第151話:黄金の意志②
部屋から出たのはいつ振りだろうか。
怪我の影響とか、魔力核の影響とかはよくわからない。
筋肉が減り過ぎてそれで身体が上手く動かないのか、それとも、怪我のせいなのか…。
それでも、不思議と剣を握ると体は動いた。
骨の髄まで染みついているのか、向かってくるシンシアの剣に対して、身体は勝手に反応する。
シンシアは怒りをぶつけるかのように叫んでいた。
「――そんな…腑抜けた剣で…!」
そう言って、シンシアは俺をどんどんと追い詰める。
鬼気迫るような気迫を感じた。
俺の記憶のシンシアよりは随分強い。
それなのに、彼女からはまるで殺気を感じない。
決闘を挑んでおいて、欠片も俺を殺す気がないのだ。
もう――彼女に斬られて…全部終わりにしようと、そう思ったのに…。
「―――アルトリウス・ウイン・バリアシオンは、どんなときでも諦めなかった!」
彼女の慟哭が、剣と共に俺に突き刺さる。
「貴方は言いました。責任があると! 隊を率いるのにも、戦うことも、強くなることも…背負うって決めたんだと!」
「―――ッ!」
そうだ。
かつての俺はそう決めた。
全部守るって…そのためならいくらでも強くなるって、そう決めた。
「貴方の背負っていたものは、そんなものですか!? 貴方の決意は…この2年は、こんなところで終わるのですか!? たった一度の敗北で、師を失くした程度で!!」
「…やめてくれ…!」
だって、ダメだったんだ。
俺は守れなかった。
全部打ち砕かれた。
「――そんなわけがないでしょう!」
俺の言葉を遮るかのようにシンシアが断言する。
「アルトリウス・ウイン・バリアシオンは―――私の隊長が、こんなところで終わるはずがない! 折れるはずがない!」
「―――やめろ…もう俺は…」
背負いたくない。
俺はもうだめだ。
生きる意味も、戦う決意も、シルヴァディの命と共にどこかへ行ってしまった。
「そんな貴方だから!」
シンシアの気迫に押されるように、俺の剣は弾き飛ばされていた。
そして、無防備になった俺の首筋に、勢いよくシンシアの剣が飛んでくる。
だが、その剣は、ピタリと俺の首の手前で止まった。
代わりに飛んできたのは言葉だった。
「―――そんな貴方だから、私は―――貴方のことを好きになったのに!!」
「―――ッ!」
ガツンと横っ面を殴られたかのように、シンシアの言葉が、シンシアの表情が、俺の脳裏を駆け巡る。
「なのに、勝手に無茶して…勝手に折れて…1人で勝手に死のうとして…」
彼女の目尻からは、大粒の涙が零れていた。
「そんなの…私も父さんも許しません…っ」
剣も落とし、その場にへたりと座り込んで、泣いていた。
その姿は、剣士でもなんでもないただの娘だった。
「シンシア…」
何故だかわからないけど、そんなシンシアを見ていると、俺の目尻からも涙があふれてきた。
「ごめん…ごめんな…」
そっとシンシアを肩に抱きながら、嗚咽と共にそんな言葉が出てきた。
駄目な俺でごめん。
君のお父さんを守れなくて、ごめん。
君を1人にしようとして…ごめん。
そう言おうとした言葉は、泣き声の中に消えていった。
まるで悲しみを分かち合うかのように、俺とシンシアはその場で泣き続けた。
● ● ● ●
昔――よくアランやカインと共に訓練をした懐かしい庭で、俺とシンシアは2人、空を見上げて寝転がっていた。
いつのまにか、昼間から夜に変わり、夜空には星々が浮かんでいる。
この世界は、割と明かりや照明は多いが、それでも前世の日本の都会なんかよりは随分暗い。
どこにいても星はよく見える。今日はどうやら半月だ。
剣を交えて――そしてシンシアはしばらく俺の胸で泣き続けた。
俺も泣いた。
これでもかというほど泣いた。
哀しみを吐き出すかのように、不安をぶちまけるように、みっともなく声を上げて…それでも泣き続けた。
シンシアは今は俺の肩を枕に眠っている。
泣き疲れてしまったようだ。
添い寝になってしまっているが、まあいいだろう。
本来なら可愛らしいはずの寝顔は、鼻水と涙の跡でぐちゃぐちゃだったが、不思議と愛おしく思えた。
シンシアが眠ってから、俺は空を見上げて、1人で色々と考えた。
彼女と剣を合わせて、言葉を交わして、想いをぶつけられて…そして、一緒に大泣きして。
