第23話:ヒナの憂鬱
ヒナ視点です。
● ● ヒナ視点 ● ●
―――あのときから。
ヒナはずっとアルトリウスの事を考えていた。
あのとき、というのはこの間バリアシオン家にお邪魔した帰り際だ。
「―――似合うと思って」
自分の手を取り、髪留めを手渡した彼の声が頭から離れない。
「なんなのよ、もう」
ヒナは部屋で1人、ベッドに横になりながら髪留めを手に取る。
綺麗な紅い髪留め。
所詮は子供のお小遣いで買える程度の物だろう、そんな高級品では無かったが、光に照らすとその赤色は際立ち、美しくみえる。
―――つけていかなきゃ失礼よね?
と思いながら、丁度目にかかって鬱陶しかった前髪を、貰った髪留めで固定する。
アルトリウスが言っていたように、大人用の物だったので多少顔に対して大きく感じたが、まあ様にはなっていただろう。
そのまま階段を降り、朝食を取っていると姉が部屋から出てきた。
姉とは同じ学校に通っているが、登下校は別にしている。その方が何かと都合もいいし、一緒に仲良く登校するほど仲が良くない。
「あら、ヒナ、今日は遅いのね」
姉は起きるなりヒナの正面に座ると席に座り、侍女に朝食を催促しながら言う。
「そうね、私だってたまには寝坊するわ」
ヒナは返事をしつつ、急いで朝食を口に放り込む。
「ふーん、寝坊ねぇ・・・・その髪飾りをつけるのに手間取ってたんじゃなくて?」
「ぶっ!!」
パンを吐き出すことにはならなかったが、飲んでいた水は吹き出してしまった。
「綺麗な髪飾りねぇ・・・・男かしら?」
姉は意地悪な顔をしながらヒナをニヤニヤみている。
「違うわよ! もう! ごちそうさま!!」
ヒナは残りの水を一気に飲み干すと立ち上がり朝食を終える。
「あら、もう行っちゃうの? 恋の悩みなら相談のるわよ?」
「だから違うって言ってるじゃない! 行ってきます!」
ヒナはそう言って荷物を持つと、ドアを閉めて学校に向かう。
全く姉は、学業はおろそかなのにこういう時だけは鋭い―――じゃない、鋭くない。
自分は恋なんてしていない―――はず。
アルトリウスは、そう、ライバル。
倒すべき相手。言うなれば、敵。
だから意識しているのは敵として。
これは恋じゃない、恋じゃない。
ヒナは初めのうちはそう言って自分に言い聞かせていたが、
「今日も付けてきてくれたのか、似合っているよ」
髪留めをつけて行くたび、アルトリウスは必ず言う。
アルトリウスの事だから、お世辞か礼儀、挨拶程度に思っているのかも知れない。
でも、そう言われて喜んでいる自分がいるのがわかる。
「せっかく貰ったんだから、付けないと損でしょ」
と無愛想な返事をしつつ、ヒナは顔のニヤケを隠すのに毎回必死であった。
あれからも何度か彼の家には呼ばれたが、部屋で2人きりになるたび、ヒナの心臓の鼓動は早くなりがちだった。
話しているのは、最近の元老院の政権交代の話だったり、新しく覚えた魔法の話だったりして、全くときめく要素などないはずだったのだが。
当のアルトリウスは何やら最近、顔色があまり良くない。風邪でも引いているのだろうか。
「大丈夫だよ。最近忙しくてね」
と、以前図書館で倒れていたときのような顔をしながら言う。
まあ言いたくないのなら詳しくは聞かないが、元気のないアルトリウスを見るのは辛い。
ともあれヒナはこのことを、最近できた友人に相談することにした。
● ● ● ●
先日、学校の課題の参考書を買おうと思い、本屋に立ち寄った。
下調べしていたおかげで目的の本はすぐ見つかり、購入して立ち去ろうとすると、隣のレジで見知った顔を見かけた。
リュデだ。
「こんにちは」
ヒナは会計を終わらせた彼女に話しかけた。
「あっ・・・えーと、ミロティック様!」
