第18話:はじめてのおつかい
前回のリュデ視点です。
元の原文に、リュデの描写があまりなかったので、彼女が何を考えながら過ごしているのかを雑に描きました。
● ● リュデ視点 ● ●
わたしの名前は、リュデと言います。
性も氏もありません。何故なら、わたしの身分は奴隷だからです。
でも、奴隷だからといって、つらい生活をしているわけではありません。
ユピテル共和国では、下手な異民族よりは、貴族に買われた奴隷の方が、いい扱いを受けるのです。
わたしも貴族の家の奴隷なので、むちで打たれたり、食べ物が貰えなかったりすることはありません。
むしろ、ちゃんと使用人として仕事をしていれば、そこらへんの平民より豊かな暮らしをすることができます。お給金も貰っています。
もちろん貴族でも乱暴な人はいるみたいですが―――。
主人さえちゃんと選べば、奴隷の身分もハッピーなのです。税金も払わなくていいですし、権力闘争とも無縁です。
最悪、嫌な主人に仕えることになったとしても、頑張ってお金を貯めれば自分を買い取って自由になることもできます。
わたしの両親は、もう既に家族全員分を買い取れるくらいの貯金はあるようですが、どうやらバリアシオン家の奴隷をやめる気はないそうです。これには一家全員が賛成しています。
わたしが暮らしているのは、ユピテル共和国でも、いちばん発達している首都ヤヌスです。
お家は、都市の中心にちかく、設備も整っています。
この家にはいろんな人がいます。
まずはこの家、バリアシオン家の当主アピウス様。
茶色い髪の毛と、最近はわざと伸ばしている顎髭が、特徴的です。
アピウス様はみんなから旦那様と呼ばれています。この家の主です。いちばん偉い人です。
でもあまり家にいないので、わたしはお父さんからはなしを聞くことの方が多いです。
奥様のアティア様は、明るくて、はきはきとした綺麗な女性です。
どんな人にも笑って話しかけてくれて、わたしたちは皆、アティア様が大好きです。
そしてわたしのお母さんとお父さん。
もう十年以上アピウス様に仕えている二人は、家事や事務のベテランです。
お母さんは家の家事のリーダーです。その日の食事の献立から、洗濯の時間まで、全部お母さんが仕切っています。
お父さんはいつもアピウス様についていって、『ひしょ』という仕事をしています。
最近のアピウス様の仕事は大変みたいで、サポートの人がついていないとまともに回らないようです。
わたしの姉のリリスはお母さんの手伝いや、アピウス様のお子さん―――アイファ様やアラン様の面倒をよくみています。わたしよりは少し年上なので、お母さんも頼りにしているようです。
あ、そうです。いちばん大事な人を忘れていました。
わたしがこの家でなによりも大好きな人が、アピウス様のご子息、アルトリウス様です。
アル様は、わたしと同じ時期に生まれました。どうやらわたしのほうが2週間ほど早く生まれたみたいなんですけど、とてもそうは思えません。
アル様は賢くて、優秀で、魔法ができて、剣も使えます。
最近まで、銀色の髪の美人な先生に色々と教えてもらっていたみたいで、とても忙しそうでした。
お母さんやお姉ちゃんからも、アル様の邪魔をしちゃだめ、と言いつけられたので、話しかけたいのを我慢して、アル様を陰から見守ることにしていました。
あ、朝食の時間だけは、お母さんも、アル様と話すのを許してくれました。わたしの一日で、一番幸せな時間です。
それ以外の時間は、家のお仕事を少しずつおぼえたり、本を読んだりして過ごしました。
本はすごく面白いです。アル様の次に好きなのが本です。あ、もちろん他の家族のみんなも好きだけど、でもやっぱり本がないと、わたしは生きていけません。
3歳のころからアル様に文字を教えてもらって、一緒に本を読みました。
もちろんアル様はわたしなんかよりずっと難しい本をいっぱい読んでましたが、わたしもようやくアル様の部屋にあるような本を読むことができるようになりました。
本にはいろいろなことが書いてあります。
土地のこと、季節のこと、食べ物のこと、歴史のこと、生物のこと。
いろんな本を読むごとに、自分の世界が広がっていくのです。
今でも、少ないお小遣いを頑張って貯めて、自分で本屋を見て回るのが、なによりも楽しいです。
でもやっぱり難しい本よりは、かっこいい英雄が活躍するお話や、王子様がお姫様を助ける物語のほうがおもしろいです。とくに、『軍神ジェミニの英雄譚』に連なる『八傑英雄譚』シリーズは、誰が読んでもはまること間違いなしです。
『八傑英雄譚』シリーズはもう何百年も前から数年に一度世に出る小説なのですが、その作者は名前以外、謎に包まれています。でも、どの時代のどの作品も同じくらい面白いです。
『軍神ジェミニの英雄譚』は最新作ですが、同時に最高傑作になる可能性がある言われています。四部作になっているとのことですが、まだ2巻までしか出ていません。『軍神ジェミニ』という人はまだご存命なようですし、もしかしたら最終巻はずっと先になるかもしれません。
『八傑英雄譚』シリーズは、アル様も絶賛していたので、これはもう、学校の教本にするしかないですね。
学校といえば、アル様が学校に通い始めました。
せっかく修業の日々が終わったのに、またアル様と過ごす時間が少なくなってしまうかも、と思っていましたが、アル様自身はそれほど忙しそうにはしておらず、学校から帰るとお話しをしてくれることもあります。
やっぱり修業時代の方が大変だったみたいです。
学校ではいろいろなことを勉強できるということで、わたしも通ってみたかったのですが、
「別に―――リュデはそこらへんの卒業生が知ってる知識なんて、5歳のときに学び終わってるし、今更学べることも少ないと思うけどなあ」
とアル様がいいました。
でも、わたしですら行く必要のない場所に、アル様が行く必要があるのでしょうか?
