第60話:山脈の悪魔
『山脈の悪魔』は、北方山脈全域に枝を伸ばす、一大勢力である。
どのような勢力であるかといえば、表現するのは難しい。
構成員の人種はバラバラで、蛮族と言われる部族もいれば、辺境の王国の人間や、民主主義国家の出身の者もいる。
構成員の身なりは一見、盗賊や野盗と大して差はないが、かといって、無用に旅人を襲う事もない。
そこらの集落の民からは恐れられてはいるものの、意味もなく略奪や搾取をすることもない。
故に、一大勢力。そうとしか言われない。
とはいえ全く悪事に手を染めていないというわけでもなく、近場のユースティティア王国や、ユピテル共和国の上層部の人間のバラされたくない事情を握り、恫喝まがいに資金を確保したり、貴族の亡命に手を貸したり、違法に密輸の手引きなどをすることもある。
それを可能とするのは、『北方山脈』という自然の要害を、隅から隅まで知り尽くす彼らの『案内人』としての能力の高さである。
どんな時期でも、どのようなルートからでも、彼らにかかれば山脈を抜けることは難しくはない。
それゆえ、彼らは国外への亡命をしたいお偉いさんや、時には正式な国の政府とも密な関係を築き続けてきた。
強きはくじくこともあるが、弱きを助けるわけではない。
盗賊ではないが、義賊でもない。
それが、『山脈の悪魔』という一大勢力である。
もちろん、ただ、案内ができるというだけで彼らが常に地位を保ってこられたわけではない。
彼らが一大勢力としての権威を保ち続けてきたのは、彼らの依頼の完遂力と、その仕事に対するプロ意識である。
一度引き受けさえすれば、依頼の成功率はほぼ100%。
依頼人のプライベートも漏らさない。
ゆえに、国や政府からも信用を集めるのだ。
依頼達成率をここまで高めているのは、彼ら1人1人が、過酷な山脈で生活するに足る身体能力を持ち、山での戦闘であれば、精強な魔剣士と戦っても引けを取らないほどの戦闘力をもつから、という理由もある。
なにせ、彼らには敵対勢力も多い。
悪事の依頼によって、被害者から訴えられたこともある。
それらを黙らせるには、それ相応の力が要るのだ。
そんな『山脈の悪魔』の中でも最強と言われるのが、三代目頭領にして、『北虎』の異名を持つ、グズリーという男だ。
『山脈の悪魔』の拠点は地下にある。
山々をトンネルのように掘り進み、長い時間をかけて空間を広げてきた。
アリの巣のように広がるトンネルは、今や山脈中に連なっており、これこそが、『山脈の悪魔』を一大勢力とたらしめてきた一因である。
そんな地下室の一室・・・執務室のような空間に、1人の男が座っていた。
色黒の肌に、椅子が似合わないほどの巨体。
紺色の短髪と、同じく紺色の無精ひげが目立つ、中年男。
そして、簡素な紐で背中に帯びられた1本の長剣。
彼こそが、『北虎のグズリー』。
北方山脈最強の男である。
グズリーは難しい顔をしながら、書類に目を通していた。
武人ではあるものの、彼は1つの集団を預かる頭領である。
剣ばかり振っているわけにもいかない。
特に、最近は『カルス大橋』が落ちたせいで、『山脈の悪魔』に頼る人間が大幅に増加した。
つまりは仕事が増えたのである。
仕事が増えるという事は稼ぎも増えるという事で、本来ならば喜ぶべきことであるのだが、素直に喜べないこともある。
それは、余計な仕事まで背負ってしまうリスクが増える、ということだ。
『山脈の悪魔』は慈善団体ではない。
無用に罪のない人間を襲ったり、貶めたりすることはないが、積まれる金の量によっては人も殺すし、密輸もする。
そういった中で上手いこと立ち回り、際どいラインで勢力を拡大し続けているのだ。
そしてそれが可能であったのは、きちんと行うべき仕事を精査してきたからに他ならない。
だが、最近は依頼の数が増えすぎて、その精査がおざなりになりつつあるのだ。
世の中には手を出してはいけないヤバイ件というものがいくつか存在する。
そういった事柄には、関わるべきではないのだが・・・。
