第148話:目を逸らせない現実
ようやく主人公視点です。
『――全く』
声が聞こえた。
『――とんだ無茶しやがって…だから言ったのによ』
…なんだ?
聞いたことのある声だ。
『これで、お前が全力を出せるのはあと一回だ。それ以上また魔力が枯渇するようなことになれば…もう次はない』
全力…。
次はないって…どういうことだよ。
『死ぬってことだ。今回も…ギリギリだった』
今回って…。
『…詳しいことはヒナに聞け。彼女がいなければもう終わっていた』
ヒナ、か。
そういえば最近、あった気がするな。
『ほら、そろそろ起きてやれ。呼んでいるだろう』
え、ああ。
確かに―――そろそろ目覚めないといけないような、そんな気がする。
『…アルトリウス』
…なんだよ。
『―――事実から…現実から…逃げるなよ―――』
そして声は消えていった。
● ● ● ●
目を覚ました瞬間、俺を襲ったのは、全身を貫くつんざくような鋭い痛みと頭痛だった。
痛みに耐えつつ――うっすらと目を開けた。
体は繋がっている事を確認する。
―――生きてる…。
よくわからない。
ずっと―――眠っていた気がする。
どこかもよくわからない場所で、声を聞いて、それで…。
「アル様!」
「アルトリウス!」
「……?」
俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
のろのろと俺は首を動かす。
体の細胞が動く事を拒否しているかのように全身が重い。
俺のそばにいたのは、俺の顔を上から覗き込むように見る2人の美少女だ。
赤毛の少女と亜麻色の髪の少女は、2人とも心配そうな表情をしている。
2人の顔は見覚えがある。
「ヒナ…リュデ…」
俺は何故だかカラカラに乾いている喉を震わせて、2人の名前を呼んだ。
「アル様…よかったっ!」
すると、亜麻色の髪の少女、リュデはポニーテールを揺らしながら目尻に涙を溜め、俺の胸元にそっと抱きついた。
「もう…遅いわよ…」
隣の赤毛の少女ヒナも、どこか少し安心したように目尻を赤くしている。
あれ?
頭がふわふわする。
なんだっけ。
どうして俺はここにいるんだ?
ヒナとはすごい久しぶりに会った気がするのに、ついこの間あったような気もする。
「ここは…? 俺は…いったい…」
呻くような俺の声に、リュデが胸元から声を出す。
「――ここは、アル様の家ですよ。怪我をしたので、療養をしていたんです。ずっと眠っていたんですよ」
「ああ…」
そうか、怪我をしたのか。
そうだ、そんな気がする。
周りを見ると、確かにここは俺の家の俺の部屋だ。
これでもかというくらいに本棚に本を敷き詰めた、子供らしくない部屋。
「アルトリウス、体に違和感はない? どこか動かないとか、記憶がないとか」
ヒナがずいっと俺に顔を近づけて尋ねてきた。
直視すると照れてしまうほどの美人だ。
凛々しさと可愛らしさを折衷して―――なんていうか綺麗だ。
「えっと、身体は全身痛くて…動かす気にはなれないな。記憶は―――そうだな、何か――色々と忘れている気がする」
そう、何か忘れている。
俺にとってはなによりも重要で…知らなければならないこと。
そう――。
「……『軍神』」
「―――!!」
不意に俺は呟いた。
すると、心なしか2人の顔がこわばった気がする。
そうだ。
『軍神ジェミニ』。
俺はアレと戦っていた。
戦って…負けた。
そう、戦争だったんだ。
ユピテルを二分する内戦で、俺が行かないとラーゼンが負けるとルシウスに言われた。
だから俺は内戦に参加して―――必死に戦ったんだ。
それで…なんだっけ…。
「そう、俺は…戦った。でも、全部出し切ってもアイツには届かなくて…それで…」
そう、それで、俺は殺されそうになった。
いや、もう死んだと、そう思っていた。
でも、死ななかった。
そうだ、なんとなく思い出してきた。
あの人が来てくれたんだ。
俺の…師匠が…。
「そうだ…戦争は…師匠は―――天剣シルヴァディはどうなったんだ?」
ドクンと、動悸が速まるのを感じた。
確か――軍神と戦っていた俺を逃がすかのように、シルヴァディが現れたんだ。
それが、俺の最後の記憶。
