第247話:王都を発つ①
―――ラーゼン・ファリド・プロスペクター死亡。
その報は、俺が王都ティアグラードに戻った次の日には、既に噂として流れていた。
ダルマイヤーの足が速いと言っても、『深淵の谷』は都市からは外れた位置にある。
一大ニュースとあって、商人の流れも当然のように早く、なんなら『山脈の悪魔』経由でも情報が出回ってきたようだ。
内容は、つぎはぎだらけだし、色々と尾ひれはついているが――「ラーゼンの死」と「その首謀者が妻」という情報は概ねどの噂にもついているようだ。
ダルマイヤーの話も、ことさらに信憑性を増した。
算段通り、俺はまず、ユピテル陣営――カルロスとの協議に臨んだ。
協議の場所は、俺が滞在していた屋敷。
広間のような場所に、王国に滞在するユピテル陣営の重鎮が揃った。
といっても、精々カルロスをはじめとした数人だが。
「――では……やはり、執政官が亡くなったというのは……」
「おそらく、本当でしょうね。マティアスがどう絡んでいるかはわかりませんが……少なくとも閣下の奥方……ヘレネ殿が、犯人と仕立て上げられているというのは、私が耳にした話とも、今日王都で聞いた話とも一致します」
「そうか……」
一通りの説明と情報交換を終えると、青髪の壮年男――カルロスは、深刻そうに顔を曇らせた。
「……ヘレネ殿がラーゼン執政官を殺すはずはない。昔からラーゼンを知っている人間なら、誰もがわかるはずだが……」
「どうやら古参の将軍や議員も軒並み行方不明となっているようで」
「そんなことが……」
普段は快活な笑顔を見せるこの男も、此度の事件は相当ショックだったようだ。
いや、勿論彼だけではない。
アズラフィールも、隣のカインも――末席に座していたアピウスも。
他にも何人かいたこのユピテルの指導階級全員が、その表情を曇らせている。
勿論俺とて――ショックはある。
俺とラーゼンはそれほど深い交流があったわけではないが、少なくとも知人ではあり――良き上司だった、と言えるだろう。
他にもゼノンやイリティア――それなり以上に親交があった人まで行方が分からないというのだ。
ショックが――ないわけはない。
きっと、以前までの俺なら、泣いて、落ち込んで、ふさぎ込んでいただろう。
一生とは言わないが、3日ほどは家から出られなかった自信はある。
―――だけど……立ち止まってはいられない。
俺は唇を噛み締めた。
―――これで、終わりじゃない。
俺の予想が正しければ……最悪の事態は、この先に起こる。
まだ事は始まったばかりかもしれないのだ。
「――とりあえず、一応今後の方針を考えました」
重苦しい空気の中、俺は口を開いた。
全員の視線が俺に集まった。
「まず、予定していたヤヌスへの帰国は延期に」
予め――ある程度の事は深淵の谷からの帰り道の間に、ヒナと話しておいた。
昨日のうちにリュデとも意見をまとめてある。
その結果は、当然――ヤヌスへの帰国は延期。
この状況下で、のんきに首都へと帰るなど愚の骨頂だ。
俺や俺の隊だけならまだしも、非戦闘員も連れて、暗雲立ち込める首都に帰るなど、ありえない。
「うむ、そうだな。それは異論ない」
これには、その場の全員が賛成した。
まぁ、当然だろう。
勿論、このことについては後程女王リーゼロッテにも話を通すつもりだ。
だが、肝心なのは――その先だ。
帰国は延期するとして、その後どうするのか。
ヤヌスか――はたまたアウローラから何らかの要請が来るまで、王国にとどまり続けるのか。
それとも―――
少し慎重になりながら、俺は口を開いた。
「代わりに――というわけではありませんが、私は隊のみを引き連れて、アウローラへ行こうと思っています」
再び――視線が俺に集中した。
「アウローラに?」
代表をするかのように、カルロスが口を開く。
俺は、カルロスに向き直り――頷いた。
「……はい、もしも万が一の事が起きた場合――王国にいては何もできませんから」
「万が一、とはいったいどういう状況を想定しているつもりだ?」
「最悪の場合……再びユピテルを二つに割るような―――内戦が起きるのではないかと」
「―――!」
空気が張り詰めたのがわかった。
別に――ここまでの首都の様子を聞いて、全く予想しなかったわけはないだろう。
頭の片隅ではそう思いながらも――「まさか」という気持ちがするのは、わからないではない。
マティアスは――少なくともラーゼンには忠実だった。
俺が会話をしたのは数回だが、マティアスにとってはラーゼンは肉親……伯父なのだ。
――いくら野心があろうとそんなことを……?
