第42話:オスカーのお願い
オスカーを自室に招いた。
「バリアシオン君。君に頼みがあるんだ」
そう言いながら、オスカーはイスに腰掛ける。
彼はくたびれきった顔をしている。
いつも人前では、快活でイキイキとしていて、こんな表情をするオスカーは珍しい。
「あ、ああ、内容にもよるが・・・俺にできる範囲のことなら聞こう―――ていうか大丈夫か? ひどい顔だぞ?」
「ああ、大丈夫だよ。色々とゴタゴタしていてね。あまり寝ていないんだ」
彼の眼鏡の下には、黒いくまがうっすらとみえる。
「体調のことはいいんだ。それよりも、頼みの内容を聞いて欲しい」
「あ、ああ」
鈍痛な面持ちでオスカーはこちらを向く。
俺は身構えたが―――しかし飛んできたのは、俺の予想だにしない内容だった。
「僕と一緒にカルティアへ来て欲しい」
「―――!?」
ある程度大きな話であることは覚悟していた。
なにせ、夢の中のルシウスはエトナが反対するとか言っていたからな。
それに、カルティアへ行くということは、カルティア遠征で従軍している『天剣』と『迅王』に出会うチャンスもある。
確かにルシウスの話の筋は通っている。
しかし、そもそもカルティアへ来て欲しいとはどういうことだ。
カルティアは絶賛戦時中なはずだ。
成人してもない子供が徴兵されるほど戦況が圧迫しているのか?
未だに援軍のひとつも要請されていないはずだが。
「もちろん、理由を説明するよ」
もともと、二つ返事で了承されるとは思っていなかったのだろう。
困惑する俺を尻目に、オスカーは語り出した。
直接的な事の発端はオスカーの叔母の死だ。
元々ここ数年は病気にかかり、長くは持たない身体だったようだが、ついに先日、亡くなったようだ。
そして、そのことをオスカーの父であり、カルティアに遠征しているラーゼンに報告しなければならない。
その使節の代表に、なぜかオスカーが選ばれてしまったのだ。
「いや、ちょっとまて、わざわざ妹の死を告げるためにそんな大げさな使節を送ったりするのか?」
確かに、身内の死は一大事かもしれないが、わざわざ使節を組むほどの事なのだろうか。
戦況の報告や、物資の補給などで頻繁にカルティアとユピテルを往復する『伝令兵』に伝言を頼むだけで済む話だ。
わざわざ公式の使節を派遣する意味がわからない。
「それがさ、この件の背景には裏話があるんだ」
さらに、苦悶の表情を浮かべながら、オスカーは内容を話し出す。
まず、オスカーの叔母にしてカルティア司令官ラーゼンの妹―――ライラ―――はネグレド・カレン・ミロティックという大貴族に嫁いでいる。
確か、ネグレドというのはカレン氏の筆頭貴族。
ヒナの祖父だったかな?
あれ、ということはヒナとオスカーは親戚!?
