第179話:甲冑の男
拠点にしている空き家の外に出ると、既に夜は更け、良い時間になっていた。
風もそこそこあり、肌寒さも感じる。
元々王国はユピテルよりも平均気温が低い。薄着だと風邪をひいてしまいそうだが、頭を冷やすにはこれくらいが丁度いいだろう。
屋敷の周りは、それなりの数の木々があり、いくつもの小道が都市部へとつながっている。
庭先には小さな池が作られている。
手入れはされてなくても、それなりに見栄えのある庭だ。
田舎というほどではないが、都会からは程よく離れており、貴族の別荘としては確かにお和え面向きな場所だ。
「―――ふう」
そんな池を眺めながら、風を全身で浴びた。
冷たい夜風は気持ちよく、いい感じに熱くなった俺の身体を冷ましていく。
焦ったってどうにもならないということはよくわかっている。
だが、かといって考えても何もわからないということもわかっている。
だからこそもどかしいわけだが。
「…こういうときこそ、アイツに出てきてほしいんだけどな」
無論アイツとは―――ルシウス・ザーレボルドのことだ。
時折俺の夢に現れて、何かしらの啓示をしていく男。
アイツは何でも知っている雰囲気があった。
俺を転生させたという奴のことだ、今回俺の直面している事態にも、何かしら心当たりがあるかもしれない。
―――まぁ、そんな曖昧な夢頼りもダメだな。
確かに経験上―――ルシウスの言っていることが大きく間違ったことはない。
オスカーの頼みを聞いてカルティアに行かなければ、俺はシルヴァディに出会えなかったし、強くもなれなかった。
アウローラでの戦いで、俺がいなければラーゼンが負けるというのは―――実際はシルヴァディに任せてしまったようなものなので、どうなのかはわからないが…まぁ紙一重の戦いであったことは間違いない。
もうルシウス自体に対しての不信感はあまりない。
記憶にある限りアイツは真摯だった。
だがまぁ、うさん臭い物であることには変わらない。
なにせ、結局アイツは夢だ。
何かを教えられたことはあっても―――アイツが言っていたように、決めるのは俺自身だし、アイツが何かをしたわけではない。
それならばまだリーゼロッテを頼った方が現実感があるか。
そんなことを考えながら池を眺めていると――――。
不意に、視界の端に白い影―――いや、灰色の影が映った。
「―――――!?」
池の傍に立つ木々の隙間。
見えたのは、1人の少女の姿だった。
そこから除く顔に、俺は見覚えがあった。
―――ジェミニの……連れ―――!?
忘れもしない、アウローラの決戦。
本気を出したジェミニが使う純白の剣。
それを運んでいた灰色の髪の少女―――。
無機質な灰色の髪に、感情の見えない表情。
記憶に残りにくい幸の薄い顔だ。
灰色の髪に、灰色のローブ。
そんな少女が、木々の隙間から、俺を見つめていた。
「―――君は……」
「――――――」
「―――おいっ! 待てっ!」
声をかけた瞬間、少女は俺を一瞥し走り出した。
俺は反射的に追いかけた。
何故この場所にこいつがいるのか。
もしかしたらジェミニもいるのか。
そんな思考が頭を過りつつも―――どうしてもそのまま放置はできなかった。
何かの手掛かりかもしれないと、そう思ったのかもしれない。
「―――待ってくれ!」
そう言いながら、俺は走った。
だが、少女は止まらない。
答えもせずに、魔力で強化した俺の足すら置き去りにする速度。
彼女の影は時折俺の視界から消えそうにすらなる。
普通のあの歳の少女ではありえない速度。
―――本当に走っているのか?
そう疑うほどだ。
どれほど走ったのかわからない。
気づくと俺は都市部に入っていた。
店じまいをしている商店街を人目も気にせず走り抜ける。
路地を抜け、屋根を飛び越え、息が切れる。
そして、そんな先、たどり着いたのは―――
「―――はぁ―――はぁ―――ここは―――」
ひとけのない、裏路地だった。
そこそこ広い道幅なのに、不思議と明かりのない路地。
そこで、灰色の少女は止まり、俺の事をじっと見つめていた。
「―――はぁ―――はぁ―――なあ、君は―――?」
尋ねる俺に、少女はもどかしそうに口を開いた。
「―――やっぱり、貴方も違うのね」
「―――?」
抑揚のない、無機質な声だった。
―――違う…?
