第二十九話 本性
ローゼ護衛依頼二日目の朝。
相変わらず朝は食べない派のローゼは、その高級そうなカップを片手に昨晩のあの出来事が起きるまでと何一つ変わらぬ様子で接してくる。
正直、おれとしてはもう少し距離がほしい。それはもちろん警戒心からだ。だが、昨夜のそれを除けばただのお嬢様にしかみえない。どっちが彼女の本性なのだろう。……少なからず怯えている自分がいて、調子が狂う。
朝のちょっとした歓談を終え、今日は郊外に出かけるという。白の都市の外へ行くのか。意外だな、周りにはさして何も無かったはずだが。
◇◇◇
白の都市を北へと抜け、ローゼの宣言通り郊外へと出る。少し出歩いただけでこうも町並みが違うか。
……それにしてもローゼは気付いているのだろうか。おれたちがすでに、郊外へと出たその時から一定の間隔で“跡をつけられていること”を。そしておれたちがそれをあえて“見逃していること”を。
跡をつけてきている正体の目星はついている。どうやら昨日の散策で見かけた集団は予想と合っていたようだ。あえて見逃しているのは、おれのそんな予想からセネカへそう指示しているからだ。機が来ればローゼに迫れるかもしれない。
などと考えていると、ローゼがその歩をぴたっと止める。
「この辺でよろしいでしょうか」
「なにかするのか?」
「んー、掃除、ですかね」
ッ! ローゼが振り返り、おれたちの後方へと視線を向ける。と同時に、その全てを凍り付かせるかのような目におれたちまで身が竦んでしまう。これは魔法なんてものじゃない、もっと単純な、ただの彼女の圧力だ。
キィィィィン!
不意におれたちの後方からローゼへと放たれた魔法は、金属音のような音と閃光をまき散らしながらも、彼女の寸前で螺旋を描き続ける。
その今にもローゼを殺さんとする勢いの魔法が、それ以上は一ミリたりとも進まない。まるでその先には何を以てしても踏み入ることができない、そんな結界があるようだ。彼女は指先一つ動かしていない。
「乙女に向かって、いきなりこんな仕打ちはあまりにひどいじゃありませんか」
「くそっ!」
「この化け物め」
「誰のことでしょう?」
!? セネカと共にバッと後ろを振り返る。今の今まで、おれたちのほんの前にいたはずの彼女の声が後方から聞こえたからだ。彼女はおれたちの後方から魔法を放った者たちの隣で、左手を口に当てて艶美に微笑む。
「お知り合いですか?」
彼女がおれとセネカに向け、投げかける。この容貌は……やはりそうだったか。目に入ってきたのはその特徴的なローブを着た、五名の“黒ローブ集団”だ。バーラやνの姿は見当たらない。
「直接その者たちを、知っている……わけではないが、その者たちの、ボスならば……」
セネカが必死に自分を落ち着かせながら答える。セネカも内心怯えているのが分かる。おれ同様、それほどまでにローゼが高みに見えているのか。
「そうですか」
ぐしゃ。
……え?
ローゼはにっこりとしながら、黒ローブ集団の誰一人として視界に入れることなく、彼らを血で染め上げた。
あまりのあっけなさに脳が追いつかない。だが、目の前の光景がここまで明らかならば嫌でも理解できてしまう。彼らを殺したのだ。
地に伏し、もう動くことのない彼らの背中からは、ローゼの等身大ほどの漆黒の薔薇が咲いた。やがてその薔薇は血で濡れ、赤黒く染まる。
「あ、あぁ……」
その情けない声と共に呼吸が乱れる。
今まで、旅中で死んだ人を見たことなかったわけではもちろんない。
だがこんなにもあっさりと人の命はなくなってしまうものなのか。いや、なくなってしまっていいものなのか……?
