第166話:最初の街『サウスグラード』
『サウスグラード』。
ユースティティア王国の中では最も南にあり、北方山脈への窓口とされている都市である。
サウリット地方のブライヒル伯爵領の都市の中では、最も栄えている都市だろう。
王国の都市というのは、いくつもの地方ごとに分けられ、その一帯を王より下賜された貴族が治めている。
その区分けはなかなかに細かい。
大きく分ければ、8つくらいの地方だが、その中をさらに区分けしている。
小さい領土のものまで含めれば、100はくだらない数の領主が存在する。
もちろん、それだけ王国の国土が広いということでもあるが。
1つの領土は基本的に都市3つ分程度はあるが、大きいところだと10もの街を含んでいたり、かと思えば、1つの都市だけをして領主と呼ばれることもある。
爵位や、功績、領主の能力によってそれらはまちまちだ。
それら領主―――貴族達は、上手く領土をおさめ、結果を出せば階級が上がり、下の階級よりも多くの特権が与えられたりもする。
階級というのは、要するに伯爵や、子爵などの爵位である。
下は男爵から上は公爵まで、5つの爵位がある。
公爵まで行けば、広大な領土はもちろん、場合によっては大公に任じられる場合もあったりする。
『サウスグラード』を治めるブライヒル伯爵は、そんな領主貴族の中ではなかなかに優秀な方だ。
辺境とはいえ、サウスグラードは、国境線である北方山脈の窓口であり、いざというときは、真っ先に敵襲を受ける都市でもある。
ここを任されるということは、実績のある人物だということだろう。
見た目は、もう頭が禿げ上がってしまった老齢の貴族…ブライヒル伯爵は、自身の執務室で、書類に目を通していた。
「ふう…」
書類の内容は頭を痛くすることばかりだ。
ここしばらくの間続く「人攫い」に、着々と勢力を広げる「神聖教」という宗教。
その新興宗教は、まだ実害こそ出していないものの、このサウリット地方でも、いくらか信徒が増えているという。
宗教と言ってブライヒル伯爵の頭を過るのは、70年前に流行り、そして当時の国王ウェルギリウスによって滅ぼされた「神教」という宗教だ。
彼は当時の事を知っている数少ない人間でもある。
そして、今流行っているという『神聖教』は、いくらか『神教』に似ている。
ただ違うのは、大っぴらに信徒が増えていった神教と違い、神聖教は、水面下で増えているということか。
正直、その数を正確に測れているかすらもわからない。
それに…運の悪いことに、現在王国は宗教などに構っているほどの余裕もない。
前述の「人攫い」もそうだが、少し前にあったシュペール公国の反乱、およびその事後処理に手間取ってしまったのだ。
そこに追い打ちをするように、ユピテルの内乱が起こり、流れてくるユピテルの亡命者たち。
ようやくそれらの処理にきりがついたと思ったら、今度はついに聖錬剣覇の二番弟子、トトスが行方不明になったのだ。
王宮は混乱しているに違いない。
あの若き女王は、実力で後継者争い一瞬で終わらせた才女だろうが…いささか問題ごとが多すぎる。
そんなブライヒル伯爵の部屋に、どたどたと大きな足音が聞こえてきた。
「父上、大変です! ―――北方山脈を越えて、ユピテルからの大使が来ました!」
バーンと扉を突き破るように慌てて部屋に飛び込んできたのは、いずれはこの領土を任せようと思っている伯爵の息子だ。
どうやらよほど不測の事態が起こったらしい。
「…大使だと?」
息子の報告に、伯爵は腕を組む。
ブライヒル伯爵からすると、ユピテルから訪れる人間自体はそれほど珍しくはない。
ユピテルと王国を隔てる北方山脈から程ないこのサウスグラードでは、それなりにユピテルからの旅人や商人、亡命者などがやってくる。
何か月か前にも、内乱を避けてきたというユピテル穏健派とかいう集団が亡命をしてきた記憶がある。
だが…国の公式な「大使」というのは初めてだ。
少なくともブライヒル伯爵がこのサウスグラードの領主になって30年。
私的な使いならともかく、国の大使など来たことはない。
おそらく…内乱の終結と、そして亡命してきた穏健派に関連することだろうが…。
「それで、その大使の名は?」
「…アルトリウス・ウイン・バリアシオンと…」
「―――!? 『烈空』アルトリウスだと!?」
その名を聞いて、急にブライヒル伯爵の顔色が変わる。
王国でも、『烈空』アルトリウスの名を知らぬ者はいない。
世界中でも名高い最強の魔導士『天剣シルヴァディ』の弟子であり、カルティア戦役にて頭角を現した若きユピテルの英雄。
世界で初めて空を自在に飛び回り、上空から一方的に魔法の雨を降らせ、さらには剣技まで納めているという異質の魔導士だ。天剣亡き今、ユピテルでは1、2を争う単体戦力と言ってもいい。