誰だってそう思う。
そもそも「ラーゼンの死」という未曽有の事態を知ったばかりの人間が、さらにその先に待ち受ける可能性―――『内戦の再来』なんて事、想像もしたくないに違いがないのだ。
「……権力を手にしたマティアスが―――アウローラを攻めるとでもいうのか?」
神妙な顔つきで、カルロスが言った。
少し考え、俺は答える。
「……正直に言えば、わかりません」
そう、本当に、俺には分からない。
そういう予想が立つだけで――確定ではないのだ。
マティアスがどうするつもりなのか。本当にダルマイヤーの予想通り……ユピテルの唯一の統治者を目指しているのか。
それに、戦争が起きるからって、マティアスから起こすとは限らない。
想像はしにくいが、オスカーだって父を殺されたのだ。ヘレネが冤罪である事を知り、マティアスが怪しいとなれば――むしろオスカーから兵を起こす可能性だってある。
当然、俺としては友であるオスカーは助けたいけど、それが本当に世界の為になるのか……そもそも俺が手を貸して勝てるかどうかなんてわからない。
また夢にルシウスが出てきて欲しかったくらいだ。
「でも……もしも何かが起こるなら―――行かないと何もできない」
自分自身に言い聞かせるように俺は言った。
俺は――知っている。
『神族』という奴らがこの世界にいることを。
そして奴らは――人に混乱と災厄をもたらそうとしていることを。
そして、それを知り、それを止められるのが――俺だけだという事を。
「だから、私は行きます。自分で行って、見て、聞いて、確かめて―――決めるために」
――協議はほどなく終わった。
● ● ● ●
「……まさかとは思いましたが―――なるほど、本当でしたのね」
「はい。そういう理由で――ラーゼン・ファリド・プロスペクター執政官は、亡くなったと思われます。なので、申し訳ありませんが……ヤヌスへの帰国は延期しようかと」
「……それは構いませんが……」
ティアグラードの王城。
その中でも、誰も入る事が許されていない、女王の私室。
白を基調とした清潔感のある部屋で――リーゼロッテは、少年、アルトリウスと対談していた。
―――ラーゼン死亡。
その噂自体は、既に昨日の時点でリーゼロッテの元まで届いていた。
だが――流石に誤報だろうと思っていた。
フィエロも、
『……《迅王ゼノン》の目を盗んで暗殺など……私でも不可能でしょう』
なんて言ってのけたのだから、なおさらだ。
だが、今日になって―――その噂は噂の範疇を越えて、宮廷まで登ってきた。
――流石に事実を調査した方がいいかしら?
そんなことを考えていた折―――アルトリウスからの面会が入ったのだ。
全ての仕事をキャンセルして彼を招き入れ――話をした。
アルトリウスによると、「ラーゼン暗殺」という大事件は……おそらく事実だろうとのこと。
《深淵の谷》へ赴いた際、実際にヤヌスから来たという人間から、具体的な話を聞いてきたようだ。
リーゼロッテも――驚きは隠せなかった。
「……やはり、その――前に仰られていた……《神族》が関係しているという事ですの?」
「……その可能性が高いでしょう。というか……全ての話が本当だとしたら、間違いなく奴らが絡んでいます」
リーゼロッテの質問を、少年は肯定した。
《神族》――。
かつて人に災厄と混乱をもたらそうとした帝国の影の支配者。
そして――現代までその野望をかなえようとする超常の存在。
信じられない事だが、少なくともその片鱗を、リーゼロッテはこの王城の庭で目撃している。
今回の件でも、彼の話に出てきた―――フードの男、マティアス。
その2人の裏には――その超常の存在――『神族』の影が見え隠れしている。
「では……?」
「はい、おそらくこの先――災いか……戦いが起こると思っています。例えば……指導者を失った巨大国家の―――内戦、とか」
「……」
今のユピテルは――共和国という形態ではある物の、その権力の大半をラーゼンという個人に寄せていた中央集権国家だ。
その中で――予期せぬ指導者の死など、そもそも国に残す遺恨は大きい。
これに加えて内戦まで起きようものなら―――待っているのは文字通り混乱と混迷だろう。
それを――
「……止めに―――行かれるのですね」
「はい」
少年は――静かに頷いた。