リュデは一瞬ビクッと驚いたが、話しかけたのがヒナだとわかると名前を呼んで深くお辞儀をしてきた。
それにしても本当に可愛い子だ、とヒナは思う。
亜麻色の髪をポニーテールにし、クリッとした目はとても綺麗で、見つめられると女である私も照れてしまいそうだ。
「あー、そんなかしこまらなくていいわよ、ヒナって呼んで」
「はい、ではヒナ様、先日は大変お世話になりました。家では大したおもてなしも出来ずにすみません」
まあ呼び方が変わっただけな気がするが、いいか。
一応、彼女は奴隷の身分であるらしいし、それに対して自分は大貴族の子供だ。
親しく接するのは、端からするとあまりよくないことなのかもしれない。
ヒナとしては、特に気にしないが。
「いえ、大したことしてないわよ。それより、さっきは何の本買ってたの?」
「えっと・・・アル様に頼まれた『集団における精神的安定性の確保』と・・・こちらは私個人の『軍神ジェミニの英雄譚』ですね。ついに第3巻が出たと聞いたので」
アルトリウスは相変わらず難しい本を読んでいるが、軍神ジェミニの本は自分も読んだことがある。
たしか『八傑英雄譚』の最新作だ。
「へえ、『リンドニウム・ハーミット』の『八傑英雄譚』ね。やけに流行ったわよね」
「ヒナ様、『八傑英雄譚』、読んだことがあるんですか⁉︎」
そう言うと、リュデの顔は急にぱぁー、と明るくなり、興奮した声で聞いてきた。
ああ、そういえば、アルトリウスが、「リュデは本が大好き」とか言っていた気がする。
「ええ、『軍神ジェミニ』のは、2巻が家になかったから、1巻しか読んでないけれど」
「そうなんですか? あの、私、2巻持ってます! よかったら借りに寄ってって下さい!」
「え? まあ時間もあるし、いいけど―――」
そういうと、リュデはヒナの手を取り、そのままバリアシオン邸まで連れてきてしまった。
「あら、リュデお帰りなさい。ヒナちゃんもこんにちは。今日はアルはいないのに、珍しいわね」
バリアシオン邸に入るなり、アティアが出迎えてきた。どうやら今日、アルトリウスはいないらしい。
「今日は私が呼んだんです。本を貸そうと思いまして」
「あらそうなの。リュデは本のことになると積極的ねえ」
アティアは微笑みながらそう言った。
ヒナは、まさにその通りだ、と思う。
前会ったときはもっと控えめな子かと思っていた。いや、もしかしたらわざと控えめにしていただけか。
リュデの部屋はアルトリウスの部屋ほどではないが本でいっぱいだった。
「すみません、お姉ちゃんと共用の部屋なんで、ちょっと狭いんですけど」
リュデはそう言いながら、軽く机を片付けると小さい木の椅子を並べた。
「どうぞお座り下さい」
ヒナが言われるがままに座ると、リュデは書棚から何冊か本を取り出した。
「えっと、これが『軍神ジェミニ』の2巻です、あとこっちは同じく『リンドニウム』が書いた『セントライトの英雄譚』です。良かったらどうぞ」
そう言って、本を手渡してきた。
「あ、ありがとう」
ヒナがあまりの勢いにあっけにとられていると、
「あ、すみません、ちょっと待ってて下さい」
と、気づいたように言って、リュデは部屋の外に出て行ってしまった。
ちなみに『軍神ジェミニ』は40年程前、共和国がヒットリア大陸を制覇した際活躍した『八傑』の1人で、今でも存命しているらしい生ける伝説だ。
確か、たった1人で、一軍を相手取ったとかいう逸話が残っている。
――――まあ流石に脚色でしょうけど
『軍神ジェミニの英雄譚』に限らず、リンドニウム・ハーミットの書く『八傑英雄譚』は、絶対にありえない現象に、やけにリアリティを持たせる文章なのだ。それが人気シリーズとなった秘訣かもしれない。
しばらくするとリュデが紅茶とお菓子を持って戻ってきた。