現在グズリーが目を通しているのは、増加した仕事の整理が追い付かないまま、部下が二つ返事で承諾してしまったある貴族からの『案内』の依頼である。
依頼人の名は『ギレオン・セルブ・ガルマーク』。
ユピテル共和国の貴族だ。
上級貴族の1人であり、かなりの金満貴族であるギレオンは、昔から何かと黒い噂の絶えない男だ。
何度か『山脈の悪魔』も彼の悪事には関わっており、今回もその一端かと思っていたのだが――。
―――どうも今回ばかりは、きな臭い。
グズリーはそう考えていた。
まず、ギレオン自身がわざわざユピテル共和国の外まで出てくるほどの案件であることが異常だ。
いつもならば、彼自身は指示を出すのみで、実務は『蠍』という男がやっていたのだ。
そして、膨大な額の依頼料。
たかだか、一度の『案内』には見合わない量の額が提示されたのだ。まるで断ることは許さないとばかりの額だ。
―――これは、ヤバイかもなぁ。
長年の勘か、偶然か、ともかくグズリーはそう考えていた。
「――失礼します」
不意に、執務室のドアが開いた。
頭領の執務室に自由に出入りできる人間は限られている。
扉から現れたのは、頭にバンダナを巻き、腰には1本の剣を帯びた20代中盤の青年だ。
「センリか、どうした」
入ってきたバンダナの青年は『浮雲のセンリ』。
グズリーの腹心にして、実質的な『山脈の悪魔』のナンバー2である。
しかし、腹心とはいえ、呼んでもいないのに彼が執務室に来るなど、よほどの火急の要件があるのだろう。
嫌な予感を感じながら、グズリーはセンリに報告をするよう促した。
「ハッ! 現在、南口方面の穴倉より、伝令が参りました。『天剣』シルヴァディを名乗る男が、頭領へのお目通りを願っていると――」
「―――なに!?」
『天剣』シルヴァディ。
ある程度武術をたしなむ者でその名を知らぬものはいない。
大陸最強と呼ばれる最強の8人『八傑』に名を連ねる、現ユピテル軍最強の魔導士。
四大流派全てを達人の域まで収めた天才にして鬼才。
グズリーからしたら、以前辛酸を舐めさせられた相手でもあるが・・・。
「シルヴァディ1人か?」
「いえ、少年を1人だけ連れています。一目見たところ脅威には感じませんでしたが・・・」
「そうか・・・」
グスリーはその少年に心当たりはない。
しかし、以前シルヴァディが来たときは、『迅王』との二人だった。
そのときも『迅王』の力を舐めていたせいで、敗北し、奴らの要求を呑む羽目になったのだ。
「現在は、ターシャが対応していますが、どうしますか?」
「・・・通せ。大広間だ」
「ハッ!」
センリは返事をすると、慣れた動作でそそくさと執務室を後にした。
「・・・ふう」
―――どうやら、いつの間にやらヤバイ件に首を突っ込んでいたらしい。
グズリーはため息を吐きながら、立ち上がった。
しかし、ヤバイ件だとしても、グズリーは・・・『北方の悪魔』はもう既に引き受けてしまっている。
契約を反故にして、依頼人を裏切るのは、我々の流儀に反する。
シルヴァディの腹積もりはわかっている。
どうせ力づくですべてを解決しようというのだろう。
『八傑』はどいつもこいつもそんな奴ばっかりだ。
「・・・だが、いつもそう簡単に思い通りになると思うなよ?」
誰もいない執務室で、低い声のみが響いた。
● ● アルトリウス視点 ● ●
今俺たちがいるのは、北方山脈のふもとから馬に揺られて3時間。
さらに徒歩で2時間ほど進んだ場所だ。
厳密にいえば、そこからさらに動いたのだが、正直方向感覚も時間間隔もあまり機能していないので言及は避ける。
なにせ俺たちは地下道を歩いているのだ。日の位置で大方の時間と方角を判断していた俺にとって、地下というのはどうにも感覚が狂う。
「山脈の悪魔の居場所は分かる」と自信満々に言うシルヴァディについて行った先は、何やら怪しい地下施設の入り口だった。
どうやらここが『山脈の悪魔』のアジトであるらしい。
