第7話:家庭教師を呼ぼう②
Dは通貨単位です。元ネタがあった気もするけど忘れました。
ただ、ルビ振ると思ったよりも長いので、表記をDEやDNにするか、全く違う通貨単位に変えるかもしれないです。
● ● イリティア視点 ● ●
―――とんでもない生徒を持ってしまいました。
傍らのベッドで眠る少年を横目に彼女は思った。
イリティア・インティライミは《魔導士》だ。
《魔導士》というのは、ただ単に魔法―――炎などを飛ばす《属性魔法》だけでなく、《身体強化魔法》や《剣術》も収めた魔法使いのことを言う。
孤児として師匠に拾われてから今に至るまで、ひたすら《剣》と《魔法》の研鑽に努めてきた。
2人の師匠に計10年間、それぞれ剣と魔法を学んで免許皆伝をもらい、その後5年間、軍の傭兵の1人として戦場を駆けた。
師匠の教えが良かったのか、イリティア自身に才能があったのかは知らないが、戦場でイリティアは驚くべき程の活躍をし、
《戦場に舞う銀の薔薇》、あるいは《銀騎士》、などの《二つ名》で呼ばれるほどの魔導士に成長した。
その後、ある程度の実績と知名度を得たので前線を退き、見聞を広げるため世界各地を転々としてきた。
丁度、首都ヤヌスに来たのは、ある程度回りたい場所を見て回り、貯金も底をついてきたので、新しい就職口を探そうと思ったからだ。
まだ社会全体からすれば若輩者とはいえ、《二つ名》を持つほどの魔導士だ。仕事など引く手数多だった。
ヤヌスに滞在中、イリティアの泊っている宿には毎日のように仕事の依頼の手紙が殺到し、目を通すのも一苦労だった。
そんな中、ふと1つの依頼書が目に入った。
『家庭教師の依頼・期間は2年・報酬1000万D』
――1000万D!?
思わず声を上げそうになった。2年の家庭教師の報酬としては桁が1つ違う。
1000万Dとは、その気になれば屋敷が買えるほどの破格な金額だ。
依頼内容に目を通す。
どうやら息子が学校に入学するまでの2年間、剣と魔法を教えてやって欲しいという事だ。
確かに魔法使い―――しかも剣も使える二つ名持ちの《魔導士》を家庭教師に招くというのは、一般的には相当、金のかかることとされている。
―――しかし、それにしても1000万はおかしいですね。
しかも依頼主は、アピウス・ウイン・バリアシオンという、弱小氏族のウイン一門の貴族だ。バリアシオン家など聞いたこともない。
似たような内容の依頼は他にもあったが、北の名門、金満貴族として有名なインザダーク家でさえ、およそ半額の600万Dの提示だ。勿論これでも十分破格の額である。
―――およそ正気とは思えないような・・・・。
一種の恐怖すら感じ、イリティアは見なかったことにしようかとも思ったが、流石に屋敷すら買える額の大金の欲望には勝てなかった。
―――とりあえず、1度依頼主に会ってみましょう。
それからでも遅くはないと思い、イリティアはアピウス宛に手紙を出した。
「本日はわざわざありがとうございます。お呼びたてするような形になってしまい申し訳ありません」
「いえいえ、依頼したのはこちらですから」
数日のうちに何度か手紙のやり取りをし、アピウスと会う約束を取り付けた。
本当はイリティアの方から赴こうと思ったのだが、アピウスが先にこちらへ来ると言ってきたので、了承した。
普通は身分が下の者が赴くのがベターなのだが、《二つ名持ち》の魔導士というのはそれだけで貴族待遇の社会的地位があるとも言われる。
貴族と言っても上級から下級まで幅は広く、特にアピウスのような微妙な地位の貴族と、二つ名持ちの魔導士など、どちらの身分が高いかなんて相当曖昧である。
そもそも貴族の中での地位の差も、なかなかにわかりにくい。
12ある貴族一門の力の優劣と、それぞれの家ごとの優劣、そして役職の優劣など、全てを含めて総合的に判断されるのが個人の地位だ。
つまり、たとえ格下の一門相手でも、役職が上位の相手に礼を欠くのは当然失礼な行為に当たる。逆もしかりだ。
これに、貴族と平民が入り乱れる軍人(といっても軍の内部では完全実力主義がとられているが)や、外部で名を上げたイリティアのような魔導士なども加わると、身分関係などカオスな状況になる。
今現在の自分がどのような立場にいるかを、しっかりと見極めることが《ユピテル共和国》の上流社会で生き抜いていくための秘訣である。
今回は依頼している側という事で、アピウスがイリティアの元を訪問することになった。
正直、元の出身が平民であるイリティアからすれば、貴族の身分関係などあまりピンとは来ないので、とにかく相手が誰であっても、無礼なことだけはしないように心掛けている。
「それで、依頼の件ですが」
「はい」