抱えていた物が、涙と共に洗い流されたかのように、頭がすっきりとしている。
どうすればよかったのか、どうすればいいのか。
でもやっぱり答えは出なかった。
どうしようもないんだ。
失ったものは戻ってこないし、勝てなかった過去は変えられない。
悲しまないことなんてできないし、落ち込まないわけにもいかない。
でも、過去を引きずったまま、未来を不意にすることは駄目だ。
きっとシンシアはそれを伝えたかったんだと思う。
そりゃあそうだ。
自分の父親が命懸けで守った男が、こんな醜態を晒していたら、剣の一撃や二撃、入れたくもなるだろう。
今は一緒に悲しんで、落ち込んで。
それでも、未来では前を向いて、進んでいくしかないんだ。
本当はわかっていた。
シルヴァディが、それを望んでいることを。
「―――ん…んん…」
そこで、俺の傍らで、もぞもぞとシンシアが呻き声を上げた。
「―――おはようシンシア」
「…隊長…?」
薄っすらと目を開けたシンシアにそう声をかけると、彼女はぼんやりとそう言う。
「…どうして隊長がこんな近くに…へ?」
そして、視線を上下に動かし―――自分が今どこで寝ていたのかを理解したらしい。
「―――あの、し、失礼しました! 私、いつの間にか眠ってしまったようで―――」
「まあまあ、落ち着けよ。そのままでいいからさ」
「―――え、ちょっ!」
顔を真っ赤にして、慌てて飛び上がろうとするシンシアを、そのまま強引に抱き留める。
俺の筋力は落ちているはずだが、シンシアが抵抗しないおかげか、彼女の身体は俺の胸にすっぽりと収まった。
「…あの…私、どれくらい寝ていましたか?」
少しの沈黙のあと、シンシアが言った。
「さあ? 眠ったのは日が落ちるころだったと思うけど…」
「…その間ずっと…こうして?」
「ああ」
そう答えると、シンシアはかぁーっと顔を赤くする。
「…す、すみませんでした。上官を枕になんて…ご迷惑を…」
「別にいいさ。ていうか、剣を振っておいて今更枕にするくらい気にするなよ」
「そ、それは決闘なので…」
「まあ、今は枕どころか抱き枕にしているわけだけど」
「ちょっと! またそうやってからかって…」
「はは、悪い悪い」
すぐ近くで、ころころと表情を変える彼女がなんとも可愛らしく、思わず笑みがこぼれた。
シンシアはそんな俺を見つめ、少しむくれながらも、どこかホッとした顔をしている。
「…よかった…いつもの隊長ですね」
「…ああ、そうだな」
無論、少し無理をしているところはある。
頭ではこうしたほうがいいと分かっていても、感情は切り離せない。
今でも折れてしまった俺は、俺の中に存在する。
でも、彼女のおかげで、少しだけ気持ちが軽くなった。
多少の冗談を言う余裕くらいはある。
「…思い出したことがあるんだ」
「思い出したこと、ですか?」
「ああ」
俺はふと話し始めた。
それは、まだ学生だった頃の話だ。
俺は弟のアランに勉強を教えていた。
でも、アランはアイファに比べてそれほど出来が良くはなくて、それが原因で落ち込んでいた。
「かつてこの庭で、そんな弟に俺は言ったんだ。『できることをすればいい。誰しも向き不向きも才能も違うんだから、自分自身のやれることをやればいい』って」
「やれること、ですか」
「そうだ」
そして…俺のできること――俺の責任は、戦いの中にあると思っていた。
『力』のあるアルトリウスは、誰かを守るために存在する。
そういう宿命なんだと、そう思っていた。
「だけど、今はよくわからない。俺が何をすればいいのか、どうすればいいのか」
完膚なきまでに負けて、導いてくれる人を失くして、色々と分からなくなった。
俺が転生された意味も、剣と魔法の道をこのまま進んでいいのかも。
すると、
「…これから、見つけていけばいいんじゃないでしょうか」
黙って俺の言葉を聞いていたシンシアが、少し目を細めながらそう言った。
「隊長に、何ができるのか。隊長が、何をしたいのか。一歩一歩進んで、見つけていけばいいんです」
「……」
「元々、自分の出来ることが100%分かっている人なんていませんから。私も――昔は色々なことに手を出しました。まあ…剣しか向いていませんでしたけど」
とシンシアは苦笑する。
