第242話:加速する世界①
「……そこからは、振り返らずに―――走り続けました。道を外れ、集落を転々としながら、ブレア大森林を抜けて――今に至ります」
緑色の髪の青年――ダルマイヤーの話が終わった。
「……すみません――――本当に……私が弱いばかりに――。いや、そもそも私が祭りを見たいといったばかりに―――」
悔しそうに、ダルマイヤーは嗚咽を漏らす。
「……」
正直、俺の中では、頭が追い付いていなかった。
色々と――衝撃的すぎる。
ラーゼンが、死んだだと?
しかもそれが、妻の犯行?
ラーゼン派の政治家や軍人がまとめて消えた?
バロン将軍や……イリティアもか?
ゾラを狙って登場した少年は、おそらく……ラトニーか?
ゼノンやゾラすらも圧倒するレベルの「フードの剣士」など、いったい誰なのか皆目見当もつかない。
整理しようにも情報量が多すぎてどこから手を付けたらいいかわからない。
そんな――誰もが、考え込むように目を伏せる中……。
「約束を守れなくて、すまない……ですか……」
桃色の長い長髪の女性――ユリシーズがぽつりとそう呟いた。
そして、何も言わずに立ち上がり……俺たちに背を向ける。
「―――ユリシーズ……」
「ごめんなさい、師匠。大丈夫ですから……少し1人にしてください」
そう、堪えるように言葉を残し―――半ば駆け足で、ユリシーズは小屋の中へと入っていった。
「……」
俺は、彼女とゾラの関係を詳しくは知らない。
だが―――あの二人と命を懸けて戦った事はある。
信頼し合うかのような連携に、どれだけ俺が追い込まれた事か――今でも鮮明に思い出せる。
少なくとも、ただの戦友ではないだろう。
背中で悲しみを背負うかのような彼女に、俺達からかける言葉は無かった。
「―――すみません……すみません……」
ダルマイヤーの謝罪の言葉だけが、やけに重苦しく地下に響いた。
● ● ● ●
――そう、先に逝ってしまったのですか……。
小屋の一室。
彼女がここに来て以来利用している狭い部屋のベッドの上で―――ユリシーズはぼんやりと考えるかのように佇んでいた。
『魔断剣』ゾラ。
いや――ユリシーズにとっては若かりし頃の『百剣』という二つ名の方が懐かしいだろうか。
偉大な剣士だった。
この世界において、「魔力」というのは絶対的な力だ。
魔力が無ければ魔法は使えない。
魔法を使えない人間では、魔法を使う人間には勝てない。
同じ技量を持っている剣士でも、結局はより魔力量の多い方が勝利する。
魔法士でもそれは似たような物だ。
彼には――その魔力は無かった。
まだ彼もユリシーズも幼かったあの日。
彼は師匠ウルに――その現実を突きつけられた。
その才能がないと――諦めろ。
強くなど、なれない。
そんな現実を知った時の顔が、あまりにも儚げで、悲しそうだったことをユリシーズはよく覚えている。
少年だった彼が、魔法使いに憧れていた事は知っている。
ユリシーズが魔法使いの弟子だというと、目を輝かせて。
下級魔法だろうと食い入るように見つめて。
だから、魔力がないという―――現実は、とても辛かったと思う。
せめて、どうか――幸せに、前を向いて歩いてほしい。
そんなことを思いながら、ユリシーズは彼と別れた。
だから、何年も後。
再会したときは――本当に驚いた。
この世界の常識であった魔力の絶対性―――彼は、それを覆したのだ。
自身のたゆまぬ努力。
鍛え上げ、いじめ抜いた肉体。
そして何よりも――絶対に諦めない不屈の闘志。
魔力なしに――彼は強者の階段を昇って行った。
神撃流筆頭。
百の剣の使い手。
魔法を斬った男。
『聖錬剣覇』メリクリウスが認めた剣士。
ゾラの名前は、瞬く間に世界中に広がった。
当時マイナー剣術とも言われていた神撃流の使い手が、彼の影響で爆増した。
今では、世界中の剣士が彼の事を尊敬し、彼の事を讃えている。
