第193話:地下の音
「――陛下……お足元を失礼します」
「ふぇっ!?」
短い言葉と共に――白い修道服の男たち―――『神聖教』の面々と睨み合っていたフィエロが動いた。
驚くべき速さで女王リーゼロッテを抱えると―――そのまま窓へと一直線。
「―――まさか……」
「―――ふっ!」
そして―――ネルソンを尻目に……フィエロは優雅に飛び降りた。
「―――なっ!」
司教ネルソンは驚きの声と共に窓に駆け寄る。
なにせ―――ここは王城のほぼ最上部。
窓から飛び降りて無事で済むわけが―――。
焦りと共に窓の下を覗き込むと―――視界の端で、フィエロと思しき影が、機敏な動作で上手い事下の階の窓から再び王城内に入って行くところが見えた。
彼とてやはりこの高さから地面まで降りるのは危険だと判断したらしい。
『飛行』なんていう反則技―――そうそう何人も使えてはたまらない。
しかし―――ここで『聖錬剣覇』を―――いや、女王リーゼロッテを逃がすわけには行かない。
「―――ちっ! さっさと『闘鬼』をまわしなさい! 何のために連れてきたのですか!」
『聖錬剣覇』の相手は、既に決めてある。
まさか変な抜け道で、女王の部屋までたどり着くとは思っていなかったが……なるほど、こちらもまだまだ知らぬことはあったらしい。
「そんな手で―――神の意思から逃げられると思うなよ……」
ネルソンは歯噛みするようにつぶやいた。
● ● ● ●
―――ああ……やらかしちまったなぁ。
暗い地下―――少年が1人、そんな後悔の心情を浮かべていた。
短髪であった青色の髪は、少し伸び――ところどころやつれているようにも見える、長身の少年だ。
いつもは人懐っこく笑顔を浮かべる少年―――カインであったが、ここ暫くの間は常に暗い表情をしていることが多い。
それもそのはず、もうカインを含めた穏健派―――2000人のユピテル人たちは、この暗い王城の地下に閉じ込められること数週間。
最初は元気のあった男衆も次第に気力を失っていき、毎日行われていた会議も、めっきり開かれなくなった。
何度も脱走の計画は立っていた。
だが、実行には移せない。
地下と言うのは如何せん出口が限られるのだ。
窓もないため、今が昼なのか夜なのかもわからない。
しかも逃げ出すと言っても、カインのように体力のある剣士ばかりではない。
いくらクロイツ一門が武門だといっても、家族まで引き連れた亡命なのだ。
幼い子供や、老婆もいるこの2000人もの集団を、どうやって脱出させるのか―――ひたすらそのことのみを考えた。
だが不可能だ。
たとえ道が開けても、全員無事に逃がすということを考えると、難しい。
カルロスにアズラフィールを交えた会議は次第に誰も話さなくなった。
わずかに配給されていた食料も、ここ2日ほどは途絶えている。
外でなにが起こっているかはわからない。
誰もが――亡命してきたことを後悔し―――今の現状に絶望している。
そんな感じだ。
中でも―――このカインの後悔の念は深いものだろう。
この1年、いくつも後悔していることはある。
まず、先のユピテル内戦で―――ラーゼンに味方せず、亡命してしまった事。
こればかりはカインの立場上、師と父の意向には逆らえない。
仕方のないことだったかもしれない。
でも、あの時もっとカインが父や師に――ラーゼンの思想の高さや、シルヴァディやゼノンの強さ。
そして、自身の友―――誰よりも尊敬してやまないアルトリウスが味方したという事実を―――必死に伝えていたら、こんな事にはならなかったかもしれない。
それに、王国に来てからもそうだ。
カインはなんとなくこの国の雰囲気に―――嫌な物を感じていた。
根拠はないが……特に王都の人々からは負の念のようなものが出ているような気がしたのだ。
ずっとカインたちを後回しにして放置していた王国側にも、不信感はあった。
カインも、穏健派クロイツ一門の次期当主として、何度か協議に出席したことはあるが――どうもきな臭さは感じたのだ。
その時に、もっと声高に主張して、王都から離れるなり、ユピテルに戻るなりすれば……この状況は避けられた。
あの時にはまだ選択肢があったはずだ。
しかし――流されるままに、ときは流れた。
そして決定的な後悔は―――あの日の事。
トトスという剣士に、エトナの護衛を任せてしまった事だ。
いずれ打ち合ってみたいとか、そんなことを考えている場合ではなかった。
エトナを放置してしまったこの選択が――どうにも全てを決定づけてしまった気がする。
なにせそのままエトナも――トトスも戻ってこなかったのだ。
そして、それを皮切りに―――事態は悪い方へ急転した。
『――諸君らユピテルが―――《人攫い》をしているのではないか!?』
『そうだ! 聞くところによると、《烈空》とやらも王国に入国したらしい。共謀してなにをするつもりだ!?』
『人攫い』―――。
当時既に王国を震撼させていた謎の人攫いの犯人に――カインたちユピテルがでっちあげられたのだ。
