時も見ているだけだった。だが、
「お、おれは何も。知らなかったんだ兄貴があんな……あんな……っ」
連行された詰め所で、ダスティンは必死にそう訴えていた。あくまでも一方的な依頼破棄はマーカスの一存で行われた。ダスティンはとにかくそう訴える事にした。
実際は彼もまた依頼であった事を忘れ、マーカスがフレッドを追いだす事に追従しただけなのだが、この時点でそれを知る者はいない。
だからこそダスティンはとにかく自分だけは助かろうとあっさりとマーカスを見捨てたのだ。
だがしかし、ダスティンに聞き取りを行っている兵士はその言葉を一切信じていなかった。
そもそもマーカスが独断でやろうとなんだろうと、ではフレッドを追いだす時に依頼の事を告げれば済む話だったのだ。マーカスが目の前の事一つにしか集中できないような者であったとしても、あの時点であればまだ話を聞く余裕はあっただろう。長期の依頼契約の破棄、というのを思い出せればマーカスだってあんな風にフレッドを追いだす事はしなかっただろう。まぁ、本来の立場を忘れていたという事で彼の肩身が狭くなる事は言うまでもないのだが。
「そうだ、あいつが、あんなことを言い出さなきゃおれがこんな……冒険者ランクだってこんなことにはならなかったのに……!」
「ではなぜ、依頼の事を教えてやらなかった?」
「それは……」
兵士のもっともなツッコミに、ダスティンは言葉を失い黙り込んだ。
ダスティンもまた依頼の事を忘れていたのだ。
というか大体の事はマーカスに任せていたので、彼はマーカスが言う通りに動いていれば間違いはなかった。自分は物事を考えるのが苦手だから、兄貴に任せておけばいいや。そんな軽い気持ちで数年付き従ってきたのだ。思考停止といってしまえばそれまでだった。
そもそも目の前の事にしか集中できないというか、一つの物事以外に注意が向かないタイプのマーカスに任せる方がどうかしていると思うのだが。ダスティンだってそれはわかっていた。けれど、それでも自分が何かを考えるよりは楽だったのだ。マーカスは幼い頃に見た物語の中の英雄に憧れ冒険者を目指したが、ダスティンは違う。単純に他にできそうな仕事がなくて、それでいて難しい事は何も考えたくない。どこかの職人に弟子入りしようにも親方が厳しいところには行きたくなかったし、そういった所で住み込みで働くとなると自由時間がない。
その点マーカスと共に冒険者になればそれなりに危険はあるが常に命の危機に陥るわけでもなかったし、何より楽だったのだ。ロクに自分の意見を言わなくてもマーカスが全部やってくれる。リーダーとして方針を決めてくれれば、あとはそれに従うだけだ。自分はただ指示に従っただけ。それが悪いというのなら、責任は全てマーカスにある。
そんな風に自分で何もしなかったからこそ、マーカスは己が正しいと信じ込み破滅へ向かって突っ走る形になったのだが。
せめてダスティンがそこで、でも兄貴、それ依頼破棄になっちまいますよ、とか言っておけば踏みとどまれたのだ。
まぁダスティンも依頼の事なんて早々に忘れていたのでマーカスのストッパーになる事などあり得なかったのだが。
ふと、依頼を受けたばかりの頃を思い出した。