そんなゾラの事を誰よりも見てきたのが、ユリシーズだ。
その死の衝撃は……他の人間とは比較にはならないだろう。
――いつからですかね。貴方の存在が――こんなに大きくなったのは。
運命的に出会った。
必然のように再会した。
一緒に戦場を駆けた事もある。
命を懸けて対決したこともある。
恋人紛いの関係になった時もあった。
―――バカですね……もう――「死地は共にしよう」なんて……素直に愛してるって……そう言ってくれれば良かったのに。
『摩天楼』ユリシーズ。
今でこそ彼女は、世界最高とすら呼ばれる魔法士だ。
だけど、ユリシーズがここまでこれたのは、彼がいたからだ。
ユリシーズのピンチに、示し合わせたかのように彼は必ず現れた。
ユリシーズが泣いているとき、彼は必ず手を取ってくれた。
ユリシーズが間違った時、彼は全力で止めてくれた。
彼がいなければ、ユリシーズは八傑などと呼ばれることはなかった。
彼がいなければ、ユリシーズはこれまで生きてはこれなかった。
「……バカ……本当に……バカなんですから……」
桃色の美女は――嗚咽を吐くかように、声を漏らした。
● ● ● ●
「……どうだ? 少しは落ち着いたか?」
「……ああ、すまないな」
ウルの小屋の――リビング、と言えばいいのだろうか。
あまり大きくはない机を囲んで、俺達は座っていた。
メンツは、俺、ヒナ、ダルマイヤー、ウル。
ユリシーズは奥の部屋にいるようだ。
今はそっとしておこうという事になった。
ダルマイヤーは、首都から相当無理をしてここまで来たようなので、かなり消耗していた。
とりあえず簡単な食事をとらせ、今に至る。
俺もこの時間で―――随分頭を落ち着けることはできた。
無論、気持ちはどこか落ち着かない。
焦燥感のようなものを感じている。
「じゃあ……ダルマイヤーだっけ? 悪いけど……いくつか確認をしてもいいか?」
「……ああ」
俺としても急かしたくはなかったが――彼の話した内容が内容だ。
いくつかきちんと確認しなければならない。
どれも信じられない事なのだ。
「―――まず……ラーゼン執政官が死んだ、というのは事実なんだな?」
「事実だ。勿論私自身がその遺体を見たわけではないが……一般人の多くが彼の遺体を見ている」
「そうか……」
ここまで言うからには、やはり本当なのだろう。
ラーゼン自身が死んだふりをする意味も考えにくい。
「……最後に現れた水色の髪の少年は、名を名乗ったりしなかったか? 調停者とか、神族とか―――そういう事を」
「いや、殆ど会話はしていない。私はすぐに逃げ出したからな。ただ、やけに癇に障る声をしていたよ」
「じゃあ、一緒にいたフードの剣士の特徴は? どういう剣術を使っていた、とか。背丈とか」
「背は――それなりに高かったと思う。流派は分からないが、得物は一般的な長剣だった」
「……なるほど」
水色の少年は――その口ぶりから察するに、ラトニーだ。
おそらくこれは間違いない。
しかし、そのフードの剣士というのはやはり分からない。
現在のラトニーの協力者という事だろうか。
ゼノンやゾラと渡り合える剣士など―――ユピテルでは殆ど聞かない。
青龍剣アズラフィールも今は王国だし……まさか『北虎』グズリーとか?
いや、『山脈の悪魔』が干渉してくるというのも考えにくいな……。
「それで、その――ヘレネさん、だったか。ラーゼンの奥さんが殺害の首謀者というのも……本当なのか?」
「……マティアスはそう公表していた。ヨシュアがそう供述したのは確かのようだがね」
ヨシュア……というのはラーゼンの警備をしていた近衛隊長だったか。
供述したというのは事実のようだ。
「もっとも―――」
そこで、ダルマイヤーはおどけたように続けた。
「実際の事は、わからない。なにせ―――当の本人であるヘレネは首都から消えたのだからな」
「―――消えた?」
殺人犯の容疑をかけられたヘレネが、消えただと?