「何ができるか、何ができないかなんて、誰にもわかりません。でも、1つだけ確かなのは、立ち止まっていては、何もできないということです。後ろ向きでは―――前には進めませんから」
「…そうか、そうだな…」
シルヴァディは俺に立ち止まって欲しくて戦ったわけじゃない。
止まらないために―――未来を生きて欲しいがために戦ったはずだ。
彼の死に対する責任を果たす方法は死ぬことじゃない。
生きることだ。
「…シンシア、やっぱり《イクリプス》、俺が使ってもいいか?」
俺はシンシアの瞳を真っすぐ見据えて尋ねた。
多分それが、俺の一歩目だ。
シルヴァディの思いを受け取って、向き合って…そして前に進む事。
悲しみもする。
嘆きもする。
でも、後退はしない。そのために。
すると、シンシアは少しむくれた顔をする。
「いいですけど…だったら隊長も、代わりに何かください」
「へ?」
「いえ、その…折角勇気を振り絞って告白した女性に、何か贈るものはないんですか? ということです」
「え、ああ…」
別に忘れていたわけではないけれど、確かにシンシアは「好きになった」と、そう言っていた。
よもや聞き間違えでも冗談でも…ないよな。
しかし、贈り物か…俺の私物は軒並みエメルド川の底だし、元々使っていた剣はユリシーズ達との戦いでどこかに行ってしまったし、俺にあげれるものなんて……。
少し考えて、俺は口を開いた。
「…じゃあ、俺の4分の1でよければ、シンシアにあげるよ」
「―――全部じゃ、ないんですね」
「申し訳ないが…予約が混みあっててね」
4分の3は既に予約済みだ。
彼女たちも随分不安にさせてしまった。
「ふふ…やっぱり隊長は隊長ですね。結局色々と背負ってます」
「…そうだな。世界の命運とかよりよっぽど重要だよ」
そうだ。
俺にやるべきことなんて、いくらでもある。
世界の命運を背負って戦うことなんかよりも、彼女たちとの未来の実現の方が、重要な使命だろう。
すると、シンシアは微笑みを顔に浮かべた。
どこか慈愛に満ちた顔に見えた。
「じゃあ…仕方がないので、4分の1で手を打ってあげます」
「…いいのか?」
「いいも何も…他の方こそいいんですか?」
そう言って、シンシアは恭しく首をかしげる。
確かに、彼女からすればそういう疑問が出てくるのは当然だろう。
「…何とかするさ」
若干顔は引きつっていたかもしれないが、俺はそう断言した。
今度こそ俺の最終兵器DOGEZAを使うときが来たかもしれない。
「…全く、愛してくれる人が多過ぎて困るなんて、贅沢な悩みですね」
「そうだな、いったい俺なんかのどこがいいのやら…」
「隊長のいいところは、いっぱいありますよ」
シンシアは優し気な顔でそう言う。
「そっか…」
「はい」
少し…顔の距離が近い。
ドクンと心臓の音が聞こえる。
シンシアの心臓の音だ。
俺は、そっと彼女の頬に手を当てた。
「ひゃっ」
冷たかったのだろうか、少し驚いたような声が上がった。
シンシアの頬は、生暖かく紅潮している。
「あの、シンシア」
「な、なんでしょう?」
「…目をつむってくれると助かるんだけど」
「…た、隊長命令なら――仕方ないですね」
金髪の少女は可愛らしく言い訳をしつつも、きゅっと目を閉じた。
そして―――
「――――ん…」
ゆっくりと重ねた唇は、少しだけ塩辛かった。
● ● ● ●
その日見た夢は悪夢ではなかった。
さまよった先で、俺がたどり着いたのは、見たことのあるような練兵場だ。
マラドーアだったか、キャスタークだったか忘れたが、とにかく、カルティアかどこかで見たことのある練兵場。
今日は誰に手を引かれたわけでもなく―――自分一人でたどり着いた。
そんな練兵場で待っていたのは、1人の男だった。
「…よう」
黄金のオールバックに、鍛え抜かれた長身。
見間違えるはずもない男、シルヴァディだ。
「―――師匠」
やけに久しぶりに出会ったシルヴァディは、どこか寂しそうな顔をしていた。
「…ほら、アルトリウス…ぼさっとするな。大遅刻だぞ」
シルヴァディは挨拶もそこそこに、木剣を構える。
気づくと、俺の手にも木剣が握られていた。
「―――さあ、かかってこい」
「…はい」
俺は地面を蹴った。
――ああ、いつもこうしていたっけ。