現在イリティアがいるのは、宿泊している宿から少し歩いたところにある高級レストランの一室だ。個室なので、部屋にはアピウスとイリティアしかいない。アピウスは従者を連れてきていたが、部屋の外に控えさせたようだ。
依頼主のアピウスは、イリティアの想像よりは二回りは若い――まだ青年ともいえる茶髪の男だった。
眼鏡をかけた真面目な優男、といった印象だ。
確かに彼が剣を振っているところは想像出来ない。指導内容に《剣術》も含まれていたのは、彼が剣を不得手としていたからかもしれない。
「その、依頼内容は、6歳のご子息に、学校入学までの2年間、剣術と魔法の指導する、というもので間違いありませんか?」
まずイリティアは依頼内容の確認から始める。
もしかしたら、何か内容に齟齬や勘違いがあって、過大な金額になっているかもしれないからだ。
「その通りです」
しかし、やんわりとした表情でアピウスは肯定した。
依頼内容に間違いはないようだ。
「――では、報酬金額が1000万Dというのも、間違いありませんか?」
ゴクリ、と唾を飲み込みながらイリティアは尋ねた。
金額自体を間違えて記載していた、という可能性もある。
「間違いありません」
表情を変えずにアピウスが答えた。
金額に不備がない事に内心喜びながら、しかしまだ安心はできないと思い、焦らず質問を続ける。
「その、私が言う事ではないかもしれませんが、1000万Dというのは、先ほど仰られた業務内容にしては、破格の報酬であるということをご存知でしょうか?」
相場を知らずに依頼をした可能性がある。
そもそもイリティア自身が、自分の2年間の指導に1000万Dほどの価値があるとは思っていないのだ。
「勿論。存じています」
アピウスはこれも肯定した。
しかし、ここまで来ると逆に怪しくなってくる。
アピウスの意図が分からないのだ。
依頼内容も間違っておらず、相場も知っているということは、よほどイリティアの実力を過信しているという事だろうか。
だとしたらこれも聞かなければならない。
「ですが――その、失礼を承知でお聞きしますが、貴家にとっても1000万Dというのは、手放し難い額ではないでしょうか? 私がご子息の指導をお引き受けしたとしても、その額に見合う結果が出るとは限らないのですよ?」
そう、たとえ良い魔導士や優秀な教師を付けたところで、結局結果なんて本人の才能と努力量次第だ。
特に魔法なんてものは才能が物を言う世界だ。大貴族が巨額を投資して子供を魔法使いにしようとして失敗した話なんていくらでも聞いたことがある。
だからこそ、たとえ上級貴族でも学校の入学前に魔法使いの家庭教師をつけることはそれほど多いわけではないし、付けるとしても金額にはある程度の限度を決める。
なにせ、どうせ学校で誰もが魔法を習うのだ。
投資するならば、その後、魔法に適性があると判明した後の方がリスクマネジメントとして合理的だ
アピウスは少し考えてから、言葉を発した。
「確かにイリティア殿の言う通り、1000万《デナリウス》というのは、私――バリアシオン家にとっては大金です。恥ずかしながら、正直に申しますと、我が家から今自由に使える金銭のほぼ全額に相当します」
「―――!?」
アピウスの言った内容に、思わずイリティアは目を見開いた。
自家の財産の話を他者に話すなど、弱みをそのまま見せるようなものだ。しかもおそらく言っていることは本当だ。
自由に使える、ということは生活していくのに必要な分を除いた残りの金額―――つまりは貯金のことだ。
むしろアピウスのような若さの下級貴族が、既に1000万Dの貯金があるのは多いほうだと言ってもいいだろう。
――――しかし。
「だったら、どうして―――?」
反射的に言葉が出てきた。
当然の疑問だ。
先ほども言ったように、イリティアは自分の2年間の指導に1000万Dの価値があるとは思ってはいない。
つまり、イリティアからすれば、アピウスのやろうとしていることは、『最初から負けが決まっている博打』に大金を突っ込むような事と何ら変わらないのだ。
「――イリティア殿はお子さんはいらっしゃらなかったかな?」
イリティアが困惑していると、アピウスから唐突に予想外の質問をされた。
「―――え? あ、はい。いない、ですが」
どもりながら答えると、アピウスは頷きながら語り始めた。
「そうですか。ではいずれ持てばわかると思いますが―――子供というのは親に頼るものです。物を買ってもらい、言葉を教えてもらい、親から社会を学びます」
「・・・はい、そう思います」
それはイリティアにもわかる。
子供は親を見て育つものだ。
「しかし、私の長男――アルトリウスというのですが、彼は昔から親に頼らない子でした」
昔から、という言い分にイリティアは違和感を感じる。たしか子供の年齢は6歳だったはずだ。
