第1話
通常版の1~3話
「悪い、スーさん。遅刻した!」
化学の授業中、バン! と大きな音を立てて教室へと入ってきたのは柏木 圭吾君だ。
遅刻欠席が目立つ生徒であるが、最近は進級問題もあって朝から出席していることも多かった。
だがやはり早起きは得意ではないようで、こうして遅刻してくることもたまにある。
それでも6限まで来ないなんてことは今まで一度もなく、せめて昼までだ。
それを過ぎたら潔く欠席を決めるのだと笑いながら話していた。
教師の僕にそんなことを話すのはどうかとも思うが、心を開いてくれている証拠だろうと前向きに考えることにしている。
だからこんな時間でも来てくれるのは少しでも登校したいと思ってくれたに違いない! と黒板から柏木君へと視線を移す。
「もう6限だ……よ」
『もう15分経過しちゃったから欠席扱いになっちゃうけど、頑張って来てくれたから今日だけは特別に出席扱いにしてあげるよ』と続けるはずの言葉は声にはならなかった。
「昼には着く予定だったんだけど、電車止まっちゃって」
ワックスで固めた黒髪をいじりながら、悪りぃと繰り返す彼の制服はすっかり汚れてしまっていた。
ペンキ、だろうかと目を凝らすが、どうもそれとは違うようだ。
ペンキならもっとベットリと染み付いているはずである。
一番近いのは血、だろうか。
鼻血を出した生徒がポタリと制服に落としてしまったそれによく似ている。
だが事故にあったようには見えない。それに色が赤だけではないのだ。ブレザーが紺色で正確な色は分からないが、それでも何色かが付着しているのだけは理解できる。
一体彼に何があったのだろうか?
すっかり固まってしまった私の意識を引っ張り上げてくれたのは、ドアに近い席に座っている生徒だった。
「圭吾さ、臭くね?」
「マジで!?」
「マジマジ、なんか生臭い。とりあえずその服脱いでジャージに着替えろよ。それで後でサッカー部の洗濯機貸してもらえ。ジャケットも結構汚れてんぞ」
その生徒は右手で鼻をつまんで、顔を顰める。
すると柏木君の視線は自分の服装へと移る。そしてジャケットの胸元に指をひっかけて、ああと呟く。
「これか。……よく見ると結構ヤバいな。でもダンジョンから無傷で生還しただけすごくないか? 鼻つまんだままでいいから褒めてくれよ」
「ダンジョンって今ツブヤイッターで話題になってるやつ? あれなんかの映画から画像引っ張って来てやつだろ?」
「いや、マジ。俺、ゴブリンと戦ってきたし」
その一言で生徒達は席から立ち上がり、 詳しく話を聞かせてくれと柏木君の周りに集まった。
こんなんじゃ授業も出来るわけがない。
幸い、今日はテスト前のおさらいがメインだ。ラスト20分はもとより自習をメインに、わからないところは個別に質問を受け付けるという体制を取ろうとしていた。
授業要綱的にも問題はない。
それにここで無理矢理生徒達を授業に引き戻すなど到底無理な話だ。
それに真面目ではないが、嘘は吐かない彼が『ダンジョン』と『ゴブリン』の名前を口にしたのだ。私の興味もすっかりそちらへ向いてしまっている。
だが少しだけ生徒達よりも冷静なところもある。
「みんな授業は終わりでいいから、とりあえず柏木君を着替えさせてあげて」
それはすごい臭いを纏った彼を、ジャージに着替えさせてあげることだった。
臭いの元である制服と通学鞄はとりあえずバケツに入れてベランダに出した。
隣のクラスが窓を開けていたら苦情が来るかもしれないと思いつつも、廊下に出しておくよりはマシだと思ったのだ。
柏木君が着替え終わっても一向に苦情が来ないことをいいことに、怒涛の質問タイムが開始する。
なかなか化学ネタには食いついてこない彼らもゲームのような話には興味津々だ。
今にも柏木君を押しつぶしてしまいそうなほどに彼を囲う円を狭めていく。
