第163話:間話・消えぬ遺恨
およそ―――70年は昔。
ユピテルが拡張時代を迎えたその時代、『ユースティティア王国』は権力争いの真っ最中であった。
なぜなら…当時、30年もの間、国を治めていた国王が死亡したからだ。
ユースティティア王国は、1人の王の元に統治される専制君主制の国だ。
王が死ねば、始まるのは、その子供たちや兄弟たちによる王位争奪戦。
専制君主制の国の弊害である。
多くの王国や帝国が、数代は圧倒的な国力と領土を得ても長続きしないのは、王位をめぐる内乱が勃発するからだ。
このユースティティア王国も建国以来、何度も王位争奪戦の内乱が起こっている。
それでも、ユースティティア王国が600年もの長い間、大国としてこの世界に君臨し続けてきたのは、数代に一度は「名君」と呼ばれる王を得ることができていたからだ。
暗君が現れようと、内乱が起きようと、希代の名君が王になれば、国は纏められる。
ユースティティア王国がそういった名君を得る事ができたのは、ひとえに奇跡か、それとも初代国王の血統が優れていたのか…。
ともかく、この度死んだ国王も、名君と呼ばれる部類だった。
彼の在位中は平和な時代が続いていたのだ。
しかし…彼の最大の失敗は、後継者選びを間違えたことだろう。
彼が後継者に指名していた息子は、他の家臣からの評判がすこぶる悪かったのだ。
なにせ、子供のころから豪遊三昧を重ね、わがままをそのまま形にしたような青年だった。
名君も、教育には失敗したのだ。
その息子が王となっては流石に国に害があると思うのは当然である。
だが…あろうことかその息子は「暗殺」という形でこの世を去ってしまった。
おそらく彼の家臣たちの誰かか、彼の後の王位を狙う兄弟たちによってなされたのだろうが、問題は、その暗殺が、その後をよく考えずに行われた行為だったということだ。
「後継者争い」が勃発するのは当然である。
各地の貴族たちを味方につけるための政略や、王たる大義名分を入手するための無駄な遠征。
挙句の果てには、有力者同士の不毛な内戦。
国の財政は傾き、重税は課され、人々の暮らしは一気に悪くなった。
そして、当時の民衆にとっては不幸なことに、その後継者争いはなかなか終わらなかった。
たとえ軍を交えても、普通なら一度の戦で決着がつく。
それなのに、そんな内戦は何年も続いた。
ひとえに―――前王の子供や兄弟の数が多すぎた、ということもあるが、ともかく―――これまでならそんな後継者争いを実力で終わらせてきた―――後に名君と呼ばれるような人物がなかなか現れなかったからである。
暗殺に、毒殺に、自殺。
王城は、闇に飲まれ、王族の数は減っていくのに、混乱は収まらない。
争う勢力の数が減るたびに、それらの勢力は合流し、より巨大な勢力になっていく。
この後継者争いはついに2派にわかれ、決定的な大戦が起こるかとも思われたが…。
そのうちの一派、有力な家臣がこぞって持ち上げていた王女派の―――旗印である幼い王女が、突如行方不明になった。
結果として、王女派は丸ごと霧散。
勢力が1つに落ち着いたことによって、後継者争いは収束する。
その幼い桃色の髪の王女は、黒髪の魔法使いによって攫われたという噂が流れたが…それはまた別の話だ。
ともかく、そんな長い後継者争いによって、国は疲弊し、税は重くなり―――人々は困窮した。
上層階級は富をため込み、それによって余計に経済は回らなくなる。
中層階級は多くが下層階級にまで落ちた。
下級階層に至っては、奴隷になるか、ならず者になるか、はたまた野垂れ死ぬか。
彼らに選択肢はなかった。
王都ですら治安は悪化し、人口は減っていった。
――『神教』はそんなときに生まれた。
この世の万物の根源―――「神」。
「神」を信じれば、自分たちは救われる。
そんなことを声高に謳いながら、彼らは勢力を拡大していった。
初めに―――「神」の存在を言い出したのが誰だったのか、知る者はいない。
太古の昔、「神族」が存在していたのではないかと、研究する考古学者はいたが、そんなことを一般的な庶民が知っているわけでもない。
ただ、「神」という無像の信仰対象は、現実に存在する「王」という存在などよりは、よほど信ずるに値した。
困窮しているときこそ、人々は目に見えないものに縋るものなのだ。
王都、辺境。
場所を問わずして少しずつ…しかし着実に、その信徒の数は増えていった。
その信徒の増大は、後継者争いの終わった後でも続いた。
後継者争いを生き残り、新たな王となったウェルギリウスは、名君ではなかったが、暗君というわけでもなかった。
王国の混乱は、急に解決されたわけではなかったが、徐々に国体を取り戻していく。
そうして…何年もたって、ようやく、ウェルギリウスは、『神教』の存在を知った。
当初は、放っておいてもいいと、思っていた。