アウローラでの内戦以降、シルヴァディの死が公表されはしたものの、アルトリウスがどうなったのかは知らされていなかった。
まさかここでまみえることになるとは…。
「…本物か?」
「おそらく。門の警備隊長の話によると、アルトリウス自体はまだ成人間もない少年で、取り巻きも非常に若手ばかりだったが…その護衛の下っ端ですら、自分を軽く凌駕する実力だと…」
「なるほど…噂に聞く『烈空隊』か…」
彼がカルティアにおいて率いていた百人隊は、それだけで1万の軍に匹敵すると言われた猛者揃いと聞いている。
アルトリウスをはじめ、隊員の年齢が若いというのも噂通りだ。
「…見た限りでは、ユピテルの国印も、書状も、本物だと思われます。大使というのも事実かと」
「だろうな」
アルトリウスが本物であるなら、その身分が大使であることはおかしくはない。
他国への使いとして、彼ほど知名度もあり、実力も申し分ない人間もいないだろう。
ユピテルだと――あとは迅王ゼノンくらいしか想像できまい。
「…とにかく、会わないわけには行かないな。客間に通せ。最上級のな」
「わかりました」
「…いいか、くれぐれも丁重にだぞ? 何か問題を起こした場合、我々の首だけではなく―――最悪、街が滅びることになる」
「…はい」
ゴクリと唾を飲み込むように、息子は退室していった。
● ● ● ●
王国最初の街、『サウスグラード』。
やけに高い外壁を持つ都市だった。
大きな門に着くなり、検閲があったが、ユピテルからの正式な使節だと述べても、とても怪訝な顔をされた。
まあ、俺は自分が若輩者であることは分かっている。信じられないのも仕方がないか。
…フランツ、頼むから俺の後ろで殺気を放つのはやめてくれ。
暫くの間、その検閲官といくつかの問答を経ていると、奥の方から、この門の警備隊長だという人が現れて、ようやく国印入りの書状を信じて貰えた。
アルトリウスだと名前を名乗ると、やけに青ざめた顔をして、
「りょ、領主に伝えてきます! しょ、少々こちらでお待ちください!」
なんて言って立ち去っていったが、なにかまずい事をしたのだろうか。
「―――王国は実力主義ですから、それなりに実績を重ねた人間なら、国籍、年齢、性別を問わずに評価されるんですよ。きっとあの人もアル様のお名前に恐れおののいてしまったんでしょう」
俺の名前を聞いて態度が変わったことについて、リュデがそう教えてくれた。
「アル様の名前は世界全土に広まっているので、当然ですね!」
「…悪名じゃないよね?」
「もちろん、きっと良い噂だと思いますよ。なにせアル様は…天剣様の弟子ですから」
少しリュデが遠慮するように言った。
シルヴァディの話題はまだ彼女も気を遣うのだろう。
「――シルヴァディ様は、王国でも尊敬されているんですよ」
そうか――シルヴァディはかつて王国に来たこともある。
『聖錬剣覇』に鍛えて貰ったというなら、それこそ、何年かは王国に滞在しているはずだ。
こちらで名が売れていてもおかしくはないだろう。
暫く経ってから、領主の息子だという人が現れ、領主館まで案内してもらえることになった。
「お、お待たせしました。こ、こちらへどうぞ」
何て感じで、やけにペコペコされた。
領主の息子と言っても、中年くらいのおじさんで、俺よりは断然年上である。
俺の地位が高いってことは分かっているつもりだけど、変な気分だ。
サウスグラードの街並は、辺境にしてはなかなかだと思った。
清潔感もあるし、裏路地の治安も悪くなさそう。
住民もそれなりに活気があるように見える。
ヒナからは、それほど期待するなと言われていたが、なかなかどうして、この都市の領主には好感が持てるな。
気になるのは、街行く人の中にも、兵士の数が多いというところか。
門の重厚さもユピテルの平均より大分上だったし、王国が軍事に力を入れているというのは本当のようだ。
そして、そんな街並を抜けた中心に、大きな屋敷があった。
ヤヌスでいうと、四大貴族の家くらい大きい。
どうやらここが領主館であるらしい。
とりあえず、領主との面談をしてほしいとか。
公的な立場だと信用を得られるまでもう少し手間取ると思っていたので、意外だった。
そもそもユピテルからの使いなんてのも前例がほとんどない物であるわけだし…対応の速さに驚くばかりだ。
いや…前に穏健派もこのルートを通っているはずだ。後に何かしらの使いが来ることも予想はできたか。
そんなことを考えながら、俺は上等な客間に通された。
もちろん100人の護衛を連れていくわけにも行かないので、秘書官のリュデと、副官兼護衛のフランツのみを連れてきた。