けれど柏木君は嫌な顔1つせずに1つ1つ答えていく。
「ダンジョンってマジなの!?」
「マジマジ。俺がいたのは池袋だけど他にも何箇所か発生したっぽい。ツブヤイッターで呟いてる人結構いたから、検索したら結構ヒットするんじゃね?」
「ゴブリンって本当にみどり色してんの?」
「マジで緑だった。ゲームの再現度高けぇって感動したわ。ゲーム会社の人、実はゴブリン見たことあんじゃねぇかな」
「もしかしてブレザーに付いてたのって返り血?」
「ああ。初めは洗濯どうしようとか考えてたけど、結構血、飛ぶから気にしてらんねーって。臭いもあっちじゃあんま気になんなかったし」
「どうやって戦った?」
その質問に生徒達はゴクリと生唾を飲み込んだ。
なにせ柏木君はモンスターと戦ったのだ。
ゲームなら当たり前かもしれないが、ここは現実で彼は冒険者でも勇者でもない。
ただの男子高校生である。
同じ立場の人としては是非とも聞いておきたい内容なのかもしれない。
かくゆう僕も学生時代からハマったRPGを今でも発売を楽しみにしているタイプなのだ。
モンスターと対峙した時の話なんて創作の中以外で聞く機会が来るとは夢にも思ってなかった。
胸を躍らせながら、生徒達の背後で耳をそばだてる。
すると彼は一度立ち上がってベランダへと出ると、とあるものを手にして帰ってきた。
「これ」
机の上にドンと音を立てて置いたのは机からはみ出すほど大きなハサミだった。
大きさと、刃に様々な色が付いている以外は至ってシンプルなものである。
それこそ僕がいつも白衣のポケットに入れて歩いているのと同じ。持ち手が赤いところとかもそっくりだ。
自分のハサミと見比べようとポケットに手を突っ込んでみるものの、手になじんだ感覚が指先に触れることはない。
だからポケットを大きく開いて中身を覗いてみたのだが、いろいろと足りないような……?
どこかに置きっぱなしにしてしまったのだろうか。
最後に使ったのどこだっけ? と記憶を探ってもなかなか答えに行き着くことはない。
なくなっているのはハサミとノリだ。おそらくセットで使ったのだろうが、ここ最近ノリを活用したシーンなんてあっただろうか?
左右に首をひねっても思い当たる節がない。
すると僕が思い出すよりも先に柏木君がノリとハサミの居場所を教えてくれた。
「これスーさんから借りたまんまだったハサミなんだけど、俺さ、武器になりそうなものこれ以外なんも持ってなくて……。だからペンケースに入れっぱじゃなかったら死んでたわ」
「え? 僕の?」
「うん。この前提出ノートにプリント切って貼りたいからってスティクのりと一緒に借りたやつ。あの後スーさん部活行っちゃったから後で返そうと思って、すっかり忘れてた。それでこのハサミなんだけど、武器登録しちゃって、今はこうなっちゃってるからさ、今度別のハサミ買って返すのでいい?」
「ああ、うん。大丈夫大丈夫」
正直貸したことすら忘れていたのだ。
どおりでのりとセットで行方不明になっていた訳だ、と疑問が晴れてスッキリしたくらい。
だがハサミを貸した1週間ほど前の僕だって、まさか数日でこんなに大きくなっているとは思うまい。
それに彼はこれを『武器』として使ったのだ。刃先にしっかりとその証は残っている。
『武器登録』というのが何かは分からないが、さすがにモンスターの血が付いたハサミを使う勇気は僕にはない。
プリントを切る以外の、思わぬところで活躍してくれたハサミを柏木君に譲ることを心に決めた。
「後さ、悪いついでに黒板借りていい? ダンジョンのこと話しておかないとこれから先ヤバそうだから」
「どうぞどうぞ」
そして教卓と黒板使用権までも彼に明け渡したのである。
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