彼と出会って以来、毎朝こうして剣を振っていた。
最初は、真剣を使っていた。
どうせ当てられないと、そう言われた。
剣以外にも色々なことを学んだ。
小さな村との取引の仕方。
魔法を使った天幕の作り方。
彼のを真似た石小屋は、その後ずっと使うことになった。
山脈の道のりでは、山賊を相手に戦った。
その黄金の剣閃は、目にもとまらぬ速さだった。
二つ名持ちを相手にしても、シルヴァディは強かった。
北虎グズリーとか、浮雲センリとか…あとからフランツ達にとんでもない実力者だと教えられた。
北方山脈を去るときに、真の意味で弟子と認めて貰えた。
強くなりたいという俺の願いを聞き入れてくれた。
雲の上の存在だと思っていた天剣も、等身大の人間だということがわかった。
カルティアで、娘の話をするときのシルヴァディを見て、力になりたいと思った。
ゼノンの元に呼ばれたと言っても、シルヴァディは嫌な顔一つもせずに送り出してくれた。
俺の為になるからと、そう言って。
俺があんなに苦労して倒したギャンブランを、シルヴァディは圧倒的な実力で叩きのめした。
彼のようになりたいと、そして彼を越えるような魔導士になりたいと、そう思った。
シルヴァディは俺の身体の心配をしていた。
無理をすれば反動が来るぞ、と教えてくれた。
アウローラの戦いでは、俺は忠告に従わず、無理をした。
ユリシーズにゾラ、そして、ジェミニ。
名だたる強者を相手に、とうとう折れてしまった俺を、シルヴァディはまたしても助けてくれた。
俺がやらなければならないところを彼が戦い―――命を賭して救ってくれた。
「――っ!」
「―――ほらよ!」
木剣が走る。
とんでもないキレと速度だ。
やっぱりこの人はすごい。
「――今日はなかなかやるじゃねぇか!」
笑顔で剣を振りながら、シルヴァディは剣閃を避ける俺を褒める。
――ああ。
もっとこうして貴方に褒められたかった。
もっと貴方から学びたかった。
もっと貴方と共に剣を振りたかった。
もっと―――。
「―――っ!」
涙があふれた。
もう、二度と彼の剣を見られないと思うと、この時間の1秒1秒が、かけがえのないものに思えてくる。
「―――ハアアァアァアッ!!」
一刀一刀に想いを込めて、剣を振る。
出会った時から、最後まで、結局貴方に、恩を返すことはできませんでした。
だから、せめて感謝を。
貴方に贈る剣撃に、僕の気持ちを全て乗せます。
そして―――。
「…アルトリウス、強くなったな」
気づくと、剣はどこかへ消えていた。
シルヴァディの剣も、俺の剣も。
練兵場だった空間は、金色に光り輝き、俺とシルヴァディのみがその空間に存在している。
「―――師匠…僕は…全然、強くなんてありません」
俺は強くなんかない。
シンシアに叱咤されるまで、ずっとうじうじと悩んでいた。
色んな人に心配をかけて、大切な人も傷つけた。
全然ダメだ。
「大丈夫だアルトリウス。お前なら…大丈夫だ」
だけど、彼の声色は、かつてないほど優しげだった。
「お前なら、乗り越えられる。前を向いて、歩いて行ける」
「…師匠―――」
「なんたってお前は、この俺の弟子で―――そしてなにより、俺の娘が惚れた男だからな」
ニヤリと笑う姿はどこか少年のようで、不思議と説得力がある。
「別に弱音を吐いたっていい。誰かの力を借りたっていい。逃げたっていい。嫌なことに無理して挑む必要はない。お前の人生だ、誰も文句は言わない」
「……」
――俺の人生。
いいのだろうか。
転生させられた俺は、本来あるべき人格じゃない。
それなのに、好きに生きて…いいのだろうか。
「―――なぁに、不安な顔をしてんだ。大丈夫だよ」
また顔に出ていたのだろうか、シルヴァディは問題ないとでもばかりに語り掛ける。
「大丈夫だアルトリウス。安心してお前は――人生を楽しむといい」
いつの間にか周りの光がどんどんと強くなっていた。
視界は金色に包まれていく。
「―――生きろ、アルトリウス。それがお前の責任だ」
「―――師匠…!!」
涙と、金色の光。
それらが完全に俺の視界を目いっぱいに包む。
シルヴァディの姿は黄金の光と共に、消えていく。
その黄金の光は、やけに暖かく、そして心地いい―――そんな光だった。