「あぁ、嫁いだ―――といっても3人目の妻だ。年齢差も相当あるよ。なにせ政治的な意味だけの結婚だ。二人の間に子もいない。ネグレド閣下はよくしてくれたみたいだけどね」
ああ、政略結婚ね。
確かに大貴族ともなれば婚姻による同盟もまだ残っていると、ヒナが言っていた気がする。
「じゃあ、その政治的な意味・・・というのが今回の件が厄介な理由だと?」
「そうだ。さすがはバリアシオン君だね」
オスカーは会うたびに何度も聞いたセリフで相槌をうち、続きを話し出す。
ユピテル共和国では民衆派と門閥派が、長きにわたって対立している。
今までは、門閥派優勢ではあるものの、元老院による決定が迅速に行われ、政策は問題なく実行されてきた。
「だけど、近年になって、民衆派がだんだんと力を伸ばしてきた。元老院でも意見が分かれる上に、2人の執政官すら毎回派閥が変わり、満足に政策が実行できなくなっている。まさに政治的停滞だよ」
ふむ、偏りがあったとしても、門閥派による少数寡頭制のほうが、統制力はあったということか。
オスカーは続ける。
「求心力を失くした元老院に代わり、民衆が期待したのは、実力のある個人だ。それこそ、元老院の意見にも左右されず、確固たる意志と実力で国を引っ張っていけるようなリーダーさ」
オスカーは少し自嘲げに話す。
「そんなやりだまに担ぎ上げられたのが、僕の父、ラーゼンだ」
ラーゼン・ファリド・プロスペクター。
俺でも聞いたことがある。
ユピテル共和国が直面していた、属州との関税問題や、あぶれた自作農の問題を、元老院と相方の執政官をねじ伏せて解決した優秀な執政官だ。
まだ若く、能力も高いうえに、民衆からも圧倒的な支持を集めている。
「そのせいで―――父は元老院―――というより門閥派から、ある疑念を抱かれる」
「疑念?」
「ラーゼン・ファリド・プロスペクターは、クーデターを起こし、独裁者になろうとしている、とね」
「―――」
彼にしては低い声が部屋に響いた。
独裁者――――。
俺はこの国の人間が、独裁を嫌い、民主制を愛していることを知っている。
なにせユピテル共和国は、独裁国家を倒したうえで、反面教師のように建国された民主主義国家なのだ。
まあ、俺に言わせれば実態は少数寡頭制だが、それでも彼らは投票で選ばれたことに変わりなはいのだ。
考え込む俺に対して、オスカーは表情を変えずに続ける。
「そしてようやく、叔母さんの婚姻と話が繋がる」
「・・・・婚姻による、友好の証明」
俺が呟くと、オスカーが頷く。
「そういうことだね」
どうやら、ラーゼンは、元老院、門閥派との友好を示すために、門閥派の有力貴族にして、伝統的に元老院からの信頼も厚い、カレン・ミロティック家と婚約による同盟をしたようだ。
「しかし、それでも、門閥派の疑いは止まらなかった。疑念は不安に変わり、降り積もった不安というのは―――人を動かすには十分だ」
「つまりは、言論ではなく・・・暴力による―――失脚か」
「その通りだよバリアシオン君。父は異様な門閥派の気配を察知して、身を守るため、自らカルティア遠征へ名乗り出て、首都を離れた」
これは俺にも無関係な話ではない。
なにせ俺がオスカーに護衛を頼まれたのも、門閥派による害意に対する危険性からだ。
「暫くの間は、上手いことバランスが保たれていた。門閥派も、流石にこれ以上手を出せば言い逃れ出来なくなり、父がヤヌスに軍を引き連れて帰還する大義を与えてしまうと思ったらしい。あれ以来、母にも僕にもなんの被害もない。ああ、僕に関しては君のおかげだが」
あれ以来、というのは、3年生のころ、初めて会ったときにオスカーが言っていたことだろう。
オスカーの母が襲われ、軽傷を負ったという話だ。
というかこいつ、こんなときでも俺を持ち上げることを忘れないのか。
「しかし―――叔母さんの死によって、その微妙なバランスが崩れるかもしれない。いや、事情を知っている貴族は確実に崩れると思っている。僕も含めてね」
ため息をつくようにオスカーは話を締めくくる。
――――バランスが崩れる。
オスカーの叔母の死は――つまり門閥派とラーゼンを繋ぐ、最後のライフラインだったのだろう。
それが無くなった。
その言葉の意味するところを、分からない俺ではない。一応生前は俺も一国の政治の末端に携わっていた人間だ。
つまり―――、
「―――内戦・・・」
ラーゼンという旗印を掲げた民衆派と、古来からの元老院制度を守りたい門閥派との間に起こるであろう内戦だ。
「そうだね。まあ父がどういう風に考えているかは知らないけど、むしろ父の周りの人間や民衆が、父によって元老院が倒されることを望んでいる。彼らに押され、父がヤヌスに帰還するとき―――軍を解散せずに、そのまま首都に流れ込んだ瞬間―――内戦は勃発する」
ここでいう内戦は、これまであったような他国との戦争とは違う。
ユピテル人が、ユピテル人同士で争う戦いだ。
ここでいう内戦は、これまであったような内紛とも違う。
これまで続いた、700年のユピテル人の、根本を覆すような―――まさしく国を二分する内戦だ。
「―――そして、最初の話に戻ろう。報告の使節を送る意味についてだが、これには大きく2つの理由がある。少なくとも僕はそう思っている」
そうだ。
内戦の話に夢中になってしまったが、話の本筋は、オスカーが父ラーゼンのいるカルティアへ使節として派遣される理由についてだった。
オスカーは再び話し始める。
「まず、1つ目。叔母さんの死は、先ほども言った通り、情勢の均衡を崩すような―――起爆剤となる。これは、両陣営が分かっていることだ。だから、なるべく公式的にかつ礼儀に則ってその死を伝えることが必要なんだ。元老院は対面を重んじたって、民衆が分かるようにね。ユピテル人は不意打ちやだまし討ちを嫌うからね」
―――つまり、それって宣戦布告ともいえるんじゃないのか?