目の前がフラフラする。
その生々しさからなのか、あまりにもあっけのない人の死を見届けてしまったからなのか、放心状態で頭が働かない。ただ、今は嘔吐を催すような、そんな心底気分が優れないことだけは自覚できる。
「ワタシが……」
セネカが自分の手を見つめる。彼女がやったわけではない。だが、彼女は確かに責任を感じている。
「あら、どうしましたか? いきましょう?」
その己がやった行為とは裏腹に、一点の曇りもない瞳をもったその麗しき顔でおれたちに微笑みかけるローゼ。
「貴様はッ! 何を、したのか、わかっているのか!」
混乱のあまり怒鳴ってしまうセネカ。もはや彼女が依頼主ということも頭から離れてしまっている。
「んー、知り合いではないと聞きましたので――」
「だからといって!」
「あの方々のようになりたいのですか?」
「ッ!」
耳元でそう囁かれ、固まってしまうセネカ。今何よりも恐ろしい一言だ。心臓を直接掴まれている気分だ。
「では、いきましょうか」
再びにこっと笑顔を見せた彼女は、そのまま何事もなかったように歩き出す。
「セネカ!」
「大、丈夫だ……」
互いに震える体を支え合う。恐怖による体の硬直はなんとか解けたものの、体は正直だ。震えが収まらない。
「無理はしなくていい。幸いローゼも依頼の可否はおれたちに任せてくれているんだ」
「ダメだ。お前も見ただろう。今ので確信した、彼女は紛れもない“レイヴン”だ。ならばテオスとリリアの情報を聞き出すチャンスなんだ。それに……おそらく逃げれるものでもあるまい、彼女の気分次第でワタシたちもすぐにああなる。ここで依頼をやめ、彼女の機嫌を損ねるのは得策ではない」
恐怖に支配された虚ろな目で自嘲気味に話すセネカに、おれは首を縦に振ることしか出来ない。おれも今では疑いようもない。昨夜彼女が話したことは本当なのだろう。“レイヴン”、これほどか。
「いきますしょー」
少し遠方から優しくそう呼びかけてくる彼女の、言葉の裏に隠された圧に足が自然と傾く。おれたちはすでに支配されたのだ。おれたちは踏み入れてしまったのだ。死とは紙一重の、茨の道すら生ぬるいそんな道に。
◇◇◇
護衛依頼二日目、夕食の時間。
今日の夕食はローゼ邸にて開かれる。開かれるというのは、ただの夕食とは言い難い、そんな豪華な振る舞いからくる表現だ。この豪華な料理は全てローゼの手作りだ。
今朝の出来事―――あの思い出しただけで胸が苦しくなるような出来事―――からは一転、やはりローゼはおれたちには危害を加えなかった。
あの後郊外で行った事といえば、裕福とは言えないであろう方々に彼女手製の簡単な食糧を配ったり、郊外の冒険者が集まる場にての情報交換などだ。あの親し気な様相から察するに、一朝一夕の仲ではないのだろう。だが、その裏の顔とでもいうべき行為を目にしてしまっている彼女に対しては、一日を通しておれもセネカも一瞬たりとも警戒心を弱めることは出来なかった。
「何か、聞きたいことがあるんじゃありませんか?」
ローゼが最後の皿を運んできたと同時に、思いもよらない問いがローゼの口から発せられる。
「! そ、それは」
「ある」
おれが躊躇している間にセネカが身を乗り出して答える。これは……覚悟を決めた目だ。それならば、とおれも続く。
「テオス・ユーヴェリオン、リリア・ユーヴェリオン。この名前に聞き覚えは?」
「もちろん、ありますよ」
「!」
「!」
セネカと共に、体が思わず前のめりになる。
だが、わかっているよな? 慎重に、慎重にだ。
「それについて教えてもらうことは?」
「んー、よろしいですよ」
「本当かっ!!」
ガタンッ!
「まあ、そう慌てないで。まずはいただいてくださいませんか? 我ながら料理は得意なのです」
だが、悪いが今の彼女から頂くことはできな――
ぱくっ。
「うむ、美味しい」
だからなんでだよ! 少しは疑えよ! 日中あれだけ警戒していただろ!
「あら。うふふっ、ありがとうございます。さあ、フレイさんも。毒などは入っておりませんよ」
にこっとした顔が今では怖い。……よくこの状況で即決で食べられるものだ。だが、おれも笑顔に気圧されている。食べるしかないか。もう、どうにでもなれっ!
「……美味しい」
「それは良かったです、わたくしも食べますね」
なんなんだ全く。セネカは「食べ物に罪は無い」と言ってその後も食べ続けた。矛盾しているかもしれないが、美味しいのはわかっても味はあまりしなかった。ローゼに警戒心を解ききる事が出来ず、この状況に混乱している。
だが、おれたちはテオスとリリアの事を聞かなければならない。このチャンス逃しはしない。