『山脈の悪魔』は、北方山脈中にアリの巣のように張り巡らされた地下空間を根城にする巨大な地下組織だったのだ。
門番を(シルヴァディが)軽く脅し、半ば殴り込む形で入り口に侵入。
少し緊張していた俺が馬鹿らしくなるような、傍若無人なふるまいだった。
俺たちの侵入を止めようとしてくる兵士たちを(もちろんシルヴァディが)軽く蹴り飛ばしながら奥へと進むと、目の前に悠然と佇む白髪の女性が現れた。多分20代くらいだ。
その女性を見るなり、シルヴァディが口を開いた。
「よう、ターシャ。久しぶりだな」
「・・・ええ、本当に。ところでアポも取らずに殴り込みなんて、いったい何の用ですの? いかに天剣といえど、これ以上の好き勝手は許せませんよ?」
シルヴァディ相手に気丈に相対するこの女性が《白蛇》ターシャであるらしい。
『山脈の悪魔』で注意するべき3人のうち1人だ。
「はんっ。以前軽くかわいがってやったのに、まだこりてねえようだな」
「――っ! いつまでも《八傑》が最強だと思わない方がよくてよ!」
「ほう、試してみるか?」
流石は二つ名持ちというところだろうか。
シルヴァディ相手に臆することなく舌戦ができるのは素直に尊敬する。
しかしそのおかげで入って早々、まさに一触即発の状態。
あわやもう戦争か?
と、俺が内心焦っていると、地下道のさらに奥から、1人の若い男が現れた。バンダナをした青年だ。
「天剣殿、頭領がお会いになるそうだ。ついてきてもらおう」
これまた青年も気丈に言い放つ。
見るからにそこそこ偉そうだし、彼が《浮雲》センリかもしれない。
彼の登場で、場のピリピリとした空気は収まり、シルヴァディも大人しく了承した。
そこからは彼と、ターシャに連れられて、とんとん拍子で、地下道を通された。
それなりに地下道は広く、壁には一定間隔で扉がついている。
部屋がいくつもあるのだ。
地下道は、天井に照明の魔道具が設置されており、明るさもそこそこ確保されている。
分かれ道を何度か曲がり、階段を降りる。
先ほどまで俺たちを止めようとしていた兵の姿はもう見えない。
どちらかというと静かすぎるような気はする。
俺はというと、案外落ち着いている。
むしろ地下施設というものに一抹の憧れすら抱いていたせいで、魔法で似たようなのが作れないか考えるお気楽ぶりだ。
でもやはり、俺がこれほど落ち着いていられる根源は、隣に金髪のオールバックの男、天剣シルヴァディがいるからだろう。
なんだかんだで、俺はこの人の強さを信頼しているのだ。
もっとも、当のシルヴァディは少し考え込むように難しい顔をしている。
なにかまずいことでもあったのだろうか。
シルヴァディがそんなだと、俺まで不安になるからもっと堂々としていて欲しいのだが。
「あの・・・」
「着きました」
俺がシルヴァディに声をかけようとしたところで、センリの声が響いた。
どうやら目的の場所に着いたらしい。
流石に俺もお気楽気分をリセットして、唾を飲み込む。
そして、ガチャリと大きな扉が開いたその先には――――。
「――ちっ・・・そうきたか・・・」
その光景を見た瞬間、シルヴァディが歯噛みした。
俺も、思わず目を見開く。
そこは、広間だった。
まるで地下の空間だとは思えないほどの大広間。
小学校の体育館くらいはあるかもしれない。
しかし、驚くべきはそこではない。
俺を戦慄させたのは、その広間に、大量に立ち並ぶ男たち。
俺たちの正面に、軍隊のように綺麗に列を作って、広間いっぱいに並ぶ男たちだ。
その数を、瞬時に数えることはできない。
だが、誰もが、体に鎧を着て、腰には剣を指していることが分かる。
彼らの目線は全て俺とシルヴァディに注がれており、それが冷ややかなものであることに気づくのは難しくない。
どう考えても歓迎されている雰囲気ではないという事だ。
―――これ完全に全面戦争する気満々だよな・・・。
正直俺は、戦うとしても3人だけと戦うのだと勝手に想像をしていた。
100人だか200人だか知らないが、明らかに武装している大量の戦闘員は俺の計算には入っていない。
