第192話:審判の日
「―――行っちゃいましたね」
「……そうね」
深淵の谷―――。
谷底とは思えないのどかな空間。
小屋の入り口の前で―――2人の人物が話していた。
桃色の髪の妖艶な美女と―――暗い雰囲気を纏った黒髪の少女だ。
「――師匠、あの坊やと何を話していたんですか?」
「別に……昔話だけど」
桃色の髪の美女、ユリシーズの問いに、その師『闇狗』ウルは不愛想に答える。
「あ、いえ、そっちじゃなくて―――さっき最後に、何やら聞かれていませんでしたか?」
「――あぁ、何か―――『精霊王』の名前を知らないかって」
「『精霊王』? 何ですかそれ」
「さぁ? 精霊の上位存在――そう言われている物がいるということは知っているけど。名前なんて……『ルフス』も知らなかったし――」
「そうですか…じゃあ『アマドール』も知らなさそうですねぇ」
『ルフス』はウルの相棒――闇の精霊の名前だ。
闇の水晶を介すことにより常時召喚されている―――悠久の時を生きる彼女にとっては、もはや唯一の古い顔見知りである。
「それにしても――教えてあげなかったんですね」
「何を?」
「その―――『軍神』ジェミニの話、ですよ」
――『軍神』ジェミニの話。
それこそ、ユリシーズが、わざわざこの深淵の谷を訪れてまで、闇狗ウルに聞きたかったもう1つのことでもある。
もう何十年か昔――いつか訪ねてきたジェミニがウルに頼んだ『占い』。
『自身を越える強さの相手が現れるのか』
そんなことを問うたジェミニに、師はこう答えた。
『―――貴方を越える強さの者は現れない。だが―――ユピテルが二つに割れるとき、貴方を倒す者は現れる』
そう師が言っていたことを―――先のユピテルの内戦で、ユリシーズは思い出していた。
ユピテルが二つに割れるとき―――すなわちそれは、東西真っ二つに分かれた内戦。
そして、確かにジェミニはあの内戦で、シルヴァディに負けなかったが、しかし戦争には負けた。
先のアウローラでの内戦を……あの予言の再現と―――そう解釈することもできる。
果たしてそれが本当に正しい解釈なのか……ユリシーズは一度、師に確かめてみたかったのだ。
「……別に教える必要なんてない。今の彼―――アルトリウスは―――少し不安定だった。余計なことを言って、これ以上負担をかけてもしょうがない」
「……そうですね」
ウルの言うように、あの坊や――アルトリウスも、愛弟子であるヒナも、どこか焦っているように思えた。
―――再びユピテルが二つに割れるかもしれない。
そんなこと――わざわざ伝える必要はないだろう。
「でも、師匠が人を気遣うなんて……よほど気に入ったんですね。あの坊やのこと」
「……そういうわけじゃない。ただ……何となく、やっぱり彼なんじゃないかと――そう思っただけよ」
師匠――ウルはそう答えて、小屋の中へ戻っていった。
「――師匠……」
この見た目は幼い少女の姿の師が―――長年何かを探し求めていることを、ユリシーズは知っている。
そしてそれを頑なに話さず、孤独を貫き通していることも。
―――アルトリウスこそ、もしかしたらその探していた物なのか。
師の長きに渡る苦しみを終わらせてくれる――そんな存在なのか。
ユリシーズには、確かなことはわからない。
しかし、今日、この日、この場所で―――おそらく世界で最も優れた4人の魔法士が相まみえたという事実に―――ユリシーズは、何かの予感めいたものは感じた。
「―――坊や、ヒナちゃん。どうか―――死なないでくださいよ」
桃色の魔女は、静かに呟いた。
● ● ● ●
王都ティアグラード―――王城。
突如の事態に―――女王リーゼロッテは焦っていた。
その日はいつもと変わりのない日だった。
いつも通り日が昇り、最上階――女王の部屋から見下ろす景色も、いつも通りのものだった。
いつものように、大通りを行き交う人々、商人に農民に騎士。
ここからは見えない裏路地も――きっといつもと変わらないだろう。
そんな変わらないいつもを守るのが―――現在、王たる地位につくリーゼロッテの責任だ。
今日、ギルフォードを『大聖堂』の調査に行かせたのも――この王都を混乱から守るためだ。
現在の王国の―――不穏な影。
軍属派と、神聖教、ビブリット商会に―――そして人攫い。
異国の大使――アルトリウスと協力を結んで、やっとここまで来た。
もう少しで何か決定的な証拠が掴めるかもしれない。
そんなことを考えながら―――ギルフォードの報告を今か今かと待ちわびていたその時だった。
―――ドゴォォォォォン‼
「―――‼」
――轟音。
外から聞こえたとんでもない轟音と―――激しい揺れをかんじた。
慌てて窓の傍へ寄ると―――。
「――――そんな……」
眼下の景色に―――リーゼロッテは言葉を失くした。
王都は――赤く燃えていた。
毎日王城にリンゴを出荷している果物屋の家屋は、勢いよく爆散していた。
兵士の宿舎も、商業組合も―――全てが唸りを上げて燃え上がっていた。
大通りに行き交う人々はここからでもわかるほど大きな声で叫び―――逃げまどっていた。
混乱―――。
まさに混乱と絶望の―――地獄絵図だ。
「いったいなにが―――どうして……こんなひどいことを……」
革命――クーデター。
そんな甘い言葉では言い表せられない現象。
単に権力が―――地位が欲しいだけなら、王国の権威の象徴、女王リーゼロッテさえ殺してしまえば、それでいいのだ。
権力を手中にできるかはともかく、それでクーデターは成功する。
なのにこの『敵』は、無関係な王都の民まで襲い――殺し――燃やし――王都を赤く染めている。
「―――何故……何故ですの……民があっての国。王国だろうと共和国だろうとそれは変わりませんのに……こんな民を危険に晒して混乱させて―――いったい何をしようと……」
そう――嗚咽にも似た慟哭をしている時だった。
「――御機嫌よう女王陛下」
「―――!」
突如――部屋の入口から声が聞こえた。
慌てて振り返ると―――。
「―――貴方たちは……」
白いフードの修道服―――。
そこにいたのは、そんな珍妙な姿で統一された――数人の男たちだった。
「初めまして―――哀れな女王陛下。めでたく今日という日にお会いできたことを―――嬉しく思いますよ」
そう言って―――先頭の男がフードを脱いだ。
黒い短髪に切り揃えた――初老の商人顔の男だ。
やけにニヤついているのが癪にさわる。
「ああ、申し遅れましたね。私は『神聖教』――司教を務めさせていただいています……ネルソン・ビブリットと申します」
男は忘れていたとばかりに名乗った。
「――ネルソン・ビブリットって……まさか……」
「そう―――ご存じビブリット商会の会長も務めさせていただいています」
「――‼」
衝撃のような感情が、リーゼロッテの中に響いた。
――ビブリット商会の会長が―――神聖教の司教!?