そこまで、迫っているっていうのか。
俺の身震いをよそに、オスカーは続ける。
「2つ目。これは、僕を首都から遠ざけることにある。どうやら元老院は僕の事を過大評価しているようでね。父に代わって僕が首都の民衆派をまとめ上げ、父の受け入れ体制を整える可能性を恐れたようだ。ご丁寧にそのままカルティアで従軍しろとすら言われた。よっぽど首都に旗印となる人間がいることが怖いらしい」
こんな子供になにができると思っているのやら、とオスカーは呟くが、俺は彼の頭が相当キレることを知っている。
未成年というディスアドバンテージこそあるものの、彼は頭脳だけでなく、家柄と金もコネもある。
やろうと思えばパトロンを見つけて上手いこと民衆を扇動するくらいできるんじゃないか?
「というわけで、僕が使節としてカルティアへ行くことは決定している」
オスカーが再びため息をつく。
簡単にいうが、ここからカルティアまでというのは数か月ほどかかってもおかしくない距離だ。
それに、彼はその後カルティア遠征へ従軍するという。
つまりは最前線で戦争をするという事だ。
「撤回は――まあ無理か」
「ああ、そうだろうね。使節代表の任命権どころか、使節の護衛隊の人事権も元老院が持っている。民衆派も頑張ってはくれるだろうが、なんせここは民主主義国家だ。多数決には敵わないからね」
皮肉を言いながら苦笑するオスカー。
この国は民主主義国家とは名ばかりの少数寡頭制。
そしてここ数年は、民衆派筆頭のラーゼンが首都を離れている影響で首都の元老院は門閥派が優勢だ。
「でもまあ・・・・副官2名の任命権だけはなんとかなった」
オスカーのまなざしがこちらへ向く。
「色々考えたんだが―――金銭のみの関係だけじゃ不安でね、いや、もちろん金も払うんだが・・・なんていうんだ、その信用に足る人物がなかなかいなくてね・・・」
しどろもどろになりながらオスカーは言葉を作る。
「もちろん、無理なお願いだとは思う。僕の副官という事は、その後一緒に従軍するということだ。絶対に帰ってこれる保証も出来ないし、もしかしたらその後起こる内戦に巻き込んでしまうかもしれない。いや、確実に巻き込むだろう。そもそも行き先がカルティアという戦争中の地域だし、旅路も楽じゃない。使節に護衛はいるが、名ばかりの門閥派の手先の可能性もある。道中では蛮族に襲われるかもしれない」
ヤヌスの外に出るのがどれほど危険か。
そして、オスカーに味方するという事がどういう意味を持つのか。
彼は真摯に言った。
「それでも―――君の実力と―――友情ほど、僕の信用できるものはない」
「―――」
友情、という言葉にどこか嬉しさを感じる。
「バリアシオン君・・・どうか、僕と共に来てくれないか?」
そういって、オスカーは頭を下げた。
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「少し考えさせてくれ」
そう言って俺はオスカーを帰した。
彼は不安そうな顔で頷き、バリアシオン邸を後にした。
外ではオスカーの家の護衛隊が整然と待機していた。きっと、門閥派からの危害を警戒しているのだろう。
俺は彼を見送り部屋に戻ると、ドサリとベッドに転がり込む。
正直、少し混乱している。
頭の整理が追い付いていないのだ。
――――漠然と予感はあった。
この国の政権が真っ二つに割れているということは知っていた。
アピウスも毎日顔色が悪そうだし、イリティアも、何か悪い予感がすると言っていた。
―――だけど、まさか内戦とはね。
俺は少し楽観視していたと思う。
ユピテル共和国は、きちんとした制度の法治国家であり、少なくともヤヌスでは、なかなかの文化レベルの生活もできていた。
学校も問題なく運営されているし、首都内で犯罪集団が蔓延ることもない。
だから、どこか俺はこの国に、生前の日本を思い浮かべていた。
政権交代といっても、生前は何度も目にしてきたことだし、所詮はあまり民には関係のない物だと割り切っていたのかもしれない。
しかし、ここは日本ではない。それどころか、俺の知っているあらゆる民主主義の先進国とは全く違う。
―――戦争に――なるのか?