てっきり捕まっているのかと思っていた。
「……一連のラーゼン派の失踪と同時期に、ヘレネも共に消えている。逃げ出したのか、殺されたのか―――そこまでは分からなかった」
「………」
「ただ残ったのは結果だけだ。ラーゼンは死に――その犯人とされたヘレネは行方知れず――そしてただ一人、マティアスだけが権力を手にした、というな」
ラーゼン派――つまりはラーゼンの周りにいた権力者たちと共に、ヘレネも消えた。
残ったのは、マティアスのみ。
ラーゼンの葬式もマティアスが行い、追悼エンゼルも彼が行った。
今となってはマティアスがただ一人のヤヌスの権力者となった、ということか。
つまり―――。
「マティアスが全て仕組んだ――と?」
「さぁね。それは私には分からない。ただ今回の騒動で一番得した人間が誰かという事を踏まえると、そう考えるのが自然だと思っただけだ」
「……そうだな」
俺は頷いた。
もちろんまだわからない事はある。
だが確かに――今回の一件でマティアスがヤヌスの唯一の権力者になったという事は、彼が事を起こしたと考える事に違和感はない。
そして、マティアス個人では不可能であった、ラーゼンの暗殺……もとい、ゼノンをどうにかすることも……ラトニーが関わってくるならば、可能にもなる。
その《フードの剣士》と《マティアス》。
この2人が、『神族』の今の協力者である可能性が高い―――。
―――そうか。
俺は、知らず知らずのうちに、もう少し先だと思っていた。
王国でこれほどの事件があったばかりなのだ。
「次」が来るならば、あと何年か後だろうと、勝手にそう思っていた。
だが、奴らにそんなことは関係がない。
待つ理由はない。準備ができていたならカードを切るのが当たり前だ。
むしろ……俺が王国いる今こそ奴らにとってはチャンスだと、そう思われたのかもしれない。
神族の望むのは、混乱と混迷。
ラーゼンという優れた指導者の死とは……いかにも奴らが好みそうな事態だ。
奴らは人の欲望や嫉妬を利用する。
ラーゼンの後継者争いで敗れたマティアスに介入するのも――それほどおかしくはない。
と、俺が思案していると――
「ただ……もしも本当に全てがマティアスの思惑通りに行われているとしたら……おそらくヘレネは生きているだろうな」
ダルマイヤーがふと呟くようにそう言った。
ヘレネが、生きているだと?
「その方がマティアスにとっては都合がいいだろう」
俺が疑問の顔をしていると、ダルマイヤーがそう付け足す。
「都合がいいだと?」
「……もしもヘレネが生存していた場合、どこへ向かうと思う?」
「どこへって――」
「真偽はどうあれ、既に彼女は殺人犯と公表されてしまった。そんな彼女が首都を逃げ出したとしても――頼れる先は一つだけ」
俺が答えるよりも早く、ダルマイヤーは目を細めながら言い放った。
「―――息子が総督をしている―――アウローラだ」
「まさか……」
「例え結果を残した総督でも――要人の殺人犯を匿ったとなれば、攻める理由になる」
「―――!」
ダルマイヤーの言葉に―――思わず背筋がゾクリと震えた。
――ラーゼンの死で、終わりじゃない。
そうだ。
ラーゼンが死んだところで――まだマティアスが後継者というわけではないのだ。
東方は……アウローラは、彼の統治下にあるのだから。
「――――」
俺は唇を噛んだ。
確定ではない。
全て聞いた話である上、判断材料も少ない。
なんなら、ダルマイヤーの予想も交じっているかもしれない。
だが―――。
―――オスカーが……危ない。
そんな思考が、頭を過った。
長くなったので分けてます




