第241話:魔断剣と呼ばれた男
「――待て……今なんて言った? ラーゼンが――死んだだと!?」
全身から血の気が引く中――気づくと俺は、その青年に詰め寄っていた。
「――お前は……烈空―――!? どうしてここにいる!?」
緑色の髪の青年は、そこで初めて俺に気づいたようだ。
目を丸くして驚いた顔をする。
「―――私の客よ、ダルマイヤー」
「ウル殿……」
後ろからの黒髪の少女――ウルの言葉に、ダルマイヤーと呼ばれた青年は意外そうな顔をした。
このダルマイヤーという青年は、ウルとも面識があるらしい。
まぁ確かに――前に出会った時は戦場だったし、なんなら俺とユリシーズは殺し合いをしている仲だ。驚くのも無理もないが――しかし、今はそれよりも……
「それよりも……とにかく、話を聞かせて貰える?」
俺の心情を代弁するかのように、ウルがダルマイヤーに、話の先を促した。
そうだ。
ラーゼン・ファリド・プロスペクターの死と――彼はそう言った。
その真偽の方がよほど重要だ。
この場の誰もが、ダルマイヤーを見つめている。
「……わかりました」
ダルマイヤーも空気を察知したのか、再び思い出すかのように話し出した。
「――丁度偶然……首都へ向かっていた時の事です。師匠と私はその噂を耳にしました――」
● ● ● ●
ゾラとダルマイヤーはユピテルの首都――ヤヌスを目指していた。
近々首都では『収穫祭』が行われるという。
祭事などはここ数年耳にしたことはない。
勿論、師のゾラは長い人生でいくらでも祭りなど見たことはあるのだが、元々地方出身のダルマイヤーに、そんな経験はない。
本当はブレア大森林を通って王国へ向かう予定だったのだが、一度は大都市の祭りという物を見たいというダルマイヤーの願いをゾラが聞き入れ、2人はヤヌスを目指していたのだ。
しかし、もう反刻もしたらヤヌスに到着するというところで――2人は、血相を変えてヤヌスとは逆方向に向かってくる商人とすれ違った。
祭りがあるというのに、立ち去る商人も珍しい。
しかもその顔色は明らかにおかしい。
いったい何があったのかと思い、ゾラは商人を呼び止めようとしたのだが――商人は、そんな暇はないとでもばかりに、一言。
「――ラーゼンが……執政官ラーゼンが殺されたんだ……! 収穫祭なんて――もう終わりだよ!」
吐き捨てるようにそう言って、すごすごと立ち去って行った。
「……ラーゼンが……殺されたじゃと?」
そんな商人の後ろ姿を見ながら、老人――ゾラはやけに神妙な顔をしていた。
「……不可解じゃな。ゼノンがいる以上、そんな事あり得んはずじゃが……きな臭いものよ。ダルマイヤー、急ぐぞ」
「は、はい」
そう呟いた師に連れられて、ダルマイヤーは首都に足を踏み入れた。
―――首都ヤヌスは――やけに不穏な雰囲気だった。
一見……静まり返っているように思えるが……逆に何かに憤りを感じているような、そんな雰囲気がビンビンと伝わってきた。
メインストリートもやけに人通りは少ない。
出ている商店も、いささか活気はないように思える。
ゾラはそんな商店の一つ――果物屋で足を止めた。
「――リンゴを1つ貰っていいか?」
「ああ、毎度あり」
ゾラが陳列されていたリンゴを指さすと、果物屋の店主は気前よく反応した。
「それにしても――少し街の雰囲気が違っているが……何かあったのかの?」
どうやら、この店主から首都の異様な雰囲気の話を聞くようだ。
「……アンタ、知らねぇのかい。今の首都は……3日間の喪中なのさ」
「喪中?」
「執政官の――ラーゼン様が殺されたんだよ」
「―――それはまことか?」
「ああ、先日行われた中央広場の葬式に、俺も並んだんだ。間違いねぇ」
「そうか……」
どうやら――先ほど都市の外ですれ違った商人の言っていた事は事実のようだ。
ラーゼンの死……。
今の首都の不穏な雰囲気はその影響らしい。
「だから、街の奴らは悲しみに暮れているのさ。あの人は俺達民衆の希望だったからな」
しみじみとした様子で――店主はそう言った。
「なるほどな……しかし、殺されたという事は―――殺した人間がおる、という事じゃろう。いったい誰がそんなことをやらかしたんじゃ?」
「……ああ、それももう有名な話さ。マティアス様が追悼演説で――その相手に対して怒りをあらわにして、公表したんだ」
