第208話:兄
―――『鴉』。
それは代々受け継がれる闇の帝王の称号。
この世の裏に君臨する、畏怖と恐怖――それらを一身に集めた、最強の暗殺者の称号だ。
『鴉』の一族は、子供が生まれた瞬間、英才教育が始まる。
最強の暗殺者となることを義務付けられた『鴉』の宿命だ。
幼少の頃から、何度も魔力を欠乏するほどの修業に、拷問に耐えるため様々な苦痛を味合わされる。
それで子供が死のうと、問題はない。
修業に耐えられない時点で――『鴉』になるためには不足なのだ。
あらゆる苦痛と修業を乗り越えた先に――『鴉』という称号は与えられる。
そんな代々の『鴉』の中でも――ククルの兄、クロウは天才だった。
まだ10にも満たないというのに、『鴉』の暗技を全て覚えた。
どんな苦痛にも、修業にも根を上げず――その倍を持って一族を驚かせた。
当時の『鴉』――2人の父親は、大層喜んだ。
『最高傑作の完成だ…これで後継は決まったようなものだ』
と、そう言った。
そんな兄とは対照的に――ククルは不器用だった。
兄と同じ特訓をしているのに、兄と同じ遺伝子のはずなのに、奥義も暗技も中々覚えられない。
拷問にもすぐに根を上げたし、魔力量も多くなかった。
『チッ、こっちは出来損ないか…』
父は兄を褒める傍ら、ククルには辛く当たった。
『鴉』の系譜の中で重要なのは『暗殺者』としての完成度のみ。
ククルのような落ちこぼれは、一族の恥だと言われ、命は軽んじられる。
それがこの家系の習わしだ。
一族はこぞって兄を称え、こぞってククルの存在を疎んだ。
完璧である兄――クロウの唯一の汚点とまで言われた。
服も食事も、全てがククルとクロウでは違った。
そんなククルに優しくしてくれたのは――当の兄――クロウだけだった。
『全くしょうがないなぁククルは』
技を習得できないククルに、兄は呆れながらも一緒に修業に付き合ってくれた。
父に怒鳴られるククルを庇ってくれた。
『大丈夫。いつか、こんな腐った世界を抜け出して――2人で平和に暮らそう』
『兄さん…でも私は――兄さんみたいにすごくないし…兄さんの足手まといになっちゃうよ?』
『心配ないさ。大丈夫―――全部兄さんに任せて』
『でも…』
『――たった2人の兄妹なんだ。最後まで――ずっと一緒さ』
裏で泣くククルを、優しくそっと慰めてくれた。
そんな2人に転機が訪れたのは、兄が10になったころだった。
2人の父―――『鴉』の当主が死んだのだ。
最強の剣士『聖錬剣覇』を相手に殺されたのだとか。
敗北した『鴉』の権威を取り戻すため、そして、震撼する裏の業界を早々に纏めるため――早急に次期当主を決める必要があった。
選ばれたのは兄―――クロウだ。
年若いながら…クロウの実力は、当時の一族の中では抜きんでていたのだ。
《継承の儀》が、すぐに行われた。
その日、唯一『鴉』の一族が全員集うその儀によって、クロウは『夜叉鴉』として、今代の『鴉』の当主を襲名した。
そして――その夜。
全ての『鴉』が死んだ。
言うまでもない。
『夜叉鴉』を襲名したクロウが――一族が全員集うこの日を狙って、その全てを皆殺しにしたのだ。
『――ククル。やったよ…これで――俺達は自由だ…』
真っ赤に返り血に塗れながら、兄がそう言った事を、ククルはよく覚えている。
実際、確かに――彼らは自由になった。
一族に縛られることも、暗殺者として生きることも無くなったのだ。
しかし―――。
王国は―――社会は、そんな幼い子供が2人きりで生きていける場所ではない。
特に―――真っ当に生きていくには、2人は既に闇に染まり過ぎていた。
元来、人殺しなどは嫌いな――優しい心根を持つクロウだったが、幼い妹を食べさせていくには―――再び裏の世界に入る以外手段はなかった。
『兄さん、私も――お仕事手伝う』