勿論、父カルロスも――師アズラフィールも必死に反論した。
だが、聞き入れられず―――カイン達はなすすべもなく地下に送られた。
唯一、カインたちの味方であったのは、女王リーゼロッテくらいだろうか。
彼女だけは、ユピテルと問題を起こすことの危険性を問い続けた。
地下送りにされる直前、
『――申し訳ありません。今は――耐えてくださいまし』
そう――ぽつりと耳打ちをしてくれたことを覚えている。
会議の時は堂々たる威厳を持つ彼女も――そう呟いた時は、カインとそう歳の変わらない――やけに儚さを孕んだ少女だった気がする。
だが、そんな少女のおかげで、カインたちは守られた。
処刑ではなく、地下送りにされたのも、女王の計らいのようだ。
彼女がいなければ、この数週間、食料の配給すらもなかったに違いない。
「―――ふぅ」
暗い地下の部屋にもたれかかりながら、カインはため息を吐いた。
思い出せば―――後悔なんて数えきれないくらいある。
亡命を優先して―――最愛の人との結婚式を後回しにしたこともそうだし、エトナを守るという親友との約束を果たせなかったこともそうだ。
―――アル……。
何をやっても勝てなくて、何度も嫉妬した。
なのにどうしても憎めず、尊敬すらしてしまう、変な奴。
カルティア戦役を終わらせ、内戦で活躍した『天剣』の弟子―――『烈空』アルトリウス。
今になって皆は騒ぎ出したが、昔からアルトリウスが尋常でないということは、わかっていた。
誰よりも彼に敗北したカインだからこそ、知っている。
きっと戦争を乗り越えて―――カインなど及びもつかない高みに昇っているのだろう。
―――来てるのか? アル…。
カインは心の中で慟哭する。
地下に送られる直前―――『烈空』が王国に向かっているという話を聞いた。
カインにとっては―――嬉しいような、情けないようなそんな気持ちだ。
アルトリウスが戦争から生きて帰ったことは嬉しい。
再会できるというならこれ以上の喜びはないだろう。
だが反面――カインはアルトリウスに合わせる顔はない。
約束も守れず―――彼の大切な人を失くしてしまった。
何もできずに、地下で捕らえられただけだ。
そしてさらに情けないことに―――、
「――はっ、聞いてくれよアル。俺、お前が来るってんで―――安心してんだぜ」
そう――アルトリウスが来てくれたなら――きっと自分たちを助けてくれると――そう安心してしまった自分がどこかにいるということだ。
この絶望的な状況でも―――どうせアルなら何とかしてくれる。
そんなことを――思ってしまったのだ。
「――ったく」
そこで、カインは思考を現実に戻した。
まだ見えもしない親友の事を考えても、仕方がない。
今は地下。
この状況をどう打破するのかを考えた方がよほど建設的だろう。
そう思い、顔を上げたところで―――ふと、何か振動を感じた。
「―――?」
振動――というよりは、歓声というか―――悲鳴?
そんな音だ。
「――カイン、気づいたか」
少し離れた位置で休んでいた師アズラフィールも――こちらを見た。
「どうやら…上が騒がしい。何かが起こったようだ」
「――上…」
この上は、間違いなく王城。
この振動はただ事ではない。
長らく戦場になどなっていなかったこの王城で――いったい何が起きたというのか。
怪訝な顔をするカインとアズラフィールだったが……。
それとは関係なく―――視界の端にひょこりと顔を出す影が目に入った。
まるで子供のような人影だ。
しかも見覚えがある。
この子は……。
「―――アラン?」
カインはその子供の名前を呼んだ。
「―――カイン兄……」
茶髪の少年―――アランは、カインが名を呼ぶと、少し不安そうな顔をしながら、こちらに駆け寄ってきた。
最近はアルトリウスによく似てきた――彼の弟だ。
「……どうしたんだ、こんなところまで?」
この地下は、いくつかの大きなフロアに分かれている。
一応、それぞれを氏族ごとに分かれて使っていた。
カインたちのクロイツ一門のフロアと、アランたちウイン一門のフロアはそれなりに距離があったはずだが……。
「―――それが……ちょっと気になることがあって……クロイツ一門の人を連れてきなさいって……」
―――気になること……。
よもや子供のいたずらではないだろうが…。
「―――わかった。案内してくれ」
カインは立ち上がった。
● ● ● ●
カインが案内されたのは、ウイン一門が寝床にしているフロアだ。
エトナの事もあり――なんとなくカインは訪れにくかった場所だが―――アランに連れられるまま、カインは進んだ。
アズラフィールもついてきたのは、意外だったが……彼としても、《上》の騒ぎと関連付けて気になったらしい。
アランが止まったのは―――ただの通路だった。
石造りの――幅が2mほどの少し広めの通路。
カインを待っていたのは―――見慣れた家族―――バリアシオン家の面々だ。
無論、全員ではない。
アルトリウスの父親、アピウス。
そして、彼の秘書官に、そして小さな少女―――。
その3人だ。