「ああ、俺は別に勉強しに行くわけじゃないんだよ。あえていうなら―――そうだな、この世界の社会に出る前の予行演習というか―――まあ一応俺も貴族だからな」
アル様はよく「この世界」という言い回しをします。
一度意味を聞いたのですが、少し青ざめた顔をしながら教えてくれました。でも、残念ながらわたしにはよくわかりませんでした。
やっぱり貴族の人にしかわからないこともあるのでしょう。
でも、勉強をしに行くわけではないといいながら、学校の成績はいつもアル様がトップです。やっぱりアル様はすごいです。
「ああ、でも図書室の本の量だけは凄まじかったな。申請すれば借りれるらしいから、今度家に持って帰ってくるよ」
アル様が夢みたいなことを提案してくれました。
この国ではある程度の身分が保証されているとはいえ、奴隷かつ使用人という身分のわたしにも、アル様は良くしてくださっています。
なにかお礼をしたいと思っていますが、わたしにできることなんて、アル様はなんでも片手間で終わらせてしまいます。
そんなことを考えていたころ、
「あら、珍しいわ。アル様がお弁当を忘れて行ってしまいました」
お昼前、姉のリリスが素っ頓狂な声を上げました。
確かに、アル様が忘れ物なんて本当に珍しいです。
「でも困ったわ。私はこれから昼食の準備があるし、お母さんは買い物だし・・・・」
「わ、わたしが行く!」
思わず手を上げてしまいました。
でも、これはアル様に恩返しをするチャンスです。
もちろんこの程度のことで、わたしに様々なことをくれたアル様の恩を返せるとは思っていませんが、小さなことの積み重ねが大事なのです。
本当に大丈夫? と心配するお姉ちゃんをよそに、わたしは意気込んで家を出発しました。
大丈夫です。もう一人でも本屋さんに行けるんです。お使いなんて余裕です。
道には迷いませんでした。
学校はすごく大きいので、遠くからでもよくわかります。
門には警備の男の人がいました。
不審な人が入ろうとすると、門の前で止められるようです。
少し怖かったですが、アル様の姿を思い浮かべながら、門を通ります。
「ん? 嬢ちゃんどうしたんだい?」
門番さんが話しかけてきました。
緊張で背中が凍り付くのを感じながら、頑張って答えます。
「えっと、主人がお弁当を忘れてしまったので、届けに来ました」
これで言い方は間違っていないはずです。
「ほうほう、まだ小さいのにいい子だな。どこの家の子だい? 家章は持っているかな?」
わたしはお姉ちゃんに持たされた巻物を渡します。わたしがどこの家の使用人かを証明するものです。
「うん? ウイン・バリアシオンって、噂の―――ヤヌス校始まって以来の《神童》の家じゃないか。嬢ちゃん、すごい人に仕えているんだな!」
「はい!」
アル様が褒められると、わたしも嬉しくなります。
思わず元気よく返事をしてしまいました。
「おう、いい返事だ。彼は確か1年の2組だ。1年生の校舎は左の道を真っ直ぐ行けば着くからな」
「ありがとうございました!」
「おうよ! 気をつけてな!」
門番の人から家章を受け取って、門を通り抜けました。
アル様のクラスは知っていましたが、校舎の場所までは知らなかったので、門番さんには感謝です。
きっとアル様はお腹を空かして待っています。
急いで行かないと!
