2話 通りすがりの旅人
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光弥は薬屋の店主が奥から戻るのを待ちながら、辺りを観察していた。整備された水路に、広場で音楽を奏でる楽士。子供達が和気あいあいと戯れ、年寄りはそれを楽しそうに眺めていた。屋根の上では猫が心地良さそうに微睡んでいる。初めて訪れる街だが、穏やかな時間が流れている良い街だと思った。
けれども所々で屋根や壁を補修している箇所があった。不自然なその損害を見ていると、奥から六十過ぎの老爺が片手サイズの巾着を持って戻って来た。
「お客さん待たせてすまないな、こちらが注文の薬だ」
料金はすでに支払っているので、光弥は受け取って中身を確認すると、深緑色の丸薬と嗅ぎ慣れた匂いが漂った。体調が優れない時に効く万能薬なので旅の必需品だ。
「確かに。ありがとう」
「旅の途中かい?」
「そんなところだ」
「まだ二十歳そこらだろう、どうして職に就かずに旅なんてするんだ。世捨て人なのか?」
老爺の言葉は叱咤ではなく純粋に疑問に満ちており、なので光弥は素直に本当のことを答えた。
「炎に輝く宝石を探しているんだ。知らないか?」
「いいや、宝石は専門外だな。そこの質屋ででも聞いたらどうだ」
「質屋じゃ駄目だな。宝石というのは比喩だ」
「?」
「いや忘れてくれ」
首傾げる老爺に光弥は苦笑した。この単語を聞いて質屋を勧めるのは、本当に何も知らない人間だけだ。もう炎に輝く宝石のことを知っている人間はこの世に居ないのかもしれない。確かにこれは知る者ぞ知る、珍しい話なのだ。何せ美談とは程遠く、光弥の一族が秘匿していた話でもある。むしろ知っている人間を光弥はさがしている。
目的のものを手に入れたので光弥が丸薬の袋をカバンに仕舞っていると、後ろでか細い少女の声がした。
「すみません・・・・・・」
光弥は自分が邪魔になっていることに気付いて、少し横にずれた。そして一歩前に出た彼女はローブを羽織って、フードを目深に落としている。
「いつもの薬お願いします」
「はいよ」
老爺は珍しく奥に行かず、手前の棚から薬を取り出した。ここまで用意周到であるなら常連客なのだろう。
光弥はその少女をジッと眺める。フードのせいで顔はよく見えないが、まだ十五、六ぐらい。そして薬を受け取る時、袖から白い腕が覗いた。しかしその腕は少女らしからぬ傷でいっぱいだった。小さな傷から、大きな古傷もある。特にその古傷は何かに襲われたかのような引っ掻き傷で、その傷の形には見覚えがあった。
(この傷は・・・・・・)
傷に意識を移しすぎていたのだろう、彼女はサッと傷を隠した。そしてフードを少し上げて、少女は怪訝そうに光弥の顔を見つめる。
「あの、何か?」
「いや、すまない」
ふと、鮮やかなオレンジ色の目をした彼女に、光弥は違和感を覚えた。何がどう違和感を抱かせたのかは分からない。ただ彼女には何かあると思った。
ふと老爺が彼女にもう一つ、さっきよりひと回り小さい巾着を差し出した。
「あとこれはサービスだ」
「え?」
中身を確認したので横から覗き見ると、光弥の買った丸薬と同じものだった。
「具合が悪そうだからな。貰っとけ」
「ありがとう」
戸惑いながら受け取る彼女は、不意に足元がふらつく。光弥は咄嗟に彼女を受け止めた。
「おい、大丈夫か」
数拍後、彼女はハッとして慌てて光弥から離れる。
「ごめんなさい!」
「いや、それより大丈夫か」
「ええ・・・・・・本当にごめんなさい。私にはあまり近付かない方がいいのに」
「え?」
彼女の意味深な発言からすぐに、遠くの方からざわめきが起こった。
「出たぞ、竜だ!」
「またか!」
「ここしばらく現れなかったのに!」
光弥は眉をひそめる。
(竜だと?竜がこんな人気の多い場所に現れるはずがない)
しかしあの不自然な損害はきっと竜によるものなのだろう。ならば余計に分からない。今時の竜は人を食い荒らすことはしないのに。
何故か竜は真っ直ぐにこちらを目掛けて飛んで来た。三メートルほどの体格だが竜の中では小型で、グレーの翼で勢い良く飛んでいる。そして突然急降下して建物で姿が見えなくなった。
「逃げなくちゃっ!」
隣に居た少女は慌てて走り去ろうとするのに気付く。
「待て、そっちは駄目だ!」
「!」
逃げようとした少女の腕を引き留める。そして次の瞬間少女が逃げようとした方角に、竜が建物の中から壁を突き破って現れた。
「キャアッ!」
「来い!」
光弥は竜に驚く少女の腕を引きながら反対方向へと走る。
「!」
少女の顔色がサッと曇る。
「待って、街の中心の方はダメよ!」
「分かってる!」
光弥は足に巻いていたホルダーから小型のナイフを抜いてひゅんっと竜に向かって飛ばした。ナイフは竜の瞳孔のど真ん中に突き刺さった。
「ガアァァァ!!」
痛みからか竜は地べたで這いずり回って暴れる。これは単なる時間稼ぎだ。この間に光弥は少女を連れてまた走った。
「すごい、あんなに素早い竜に一撃で・・・・・・」
振り向きながら走る彼女のフードは外れていて、淡い紫の髪をした彼女は驚きと不安気な視線を向けられる。
「あなた何者なの?」
そう尋ねる少女に光弥は、
「通りすがりの旅人だ」
と、名前は明かさなかった。そして光弥は少女を連れて中央の通りを外れて、森の中へと走った。
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