『駄目だ』
兄の力になりたかったククルを、クロウは拒否し続けた。
『こんなクソみたいな世界…俺だけで充分だ』
そう言って、兄は毎夜のごとく1人で出かけていった。
いつも明け方に、ボロボロになって帰ってくる兄。
返り血をククルに見せないように疲れた体で必死に掃除をする兄。
『――ククルが笑ってくれるだけで、充分さ』
そう言って――少しも辛い顔をしない兄。
でも…その兄――クロウに症状が現れたのは、そんな生活が10年ほど続いた時だった。
その朝―――クロウは、血を吐いて倒れていたのだ。
『兄さん!』
『…ゲホッゲホッ…大丈夫だ…』
強がるクロウを医者へ連れて行った。
しかし、いくら治癒魔法をかけても一向に治る気配はない。
いくつか治癒院を渡り歩き――闇医者まで頼った時、ようやく原因が分かった。
《魔力核》の限界―――。
特に成長期に、何度も肉体の限界を超えて魔力を行使し、魔力欠乏になるほど魔力核を酷使するような生活を続けると――次第に魔力核が傷つき、心臓をむしばんでいくようになるのだとか。
魔法の世界ではよく言われている事だ。
あまり若いころから無理をすると――寿命が縮む…と。
実際――クロウは幼い日から、何度も命を懸けた戦いを繰り返している。
魔力欠乏など、いくらでも経験しているだろう。
そうなってしまってもおかしくはなかった。
『―――治す方法は…?』
『ないね、不治の病だ。それに…もう大分進行している。持って数年といったところだろう』
闇医者にはそう言われた。
表面的な身体の治癒は可能だが――魔力核を癒すことはできない。
魔法を使えば使うほど――クロウの魔力核は傷つき、限界が近づいて行く。
当面は安静にしておく以外に療法はないらしい。
ククルは兄に仕事をすることを禁止した。
幸い――この10年で、ククルは少しずつ、「真っ当」な生活に足を踏み入れており、下町の酒場での「真っ当」な仕事も始めたところだ。
兄が無理して暗殺なんてすることはないのだ。
兄をベッドに押し付け―――昼間は酒場の仕事に向かう。
「普通」の生活をしているククルを見て――兄も素直にベッドで待っていてくれた。
そしてその傍らで―――ククルは治療法を探した。
―――絶対に…兄さんを助ける…。
かつて、どれほどの物を兄に貰ったか。
どれほど助けて貰ったか。
今の自分があるのは誰のおかげか…。
身を粉にして、ククルの為に仕事をする兄を、何度見てきた事だろう。
何度彼の言葉で、生きる意思を取り戻したことだろう。
ずっと1人で頑張ってきた兄を、ククルはずっと見てきた。
―――死なせやしない。
暇な時間を見つけては方々を歩き、様々な薬や、治療法を探した。
表も裏も関係なく、どんな医者でも少しでも可能性があれば訪ねた。
でも、ダメだった。
まるで自然の摂理だとでもいうように、兄の身体は治せないと――そう言われ続けるだけだった。
『――きっと…人をたくさん殺してきた罰だよ』
兄はそう言う。
彼は、やりたくもないのに―――感情を無にし「暗殺者」として人を殺してきた。
『別にいいさ…。お前が「普通」に―――真っ当に暮らしていけるなら、それだけでも頑張ってきた甲斐があったよ』
そう言って――それが定めだとでもいうばかりに、死を受け入れている。
『――兄さん…』
でも、ククルにはそんなこと受け入れられない。
―――嫌だ…そんなの…兄さんが死んじゃうなんて―――。
まだククルは兄に何も返していない。
全部を貰って――何一つ返せないなんて、そんなこと…。
『神聖教』が接触してきたのは、そう――ククルが悩んでいるときだ。
酒場を訪ねてきた商人――ネルソン・ビブリットは言った。
『――貴方…『鴉』の関係者ではないですか?』
いったいどこから仕入れてきたのか、ククルの正体を言い当てた彼は――小声で言った。
