第7話
通常版20~21話
何か危険なことが迫っているかもしれない。
そうは思いつつも、僕にできることといえばほんの少しのことである。
例えばゆっくりお風呂につかるとか、そんなことだ。
ここ数年、湯船に浸かる機会はめっきりと減った。
いくら元々祖父母が暮らしていた家で、家賃はかからないとはいえ独り身なのだ。
疲れて帰ってきてわざわざお風呂を洗って沸かしてまで浸かりたいとは思えないのだ。
そんなこととか、もしかしてみんなにバレているのかな?
そんなことを思いつつも、帰りに立ち寄ったドラッグストアで炭酸性の入浴剤を購入した。
入浴剤コーナーで足を止めるのも実に数年ぶり。
ここ数年で種類も香りもだいぶ増えたんだな、なんて思いながら選んだのは昔から馴染みのあるメーカーの、柑橘系の香りがするものだった。
42℃と少し熱めに沸かした湯船にポンと投げ込むとブクブクと気泡が弾けて消えていく。
全てが溶けきる前にボチャンと浸かれば、自然と身体から力が抜けていく。
はぁ~と息を吐いて、顎が湯船に付くか付かないかスレスレのところまで浸かると、どこからか『だからちゃんと湯船に浸かりなさいっていつも言ってるでしょ!』と福島の家で母さん達と暮らしている祖母の声が聞こえた気がした。
今日は100秒以上浸かるつもりだ。
だから脳内の祖母もこれ以上はお説教してこないはずである。
だがこれからは定期的に入るようにはしようと思う。
追い炊きして何日か水は使い回すから入浴剤は早々使う機会はなさそうだ。だが僕が買ったのは並べられていた中で一番小さな箱だが、まだ残り11個も入っている。使わなければ勿体ない。
そういえばこの入浴剤だが、お風呂に入れるのは久々でも使用するのは一年ぶりくらいだ。
去年の化学の時間に生徒達に化学式の説明をするのに使用したのである。
非常に低コストかつ簡単な、実験とも言えないものだったが効果は絶大だった。
勉強嫌いな子も多かったクラスで、初めて化学分野で全員が正解した問題もそれだったなと懐かしさを覚える。
『炭酸』は飲み物にも含まれている、男子高校生には比較的身近なものである。
その上炭酸性の入浴剤なら家にある子も多く、目の前で起きている化学反応も日常に近いものであったというのは大きいだろう。
勉強は嫌いでも分かれば楽しいものなのだ。
去年の今頃だったらきっと、今みたいに僕のことをあんなに心配はしてくれなかったんだろうな……。
心配してくれるのは、彼らとの距離が縮まったから。
理由はみんなそれぞれだけど……。
だけどそうか。
心配してくれるのは思いやってくれているからなら、僕も何かお返ししなきゃいけないな。
湯船から上がり、体から水気をふき取って半袖のシャツとハーフパンツを履く。
首から下げたタオルで髪の毛を拭きつつも向かったのは台所。
「ザラメはまだあるでしょ? 小麦粉は買わなきゃ足りないかもな~。クッキングシートとアルミカップ、短めの竹串も買い足しておかないと不安だな……」
僕がお返しできるものがあるとすれば、それは勉強かお菓子である。とはいえ簡単なものしか作ることはできない。
シフォンケーキとかマカロンとか、そんなオシャレな食べ物は専門外だ。
できるのはクッキーとかカップケーキとかお手軽量産系のお菓子か、べっこう飴にカルメ焼きといった昔ながらの駄菓子。
これが意外と好評で、みんな喜んで食べてくれたりする。
まぁ食べ盛りの男の子達だから何を食べても喜んでくれるとは思うが。
だが残るということはないだろうと前向きに考えて、翌朝買い物を済ませた僕はさっそくお菓子の量産に取りかかるのだった。
べっこう飴を流し込んだカップを台所に一番近いテーブルに並べる。クッキーは天板から降ろして、お皿の上に並べておいた。
1~2時間待ってからべっこう飴は冷蔵庫の中に保存して、クッキーはクッキー瓶に詰め込めばお菓子作りは終了だ。
べっこう飴は小さいのをたくさん作ったから、案外時間はかかってしまったが昼前には終えることができた。
ご飯は簡単にそうめんで済ませてしまったし、これからすることは……ない。
今の時期はいつもテスト問題を作っているはずなのだが、今回に限って時間に余裕があるからと早めに作ってしまっていたのだ。細かいところも休校期間の、クラスの子達がいない時間帯に済ませてしまっている。
だからといって、つい数日前に今度通おうと決意したジムに行くのもなんだか違う気がする。
それはせめて今後、ダンジョンがどうなるかが分かってからだ。
つけっぱなしのテレビに映るのは未だ、警戒態勢が敷かれた駅の外側だけ。
警官の周りにはマスコミと野次馬がいて、駅から自衛官が出てくるたびにその姿を一目でも納めようと波を作る。
そんなことをしても意味なんてないのに。
この数日で変わったことを挙げるのならば、それは日に日に自衛官の顔がやつれていくことだろうか。
中ではモンスターと人間との命を賭けた戦闘が行われていて、外では人の波が形成されている。
その波の中には『詳しいこと話せよ!』だの『自分たちだけダンジョンに入ってんじゃねぇよ』だの彼らに強い言葉を投げつける人もいるのだ。
見えない『ナニカ』を恐れる気持ちがあるだろう。
だがそれを、ダンジョンをどうにかしようと奮闘している彼らに向けるのはお門違いではなかろうか。
どうにかできるならそうしているだろう。
国だって4カ所も同時に発生してしまったダンジョンへ対する案を検討し、自衛官を増やしたり、他の駅でも駅に警官を配備するなど実行に移してくれているのだ。
どうすればいいのか、分からないなりに行動してくれている。
だがそれは今のところ実ってはいないだけで。
それにきっと、訳も分からないダンジョンなんて物に潜り続けなければいけない彼らの方がずっと不安だろう。なのに外でも気を休められなくて……。それはどれだけ彼らにストレスを与えているのだろう。
こんなの、消耗していくばかりだ。
自衛官や警察官はもちろん、恐怖に怯える人達も。
何か糸口でもあればいいんだろうけど……。
警官が波を押さえつける映像の端で、テントへと入っていく自衛官の背中は表情と同様に疲れ果ててしまっていた。
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