第64話:間話・膠着する戦線
何話か間話を挟みます。
まずはシルヴァディとアルトリウスが北方山脈を目指していた時期の、カルティアの様子です。
都市『ミオヘン』。
カルティアにおける、ユピテル軍の前線都市となったこの都市の将軍府―――つまりはユピテル軍の参謀本部と化した建物において、最上階に位置するのが、ラーゼン・ファリド・プロスぺクターの御座する司令官用の執務室である。
司令官室といっても、中は大して広くもなく、豪奢な家具が使われているわけではない。
あるのはただ丈夫な事務机と、椅子だけだ。
そんな椅子に座るのが、この部屋の持ち主にして、現在このカルティアに進行している大軍の司令官、ラーゼン・ファリド・プロスペクターである。
彼は、眼鏡の奥の目を閉じながら、すぐ正面に立つ男――迅王ゼノンの報告を聞いていた。
「―――以上の事から、やはり現在カルティアの部族は、ある程度まとまった動きをしていると考えていいかと」
ラーゼンが最も信用する部下から報告された内容は、今現在、ユピテル軍が苦戦している理由に直結する内容だった。
カルティアに侵攻し、勢いのままミオヘンと、ここら一帯を擁する大きな部族を無力化することはできたが、それ以上の侵攻があまり芳しくないのだ。
理由としては、正面切っての会戦が避けられているせいで、勝敗を分かつ短期決戦ができないこと。
あるいは、攻勢の主軸であるラーゼンの剣、シルヴァディが前線から抜けていること。
はたまた、カルティア側が、ゲリラ戦を展開することにより、西部からの森林の踏破が出来ていないこと。
理由などいくらでも考え付くが、なによりも重要なのは、相手のカルティア兵が、以前よりも足並みを揃えて動いていることだろう。
「・・・やはり、何者かによってカルティアの全部族がまとめられたと考えたほうがいいな」
思考の末、ラーゼンが言った。
これまでカルティアは、部族ごとに分散され、戦力も地力も、ユピテル軍よりも劣った状態で戦ってきた。
だが、少し前から、カルティアの動きは変わった。
数を揃えるという点でも、部隊編成という点でも、戦闘をする場所においても、いくつかの部族が協力しなければできないような状況と何度も対面したのだ。
その言葉にゼノンが顔をしかめる。
「・・・あの血気盛んな連中をまとめ上げるとは、よほどの豪傑ではないと務まらないと思いますが」
「豪傑・・・というよりはむしろ策士なような気がするな。私と同じタイプだ」
ラーゼンが答えた。
ラーゼンからしたら、自分がカルティア軍を率いるのならば、こうするだろうという事を、今のカルティア軍は行っている。
「たしかカルティアには・・・戦闘だけではなく、知略に長けた部族もいくつかあっただろう? その中の誰かが上手く丸め込んだんだよ」
「確かに、そう考えれば自然ですが・・・厄介極まりないですな」
「そうだなぁ・・・」
ラーゼンは再び思惑する。
このような展開になるならシルヴァディを《鷲》の捜索に回したのは早計だった気もするが・・・あれも必要なことだ。
「―――とりあえず、シルヴァディが戻ってくるまでは現在のラインを維持するしかないな。幸い、奴らはとことん守勢に回るようだし―――どちらの方面でも突破は難しいだろう?」
現在のユピテル軍の戦端は二方面。
西の森林地帯と、川を挟んで東の平原地帯。
森林地帯の方は、潜伏からのゲリラ戦のせいで、少数の部隊にしてやられている。
平原地帯は、逆に残りの兵力の全てを投入しているようで、正面からの突破は難しい。
森林にしろ、平原にしろ、今のユピテル軍には攻撃力が不足しているのだ。
そういう意図のラーゼンの指摘に、ゼノンが少し考えてから答える。
「・・・そうですね。例の部隊を使うという手がありますが・・・」
―――例の部隊。
現在、新兵上がりから再編成している部隊だが、その中でも新しい試みを加えた部隊である。
確かにその部隊を運用すれば、現状を打破する一手にはなるかもしれない。
だが・・・。
「あれはまだ指揮官がいないんじゃないのか? シルヴァディの娘では流石に厳しいだろう」
例の部隊はまだ編成中であり、練度も低ければ指揮官も決まっていない。
使える段階にあるとは言い難い。