「遅くなってすみません」
コポコポ、とリュデがカップに紅茶を注ぐ。
そんな姿を見ながら、ヒナは話しかけた。
「それにしても、本当に本が好きなのね、バリアシオンが言っていた通りだわ」
本好きがここまでだとは、ヒナは思っていなかった。
奴隷と言えば、文字が読めるだけでも真っ当な方だ。それなのに、このリュデという少女は、恐らく自分よりも多くの本を読破しているのだろう。
リュデは紅茶をいれながら、何でもないかのように話す。
「いえ、私なんてアル様と比べればまだまだです。ここにある本なんか、アル様は4歳で読み終えてしまってましたから」
ヒナにとってはなにか聞き捨てならないことを聞いた気がする。
「あいつ、4歳からそんな化け物だったの?」
「はい、私もその時分にアル様から文字を教えてもらいました」
「え、あなたに文字を教えたのはバリアシオンなの⁉︎」
「はい、3歳の頃から色々と教えてもらって・・・」
気づくと2人はアルトリウスの話で盛り上がっていた。
ところどころ学校の授業の話や、歴史の話など難しい話題などにもついてくるあたり、リュデが博識なのは本当の話のようだ。
よっぽど学校に通っている他の貴族の坊ちゃんなどと話しているより有意義な時間だった、とヒナは思う。
とまあ、ひょんな事からリュデと仲良くなったヒナは度々リュデを目的にバリアシオン家に来ることも多くなっていった。
帰ってきたら夕食の席にヒナがついていたので、アルトリウスは不思議そうな顔をしていたが。
● ● ● ●
「ヒナ様、それは恋ですね」
ヒナはところどころ、主に相手が誰かをぼかして、昨今の自分の悩みをリュデに打ち明けたのだが、彼女はさらりと結論を言ってのけてくれた。
「・・・・・」
「だって、そのアル――――Aさんのことを考え過ぎて眠れないし、Aさんに会うとドキドキして、Aさんに褒められると顔のニヤケが止まらないんでしょう?」
「・・・・・」
ヒナは黙秘する。
「恋です、恋。ヒナ様初恋おめでとうございます!」
そういうとリュデはきゃー、と言いながら部屋の中を飛び回る。
ちなみにここはバリアシオン邸のリュデの部屋だ。
リリスという姉と共用のようだが、リリスはあまり部屋にいない。
侍女としての仕事があるようだ。リュデは仕事をしなくていいのだろうか?
いや、一応自分という客の相手をしているか。
「ありえないわ! 私が恋なんて・・・あんな姉をみていて恋なんてするわけないじゃないの!」
ヒナの姉は恋に生きている。
まだ10歳だというのに毎日のように男を取っ替え引っ替えして学校中を練り歩いている。
その姿に、ヒナは嫌悪感しか抱いていなかった。
「もうー、言い訳がましいですねぇ―――他人なんて関係ないですよ?」
最近では、リュデも随分とヒナに心を開いてくれている。開きすぎなくらいだ。
「でも・・・・」
「あーはいはい、じゃあわかりました。先人の教えに従いましょう」
反論をしようとするヒナを嗜めると、リュデは棚から一冊の本を取り出す。
題名は―――、
「『全ユピテル恋愛指南書』? 聞いたことない本ね・・・」
「知らないんですか⁉︎ 十数年昔から大ヒットし続けてる恋愛指南書ですよ!」
そういいながら、リュデは机に指南書を置くとページをめくり始める。
それにしてもリュデもこんな本を持っているということは、恋愛に興味があったのだろうか。
「えーと、えーと・・・・初恋は・・・・あ、ありましたよ」
目当てのページを見つけたらしく、リュデは本をこちらに手渡す。
『初恋~基礎編・これって恋?
最近、やたらと気になる異性が…そんな事ありますよね。でもそれが果たして恋かどうかよくわからない。
そんな悩みを解決する3つの質問があります!