そうだ、あの時チームとしてのリーダーはフレッドにするべきかという話が出ていたんだった。でも、フレッドは五年という期間しか冒険者をやらないから、と辞退したのだ。それにフレッド自身がリーダーになってしまえば常にマーカスもダスティンも気を張って休まらないだろうとも。確かに四六時中上司に見張られているようなものに近いし、その言葉にそれもそうだな、と思ってしまった。
それにマーカスたちは依頼を終えた後も冒険者としてやっていくのだから、それなら今のうちにリーダーとしてやってみるのもいいんじゃないか。
そう言われてマーカスがリーダーになったのだった。
あぁ、そうだ。
どうして忘れていたのだろう。いや、自分には関係ない事だなと思っていたからというのもある。
最初のうちはまだそれでも意識の隅っこにあった。
それが半月、一年と過ぎる頃にはすっかりその状況が当たり前に思えてきて、依頼だったという認識が薄れていってしまっていた。
けれどダスティンはそのことに対して何とも思っていなかった。自分が忘れても兄貴が覚えているだろう。そう思って。
そして二年が過ぎ、三年目を迎えた頃にはマーカスもその事を忘れていただなんて、ダスティンは思ってもいなかったのだ。二人そろって一番肝心なところを忘れるとか致命的にも程がある。
そりゃあFランクになろうというものである。
「マーカスが売ろうとしたあの武器は、被害届も出されていたし何よりあの家の家宝だ。お前が知らぬ存ぜぬと言おうとも、現時点でお前もまたあいつの共犯だ。実際売り飛ばしていないから罪としてはそこまで重くはならんだろうが……とりあえずしばらく牢の中で頭を冷やせよ」
問いかけに黙りこくって一切何も言おうとしなくなったダスティンに、兵士は溜息をこぼしながらそう告げる。黙っていれば罪が重くなる事はない。が、軽くなる事もない。
ダスティンもまた、とりあえず大人しくしておけばこの場はどうにかなるだろうと思っていたため、ひとまずは大人しく牢へ入った。
「おいダスティン、てめぇ俺の事見捨てようとしたみたいじゃねぇか。どういうつもりだ、あ゛ぁ!?」
「どうもこうもないっすよ、おれは兄貴の言うとおりにしてただけで何も悪くねーっすもん。むしろ肝心な事を忘れる方がどうかしてるっす!」
牢は一緒ではなかったが、お互い向かい合うような位置に入れられたため嫌でも相手の顔が見える。鉄格子を掴んでダスティンに食って掛かるマーカスと、壁に背を預けしれっと言い放つダスティン。
正直どっちもどっちである。
お互いしばらく言い合って醜い争いをしていたが、やがて疲れたのか見計らったようにお互い黙り込んだ。
「……くそ、冒険者資格を失う事になるなんて……ちくしょう、ちくしょう……!」
ごっ、と床を殴るマーカスを、ダスティンは他人事として見ていた。へぇ、資格なくなったんすか、そいつぁご愁傷様っすねぇ。そう言ってやろうかと思ったが、ふと待てよ? と思い直す。
念の為ダスティンも懐に入れてあったギルドカードを取り出した。
自分はマーカスの言うとおりにしていただけ。フレッドを追いだす時に暴言なんて吐いてないし、ましてやフレッドの武器を売ろうとしたのはマーカスであって自分じゃない。
だからまだ自分は大丈夫だろうと思っていた。
しかし実際は――
彼のギルドカードにある冒険者ランクも空白であった。
少し前に確認した時のFランクというのも消えて何もない。
「そんなっ!?」
資格がなくなるならマーカスだけだろうと思っていたのに。どうして自分まで!?