シルヴァディも、ここまで臨戦態勢をとられているとは思っていなかっただろう。
先ほどの歯噛みはそういうことだ。
そして、そんな列を作る男たちより、一歩前。
凄まじき存在感を放つ大男がいた。
熊のような巨体に、紺色の髪と髭。
背中に背負った長剣。
―――強い。
ぱっと見で強者であることが分かる。
イリティアよりも上。そういわれても確かにこいつなら納得できる。
俺には届かない次元だ。
つまりは、おそらく、こいつが《北虎のグズリー》だ。
いつの間にか、グズリーの左右にそれぞれターシャと、先ほどここまで俺たちを案内したバンダナの青年がいた。やはり彼が《浮雲のセンリ》だろう。
「よく来たな、天剣」
正面。
大男が声を発した。
どこか威厳の感じられる低い声だ。
俺の額から冷や汗がこぼれる。
「・・・よう、グズリー」
シルヴァディが苦虫を噛み締めるように答えた。
いつものように、飄々とした態度ではない。
やはりこれほどまで完全に臨戦態勢を整えられているとは思っていなかったのだろう。
大して、グズリーは余裕な様子で声を上げる。
「今日は何の用だ? ユピテル軍の最高戦力が、こんなところまでわざわざ来るなんて、相当な用事なのだろう?」
まるで見透かしたような、そんな声だ。
シルヴァディは瞳をギラつかせながら話し出す。
「・・・知っているだろ? ギレオン・セルブ・ガルマークという男と奴が盗んだ《鷲》を探している。引き渡しを願いたいと思ってな」
「ふむ。ギレオンね・・・」
グズリーは、数秒考え、そして言い放った。
「――いや、知らんな。何かの間違いじゃないか?」
刹那、場に戦慄が走る。
別に2人以外は言葉を発しているわけではない。
だが、誰もが背筋に緊張が走っていることがわかる。
無論、俺も含めてだ。
「・・・グズリー、てめえ」
シルヴァディの声色も、どこか張り詰めているような気がする。
ギレオンの事を知らないというのが嘘だということは、俺にも分かった。
グズリーの言葉の裏には、どこか、こちらを挑発するような声色が含まれていたようにも思えるのだ。
シルヴァディはナメられたと感じているのかもしれない。
「用はそれだけか? だったら悪いがお引き取り願おう。我々も暇じゃないんだ」
グズリーはぬけぬけと言い放つ。
だが、それは一種の意思表明なのだろう。
何があろうと、ギレオンを渡さないという――。
「・・・嫌だと言ったら?」
対して、シルヴァディも引く気はないようだ。
俺としてはもういいからさっさと帰りたいのだが、如何せん、俺はこの命の恩人と運命共同体となっている節がある。
そして、数秒の静寂の内――グズリーの声が響いた。
「―――無論、力づくでも」
そのグズリーの言葉に、シルヴァディは獰猛に笑った。
「―――よく言った」
瞬間―――。
―――戦闘が始まった。
迫りくる人。
走る兵。
響く怒号。
全てが一直線に俺とシルヴァディを飲み込むかのように波となって押し寄せる。
「坊主、作戦変更だ。3人とも俺がやる。お前はその他をなんとかしろ」
そんな大群を前に、底冷えするほどの冷めた声で、シルヴァディが言った。
瞬間、目の前を黄金の影が、矢のように迸った。
シルヴァディが動いたのだ。
前を向くと、人の群れを吹き飛ばしながら、一直線に《北虎》の元へ向かっているようだ。
しかし、男たちの群れは、突進してくるシルヴァディには目もくれず、俺の方へ迫ってくる。
なるほど、もしかしたら初めからこの軍団は、俺だけを処理するために用意されたのかもしれない。
とんだ過大評価である。
―――なんとかしろ、ね。
シルヴァディがどこまで考え、そういう判断をしたのかはしらないが・・・。
できるかはわからない。
だが、覚悟は決まっている。
命を助けられたんだ。
おまけにこの短期間に俺だけ色々なものを教わっている。
だったら、その恩は、返さなきゃいけないよな。
「―――了解」
俺は短く呟いた。
読んでくださり、ありがとうございました。合掌。




