小間物屋のビスクドール
個らぼwikiさん主催「絵描きと物書きのコラボ企画第一回」参加作品
https://wiki3.jp/SousakuColabo/page/107
町の真ん中の広場から、街道を北にだいたい二百歩。四つ目の角を右に曲がり、左手の二軒目と三軒目の家の間にある細い路地を入ったところに、ひっそりと小さなお店があった。
見付けたのは偶然だった。近道をしようとして路地に入って、小さな看板に気付いたのだ。街道からは全く見えないし、町のどの立札を見ても広告の一枚も貼られていない。こんなところにお店があったなんて、この町で育った私も全然知らなかった。看板の文字は知らない言葉で、何のお店かもはっきりとは分からない。けれど、入口脇の窓に飾られている髪飾りとからくり時計がとても素敵で、お給金が出たら行ってみようと心に決めていたのだ。
私は、お財布を握り直して、厚い木の扉を開けた。
ちりん。可愛らしいドアベルの音が店内に響く。ランプの灯りに、店の奥のお洒落な飾り棚とカウンターが浮かび上がっている。こぢんまりした店内の壁一面、取り付けられた棚にはたくさんの品物。髪飾りや時計の他にも、身を飾るアクセサリーや、小物入れ、ペンの軸、暦、置物やオルゴールまで……所狭しと並んでいる。
「わあ……!」
綺麗なものを見るのは大好き。だから、私は一瞬でこの店の虜になった。
「おや、いらっしゃい」
声をかけられて顔を上げると、いつの間にかカウンターの向こうに男の人がいた。
その人を見て、驚いた。頭の後ろでまとめた長い髪も、瞳も、月も星もない夜空のような深い黒。この小さな町にも色々な人はいるけれど、目も髪も両方とも「精霊の色」の人なんて、私は初めて見た。ちょっと怖くて、すごく綺麗。まるで、お伽噺に出てくる魔法使いみたい。
あまりじっと見てるのも良くないと気付いて、私は軽く会釈をして、棚の商品に視線を戻した。
でも、どうしよう。オルゴールや時計はやっぱりかなり値が張る。小物入れやアクセサリーも素敵だけれど、私の普段使いにはちょっと豪華すぎる。記念になるものを思い切って買ってしまうのも良いけれど、あまり使わないのも可哀想だし……。
ふと、カウンターの端の人形に目が止まった。
「わ、きれい……」
小さな椅子にちょこんと座った人形は、左右で違う色の目でじっとこちらを見ているように見えた。右目は黒い石、左目は青い石。つるりとした陶器の白い肌に嵌め込まれたふたつの宝石が、ランプの灯りを映してきらきら輝いている。手作りらしい簡素な服に、ちょんと乗せた小さな帽子。かわいらしい口元は、今にも生き生きと喋りだしそう。値札は置いてないけれど、こんなに綺麗で手の込んだ人形だもの、びっくりするほど高価に違いない。
目を上げたら、カウンターの向こうの黒い瞳と視線がぶつかった。
「ごめんね、その子は売り物じゃないんだ」
「あっ、いいえ、いいの! 買おうと思ったわけじゃなくて、ただ、すごく綺麗だから……」
「ありがとう。……何かお探しのものはある? よければ、そこに並んでいるものの他にも、奥にまだあるけれど」
「……じゃあ、守り石の鎖、ありますか」
私たちはみんな、生まれた時から《守り石》を持っている。人がこの世に生まれ出るとき、魂は二つに別れ、ひとつは命に宿り、もうひとつは石に宿るのだ。守り石は自分の魂の欠片であり、常に共にあるべき片割れであり、生まれる前は自分の魂とひとつだったもの。だから、いつでも身に着けているものだ。その守り石の鎖なら毎日使うし、少しくらい高価でも綺麗なものを付けてあげても良いだろうと思ったのだ。
「どうぞ。ゆっくり選んでね」
出してくれた鎖はどれも綺麗で、私はさんざん悩んでから、細い金色の鎖を手に取った。遠目には普通の鎖だけれど、小さい輪と少し大きい輪とが組み合わさったお洒落なもので、守り石を取り付ける為の金具までついている。その金具にも細かい彫り物があってとても綺麗だ。それに、私のお財布でもなんとか買えるくらいのお値段。
「これ、ください」
「ありがとう。今から使うなら、石の付け替えもすぐに出来るよ」
「えっ、いいの?」
「買ってくれたおまけのサービスだよ。ほら、貸してごらん」
私はお礼を言って、お代と一緒に今まで自分の首に掛けていた守り石を渡した。生まれてから十四年間ずっと一緒の、私の守り石。ランプの灯りを受けて、夕陽の色に煌めいた。
「良い石だね。迷いなく真っ直ぐに突き進み、夢を叶える力強い石だ」
「店主さんって、もしかして、魔法使い?」
精霊の色の目と髪だけでなく、石の力にも詳しいなんて。普通の人とは思えない。あまりに驚いて、思わずそう聞いてしまった。そんなことを聞くなんて失礼だったかしらと恐る恐る様子を伺う私に、黒い髪と瞳の店主は穏やかに笑った。
「僕は、ただの職人だよ。ここにあるものたちも魔法じゃない。この手で金物たちの形を変えて、人のための新しい形を与えて……そういうのが好きなだけなんだ」
彼は手早く私の守り石を今までの鎖から外して、あっという間に新しいものに付け替えてくれた。カウンターの上で作業をしてくれている間、私はどうしても気になってしまって、またあの黒と青の瞳の人形を眺めていた。笑ったような口元ときらきらした瞳は表情があって、まるで本当に生きているみたい。関節も動くように糸で繋いである。操り人形かな。それにしては、動かすための棒も糸もついていないけれど……。
(……あれ、さっき見たとき、手を膝に置いていたっけ?)