そんな風に思って、悲鳴じみた声が上がった。
ギルドカードを取り出して悲鳴を上げたダスティンを見て、何があったかマーカスも把握したのだろう。
へっ、とマーカスからは嘲るような笑いが零れた。
「笑いごとじゃねぇっす! 誰のせいだと! お前だ! お前のせいで!! お前なんてもう兄貴でもなんでもない! この屑野郎! お前のせいでおれまでとんだとばっちりだ!!」
「人のせいにしてんじゃねぇぞ! 大体お前がもうちょっと考えて行動してれば良かったんだ! 言われた事しかしないてめぇを誰が使ってやってると思ってんだこのウスノロ!!」
フレッドを追いだす前は自分の言う事をよく聞く奴だと思っていたはずなのに、今となっては言われた事しかしない木偶の棒扱いだ。
追い出す前はフレッドが役立たずだと思っていたが、今にして思えばとんでもない。
彼はそれでも自分の考えで行動し、敵の攻撃を防いだり注意をそらして隙を作ってくれていた。そこにレッドの魔術。あぁそうだ、こうして本来の事を思い出してから思い返せば、あの二人は別に役立たずでもなんでもなかった。お互い上手く連携をとっていたのだから。
だがしかし、それに対してこいつはどうだ。こちらが何も言わなければ何もしない。もっと考えろと言ったって、兄貴の言う事に従いやすとか言うだけで結局は何も変わらなかった。
いや、それでもまだあの時はそれが忠実だなんて思っていたのだ。見方が変わるとこうも変わるのか、とマーカスは内心でげんなりする。
しばらくはお互いに口汚く罵り合っていたが、牢屋の中には飲み水なんてものがあるわけでもない。
そのうちに喉がカラカラになってやはり同じタイミングで悪態をついたっきり、二人はお互いに背を向けるようにして座り込んだ。なにせ視界に相手の姿が映るとそれだけでとてもイライラするもので。
牢が別だからまだしも、もし同じ牢にぶち込まれていたら今頃は殴り合いにもなっていたし最悪どちらかが死ぬまでやったかもしれない。
「それで、結局あいつらどうなったの?」
追放、というか依頼破棄されてから数か月後。
フレッドは思い出したようにレッドに問いかけた。
追放された翌日には家宝を売ろうとして捕まったという連絡が届いたし、その後無事弓は戻ってきたのでフレッドの中ではすっかり終わった事になっていたが、一通りの書類仕事を終えた後でふと思い出してしまったのだ。
実戦経験を積むために一時的に組んだ冒険者。五年という期間で契約したのに三年で破棄してきたあの二人。
それなりに実戦経験は積んだものとされたので現在フレッドは父から次期魔術師長としての引継ぎと称して様々な仕事を振られていた。正直今の方が忙しすぎて、あの二人の事なんて今の今まで思い出す事もなかったが、思い出したのは今しがた終わらせた書類に冒険者に関する事が記されてあったからだ。
冒険者かー、懐かしいなー。もう随分前の事にように思えてきたなー、という感じでそういえば、と思い出したに過ぎない。
フレッドの部下として同じく書類仕事に翻弄されていたレッドは、ひとまずキリのいい部分まで書き終わるとペンを置いた。
「あいつら……? あぁ、マーカスとダスティン、でしたっけ」
「そうそれ」
「あの二人でしたら、依頼破棄の賠償金を支払うための強制労働をする事になりましたよ」
そう、あの後牢から出たものの、依頼を破棄した事に間違いはない。そして契約違反となったために違約金を支払わなければならなかった。その金が払えない、となったからこそマーカスは咄嗟にフレッドの家の家宝を売り払おうとしてああなったわけだが。
結局家宝は売れず。違約金は支払わなければならない。だが手元に残った僅かな金では支払いきれない。
そして冒険者としての資格も失ってしまったのでギルドで仕事を探すわけにもいかない。
結果、借金を抱えてしまった者たちと同じく強制労働をする事となったのだ。
「マーカスは確かエポスン鉱山に。ダスティンはガランダ鉱山でしたかね」
「ふぅん、同じ所ではなかったんだ」
「それがなんでも牢の中で仲間割れに発展したみたいで。二人一緒だとすぐに喧嘩になるから労働させるなら一緒にしない方がいい、と兵士からの報告が」
本来は同じ場所に送る予定だったらしいが、もしそうなっていたら兵士の報告通り喧嘩ばかりやって仕事にならなかっただろう。喧嘩ばかりで仕事にならないのも困るが、そのうち殴り合ってすっきりしてまた意気投合して今度は一緒に逃亡しようぜ、なんて事になったら面倒でしかない。
まぁ仮に逃亡して他の大陸他の国へと渡ったとして、そこで新たに冒険者となれるわけもないのだが。