いったいなんの話だ。
「何のことだ? ここにジェミニはいないのか?」
「……あの時、呼んだ声は貴方だと思ったのだけど」
少女は俺の問いに答えない。
言葉のキャッチボールができていない。
「声?」
「わからないならいいの」
そして、少女は、俺に心当たりがないということを知っていたとばかりに目を閉じる。
「―――ここは、少し前、歴史の一幕が綴られた場所。『聖錬剣覇』の弟子と、『鴉』の系譜の戦いは―――あっけなく片が付いた。たった数分の出来事だけれど、それが大きな転換点の一つ」
「…いったい、何の話をしている」
だが、彼女は俺の戸惑いの言葉を気にも留めない。
「私はそんな歴史が見える。ほんの少し―――現実に起こった『過去』の一部だけ―――」
過去が見える―――?
コイツ―――何を…。
「―――でも見えない人もいる。最初が『彼』。そして―――ジェミニや、貴方」
「―――!」
「ずっと―――ジェミニがそうなんじゃないかと思っていた。でも、アレはただ偶然異常な強さを生まれ持っていただけ。『彼』の剣を持っていても、『彼』じゃない」
駄目だ。
話が見えない。
一体なんの話をしているんだ。
「――貴方も違うなら―――いったい私は何のために……」
そこで、ふと、少女の言葉が止まる。
少しだけ、愁いを帯びたような感情が見えた顔だったが、すぐに何かに気づいたようにハッとなった。
「―――あら、不思議ね。何の巡りあわせか――思いがけないお客さんも通りそう」
少女の視線は既に俺を見ていない。
俺の後ろを見据えているような気がする。
「―――!」
慌てて振り返るもまだそこには何も見えない。
裏路地の暗闇と、遠くに都市部の淡い光が見えただけだ。
そして、再び背中から少女の声が聞こえた。
「―――貴方の探し物の行方―――これから来る男に尋ねてみるといいかもしれない。それを聞いてどうするかは、貴方次第だけれど」
声の遠さに振り返ると―――既に少女は遥か遠く、見えないほどの彼方にいた。
―――あんな一瞬で…。 それに、探し物って―――エトナのことか?
そんな俺の疑問をよそに、かすかな声だけが響く。
「―――もしも、貴方が『彼』なら、私の名前を呼びなさい。そうすれば私は―――貴方の剣になる―――」
そして、彼女の気配は消えていった。
「―――」
明かりのない裏路地、追いかけようともせず、俺は立ち尽くしていた。
いや、きっと追いかけても意味がない。そんな気がする。
だが、しかし―――いったい何者だ?
どう考えても只者じゃない。
元々、ジェミニと共にいたくらいだ。
並の人間と考えない方がいいが―――。
過去が見えるだとか、見えないだとか、違うとか違わないとか。
正直―――俺の理解の範疇を越えている。
もしかしたら、何かの幻影か、俺の夢の中の話か。
そう思ってしまうような出来事だった。
「―――名乗りもしないくせに……どう呼べっていうんだよ」
そんな悪態交じりに、俺は踵を返した。
よく考えると、随分遠くまで来てしまった。
突然のこととはいえ、皆に何も告げずに出てきてしまっては心配をかけてしまうだろう。
フランツもヒナもシンシアも、心配性だ。
「さて、急がないと―――」
と、足を速めたその時―――。
―――ジャキッ――ジャキッ―――。
路地の向こうから――そんな音が聞こえた。
思わず俺は足を止める。
聞き覚えのある音だ。
そう、これは金属音。
鎧の金属が、歩くときに擦れる音だ。
金属製の鎧を使わない俺でも、周りの兵士がそんな音を立てながら歩く様はいくらでも目にしてきた。
間違いなくそれだ。
―――ジャキッ―――ジャキッ―――。
軽快な音を立てながら、音は徐々に近づいてくる。
…そういえば、あの少女が言っていた。
―――もう一人お客さんが来る、と。
そして、その人物に、探し物を尋ねるといい、と。
いったい誰が―――。
少し警戒しながら、注意深く音の方を見ていると―――。
「―――ほう、これはまた……珍妙であるな」
「―――!」
そんな威厳のある声と共に現れたのは、巨体だった。
しかもただの巨体ではない。
全身が真っ白い甲冑に覆われ、そして背に巨大な盾と大剣を背負う、純白の騎士。
確かにこんな鎧を着ていては、歩く度に金属音がして当たり前だという、重厚な鎧だ。
俺は思わず、息を呑んだ。
「ふむ、ふむふむ―――なるほど―――」
騎士は、兜の奥から、何やら納得したような声を上げる。
これまた真っ白な兜のせいで表情は読めないが、視線は感じた。
見定められているという、そんな感覚だ。
「――見たところ、まだ年端も行かぬように見受けられるが―――なかなかどうして立派な剣士であるな」
「――え? …それは―――どうも」
存外に彼から発せられたのは、賞賛の言葉だった。
若干面食らいながら俺は返事をする。
「ガッハッハ! 得物もなかなかの上物だ。吾輩のコイツと比べても引けを取らぬだろう」
騎士は自分の背中の盾と大剣を指して言う。
俺は剣の目利きの専門家ではないが、確かに―――風格を感じる。
鎧の存在感が強すぎるせいで、如何せんそんな盾と剣ですらかすんで見えるのが不思議だ。
「しかし、なるほど。後進が育っていると思うと、吾輩も一介の剣士として嬉しい限りであるな」
「…はぁ」
どことなく騎士の声色は、上機嫌であるように思われた。
そのせいで若干ペースを握られている気もするが――いや、そうじゃない。
確かさっきの少女が言っていたな。
俺の探し物の事を、後から来る男に聞くと良いと―――。
間違いなく後から来る男とは、この男のことだろう。
どうする?