「―――連れてきたよ!」
「もう、遅いよアラン!」
アルトリウスの妹アイファは、駆け寄っていくアランに呆れたように返事をする。
どうやらここが目的地であることに間違いはないらしい。
「こら、あんまり騒ぐのはやめなさい」
2人を嗜めるのは――アピウス・ウイン・バリアシオン。
優秀な文官だと聞いている。
少しやつれているが―――まぁ今の状況でやつれていない人などいないだろう。
「―――えっとバリアシオン卿、いったい何の用で?」
口火を開いたのは、師アズラフィールだ。
「――これは、青龍剣殿、わざわざすみません」
アピウスは、来たのがカインだけではなく、青龍剣アズラフィールであることに多少驚きながら話し始めた。
「実は――我々の寝床はこの近くなのですが――昨夜から子供達が、何やら音がすると言ってうるさくて…」
「…音?」
「ええ、あまりにうるさいので、調べてみたら―――どうやらこの通路の壁から、音が聞こえてくるんですよ」
「凄い音だよ!」
「なんか、ゴリゴリ削るような音! さっきから上もうるさいけど……アランがいない間にこっちの音も大きくなってる!」
子供たちも無邪気に教えてくれた。
音、と言えば思い当たるのは先ほど《上》で起きたであろう騒がしい音だが……。
姉弟が言うには、上の音とは違う物らしい。
「こんなことでわざわざ青龍剣殿の足を運ばせたのも申し訳ないですが……」
「…いや」
そういいながら、アズラフィールはアピウスが示した辺りの壁にピタリと耳を付ける。
カインもそれに倣って耳を添えると――。
―――ゴウン…ゴウン…ゴウン…。
冷たい石の感触と共に――そんな物騒な音が響いてきた。
確かに聞こえる。削るような音だ。
しかも―――まるでこちらに近づいてくるように大きくなっている。
壁から離れても―――少し耳を澄ませば聞こえるレベルの大きさだ。
「――師匠……これって……」
「――ああ、来るぞ……」
カインが言い終わる前に、アズラフィールが答えた。
そう―――何かが…この壁へ向かって接近している。
地中を繰り抜くように―――。
―――ゴウン…ゴウン…ガンガンガン…!
音は大きくなっていく。
かなり――近い。
「―――バリアシオン卿と子供達は離れた方がいい」
アズラフィールは―――壁を凝視しながらそう言った。
アピウスは、ゴクリと唾を呑んで。子供たちは名残惜しそうに壁から離れた。
――いったい何が出てくるのか……。
現在カインたちは剣を持っていない。
当然、地下に入る際に没収されている。
だが――少なくともカインもアズラフィールも徒手空拳を視野に入れた《神撃流》を収めている。
何が出てきても、抗えると信じたいが……。
―――ガンガンガンガンガン‼
劈く様な轟音――そして―――。
「――カイン!」
「分かってます!」
――ドゴォォォォォン‼
弾けるような音と共に―――石の壁が爆散した。
「―――!」
立ち起こる土煙と――人の気配。
衝撃から身をかわしながらも、構えを解かずに―――煙の中を注視する。
すると…
「―――『穴』の開通を確認! 推測地点からは多少逸れましたが――通路に出る事に成功。第1目標を達成しました!」
「――了解。直ちに首席秘書官殿へ報告を」
「――はっ!」
聞こえてきたのは、そんなやり取りだ。
次第に―――土煙が晴れてくる。
見えてきたのは―――人がすれ違えるほどの大きさでこの壁をぶち抜いた大穴と――何人かの武装した若者。
若い。
カインとそう大して変わらない年齢だろうに――纏う雰囲気は誰もが歴戦。
何度かカインが見たことあるベテランの兵士のそれと何ら遜色ない物だ。
―――この人たちは……。
「―――っ! あなた方は…」
カインが内心で疑問符を浮かべたと同時―――穴から現れた若者――先頭の女性がアズラフィールとカインに気づいた。
「―――そちらの方は……『青龍剣』アズラフィール殿で間違いないでしょうか?」
女性は、警戒して構えを解かないアズラフィールに身体を向けた。
アズラフィールは、眼帯をしている。
代名詞たる『青龍剣』は現在持っていないが、それでも身体的特徴としては分かりやすいのだろう。
「―――そうだとしたら…?」
師はなお警戒を解かない。
判断がついていないという感じか。
カインとしても判断がつかないというのは同じだが―――なんとなく、直感で彼らは味方であるような気はした。
そして、その予想は当たっていた。
「――失礼。申し遅れました。私は、ユピテル軍第1独立特務部隊、副隊長補佐兼2班副班長――ナオミ・テイトダンカンです。不躾な挨拶をご容赦下さい」
そう名乗る女性は、お手本とでもいえる敬礼を披露してそう言った。
何度も見た事のある――ユピテル式の敬礼だ。
「――第1独立特務部隊…? ということは……」
「はい。通称『烈空アルトリウス隊』――。我々は、あなた方の味方です」
「―――!」
長らく閉ざされていた地下空間。
まるでその絶望を払うように―――英雄の部隊が現れた瞬間だった。