どうしてだろう、なんだか違和感があった。はっきりとは分からないけれど。そういえば、顔の向きも少し違っているような……。
もっとよく見ようと首をかしげた時だった。
「キミ、ボクのこと気に入ったの? ボクはオリヴァのだから、キミのにはなれないよ?」
「きゃっ!?」
いきなり、人形が喋った。
驚きのあまり、後ろに転んで尻餅をついてしまった。棚にぶつかったりしなくて良かった。口を開けたまま座り込む私をじっと見ながら、人形は滑らかな動きでひょいと椅子から立ち上がった。
「ラズリ! お客さんが来ている間は動かない約束だろう」
店主も驚いたように、手を止めて立ち上がる。カウンターのこちら側へ出てきて、私の方に身を屈め、手を差し伸べてくれた。
「驚かせてしまって申し訳ない。怪我はないかい?」
「……だ、大丈夫」
差し伸べられた手を取って、なんとか立ち上がった。まだ胸がどきどきしている。ラズリ、と呼ばれた人形はカウンターの端までとことこと歩き、店主の腕を器用によじ登った。黒い髪を手すりがわりに肩に座る人形に、店主は眉をしかめてみせる。
「ラズリ。君が動くと、人間はみんな驚いたり、怖がったりするんだ。前にも話しただろう」
「だって、ずーっと座ってるの、ボク飽きちゃったんだもの」
不満げに口を尖らせるラズリ。私はただ、ぽかんとしてそれを眺めていた。
「お人形、だと思ってたけど……生きているの?」
「んー、生きてるって、よく分からない。ボクの《うつわ》はお人形だよ。人形は、人間みたいに息したり食べたりしない。だけど、ボクは動くし喋るよ。これって、生きてる?」
「わ、わかんない……」
私は戸惑って、つい助けを求めるように店主の顔を窺った。彼は苦笑しながら、申し訳なさそうにまた頭を軽く下げた。
「難しいことを言って困らせてしまったよね、ごめんね。ラズリは人間や生き物とは違うもので、でも人間にずっと興味津々なんだ。許してほしい。……ラズリはね、人形のうつわに入った精霊なんだよ」
「せい、れい……」
びっくりした。あんまりに驚きすぎて、他に何も言えなかった。だって、精霊なんて、普通に暮らしていて出会うようなものじゃない。精霊は人間の世界とは別の世界に住んでいて、魂だけで体もなく、人間と関わることもない筈だ。
魔法使いでもない限り。
「……やっぱり、魔法使いなの?」
「まあ、育ての親が魔法使いだから、僕も少しは、ね。そうと言えば、僕も魔法使いだと言えるかもしれない」
彼は今度は曖昧に誤魔化さずに、軽くだけれど確かに頷いた。
「キミ、精霊や魔法使い、きらい?」
急に聞かれて驚いてそちらを見ると、ラズリが私を強く睨み付けながら店主の肩の上で立ち上がった。私が何度も魔法使いかと聞いたのが、いやがっているように聞こえたのかもしれない。
と、店主がラズリの体をひょいと掴んだ。
「オリヴァ、なにするのさ!」
「怒らないで。彼女は初めて来たお客さんだよ、ラズリ。僕のことも君のことも知らなかった。君が動いて驚かせたんじゃないか。それなのに怒るのかい?」
「う……驚かせたのは、ボクが悪かった。けど……」
「それにね、僕が魔法使いかどうかってお客さんが聞くのはいつものことだろう。彼女は別に君のことを嫌っていないと思うよ。……そうだろう?」
微笑みながら問いかけられて、私は急いで力一杯頷いた。
「嫌いじゃないよ! 魔法使いも精霊も、初めて会ったし、お話の中でしか知らないから、ちょっと怖いって思っちゃったけど、ちっとも嫌いなんかじゃない! ラズリを見ていたのだって、とっても綺麗で……私、綺麗なもの大好きだから、こんなお人形が欲しいなって思ったくらい」
「ボクを?」
「うん。でも、ラズリはオリヴァの、なんでしょう。それに私は魔法使いじゃないから、精霊じゃないただのお人形でいいの。ラズリと同じような、綺麗なお人形が欲しいなって。……きっと、今の私にはまだとても買えないだろうけれど、いつか私が一人前になったら、作って欲しいの」
一生懸命すぎて、勢いが強すぎただろうか。気付いたら、店主もラズリもきょとんとして私を見ていた。あまりにじっと見られているものだから少し恥ずかしい。頬が熱くなってきた。
そんな私に、店主はにこりと微笑みかけて、カウンターの上に置いたままになっていた私の守り石を手に取った。そして私の前に身を屈め、視線を合わせて、私の手をそっと取って守り石を握らせてくれた。