すると、ゼノンが少しニヤつきながら進言した。
「命じてくだされば私が行ってきますが」
―――ゼノンを攻勢に使う。
確かに彼が行けば、現在の膠着状態を打破することは容易だろう。
しかも、例の部隊を率いる必要もない。
彼単体で十分突破口となるほどの戦力がある。
なにせ、迅王ゼノンは、八傑であるシルヴァディが同等と認めるほどの実力者なのだ。
だが、彼を前線に送ることはできない。
ラーゼンはため息を吐きながら言う。
「ダメだ。分かっているだろう? 君は私の盾だ。私から離すわけにはいかない」
天剣シルヴァディをラーゼンの「剣」とするのなら、迅王ゼノンはラーゼンの「盾」。
内部や外部を問わず敵の多いラーゼンにとって、ゼノンを自身の傍から離すという選択肢はない。
例えどれほど安全な地に居ようとも、暗殺やテロの可能性を0にはできないのだ。
それに、ラーゼン自身は卓越した知力とは裏腹に、戦闘力は皆無である。
剣などもう10年は握っていない。もしも襲われたら、そこらへんの町娘にだって負ける自信がある。
「わかっています。冗談ですよ」
そんな主君に、ゼノンは苦笑する。
彼とて自身の役割は分かっているのだ。
「どうせあと1か月もすればシルヴァディは帰ってくる。焦らなくてもこれは勝ち戦だ。下手に突出してリスクを冒す必要も―――」
と、ここでラーゼンが言い聞かせるように語りだしたところで、部屋の扉がコンコンと、鳴らされた。
来客だ。
「―――閣下! マティアス・ファリド・プロスペクターです! 入室してもよろしいでしょうか!」
「・・・入れ」
「失礼します!」
ラーゼンが許可をすると、高らかな声を上げながら、1人の青年が入室してきた。
年のころは20代中盤。ユピテルでは珍しい銀髪である。
ゼノンは側面に移動し、青年の場所を空けた。
青年は、ゼノンにも軽く会釈をし、ラーゼンの正面に立つと、右腕を胸にトンと当ててから右斜め上にビシっと突き出す。軍隊式の敬礼だ。
「マティアスか、どうした?」
青年の名は、マティアス・ファリド・プロスペクター。
名前からもわかる通り、ラーゼンの親族―――正確に言えば、甥にあたる人物だ。
ユピテル軍の参謀の1人として従軍している。
「ハッ! この度は閣下に、是非とも攻勢の許可をいただきたいと思いまして!」
マティアスは、直立不動のまま進言する。
プロスペクター家の人間にしては珍しく、マティアスは長身だ。
「攻勢ね・・・この状況下で攻勢とは・・・いったいどのように攻めるつもりだ?」
ラーゼンからしたら、先ほどゼノンと話していた通り、カルティア軍に対して攻勢を仕掛けるのはいささか悪手である。
何かこれといった作戦がない限り許可するつもりはなかったが・・・。
「ハッ。私は、火攻めをしようと考えております」
マティアスが答えた。
「・・・ほう」
ラーゼンは思案する。
皆まで聞く必要はない。
「火攻め」――この単語だけで、マティアスの考えは概ね察した。
つまりは、森林地帯を火によって焼き、平原地帯と同じにしてしまおうということだ。
乱暴な作戦ではあるが、実現するならば確かに有効だ。
無論、森を焼くなど、資源を損なう行為であり、生産的ではないが―――。
「いいだろう。採用する」
ラーゼンは許可することにした。
すぐに対面の青年が、反応する。
「ありがとうございます! つきましてはその指揮権を―――」
「構わない。マティアス、お前がやれ」
「ハッ! 承りました! ではすぐにでも、準備に取り掛かります!」
そう言って、マティアスは敬礼をしたのち、急ぎ足で部屋を後にした。
バタン、と閉まる扉を見ながら、ゼノンが静かに言った。
「・・・よろしかったのですか?」
「なにがだ? 別に作戦自体に試してみる価値はあるだろう」
「いえ、そうではなく・・・ご子息を後継者にするつもりだったのでは?」
ゼノンが言いたいのはつまり、マティアスが指揮官として手柄を立てることによって、ラーゼンの後継者の地位を息子――オスカーが継承しづらくなるのではないか、という事だ。
マティアスはオスカーより年齢も高く、剣にも優れる。
プロスペクター家にしては珍しい逸材だ。
兵からの信頼も厚い。