『―――神の力に不可能はありません。我らが主―――神の力があれば、貴方の兄も見る間に元通りになるでしょう』
『神の力――?』
『はい。かつて大陸を支配する事すら可能にした神の力―――。人の病を治すどころか――不老不死すら叶えるという超常の力です』
『―――!』
突拍子もない話だっただろう。
だが―――商人の言葉は不思議と真に迫る物があった。
どんな治癒師も医者も治せないという不治の病――それを治せるのは、人外の力くらいじゃないとあり得ないと――腑に落ちるところがあったのかもしれない。
―――もう…これしかない。
ククルはそう思った。
『――その代わり…その実現のためには少々「手」が不足しているのですよ…』
『…何をすればいい?』
ニヤニヤと笑う商人に――ククルは答えた。
『鴉』として――ククルが再び裏の世界に足を踏み入れた瞬間だった。
必死だった。
もうずっと使っていなかった奥義を必死に思い出し、やりたくもない仕事をいくつもこなした。
奴らが計画に邪魔だという人間を数えきれないくらい殺した。
奴らが必要だという人間を、何人も、何十人も、何百人も攫った。
それで、兄さんが治るなら。
また元気に歩いてくれるなら―――。
そのためなら、何でもできた。
いくら手が血で汚れようと、どれだけの人間に恨まれようと、兄のためなら怖くなかった。
それが――ククルが戦う理由であり、ここにいる理由だった。
● ● ● ●
「――ごめん…ごめんなさい兄さん……私が勝手なことをしてしまったばっかりに…」
血を吐きながら横たわる―――『夜叉鴉』の胸の上で、その妹が、慟哭するように涙を流している。
俺の眼前に広がるのはそんな光景だ。
泣きはらす妹を相手に―――俺は剣を収めた。
まぁ元々、人殺しは趣味じゃない―――というのもあるが、正直これ以上は俺の身体も限界であった事の方が大きい。
魔力を収めるとわかるが…全身が悲鳴を上げている。
このまま徹底抗戦を主張して『鴉』2人を相手にするのは、正直キツイ。
俺の目的はこいつらを殺すことではなく、エトナを助けることだ。
向こうが戦わないというのなら、それに乗っかる方がいいだろう。
「……相変わらず…不器用だな…ククルは…」
倒れた夜叉鴉から掠れた声が聞こえた。
「兄さん…」
「――俺は…お前が元気で笑ってくれていれば…それでいいんだよ」
血に染まった手で…夜叉鴉は妹の頬を撫でる。
「―――兄さん…」
妹は、兄の胸に顔を埋める。
そこにあるのは、ただの兄妹の姿だろう。
「……」
俺はそんな兄妹に背を向ける。
こんなところで時間を食う必要はない。
まだまだやらなければならないことがある。
そう思ったのだが、
「――烈空とやら…」
掠れた――男の声が俺を呼び留めた。
「――いいのか、俺達を見逃して」
「……追ってくるなら――容赦はしないが」
そう答えると、不思議と呆れたようなため息が聞こえたような気がした。
「そうか…お前も大概―――甘いな」
「……」
甘い自覚は――ある。
けど――剣を合わせたからこそわかる事もある。
『鴉』―――そう呼ばれるこの2人が、好きで剣を振っているわけじゃないということ。
彼らにも何か戦わなければならない理由があったのだろう。
「…一つ、先達として忠告して置こう」
すると、『夜叉鴉』は選別だというように言葉を残した。
「これは…力を求めた罰だ。身に余る力を望み、それを手にした代わりに与えられた罰―――。一種の自然の摂理…人の営みの一部だ。抜け出すことなどできない」
身に染みるような、見てきたような、そんな――言葉。
「それよりも……残された時間は有意義に使うんだな。大切な人とのかけがえのない時間を、な…」
「……覚えておこう」
そして、俺は歩みを進めた。