あれからどれくらい経ったか知らないが、ここが俺の部屋だと言うことはヤヌスとアウローラの距離を考えて1ヶ月近くは経っているはずだ。
俺の質問には、ヒナが答えた。
「…戦争は―――西軍、ラーゼンが勝ったわ」
「そう、か」
勝ったのか…。
『摩天楼』に『魔断剣』、『軍神』まで現れて、流石にダメかと思ったが、勝ったのか。
「てことは…師匠は勝ったのか、あの『軍神』に…」
戦争に勝ったということは、あの軍神を倒したということだろう。
つまりはあの後、シルヴァディはジェミニを倒したのだ。
あんな化け物をどうやって倒したのか…まるでわからないが、しかし流石はシルヴァディといったところか、やはり俺なんかとはレベルが違うのだ。
「…」
だが、2人とも、それには答えない。
何か歯切れが悪そうに、俺から目線を逸らしている。
「なんだよ…どうしたんだよ、2人とも黙って」
「……アルトリウス、落ち着いて聞いて」
「ヒナ様!?」
「…どうせすぐにわかることよ」
深刻そうな2人の雰囲気に、俺は戸惑いを隠せない。
速まる動悸は、さらに大きく聞こえてきた。
「…な、なんだよ2人とも、そんなお通夜みたいな顔をして。勝ったんだろ?」
戦争に勝ったなら、シルヴァディはジェミニに勝ったはずだ。
「だって、だって…じゃなきゃおかしいじゃないか」
なんで軍神を倒してないのに西軍が勝つんだ。
アレは化け物だ。
放置したら甚大な被害が出るに決まっている。
西軍が勝つには、ジェミニを倒さない未来はなかったはずだ。
「――アルトリウス」
ヒナはそのルビー色の瞳を俺に真っ直ぐと向けて、そして言った。
「貴方の師匠、天剣シルヴァディは、あの日死んだわ」
「―――え」
時が止まったように全身が硬直した。
死んだ?
シルヴァディが?
「…『軍神』ジェミニに敗北したの」
ジェミニに、負けた?
「そんな…」
そんなことがあるわけない。
だって、シルヴァディは強いんだ。
負けたことなんて一度もない。
俺よりもずっと強くて、勇敢で、頼りになる、最強の魔導士なんだ。
「嘘…だろ? …なぁ…」
掠れた声が震えて、満足な発声ではない。
だが、気にせず俺は喉を震わせる。
「だって…師匠は…任せろって、そう言ったんだ。死にはしないって…」
そう、最後にシルヴァディは俺にそう言った。
ありありと思い出せる。
「師匠は嘘を付かない。今まで一度も俺に嘘なんてついたことはないんだ。だから…負けるなんて…死ぬなんて、そんな…」
そうじゃないか。
だって…だって…じゃあどうしてシルヴァディが負けたのに、西軍が勝ってるんだ。
おかしい。
おかしいじゃないか。
「なぁ、嘘だろ? 俺を驚かそうと思って、冗談を言っているんだろ?」
救いを求めるかのように、俺はリュデに視線を向ける。
ヒナは確かにシルヴァディが死んだといったが、リュデはまだ何も言っていないのだ。
だが、リュデは俺の視線を受け止めるには、弱々しい表情だった、
「……アル様…残念ですが…」
「う…」
これ以上、嘘だ、とは言えなかった。
だって…わかっているんだ。
俺が1番、誰よりもわかっている。
記憶が蘇れば蘇るほど、意識がはっきりするほど、濃厚に、濃密に、『軍神』という存在の理不尽なまでの強さが、鮮明に俺の中に溢れてくる。
そうだ…あれに、勝てる生物はいない。
それがたとえシルヴァディであっても…。
それを――俺は思い出した。
だから、理解した。
理解できてしまった。
―――シルヴァディは…死んだ。
「……少し…1人にしてくれ」
そう、しわがれた声を絞り出すのが精一杯だった。
きっと、久しぶりに会ったヒナとは再会を分かち合い、ずっと看病してくれていたであろうリュデにはお礼を言うべきなのだろう。
でも、そんな余裕は、俺のどこにも無かった。
2人の少女は顔を見合わせ、名残惜しそうにしながらも部屋から出て行った。
俺は1人残された。
● ● ● ●
シルヴァディが死んだ。
ジェミニと戦って、死んだ。
実感はわかないように見えて、かといって俺の最後に見た光景からするとどうしても痛感できてしまう事実だった。
死んだんだ。
俺を助けようとして、俺を守ろうとして死んだ。
だって…そうだろ?