これに該当した場合、あなたは間違いなく恋をしている、と言えるでしょう!』
なるほど、質問に答えてそれに当てはまれば認定されるのか。さらに読み進める。
『質問その1、1人でいるときなど、気づくと彼のことを考えている』
これは・・・・まあYESだ。
最近はいつもアルトリウスの事ばかり考えている気がする。
『質問その2、話しているだけでテンションが上がり、ちょっとした一言でドキドキしたりする』
・・・・まあこれもYESか。
髪留めが似合ってると言われただけで口元がにやけてしまっていた。
事実は変えようがない。
『質問その3、彼が他の女の子と話していたり一緒にいたりするのが嫌だ、モヤモヤする』
・・・・あったかな?
特に最近そういうシチュエーションになった事がない。
じゃあNOだ。
うん。
ないことはYESとは言えない。
「NOよ、NO!」
ヒナはそう叫んで、本をリュデに返す。
「えー、もうー恥ずかしがらなくてもいいのに・・・・」
「別に恥ずかしがってないし!」
「まあヒナ様、ツンデレって感じしますもんね」
「ツン・・・・・なによそれ」
「普段はツンとした態度を取るんですが、好きな人の前とかになるとデレっとしちゃう人ですよ!」
「私、デレたことないわよ」
「そのうちあるんですっ」
結局、相談したはいいが、リュデにからかわれただけな気もする。
はじめは、身分の差を感じていたのか、恥ずかしがっていたのかは知らないが、すごく大人しい子だったのに、変わるものである。
しかし、ヒナにとってこういった友人は珍しい。
他の家の奴隷と仲良くするなんて、家の者が聞いたら嫌な顔をするかもしれないが、対面上はアルトリウスを訪ねてきているので大丈夫だろう。
もしも何かあったら、全力でリュデのことを守る所存だ。
その日はアルトリウスの帰ってこないうちに迎えを寄越して帰宅した。
● ● ● ●
「今回の実力テストは異様にレベルが高かったな・・・・平均点が40点を下回るとは」
「そうね、あなたが100点以外取るなんて思わなかったわ」
次の日は2年進級時最初に行われた実力テストの答案が返って来た。
今回は過去に類を見ないほど難しく、あのアルトリウスが初めて満点を逃したほどだ。
「君としては、今回は俺に勝つ千載一遇のチャンスだったわけだが」
「うるさいわね、次こそは絶対勝つわよ」
もちろん、ヒナも満点どころか、軒並み点数を下げていたので、アルトリウスに勝った教科は一つもない。
しかし、最近アルトリウスは元気がなかったのだが、今日はなかなかに上機嫌だ。悩みが解決されたのだろうか。
「アル君、帰ろ!」
ヒナがそんなようなことを考えていると、黒髪の可愛らしい少女が私たちの教室に入ってくるなりアルトリウスに話しかけて来た。
たしか、ドミトリウス家の娘だった、とヒナは思う。この間ヒナがバリアシオン家に初めて呼ばれた際、アルトリウスに耳打ちをした子だ。
最近見ないと思っていたけど、特に疎遠になったとかではなかったようだ。
「ああエトナ、今いくよ。じゃあミロティック、テストの反省会はまた今度だ。」
「え、ええ。別にいつでもいいわ」
「ああ、またな」
そう言ってアルトリウスは黒髪の少女と帰って行った。
ヒナはそれを座って見送っていたのだが、
モヤァ
なんだかあまり気分が良くない。
不安になるというかなんというか。
以前は感じなかった感情だ。
そしてヒナはリュデの部屋で読んだ本のことを思い出す。
『質問その3、彼が他の女の子と話していたり一緒にいたりするのが嫌だ、モヤモヤする』
「――――もうダメね」
認めよう。
――――私はアルトリウスのことが好きだ。
ヒナは恋心を自覚した。
● ● ● ●
ヒナの転校が決まったのは、それから半年後のことだった。
リュデは身分差は一応理解していますが、それ以上にアルトリウスの言う事が絶対です。「ヒナとは仲良くなれるだろう」と言われたので、他人を気にせず仲良くしちゃってます。
察しはいいので、ヒナの思い人がアルトリウスであることには気づいています。むしろ惚れて当然。アル様に惚れない女性なんていない、と思っています。妄信です。
読んでくださり、ありがとうございました。
 