「ありがとう、ラズリを気に入ってくれて。君がもっと大人になっても、まだ人形が欲しいと思ってくれていたら、君のための人形を作るよ。だから、その時はぜひ買いに来てほしい。いや、もちろんその前にでも、何も買わなくてもいいから、よければ遊びに来てほしい」
「……いいの? お店なのに、お買い物じゃなく遊びに来ても?」
「もちろん」
笑顔で頷く黒い瞳はとても優しくて、綺麗だった。
私は嬉しくて、守り石と新しい金の鎖をきゅっと握った。
「私、また遊びに来るね。ううん、お買い物にもきっと来るね。私、まだ伯母さんのお店で見習いを始めたばかりだから、あまり高いものは買えないけど……きっとすぐに一人前になって、このお店の綺麗なものをいっぱい買うの!」
「ありがとう、楽しみにしているよ」
「それとね、私が一人前になったら、お人形を作ってもらうだけじゃなくて、ラズリにもお願いがあるの」
「ボクに?」
小首をかしげるラズリに、私は力強く頷いてその小さな陶器の白い手を握った。
「私、綺麗なものが大好きで、綺麗な服を作るのが夢なの。いつか、ものすごい服職人になって、天星さまや彗星さまに着てもらうような服が作りたいの……伯母さんみたいに。まだまだ彗星さまの服はむりだけど、いっぱい練習して、いっぱい服を作るわ。それでね、作った服を、ラズリにも着て欲しいの」
「れんしゅうの服?」
「練習だけど、本番と同じに作るの! 色とか、模様とか、形とか、ラズリの好きなように出来るよ」
小さな人形はしばし考えるように、自分の着ている簡素な布の服を引っ張った。
「オリヴァ。この服……」
「僕が急ごしらえで作ったものだからね、自分で言うのもなんだけど、申し訳なくなるくらい簡単な服だよ。もっといい服を着たら、もっと素敵なラズリになるんじゃないかな」
「きれいな、いい服……」
ラズリは難しい顔のまま、口をへの字に曲げて考えている。と、不意にカウンターの上から私の腕の上にぴょいと跳び移った。そのまま私の襟や袖をぺたぺたとさわっている。
「こういう服、作るの?」
「うん。基本の服ならもう作れるし、長袴とか、裾ひろがりとか、形変わりの上着とかちょっとずつ挑戦しているところ。ラズリの服なら人間の服より小さいし、短い時間で作れるよ」
「一人前になってない今でも、作れる?」
「作れるけど……?」
私の答えに、ラズリは満足したらしい。笑顔で私に言った。
「じゃあ、すぐ作ってよ! 一人前になってなくてもいいから、ボクはキミの服着たい!」
「いいの?」
「うん。服作りなら、オリヴァよりキミの方が上手そうだもん」
ラズリは人間のように冗談めかして笑う。店主はやれやれと肩をすくめ、でも少し嬉しそうに笑っていた。
「すっかり仲良くなったね、ラズリ」
「うん。この子がボクのこと気に入ったみたいに、ボクもこの子のこと気に入った。えっと、こういうの、何て言うんだっけ」
「そうだね……友達、かな?」
「そう! ボクとキミ、ともだち!」
満面の笑みのラズリに、私は少し驚いたけどとっても嬉しかった。まさか、精霊と友達になれるなんて。まるでお伽噺の中にいるみたい。
お伽噺では、精霊や魔法使いに簡単に名前と守り石を教えてはいけないのだと言われた。両方を知られてしまったら、魂を精霊の世界に連れていかれてしまうのだと。だけど。
「お友達なら、名前を教えても大丈夫だよね。ううん、お友達なら名前を呼べないと困るもんね」
私はラズリの手をもう一度握って、言った。
「私の名前、カンナっていうの」
「カンナ? わかった! ふふ、カンナとラズリ、ともだちだね!」
「うん!」
ラズリは嬉しそうにぴょんとカウンターに跳ね降りて、今度は店主の腕に跳び移った。
「じゃあ、オリヴァとカンナも、ともだち?」
「僕も?」
目を丸くする店主に、私も頷いた。
「店主さんが……オリヴァが良ければ、友達になりたいな」
「……もちろん。嬉しいよ」
オリヴァもにっこりと笑う。その笑顔を見て、私まで嬉しくなった。
私が初めて作った服をとても気に入ったラズリが、今まで着ていた服をあんまりにけなすので、オリヴァが少し拗ねてしまうのは、もう少しだけ後のお話。
繋がっていないけれど同じ世界の話
『はざまの森の魔法使い』
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