ウェルギリウス自体は、温和な人柄であったし、だからこそ暗殺されることもなかった人物だ。
宗教の弾圧など、特にするつもりはなかった。
だが、周りの反応は違った。
このユースティティア王国に置いて「王」より上の地位を認めるわけにはいかないのだ。
絶対君主である「王」の権威よりも「神」の権威を上とする『神教』を、野放しにしてはいけない。
王に取り立てられた家臣たちはこぞってそう言った。
幸か不幸か、国王ウェルギリウスは家臣たちのこの忠言を、鵜呑みにした。
そして――長きに渡る「神」と「王」の戦いが始まる。
最初は―――布教を禁止しただけだった。
だが、徐々に、弾圧を強めていく。
神教を信仰する者の税率を上げる。
集会を禁止する。
当然、神教徒たちは猛反発した。
各地でテロ紛いの事が起こり、折角収まった混乱が、再び王国全土の普及しようとしていた。
だが―――国王ウェルギリウスは中途半端な気持ちで始めたことであっても、中途半端で終えることを嫌う人物だった。
王は最後まで強硬な姿勢を崩さなかった。
どれほど暗殺の刺客をおくられようと、どれほど、抵抗にあっても、弾圧を止めなかった。
後半は、神教であると疑いを持たれただけでも、抹殺の対象となった。
そして布教を禁止してからおよそ10年かけて、神教のその全てを撲滅することに成功した。
国王ウェルギリウスが勝ったのだ。
だが―――王は、逃してはいけない1人の男を逃していた。
その男の名は、ティエレン。
神教の中心メンバーの1人にして、過激な神教徒である。
彼は、追手が迫る中、何度も奇跡的に逃げ延びた。
「声」が聞こえたのだ。
『君にはまだやるべきことがある』
そう言って、彼を行く先々で助ける声だ。
《神の声》だと思った。
ティエレンは、自身の信じる「神」に導かれるままに、弾圧の手から逃げ延びた。
《神の声》はそれからもティエレンに言葉を示した。
ティエレンはその言葉のまま行動し続けた。
言葉を信じ、「王国」に対する無念の復讐の想いを胸に抱きながら世に紛れた。
決してバレることのないよう、息をひそめて…。
――時がたち、世界中の誰もが「神教」のことなど忘れた。
そして、国王ウェルギリウスも、「神教」に勝ったと思ったまま、その生涯を終えた。
奇しくも…ティエレンの死も、ウェルギリウスと同じころだった。
だが…彼の思いは、絶えなかった。
彼は神の啓示に従い…その意思を、後世に残すことに成功したのだ。
彼が実の子のように孤児から育てあげた、4人の少年。
亡き父の無念を、幼少期から聞き続けた―――神父の子供達。
子供たちは、ティエレンの死と共に―――王国中に散った。
亡き父の思いを果たすために。
亡き父の言葉を、現実にするために――。
数十年後―――王国において『神聖教』という宗教が、水面下で流行り出した。
そして、今代……。
信仰の執念を、人々は目の当たりにすることになる。
● ● ● ●
王国、とある暗い部屋に、人影があった。
「……それで、『闘鬼』はどうだった?」
「そうですなぁ、あの分だと、乗ってくるでしょう。堅物だと思ってましたが、まだまだ野心はあるようで」
「それはいい報告ですねぇ」
部屋にいるのは、3人。
1人は、目立たない茶髪に、いかにも特徴のない人相をした商人風の男。
相対するは、武人感のある大柄な男だ。顔元は暗く、人相ははっきりとしない。
最後の1人は、―――フードを被った細身の男。
彼らは暗い部屋で、まるで暗闇に紛れるように会話をしている。
「これで…それなりに手駒は揃ったか」
「八傑の戦力は大きいですねぇ」
そんな安心したような大柄の男と、フードの男だったが、報告をしていた商人がふと気づいたように声を漏らした。
「…手駒といえば、今日は『鴉』の方はどちらに?」
「ああ、アレには―――仕事に出向いて貰っている」
答えるのは大柄の男だ。
「仕事、ですか」
「……どうやら―――『神聖文字』を読める人間が見つかったようだ。確保できれば―――扉が開かれる」
「おお…それはまさしく僥倖。これも神の思し召しか」
大男の言葉に、商人は驚きの表情を隠さない。
「…かつて大陸全土を支配したという神の遺産―――。まさか本当にここまで来るとは」
「…長い道のりだった」
「ええ、本当に……」
3人は、これまでの長い苦労を思い出すかのように、目を閉じる。
いや、もしかしたら、彼らが思い出していたのは、この数十年の苦労の日々ではなく―――かつて過ごした父との時間だったのかもしれない。
「…あとは―――アイツが戻ってきさえすれば、盤石ですねぇ」
「ええ、アイツはいつも勝手にほっつき歩いて…本当に何をしているのやら」
「そう言うな。ここまでこれたのも、奴のもたらした情報のおかげなのだ」
「…ふふ、分かっていますよ」
3人は暗闇の中、ほくそ笑む。
そして、一言、
「「「―――全ては神の御心のままに……」」」