マティアスによる追悼演説――。
「ほう、それはいったい誰じゃ?」
尋ねると――店主は驚愕の言葉を口にした。
「――ラーゼン様の妻だったヘレネって女さ。痴話げんかかなんか知らねえが……酷いもんだぜ。もっとも、実際の下手人はその手下って話だがね」
「……なるほどな……。いや、わざわざすまなかった」
「いいってことよ」
リンゴを受け取り――ゾラとダルマイヤーは衝撃に包まれながらその場を後にした。
「……師匠、今の話―――」
「ああ、しかし……マティアスとは……」
ラーゼンの死という驚愕の事実と――その犯人。
そして突如として政治の主役に躍り出てきたマティアス……。
「少し妙だな……。ダルマイヤー、軽く調べるぞ」
疑問を覚えたゾラとダルマイヤーは、情報収集を開始した。
王国に比べれば数少ない裏街にまで出向いて、情報を貰う。
流石は『魔断剣』ゾラといったところで、様々なところで顔が利くようだ。
一日でヤヌス中を駆け巡り、様々な人を訪ねた。
上がってきたのは驚愕の事実ばかりだった。
まず、ラーゼンが死んだという事は、どうあがいても本当だという事。
死体を見たという人間も多く、葬式に参列した人間まで数えたらきりがない。
ラーゼンの死には、貴族も平民も、奴隷も裏街の住人も――全員が「驚愕」の意を示していた。
そして、ラーゼンを殺したという直接の下手人も――既に上がっていた。
その正体は―――彼の警備隊長をしていたヨシュアという男であるらしい。
プロスペクター家に仕えるこの男が――主君が一人であるところを狙って殺したのだとか。
ラーゼン自身が、戦闘力に関しては子犬にも劣る事は誰もが知っている。
可能か不可能であれば確かに可能だろうが―――しかし―――問題はそのヨシュアに指示をした人間だった。
それは――ラーゼンの妻……ヘレネだ。
ヨシュアが、彼女の指示でやったと―――自白したらしい。
果物屋の店主が言っていた通りだった。
勿論、実際がどうだったのかは――ダルマイヤー達にはわからない。
本当にラーゼンとヘレネの間に何かしらのいさかいがあったかなど……本人しかわからないだろう。
だが、ともかく――ラーゼン亡きあと仮の指導者となったマティアスは、ヨシュアの自白を是とし――そう世間に発表したのだ。
無論、ここまで調べた事、起こったとされる事実が、嘘だと言い張る事もできない。
結果までの道中に違和感はないのだ。
夫婦間の痴情のもつれはよくある事だし――確かに警備隊長が裏切っているならば、暗殺も可能だろう。
その後に、執政官の片割れが権力を握るのも、当たり前だ。
だが、他の場所に―――違和感がいくらでも出てきた。
「―――ラーゼンの腹心と呼ばれる人間の多くが、行方をくらましている、か」
ラーゼンの腹心……特に――彼がカルティア時代から率いてきた将軍たちが、現在、揃いも揃って行方をくらましているのだ。
「それも―――ただ一人……マティアスを除いて。残った将軍や政治家も――軒並み発言力の低いものばかりですね」
この一週間で、彼らは消えた。
公式には、ラーゼンの死のショックにより病欠―――と、いかにも忠臣たる彼ららしい理由にも思えるが、ゾラの古い知人の話によれば、彼らの屋敷にはもはや人っ子一人いないらしい。
その行方をくらました人間の中には――ユピテルに駐在していたゾラの弟子――イリティアも含まれている。
「……これは、いよいよ持って物騒な話になってきたのう」
「というと?」
「考えてもみろ。あの『迅王ゼノン』すらも行方をくらましているのじゃぞ」
そう、迅王ゼノン――。
彼すらも姿を見かけないという。
「アレをやれるほどの手練れがそうそうおるとは思えん。シルヴァディ亡き今、精々、聖錬剣覇か……軍神、あるいはあの小童くらいだろう。だが、きゃつらは全員、この国にはいないのだ。どうも――胸騒ぎがするのぅ」
そうだ。
そもそも――たとえ警備隊長が裏切っていようが、迅王ゼノンがいる限りラーゼンが暗殺されることなどあり得ないのだ。
ラーゼンの死は、そのままゼノンの死も意味するだろう。
つまり――そこから導き出されることは――この首都でゼノンすらも越える「何か」が暗躍しているか、それとも――。