「アルトリウスは、3歳のころに言葉を覚えました。私は仕事もあり、あまり詳しくは知らないのですが、妻の話によると、たった数語か数文、文字を教えただけで、気づいたら本を1冊読み切っていたそうです。もちろん絵本などではなく、文章のぎっしり詰まった一般的な小説です。
それどころか、口語に関してはほとんどなにも教えていないのに、気づいたら違和感なく大人と同レベルで話せるようになっていたとか」
「―――そんなことが・・・?」
勿論、子供を育てたことのないイリティアには、平均的に子供がいつ頃文字を覚えるかなどは分からない。
けれども、3歳の子供が分厚い小説を読んでいる姿などは、とてもではないが想像できなかった。
「ええ、信じられないでしょう? 私も初めは半信半疑でした」
眉をひそめるイリティアに、アピウスがクスリとほほ笑む。
「しかし、実際にアルトリウスと接してみると、それが嘘ではないと実感できるのです。彼は1人で言葉を覚え、自分で知識を得て、勝手に社会を知っていきました。
アルトリウスは、好き嫌いもせず、出されたものは残さず食べます。誰かに世話になるたびにお礼を言います。何か悪いことをしてしまったら、まあ滅多にしませんが――きちんと謝ります。
これらは当たり前のことに思えるかもしれませんが、私や妻は、別に彼に何も教えていません。食べ残しをするなとか、きちんと挨拶をしなさいとか、私はアルトリウスに言ったことはありません。彼が自分で判断し、そう心掛けているのです」
「――――――」
イリティアは言葉を失くす。完全に信じたわけではないが、アピウスが嘘を言っているようにもみえない。
だが、アピウスの言っていることが本当だとすると、彼の息子アルトリウスは、天才や神童と呼ばれる類の子供だ。
アピウスは続ける。
「本当に手のかからない息子でした。きっとこれからアルトリウスは成長するにつれて、より色々なことを1人で学び、より色々なことを1人でできるようになっていくでしょう。
私がアルトリウスに与えている物といえば、着る服と、食べる物と、住む場所だけです。しかしこれは親として本当に必要最低限のものですし、いずれ彼が独り立ちすればなくなっていくものです」
語りながら、アピウスはどこか寂しそうな表情をしているようにも見える。
「だから―――アルトリウスが『魔法を学びたい』と漏らしたと聞いたとき、私と妻は思いました。これを逃したら、2度と親らしいことができないんじゃないか、と。なにせ本当にわがまま1つ言わない子でしたから」
アピウスは再び、クスリとほほ笑む。
「そして、私と妻は話し合って、決めました。『魔法を学びたい』という息子が初めて言ったわがままを―――全力で叶えようと」
アピウスのその目を見て、ようやくイリティアは理解した。
イリティアの実力を評価しているなんて、とんだお門違いの話だったのだ。
「―――先ほどイリティア殿は《結果》が伴うかわからないのに、と言われましたが、《結果》なんて関係ないんです。簡単な話――今私に出せる金の限界値が1000万Dで、今首都で空いている魔導士の中で最も優秀なのが貴方だ。だから私は貴方に1000万Dで依頼をしたのです」
満足げに、アピウスが話し終えた。
「――――」
イリティアは押し黙る。
正直に言えば、イリティアは彼に圧倒された。
親としての義務感、いや、それよりも、息子に対する愛情の深さにだろうか。
――――ああ、これは決して割のいい仕事なんかじゃないですね。
イリティアは思った。
――――むしろ、私は試されています。
――――お前に、1000万Dの仕事ができるか? と。
――――お前に、息子を師事するだけの、覚悟があるか? と。
勿論、アピウスにそんな他意はない。「結果は関係ない」と言ったのは額面通りの意味だ。
ただ彼は、息子の願いを全力で叶えるため、できる中で最もいい環境を与えようとしているだけだ。
だが、その愛情の深さが、イリティアに対して無言のプレッシャーになっていたのだ。
―――いいでしょう。
イリティアは覚悟を決めた。
「1つだけ、条件があります」
これは、挑戦だ。
「―――なんでしょうか?」
「報酬は、後払いでお願いします。2年後、仕事が終わった後に、報酬を受けるに値する働きができたと思ったときのみ受け取ります」
自分自身に挑む、挑戦だ。
「いや―――しかし―――」
「大丈夫です」
抗議するアピウスに、イリティアは静かに言った。
「―――絶対に受け取ってみせますから」
こうして、イリティア・インティライミはバリアシオン家に呼ばれることになった。
思ったより長くなっちゃいました。
1D=1€くらいのイメージ。だけど多分そんな高くない。
読んでくださりありがとうございました。合掌。