部屋から人影は消えていた。
部屋を薄暗く照らす、淡いランプの光が、やけに不気味に揺らめいていた。
● ● ● ●
――ユースティティア王国、王城。
「――――おい、エトナ、どこに行くんだ?」
青い短髪に、長身の少年が声を上げた。
彼の目線は、王城の出入り口へ続く小道だ。
「あ、カイン君」
少年に気づいたかのように振り返るのは、黒髪の美少女―――エトナだ。
女性にしては少し高めの身長に、紺色のワンピースはよく似合っている。
薄い化粧に、翡翠色の瞳を覆う長いまつげは、彼女の女性らしさを一層際立たせていた。
立派なレディと言っていい少女だ。
「ちょっと…王城の近くに、図書館があるって聞いたから、調べものをしようと思ったの」
「調べもの?」
「ほら、これ。前に言ったでしょ? アル君の古文書に関係する資料かないかと思って。ようやく外出許可が下りたから」
エトナはそう言って見せびらかすように鞄から本を取り出す。
見るからに古ぼけた、年季の入った分厚い本だ。
いつも、気づくとエトナが難しい顔をしながら読んでいる本である。
少年―――カインなどは逆立ちしても読みたくない類の物である。
「はあ、王国に来てまでそれかよ…」
エトナが、アルトリウスが戦争へ行ってしまった後もこの古文書の解読を頑張っていたことを知っている。
神話に関することだかなんだか知らないが、とにかく彼女は一部その解読ができたらしい。
見たことのない文字の解読など、カインには一生かかっても無理だろう。
「いいの! どうせ暇なんだし」
「はは、まあ確かに暇だけどよ」
王国に来てからというもの、カインらユピテルからの穏健派は、長らく暇を持て余した。
国王――といっても女王だが、彼女との謁見やらなんやらと、王国側との協議とやらを待たされ、王城に半ば軟禁状態で過ごしたのだ。
カインは穏健派トップの御曹司ということで、まだやることはある方だったが、それでも一日の殆どを剣の修練に費やすくらいには暇だった。
穏健派の代表である父―――カルロスですら暇そうなのだ。
もっとも、これは王国側が忙しく、ユピテルからの招かれざる客に対応している余裕がないせいだが…。
「…まあいいか。俺も行くよ。1人は危ないだろ」
内心は退屈を紛らわすためだったが、一応建前上は、エトナのことはアルトリウスから頼まれている。
彼女を見知らぬ土地で1人はしない方がいいだろう。
なのでそう提案をしたのだが、
「大丈夫だよ! 護衛はさっきトトス君にお願いしたから!」
エトナは笑顔でそう言った。
「は? トトス?」
トトスといえば、王国最強の剣士『聖錬剣覇フィエロ』の二番弟子。
カインも一目置く剣客だ。
そして、王国に来たからには、是非ともお手合わせを、と思っていた相手でもある。
彼女とトトスの繋がりはわからなかったが、確かに…門の出入り口では、金髪の青年がエトナを待つかのように佇んでいる。
あれがトトスだろう。
「いつの間にそんな仲良くなったんだ…?」
「えっと…何か、廊下で声かけられて…」
「は?」
「『そこの可憐なお嬢さん、よろしければお名前を』って」
「…それ、口説かれてないか?」
「え? そうなのかな。私はアル君のだから、意味ないのに…」
「……」
王国の名のある剣客が、一目惚れ。
そんな事態に、カインは驚かない。
エトナの容姿は優れているし、女子力も高い。
男が惚れるのは不思議ではない。
かつて、幼少期の自分も、そんな1人だった。
学校でも、彼女に惚れてる男なんていくらでもいた。
だが、この黒髪の美少女は、あの3歳の時から、ずっとアルトリウスという少年に想いを寄せている。
それを隠しもせず、すでに12年。
彼女に泣かされた男は数知れない。
――ついに王国でも被害者が……。
そう思うと、若干トトスには同情を抱かずにはいられない。
「まあ、それに…カイン君は、メリルちゃんの傍を離れないほうがいいでしょ?」
「…ああ、まあ…そうだな」
メリルの名を出されると、カインも首を横には振れない。
カインにとっては後輩にあたる少女―――メリルとは、学校を卒業してから、交際をしている。
カインの成人を機に、結婚する予定だったのだが、亡命の関係で、予定がかみ合わず、婚約という段階で止まっている。
だが…カインにとっては本来エトナより優先しなければならない存在だ。
エトナもいつもその点は気遣っているのだろう。
「…だから、とりあえず護衛はトトス君にお願いするね」
「―――そっか。わかった」
カインは頷いた。
「じゃあ、あとでね」
黒髪の少女は、そう言って笑顔で手を振って去っていった。
金髪の青年―――トトスは、遠目から見ても、凄腕の剣士ということが分かった。
護衛としては充分だろう。
そう、深く考えず、カインはその場を後にした。
…そして、彼はすぐに―――このことを後悔することになる……。