「……政治や国に、師匠がそれほど興味を示すとは思っていませんでしたが…」
「ふん、別に、単に国の政権が代わるくらいならば何も思わん。じゃが――どうも今回もまた、『戦い』の音が聞こえた気がしての」
「師匠……」
「ともかく、おそらくマティアスは黒じゃ。ラーゼンの死によって奴のみが甘い汁を吸って居る。ただ疑問は……奴ごときにどうしてそんな芸当ができたのか。その点じゃな。マティアス自身は指揮官としてはともかく、戦士としてならいくらか上に見積もっても、精々お主に及ばぬ程度であろう。……やはり何か大きなバックが付いているかもしれんのう」
「大きなバック?」
「……他国か……はたまた超常の何かか―――」
そこで、ゾラは思案を打ち切った。
これ以上深入りはマズいとでもいうように立ち上がる。
「まぁいい、ともかく――ユピテルはまた荒れそうじゃ。離れた方がいいじゃろうな」
「……いいんですか? 前は無理にでも戦争に参加したようですが」
「……今回は、ちとワシの手の出る範囲を逸脱しているような気がするのじゃ。さっさとユリシーズと合流しなければな。あ奴がまたバカをする前に…」
なんて心配そうな顔をしながら北を眺めるゾラに、思わずダルマイヤーは微笑みがこぼれる。
「……師匠、結局『摩天楼』殿の事好きですよね」
「ふん―――ただの腐れ縁じゃよ」
鼻の頭を掻きながら――ゾラは酒場の扉を開けた。
そして―――その酒場から、少しだけ歩いたところだった。
そこは確かに、メインストリートからは外れた位置だ。
穏やかでない会話をするのに、表通りは適さないと思い、裏通りの店を選んだ。
しかし――これほど店の前の人通りが少なかっただろうか。
「ダルマイヤー……」
「……ええ」
いや、少ないどころではない。
―――皆無。
闇夜の中、その道は、わずかなランプの光以外に、何も見えない。
やけに異様な空気を感じた。
ダルマイヤーもゾラも――険しい表情で足を進める。
そして―――。
「―――!?」
そのプレッシャーは、ダルマイヤーを襲った。
道の前方。
どこからもなく現れた、2つの影。
「―――ハッハッハッハッ! これは運がいい。向こう側に行く可能性が高い厄介な老人が――1人でわざわざ出向いてくれたとは!」
二つの影の片割れ―――高笑いをするのは、水色の髪の少年。
この世の物ではないと思わせる雰囲気の――異質な少年だ。
だが、それ以上に……。
「師匠……コイツ……」
「ああ……確かに、これは―――ゼノンをもやったというのも頷ける……」
その少年の隣。
フードで顔を隠した男の――尋常でない圧が、ゾラにそこまで言わしめた。
無論、その高みがどれほどか、未だダルマイヤーには分かりはしない。
だが、ただ一つ分かる事がある。
80を越えながら、現役バリバリの剣士であり、この世で最も多くの戦場を経験した神撃流最強の男――ゾラ。
かつてあの『烈空』を前にしても余裕を崩さなかった歴戦の剣士が……額から汗を垂らしながら、たじろいでいたのだ。
そんな相手―――ダルマイヤーが彼の弟子なって以来、今まで一度も見たことはない。
「――なるほどな……。この首都の異様な現状―――全て貴様らの仕業か……」
「答える義務はないよ、『魔断剣ゾラ』。君もまた……予想を超えて強くなった不特定因子だ。まさかここまで生き残るとは思っていなかったけど……まぁ、もう十分だろう」
水色の少年の声が――低くなった。
そして静かに――一言。
「――やれ」
「―――!」
少年の命令口調に――隣のフード……遥か格上の剣士が動いた。
瞬間、ゾラが剣を抜き放ち――ダルマイヤーの前に立った。
「――ダルマイヤー、お主は逃げろ! ユリシーズを頼れ!」
「し、師匠!?」
「束になっても、コイツには勝てん。逃げるんじゃ!」
「で、でも――」
「早くしろ! ワシの命を……無駄にするな!」
その横顔は―――かつてないほどの覚悟を感じた。
そして、小さく――語りかけるように、老人は言った。
「―――あのバカ女に伝えてくれ。約束を守れなくて……すまないとな」
「――――!」
そんな――何か悟ったような師を見て……ダルマイヤーは剣を収めた。
師の生き様を―――この現状を――言葉を伝えるために、歯を食いしばり――走り出した――。