ギルドカードは基本的に偽装できないようになっている。作って登録する際に本人の血と魔力が必要になるので偽装しようがないのだ。
仮に他国で偽名を名乗って何食わぬ顔でカードを作ったとしよう。
普通に作れば本来最初に表示される冒険者ランクはDだが、彼らの場合はもし作ったとしてもその部分は最初から空白のまま。
つまり、こいつらに冒険者はできないのだ、と即座に知れ渡る。
ギルドカード無しで冒険者としての活動ができるかとなればそれも難しい。依頼は基本的にギルドで手続きするものだし、その時にはカードを提出するのだから。
逃げる事もできず、それぞれが強制労働コース。
フレッドはまぁ、無難というか妥当な処置だなと思った。
エポスン鉱山は時折魔物が入り込んでくるのでそれなりに戦える者が送られる。資格剥奪となってもマーカスは戦えなくなったわけじゃない。多分、いざとなったら魔物相手の囮にされるんだろうなと思う。あの鉱山で働く者は強制労働として送りこまれた者たちは大半がそういう役目なのだ。仮に死んでもその時は命を張って得た褒賞という形で金が出るので、違約金の支払いは最悪そこから出るのだろう。
生きて期間内の労働を終えればそれはそれで多少の金が手元に残るから、まぁ、いきなり野垂れ死にするような事もないだろう。
生きるか死ぬかはマーカス次第である。
そしてガランダ鉱山。
こちらは魔物が出るという話は聞いた事がないが、鉱石や宝石の他に石材を切り出したりする事が多く、そのため労働は朝から晩まで終わらないとてもハードなところだ。そこで強制労働として送りこまれたりしていない、本来の働き手たちは気性が荒く常に怒号が響き渡るという話で有名な所だ。特にあの鉱山の統括をしている親方は厳しい事で有名だ。彼は部下たち全体に目を向けていて、ちょっとでも余裕かましている者には容赦なく次々に指示を飛ばす。並列思考とでも言おうか。同時に複数の事を考えて処理するのがとても得意な男だった。
魔術が使えるようであれば、彼はきっと超一流の魔術師になっていたに違いない。フレッドの父はもしそうなっていたらきっと魔術師長の座は危うかっただろうな、などと言っていたのをフレッドは未だに覚えている。
マーカスの言う事だけを何も考えずにただはいはいと聞いていたダスティンからすれば考える間もなく指示が飛んでくるというのは楽だ、と最初は思うだろう。
けれども親方は本来の部下相手であればまだしも、罰として強制労働送りにされた者に対してはそう優しくはない。
一つの指示を出してそれを実行している途中で次の指示が飛ぶこともザラだ。
だがその新たな指示は今やってる仕事の途中に挟んでやる作業である場合もあるので、今言われた事を終わらせてから次のをやろう、なんて感じでやっていると仕事は一向に終わる様子を見せない。
言われた事を頭の中で組み立てて、効率よく済ませる必要が出てくる。
言われた事だけ、それも何も考えずに従うだけではきっとダスティンは何度も親方にどやされる事だろう。
とはいえ、二人に対してフレッドが何を思うわけもない。
もうフレッドの中では終わった話なのだ。
だからこそ、マーカスとダスティンがこれからしばらくの間強制労働で心身ともに酷使しようと、その結果死んだりしたとしても。
そして途中で死んで違約金を完全に支払い終わらなかったとしても。
あの二人に費やした金銭という部分でちょっとした出費だったな、と思う事はあったとしても。
まぁそれくらいなら勉強代って事でいいか、と思う程度の話だ。無駄に使ってしまった分は、まぁ頑張って働けばいいだけの事。
この国の冒険者ギルド全体に彼らの顛末が知らされて、依頼を中途半端に破棄するとこういう事になったりもしますよ、という教訓として広く知れ渡る事も、フレッドにとっては最早どうでもいい事だったし、鉱山からロクに出る事もなく日夜働き続けるマーカスとダスティンも、ギルドでまさか自分たちの事がそんな風に語り継がれているなんて事実は勿論知るはずがない。
きっと、この話を二人が知るのは無事に働き終わって解放された後だろう。
それがいつになるかはわからないし、もしかしたら途中で死んで知らないまま終わるのかもしれない。
どちらがマシなのか、というのも――フレッドにとってはすっかりどうでもいい話であった。
既にフレッドにとっては、今目の前にある書類を片付ける方がとても重要であるが故に。
そしてそれは、彼の部下であるレッドにも言える事だった。
きっともうこれから先の二人の人生で、彼らの名前が出てくる事はない。
所詮、その程度だった。