本当にそんなことがあるのだろうか。
ここまで洗練された国に――一見平和に見える国で、内戦などが起こるのだろうか。
首都が焼かれ、人が死に、血と悲鳴が飛び交う光景が、想像できない。
『強くならないと・・・貴様は大切なものを守れない。それは親かもしれないし、妹弟かもしれないし、未来の妻かもしれない』
かつて見た夢で、漆黒の男――ルシウスが言っていた言葉が頭をよぎった。
内戦によって首都が戦場になるから、強くならなければならないということだろうか。
―――だけど。
俺がもしもオスカーについていった場合、きっとバリアシオン家は、民衆派と認定されるだろう。もう言い逃れはできまい。
そうなった場合、うちの家はどうなる?
大して資金もない中で、護衛を雇えるとは思えない。
それで、来年から学校に入学する弟と妹の安全が守れるだろうか。
アピウスの立場だって危ない。
それに、戦争になんて行きたくない。
カルティアは戦場だ。
人を殺し、殺される世界だ。
そんな覚悟、俺にはない。
ヤヌスの外にも出たくない。
整った設備も、無骨ながら慣れたベッドも、豊富なチータの料理も、どれも手放したくない。
―――嫌だ。
折角拾った第二の人生を、棒に振りたくない。
―――戦争なんて俺の知らないところで勝手にやってろよ・・・!!
しかし、そう思う反面、流れてくるのはオスカーとの思い出だ。
銀髪に眼鏡とかいうクールなビジュアルで頭もいい癖に、口を開けばただの思春期な少年だった。
一言目には女の話、二言目には流石はバリアシオン君だと、いつも俺の顔を立てて接してきた変な友人。
きっと彼は人知れず戦ってきたのだ。
自身の父が、民衆派の筆頭であると―――内戦の中心人物になると受け入れ、必死に生き残ろうとしてきたのだ。
『それでも―――君の実力と―――友情ほど、僕の信用できるものはない』
先ほどそう言ったオスカーの顔が思いだされる。
いつも余裕な顔して、飄々と下ネタを言う姿からは、想像もできない酷い顔だった。
当然だ。彼だって不安に決まっている。
駆り出されるのは戦場だ。
彼は頭は良いが、体力はない。剣もさっぱりだ。それを彼自身がよくわかっている。とてもではないが戦いには向いていない。
カルティアまでの道中も危険がいっぱいだ。使節の護衛も元老院が選ぶと聞いた。敵対勢力の人ばかりの中、1人で耐え続けなければならない。
だから、彼は、俺を頼った。
金ではなく、俺との友情を頼った。
きっとそうしなければならないほど追い詰められているのだろう。
――――そんなオスカーの友情を裏切るのか?
自分だけ安全なところでのうのうと傍観者を決め込んで、戦いが終わるのをじっと待ち続けるのか?
――――いったいどうすれば・・・・。
そんなとき、ふと、俺の部屋をノックする音が聞こえた。
「アルトリウス、ちょっといいか?」
「――――どうぞ」
ガチャリと扉を開けて現れたのは、俺の父アピウスだった。
内戦の勃発理由に関しては少し辻褄の合わないところや、甘いところがあるかもしれません・・・いずれもっとしっくりくる書き方を思いついたら加筆致します。
読んでくださり、ありがとうございました。合掌。