「……お引止めすることは―――できませんわよね」
「かたじけないです」
「ローエングリン卿も、連れていかれるので?」
「……そうですね。先ほど話し合った結果、どうしてもついてくるという事で……全員ではありませんが、軍役の経験のある志願者は連れていくことになりました」
そこで、アルトリウスは視線をこちらに向けた。
「つきましては――陛下にお願いがあります」
「何でしょう?」
「不躾で申し訳ありませんが、王国に置いていく非戦闘員の保護を――陛下にお願いしたいのです」
王国に置いていく非戦闘員――。
戦場に行くのだ。
しかも未来の見えない――戦局の読めない戦争。
どちらに味方するかも、何を倒すかもわからない戦争。
穏健派であるクロイツ一門は、武門ではあるが、此度王国に滞在しているのは、軍人だけではない。
その家族や親類など――剣など握ったことないような人々も多くいる。
それらを連れていくわけにもいかないのだろう。
「はい。勿論です」
「――ありがとうございます」
アルトリウスは深く、頭を下げた。
大使として――彼には、滞在するユピテル人に対しての責任があるのだ。
「……もしも我々が戻らなかった場合も―――」
「皆まで言わないでくださいまし。分かっています。彼らの事には――私が責任を持ちますから」
「かたじけないです」
ようやくアルトリウスは頭を上げた。
「いえ、本当は私も――戦力をお貸しできればいいのですが……」
少なくとも――大規模な戦闘に介入するには、100人と少しの軍は貧弱すぎる。
勿論、彼と彼の隊が、万にも匹敵する実力があることは知っているが――やはり数というのは重要だ。
彼への恩、彼との友誼を思えば、聖錬剣覇の一つや二つ、貸したくもなる。
「王国はまだ他国に力を貸せるほど――復興できていないでしょう。陛下は王国の事をお考え下さい。これは――少なくともまだユピテルの問題ですから」
「……はい」
言われなくとも、分かっている。
王国に、彼らに力を貸せるほどの余裕はない。
無理をすれば、トトスあたりは付けれるのだが―――きっとアルトリウスは拒否するだろう。
王国の現状は彼だってよく分かっているのだ。
「いつ頃発たれますの?」
「明日の昼には」
「……そうですか。本当は送別会でも催したいところですが―――そうも言ってられませんわね」
「お気持ちだけ、いただいておきます」
元々――本当に明日はささやかな宴が予定されていた。
ユピテルへ帰国する彼らとの最後の宴だ。
「行路はどちらで? 《山脈の悪魔》を利用するのでしたら、今のうちに早馬を飛ばしますが……」
「いえ、今回は――ブレア大森林を通ろうかと思います。一応目的地はアウローラですし……立ち寄りたい場所もそちらの方が近いので」
「アウローラに、お知り合いでも?」
「ええ、親友が1人――。きっと困っているでしょうから。早く行かないと」
そう言ってアルトリウスは苦笑する。
「でも――そうですね。《山脈の悪魔》にも良ければ伝言を回しておいてください。『マティアスとフードの男には気を付けろ』とね。まぁ彼らならよっぽど上手くやるかもしれませんが」
「わかりました」
「……では、細かい事は――後で書類でまとめて持たせます」
「……はい」
返事をすると、アルトリウスは立ち上がった。
「陛下も、お気を付けください。奴らが陛下を狙わないとも思えませんから」
「アルトリウス様こそ――どうかご武運を」
「……はい」
そして、アルトリウスはを薄く微笑を浮かべ、
「では陛下、短い間でしたが――お世話になりました」
そう言い残し、部屋を後にした。
「―――」
バタン、と扉が締まる中――リーゼロッテは、長い間その扉を見つめていた。
信頼と、不安と――何より生まれて初めてできたお茶友達との別れの寂しさ。
きっと彼女にあったのはそんな感情だろう。
――どうか……無事で。貴方は――まだまだこの先の世界に必要な方なのですから。
桃色の髪を揺らしながラ――少女はそんなことに思いを馳せた―――。
更新時間が0時ですので、これが年内最後の投稿です笑
4月に連載を始め、まさか年越しまで続くとは自分でも思っていませんでした。
ここまで続けてこられたのは読んでくださる皆さまのおかげです。本当にありがとうございました!
来年も是非よろしくお願いします。