あの少女の事を信じるか?
いや、しかしこの騎士は―――。
「……」
信じられないでも――聞くだけならタダか。
何よりも――――エトナのことについて何かわかるなら、黙ってはいられない。
悩みながらも、俺は口を開いた。
慎重に―――言葉を選んで。
「――あの、初対面で失礼ですが――一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ほう、構わぬが」
騎士の表情は相変わらず読めない。
だが、ありがたいことに、兜の中はそれほど気分を害したようには思えない。
「実は―――その、人を探しておりまして…女の子なんですが、何か心当たりとかはありませんか?」
言葉を選びながら、俺は話した。
ギリギリ赤の他人にも話せるレベルの情報だ。
無論、普通こんな程度の情報で、何かわかったりはしないものだが…。
「―――ふむ」
騎士は、少し顎に手をやるそぶりをする。
もちろん、兜の上からなので、あくまでそぶりだ。
「残念ながら吾輩、探し物は苦手である。そなたの探し物にも心当たりはない」
そして、そう断言した。
どうやら、当ては外れたらしい。
まぁ当然と言えば当然である。
しかし――騎士は続けた。
「だが―――そうだな。探し物なら、ある魔法士を訪ねるといいだろう」
「―――魔法士?」
「そうだ。名は『闇狗ウル』。あ奴なら、もの探しはお手の物よ。今は《深淵の谷》に居を構えておる」
「―――!」
―――闇狗ウル。
どこかで聞いた名だ。
確か―――ヒナの師匠、ユリシーズの―――さらに師匠だったか。
王国にいるとは聞いていたが、実際の所在地はわからなかった。
というか、そもそもここまで存在すら忘れていた。
しかし、もの探しがお手の物ということは、何か探索できるような魔法でも使えるのだろうか。
あのユリシーズの師匠というのだから、確かにそれくらいしそうではあるが。
「ガッハッハ! まぁ、会ってくれるかは、そなた次第だがな!」
騎士は高らかに笑った。
「―――はい。その―――どうもありがとうございます」
「うむ、では――吾輩はもう行く。若き剣士よ、今後とも励むのであるぞ!」
そして、騎士は揚々と歩き出した。
ジャキッ―――ジャキッ―――という音が夜空に響く。
白い甲冑と巨体は、いつまで経っても小さくならなかったが、音は次第に小さくなり―――そして、暫くして、騎士の姿は完全に見えなくなった。
「………ふぅっ」
思わず―――息が零れた。
安堵の息だ。
額からはどっと汗が噴き出て、心臓は遅れてバクバクと唸っている。
「何だ、アレは……?」
全身を覆う白い甲冑。
その上からでも、わかった。
――強い。
間違いなく、強い。
まるで隠そうともしない膂力。
戦闘になったら―――正直勝てるか怪しい。
そう感じた。
あんな実力者が、どうしてこんなところに来たのか知らないが、友好的であったのは、救いだろう。
それに―――。
「―――『闇狗』、か」
あの騎士が、実力者とわかったからこそ―――『闇狗』が《深淵の谷》にいるという情報は、信憑性が高いと感じる。
俺にとっては天啓だ。
なんとなく―――ようやく一歩進めたような、そんな気がした。
「さあ、帰ろう」
今度こそ、俺は歩き始めた。
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ジャキッ―――ジャキッ――。
金属音を鳴らしながら、男は路地を歩いていた。
頭の中にあるのは先ほど出会った少年。
少年に対して言った通り、あの年齢にしてこの「域」に達するのは非常に稀有な才能と努力をしてきたのだろう。
間違いなく、自分と同等の域にいる少年だった。
―――シルヴァディもなかなか面白い物を残したものである。
少年の腰に下げられていたのは、間違いなく黄金剣イクリプス。
柄だけでもわかる。
この世に二つとないナバスの傑作だ。
ゆえに、あの少年が、天剣シルヴァディの弟子であることはわかっている。
「―――ガッハッハ! これは王国も―――荒れそうであるな!」
期待にも歓喜にも似た声を上げながら、男―――『白騎士モーリス』は闇夜の中へ消えていった。