1年2組の教室は程なくして見つかりました。なんとかお昼時には間に合いました。
でも、教室の中に入っていいものか、迷います。
ここにいるのは誰もが貴族や裕福な家庭の子です。わたしよりはるかに身分が高い方々です。もしも扉を開けて、まだ授業を行っている最中とかだったら、アル様の顔に泥を塗ってしまいます。
どうしましょうか。
「そんなところでどうしたの?」
不意に声をかけられました。
ビクッと慌てて振り返ると、赤毛の可愛い女の子がいました。
大きな猫目に、闘志の燃えるようなルビー色の瞳は、どこか迫力を感じます。
「ここの生徒―――じゃないわよね。何かこの教室の人に用かしら?」
すごく大人っぽい話し方です。全然口調は違うけど、何故か雰囲気がアル様に似ています。
「あ、ええと・・・その、お弁当を届けに来ました」
すこしそのことに安心して、わたしは目的を告げました。
「へえ、小さいのに偉いわね。誰宛かしら。いたら呼んできてあげるわ」
見た目は私とたいして変わらないのに、彼女が言うと確かに、わたしはすごく小さい気がしてきます。
「アルトリウス・ウイン・バリアシオン様です」
わたしがアル様の名前を言うと、赤毛の子は驚いたように目を丸くしました。
何かまずいことを言ってしまったのでしょうか。いえ、アル様の名前が悪い事であるはずがないです。
きっとアル様の存在が素晴らしすぎて、もう学校では名前を口に出すことすらおこがましいのです。
だとしたら私は失策をしてしまいました。
しかし、名前を言わずに届ける相手を伝えるのは難しいですね。
そうだ、では、見た目の特徴を言えばいいでしょう。
アル様は、サラサラのブラウンの髪に、知的なブラウンの瞳、凛々しい鼻に、薄い唇、大人っぽいのにどこかあどけなさを感じる顔立ちをしています。超絶イケメンです。背も同年代にしては高いし、修業で鍛えた体は引き締まっており、とてもたくましいです。当然、そんなかっこいいアル様は、全校生徒の注目の的でしょうから、目の前のこの女の子も、知っているに違いないです。
そうして、アル様の事を説明しようとしたとき、赤毛の子の口の方が先に開きました。
「――――悪いけど、バリアシオンは今教室いないのよ」
どうやら知り合いだったようです。
そして、別に名前は呼んでもいいようです。
しかし、どうしましょう。教室にいないとなると、わたしにはもうアル様のいる場所がわかりません。
授業までには帰ってくるでしょうし、ここで待たせてもらいましょうか?
―――いや、ダメです。きっとアル様は、お腹を空かせているんです。すぐに届けて差し上げないと――。
そんな逡巡をしているわたしに、赤毛の少女が言いました。
「ねえ、良ければ届けとくわよ? いくつか場所に心当たりもあるし」
● ● ● ●
結局わたしは、あの少女にお弁当を預けて帰ってきてしまいました。
でも、よく考えると、全く知らない人にお弁当を渡してしまって、本当に良かったんでしょうか?
あの人についていって、本当にお弁当を渡してくれるのか、確認してから帰ってくるべきでした。
暫くの間、不安な気持ちで過ごしていると、アル様が帰ってきました。
「リュデ、お弁当助かったよ、ありがとう」
帰ってくるなり、アル様がお礼を言ってくれました。
どうやらあの人は無事に届けてくれたようです。
わたしの心配は杞憂でしたね。
あの時の赤毛の女の子は、ヒナ・カレン・ミロティックという名前のお嬢様のようです。
ヒナ様はアル様の友人で、どうやら学校で唯一彼女だけが、アル様と対等に張り合えるのだとか。
「ミロティックと出会えただけでも、学校に行く価値はあったよ」
アル様が嬉しそうにいいました。
―――すごいなあ。
素直にそう思いました。
アル様にここまで言わせるのは相当です。
話を聞くと、彼女は何度アル様に負けてもへこたれずに、毎回努力を重ねては、挑んでいるそうなのです。そして実際に、実力をぐんぐん伸ばしているのだとか。
さらに、彼女は大貴族カレン・ミロティック家のご令嬢だそうです。
だとしたら、わたしは失礼なことをしてしまったかもしれません。
少なくとも、お弁当を届けてもらったお礼はしないといけません。
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ヒナ様がバリアシオン家にやってきました。
わたしがお礼を言いたい、というのを、アル様が伝えてくれたようです。
正直すごく緊張しています。
前会ったときは、そんなにアル様が評価している人とは知らなかったので・・・・。
「あの、この間は困っているところを助けていただき、ありがとうございました。私、リュデって言います。このお菓子、私が作ったので是非食べて下さい!」
なんとかそう言って、部屋を出てきました。
大丈夫ですよね? 失礼なことは言ってないですよね?
わたしにとっては神様みたいなアル様と、そのアル様が認めた方との時間を、邪魔するわけにはいきません。
と、思っていたら、アル様の弟妹様たちが乱入していきました。
アル様とヒナ様は、楽しそうに会話をしています。
もっと、頑張って、アル様に認められて、いつかわたしも――――。
そんな小さな願いがあるのは、みんなには内緒です。
リュデの中では、「大貴族である」という事実よりも、「アル様が評価している」という事実のほうが重要です。
読んでくださりありがとうございました。合掌。