それに加えて、功績まで上げてしまったら、もしかすると彼を後継者にしようという声が強くなるのではないか、ということだ。
彼自身、野心がないわけでもないだろう。
そんなゼノンの意図を汲み取った上で、ラーゼンは答えた。
「・・・オスカーに私の後は無理だろう」
そんな言葉に、ゼノンは意外そうに眉をあげる。
「ほお? 私からみれば、ゾッとするほど貴方に似て、頭のいい子だと思いますが」
無論、ラーゼンから見ても、オスカーは聡い。
賢く、判断力もあり、驕りもない。
ラーゼンの専売特許である権謀術策の才も充分にあるだろう。
「確かにオスカーは頭は良い。平時であれば、いい執政官になっただろう。だが、私の後を継ぐという事は、兵を率いる立場にもならなければならないという事だ」
「別に、彼も戦略や戦術の類には優れていると思いますが」
「そう言う問題じゃない。アレは私に似て、随分とひ弱だ。戦場に出ればすぐに命を散らすだろう。そして、ただ後方で指示だけをする人間に、兵は従わない」
「・・・なるほど」
ラーゼンは重要な場面―――特に、勝利を決める一大決戦のとき、必ず前線まで赴く。
陣頭に立って指揮を執るのだ。
だからこそ、兵は彼に従い、彼を敬い、彼について行く。
敵対勢力の門閥派の貴族子弟ですら彼に心酔するのは、そういった彼の英雄的行動に一因がある。
そして、ひ弱なラーゼンが前線に行くことを可能にさせているのが、ゼノンとシルヴァディの存在だ。
最強の剣シルヴァディと、最強の盾ゼノン。
例えラーゼンが陣頭にいたとしても、ゼノンがそばにいる限り、討たれることはない。
そして、先陣にシルヴァディがいる限り、倒せぬ敵はいない。
剣だけでも、盾だけでも意味はない。
2人がそろっているからこそ、ラーゼンは自身の欠点を補って余りある結果を出しているのだ。
オスカーが例えラーゼンほどの知力を持っていたとしても、彼には迅王と天剣はいない。
だが逆に言えば―――
「・・・つまり、ご子息にも、剣と盾―――私とシルヴァディのような存在がいれば、問題は無いのでは?」
「まあ、そうだが・・・私が君やシルヴァディを得られたのは本当に運が良かったからだ。そう簡単には見つけられないだろう」
なにせ、八傑と、それと同等の強者だ。
この2人を得ることは、執政官になるよりも難しい。
逆に、この2人さえいれば、執政官になることすら容易だ。
否定的なラーゼンに対し、ゼノンは言う。
別にいくらでも解決策はあるのだ。
「今の内から有望な若手の武官を付けてやればいいではないですか。シンシアなど、最適かと」
シンシアは、最近成人したばかりのシルヴァディの娘だ。
才も豊かであり、弟子というほどではないが、時折ゼノンが面倒を見ているだけあって、若手の中だと抜きんでた実力を持っている。
将来的には、二つ名が付くほどの魔剣士になるだろう。
オスカーの剣として傍に置いておくのは、それほど悪い考えにも思えない。
しかし、ラーゼンは首を振る。
「命を預ける相手は自分で見つけるものだ」
「・・・なるほど」
彼らしい回答に、ゼノンは苦笑するしかなかった。
ラーゼンは、ゼノンやシルヴァディのいない自分などは、大したことができる人間ではないと思っている。
オスカーにしたってそれは同じだろう。
剣と盾がないならば、後継者などにならない方が良い。
表舞台にすら昇らない方が良いだろう。
この世界で上り詰めるには『力』というのはそれほど重要な意味を持つのだ。
そして、もしもオスカーが自分自身の力で、剣と盾――命を預けれるような人物を味方につけたなら―――そのときはどれほどマティアスが功績を上げていようとも、オスカーの後継者の座は揺らがない。
ラーゼンにはそういう確信があった。
―――まあ、どちらにせよ、このまま行くと「独裁者」の後を継がせる事になりそうだがね。
そんなことを思いながら、ラーゼンはほくそ笑んだ。
マティアスはラーゼンの弟の息子です。
戦争が得意で、腕っぷしも文官にしては相当あります。なので兵士からは人気があります。
迅王ゼノンは八傑ではありませんが、実力はシルヴァディと同じくらいです。
読んでくださり、ありがとうございました。合掌。