怪しいと思っていた――繋がりがあると思っていた物。
それが本当に繋がっていたいう事実。
そして―――今それが分かったところで、もうどうにもならないという絶望感。
あらゆる後悔と焦りが、リーゼロッテの脳裏を駆け巡った。
「――フフフ、いいですねぇその表情。自らの力不足を嘆くような―――そんな絶望の表情」
商人――ネルソン・ビブリットは嘲笑う。
「まぁでも……仕方がありませんよ。いくら女王とはいえ――たった1人の剣士と親衛隊だけで―――どうにかできるような状態ではありませんでしたからね……」
「―――どういう…ことですの…」
「フフフ、ほら、貴方たちも―――顔をみせてあげなさい」
疑問を浮かべるリーゼロッテの前で、ネルソンは後ろに控えていた数人に、そう声をかけた。
彼の指示通り―――後ろも面々もフードを次々と脱いでいく。
現れた顔触れは―――
「―――そう……そうでしたのね」
もはや―――そう納得するしかなかった。
白いフードから出てきた顔触れは―――誰もが、この王城―――王宮にて大臣等の主要な役職についていた面々だ。
軍属派はもちろん――女王派の重鎮なんかの顔も見えた。
『神聖教』の司教を名乗るこの男についてきたということは―――彼らも同じく『神聖教』なのだろう。
もう随分前から―――王国は『神聖教』に乗っ取られていたのだ。
「―――ザンジバルは……どこですの?」
「ああ、ザンジバル司教なら―――今は少し所用で王都を離れていましてね。まぁ、すぐに会えると思いますが……」
軍務卿ザンジバル。
もうずっとこの王城で軍属派を率いていた彼だったが……彼も神聖教徒であるらしい。
よく考えると、ザンジバルがこの軍属派のトップまで躍り出てきたのは、ビブリット商会の支援を受けていたおかげだった。
―――ああ。
なんだ、簡単な話だった。
軍属派でも――商会でもない。
最初から全て、『神聖教』、ただ1つが敵だったのだ。
この分だと『人攫い』も、『神聖教』の手によるものだろう。
―――もう、手遅れでした、のね。
おそらく彼らはゆっくりと―――ずいぶん昔から先を見据えて、何十年もかけてこの計画を遂行していたのだ。
それこそ、水面下で―――彼ら同士の関わりが絶対にバレないように。
気づいたところで―――もう遅い。
折角良好な関係を築きつつあったアルトリウスとの協力も、無駄に終わってしまった。
何十年もの計画を、たったこれだけの期間の努力と浅い協力関係で対抗できるはずがなかったのだ。
「―――私を……王国を―――どうするつもりですの?」
震える声で―――リーゼロッテは尋ねた。
「フフフ―――それは神のみぞ知る事です。教父ティエレンが残した言葉は――『この王国に絶望と混乱をもたらし―――王族の血肉を神に捧げよ。さすれば聖地より神の裁きが下る』と―――それだけ。つまりは全ては―――『聖地』にて神の力を解放し―――」
と、そこで―――ネルソン司教の話が止まった。
止めざるを得ないことが起こったからだ。
眼前―――地に手を付き、涙を目尻に浮かべて絶望していた女王を守るかのように―――1人の剣士がそこに降り立ったのだ。
「―――ちっ、『聖錬剣覇』か……どこから来た?」
そう。
上――ぽっかりと空いた天井の穴から降り立ったのは、1人の剣士だ。
薄紫色の短髪に、少し気だるそうな顔。
痩躯だが―――節々から溢れる気迫のようなものは、猛獣すらを上回る。
腰から下げられた銀色の剣『白銀剣セレーネ』は名工ナバスに鍛えられた国宝級の業物。
これを持つ人間は、この世に1人しかいない。
彼こそ『聖錬剣覇フィエロ』。
世界最強の一角――『八傑』にして、世界最強の剣士の称号をもつ男だ。
「――すみません陛下……。遅くなりました」
最強の剣士は不適に言った。




