第199話:帰ってきた少女
区切りの関係で少し短いです
「―――ヒナ、君は…王都に戻ってくれないか?」
「―――どういう意味よ」
《深淵の谷》。
『闇狗』ウルのおかげでエトナの居場所を知る事ができたアルトリウスは――そのままその足で聖地…『龍眼の湖』へ行く事を決断した。
それなのに――ヒナには王都ティアグラードに戻って欲しいという。
「…聞いただろ? 白騎士モーリスは、『聖地』を探していたという…神聖教徒だ」
そしてエトナの居場所が『聖地』だというのなら、『神聖教』はおそらく敵。
ウルの証言のおかげで…白騎士モーリスは限りなく黒―――『敵』陣営だということが分かった。
頭の回転では世代屈指である2人である。それが分からない筈がない。
《深淵の谷》にウルがいることは確かに本当だったが、しかしアルトリウスはその白騎士の口車にまんまと乗って王都を離れてしまったことになる。
白騎士の思惑がどこにあるのかは―――アルトリウスもヒナも読み切れていない。
だが、底なしの不安が2人を襲っていることは事実だ。
「王都が…リュデ達が心配だ。かと言って…エトナの居場所を知って放置することもできない」
エトナの居場所――《龍眼の湖》へ行くには、王都を経由するのは遠回りになる。
この《深淵の谷》から直接行く方がタイムロスが少ない。
エトナの居場所が分かったとしても、身の安全までわかっていない以上、そちらを放っておくわけにも行かない。
アルトリウスも、かつてないほどの不安そうな表情をしている。
『八傑』が敵としている都市に、大切な仲間たちを置き去りにしてきてしまったのだ。
エトナも王都も―――心配事は尽きない。
「だから…君には、一度王都に戻って欲しい」
ヒナは戦闘能力的にも頭脳的にも――事実上、アルトリウス陣営のNo2だ。
アルトリウスが最も信頼を置いている人間でもある。
彼としても、とりあえずヒナがいてくれれば一安心ということもあるかもしれない。
幸い―――《深淵の谷》から王都への帰り道は、往路よりは楽だ。
なにせ、険しい山岳部は、ウルの居住区からの地下通路でショートカットできるらしい。
むしろ、谷を降りてきたということにウルもユリシーズも驚いていた。
正式なルートである地下通路を使えば――ヒナ1人でもそれほど時間をかけずに王都まで戻ることができる。
「――でも…」
ヒナとしては、アルトリウスと共にいたかった。
そもそもここまでついてきたのも、彼の身体が心配だったからなのだ。
これから敵地へ乗り込むというのが分かっているのに、彼を1人にしてしまうなんてこと…ヒナからすると心配で心配で仕方がない。
「…頼むよヒナ」
「――バカ。なんて顔で頼んでるのよ…」
酷い顔だ。
不安でひしゃげてしまいそうな顔だ。
でも、きっとヒナが王都に戻らなければ、もっと酷い顔になるのだろう。
自分の事なんかより、周りの人の事ばっかり考える…そう言う人だ。
――私たちにとっては貴方が誰よりも大切なのに。
「……」
「――ヒナ…」
ヒナはアルトリウスの頬に手を伸ばす。
昔は少し背伸びすれば届いた彼の唇は、今は屈んで貰わないと届かない。
「―――ん……」
冷たい彼の唇に、自らの唇を合わせる。
他の子がいないときに抜け駆けかもしれない。
でも…どうしてもせずにはいられなかった。
「…わかったわよ」
短いキスを終え、ヒナは呟くようにそう言った。
「…王都の事は、私に任せなさい」
アルトリウスなら、きっと大丈夫。
本当は、ヒナが守る必要なんてないくらい凄い人なんだから。
「ヒナ…」
「だから貴方も――絶対にドミトリウスさんを連れて…ちゃんと帰ってきて」
そして、真っすぐにアルトリウスの焦げ茶の瞳を見つめ、そう言った。
「――ああ」
少しだけ――アルトリウスの表情が和らいだ気がする。
「――ヒナ、ありがとう」
「…困ったときはお互い様よ」
いつものように、ヒナはそう答えた。
● ● ● ●
―――考えられるかぎり最悪の状況…。
現在の王都をヒナがそう評したのも、あながち間違いではない。
ヒナが王都に着いた時――既に遠目からでも火の手と煙は見えていた。
何かが起こった…。
そう判断し、急いで入都。
中は―――まるで地獄絵図だった。
焼け、燃え、崩れ落ちる建物に、逃げまどう人々。
白い服を着た集団が、狂気の声を上げながら明らかに非戦闘員である人々を切り殺す―――。
王都はそんな魔境と化していた。
怒りと、戸惑い。
アルトリウス隊の皆やリュデ、穏健派の人たちの心配。
そして、事が起こった時に王都にいられなかったという自責の念。
―――任されたんだから…何とかしないと!
歯を食いしばりながら炎の精霊を召喚し―――ヒナは駆け出した。
目に付く白服を吹き飛ばしながら――ヒナはその白服の向かっている方向、「王城」へ向かった。
そして、王城。
『白騎士』モーリスと、シンシア達の間に起こっていた戦闘に介入できたのは、なんともギリギリのタイミングだった。
そして――やっぱりこの『白騎士』は敵。
シンシアと戦闘をしているのだからそう断言して構わないだろう。
やはり『白騎士』は何らかの思惑で、アルトリウスを王都から引き離す魂胆だったのだ。
「――ヒナ…どうしてここに? 隊長はどうしたんですか?」
「…その話は後よ」
息を切らせながら尋ねる金髪の少女シンシアにヒナは短く答える。
長々とそんなことを話している余裕なんてものはない。
相手は『八傑』。
師や、軍神と同じ――この世の頂点の一角だ。
「――状況は?」
「――えっと…神聖教の暴動が起こって、王都は大混乱して――アルトリウス隊は暴徒の鎮圧と、女王の救出に手を貸すことになりました」
「…じゃあやっぱりこの『白騎士』も――『神聖教』ってことね」
「間違いなく」
「そう…」
アルトリウスの杞憂が、現実に起こってしまったということだろう。
敵は神聖教――もっぱら眼前の白騎士。
視界の端に映る青髪の少年は見覚えがある。
確かクロイツ一門のカインという少年で―――アルトリウスの親しい友人だ。
彼がここにいるということは、穏健派は救出がされているのだろう。
「――優先目標は?」
「女王の安全の確保、および暴徒の鎮圧―――できなければ最悪、脱出、です」
「…そう」
リュデも中々に苦渋の決断をしたようだ。
アルトリウスのいない中で、よくやってくれていると思う。
おそらく、状況は芳しくはない。
まさに最悪の事態と言って差し支えないだろう。
――しっかりしなさいヒナ。このために―――私は戻ってきたのよ。
愛する人に任された。
そして、ヒナも彼に、「帰ってきて」と言った。
ならば、帰る場所を用意しておくのは、ヒナの役目だ。
―――まずはこの『白騎士』を―――落とす…!
「――行くわよシンシア。他の班員も―――歴戦の意地をみせなさい」
「――‼ 言われなくとも!」
圧倒されていた面々が、奮起したように立ち上がる。
ヒナの存在は、希望――『勝利』という道につながる物だ。
「さぁ、巻き返しの時間よ!」
かつてないほどの闘志を胸に、ヒナは叫んだ。