「―――おお、バリアシオン殿、お待ちしておりました!」
俺たちを出迎えたのは、中肉中背の老人だった。
頭は禿げ上がっているが、その分元気のよさそうなお爺さんだ。
「私は女王陛下よりサウリット地方、ブライヒル領を任されている、ヒメレス・ブライヒル伯爵と申します」
ブライヒル伯爵というのが、ここの領主のようだ。
伯爵というと、爵位的には上から三番目くらいか。
もちろん、爵位というのは上に行くほど数が少なくなるので、その多くが子爵や男爵だ。
三番目と言えば、上の方に分類される。このお爺さんもそこそこ偉い人なのだろう。
簡単に俺も自己紹介を終え、席に着く。
暫くの間は、遠路はるばるご苦労様です、だとか、ここまでの道中をいたわるような言葉をいくつか受けた。
まるで接待でも受けている気分だ。
二回りは年齢が上の老人にここまでへりくだられると、流石に調子が狂うな…。
「さて、それで…バリアシオン殿は、大使と聞きましたが…今回はどのような要件で王国へ?」
そして、本題に入った。
ここまで、この老人が俺を本当に大使であるか、疑ったそぶりはない。
人を見る目はあるということだろうか。
「ああ、それは…」
「――そちらは私から説明させていただきます」
俺が口を開こうとしたところで、リュデが一歩前に進み出た。
軽く一度礼をして、何やら書類の束を取り出した。
「今回、こちらのアルトリウス・ウイン・バリアシオン様は、ユピテル共和国執政官ラーゼン・ファリド・プロスペクター様から、ユースティティア王国に関する事柄全てについて全権を委任されている大使で…」
なんてことを、すらすらと綺麗に述べていく。
内容は、俺がどんな身分でこちらに来ているか、とか。
王国に亡命した穏健派と呼ばれる国民の受け取りの話や、ラーゼンが頼もうとしていた融資の話とか…そういったことを淡々と述べた感じだ。
堂々と言うリュデの様子は、やけに頼りになった。
「…以上、詳しいことはこちらに」
そう言ってリュデが差し出した書類の束を、ブライヒル伯爵の目配せによって後ろに控えていた秘書官が受け取る。
そして、向こうの秘書官がその書状をつらつらと目を通し、何やらブライヒル伯爵に耳打ちをする。
内容を要約したり、実現可能かどうかなどを教えているのだろう。
なんだ、俺も伯爵も何もしていないじゃないか、と思うかもしれないが、実際のところ、この世界においてのお偉いさん同士の政治の話なんて、どこもこんな風だ。
貴族だから、政治家だからと言ってすべての分野の細かい部分にまで精通しているわけではない。
なので、小難しい話はお互いの子飼いの秘書官が行い、トップは決定するだけ。
まあ、あまりに任せすぎると秘書官が権力を握り過ぎるようになってしまうので、そこにトップの資質が試されるわけだ。
「…そうですな」
少し考え込むようにしていたブライヒル伯爵だったが、言葉を選びながら口を開いた。
「おそらく…王都でお預かりしているユピテルの穏健派の方々の受け取りは問題はないでしょうが…資金の融資は難しいでしょうな」
そして、「もちろんこれは個人の予想ですが」と前置きをする。
「王国は、現在―――少しばかり不安定な状態でして、それほど余裕がありませんので…」
「…不安定?」
「はい、実は…」
ブライヒル伯爵は苦笑しながら色々と教えてくれた。
やまない謎の『人攫い』と、『神聖教』という宗教。
シュペール公国の事後処理に、著名な剣客の失踪。
どうやら、色々と面倒な時期に来てしまったらしい。
「…なるほど」
「お恥ずかしい限りで」
「…いえ」
「…ともかく、大使殿の到着は、先に王都まで伝令を走らせておきます。その方が行程もスムーズにいくでしょう。何もない場所ですが、今日はサウスグラードでお休みください」
なんて感じで、領主との面談は終わった。
ブライヒル伯爵は気のいいお爺さんだった。
もちろん俺は実は緊張していたのだが、案外あっさり終わったものである。
細かいところはリュデに助けられたし、大使としての認知もすぐだった。
要求が通るかはわからないし、いくつか不穏なことも聞いたが…まあ最初の街での領主との接触としては、及第点はあるだろう。
若干肩透かしである。
「…実は何かの罠で、夜中に襲撃とかされたりして」
「はは、大丈夫ですよ。この街程度の戦力ならば、たとえ不意打ちでも半数で制圧できます」
宿泊地へ行く途中、不意にボヤいたら、フランツにそんな感じで笑われた。
ちなみに、もちろん襲撃はされなかった。
テンポ悪いですが、最初の街なので少し時間をかけました。
ここから王都までの道中はすぐに終わらせるつもりなので、ご安心ください。