シルヴァディは正面軍の担当だったんだ。
なのに、俺を探しに来て、それで死にそうな俺を助けに来たんだ。
本当は俺がやらなければならない事だった。
だって、軍神と戦うのは俺の役目だったはずだ。
俺はそのためにこの世界に転生してきた。
ラーゼンを勝たせるのが、俺の使命だって、ルシウスはそんなような事を言っていたんだ。
そんな予感もしたし、実際そうだと思った。
俺が行かなければ、ラーゼンが負ける。
『軍神ジェミニ』はその理由だと思った。
だから必死に戦った。
死に物狂いで、全てを懸けた。
でも。
俺は折れてしまった。
何をすれば勝てるのかわからなかった。
何をやっても勝てないと思ってしまった。
諦めず、歯を食いしばって立てば、まだ戦えたかもしれない。
でも、俺は諦めたんだ。
あの時、俺の体が動かなくなったのは、俺の意思が折れたからだ。
だから、俺は生きている。
全てを懸けるとか言っておいて、生きている。
生きているってことは全てを懸けれなかったんだ。
そして、シルヴァディがその俺の代わりに命を懸けた。
それで―――西軍は勝利することになった。
俺のせいだ。
俺が殺した様なもんじゃないか。
きっと、本来は俺の命で勝たせるはずだったんだ。
それが、俺が折れてしまったせいで、シルヴァディが犠牲になった。
大切なものを守るとか言って―――シルヴァディすらも守れるくらい強くなるとかいって、結局俺はダメだった。
そう、ダメだったんだ。
俺は弱い。
強くなれなかった。
「―――」
思い出すのは、シルヴァディの、頼りになる背中だ。
初めて会ったときから、ずっと俺を引っ張ってくれた、世界一の師匠。
どんな強敵を相手にしても全くひるまない強さ。
いつもどこか自信家で不遜な態度。
それなのに娘のこととなると途方に暮れる、父としては気弱な面。
俺に色々なことを教えてくれた。
毎日本気で俺を鍛えてくれた。
何度も命を助けられた。
だけど、もうシルヴァディはいない。
結局一本も取れないまま、終わってしまった。
そう、俺のせいで…。
これは、自己嫌悪だ。
折れてしまった自分。
そして心のどこかであれだけ頑張ったんだから折れてしまってもしょうがないと思ってしまっている自分。
これは自分の甘さが招いた現実だ。
そんな自分に対する嫌悪と怒りと情けなさ。
色んな感情が入り混じって俺の頭をぐちゃぐちゃにしていた。
体の軋む様な痛みなんて、なんでもなかった。
胸がずっと痛い。
もう何を考えればいいのかわからない。
「―――どうして俺は…生きているんだ?」
アルトリウスとして、俺が生きている意味。
わからない。
わからないよ…。
● ● ● ●
それからどういう風に過ごしていたのか、自分でもわからなかった。
頻繁に、リュデが様子を見に来てくれていたことはわかる。
食べやすい粥のようなものを持ってきてくれた。
何度か口に運んだ気もするが、あまり記憶がない。
腹は減っているのに、何かを食べる気になれない。
ヒナも頻繁に顔を出してくれた。
色々と、話しかけてくれた。
多分内戦があれからどうなったか、とか、俺の身体の話とか、そういうことを話していた気がする。
ちゃんと聞こうと思った。
けど、あまりおぼえていない。
何かは答えた気がする。
多分軽い相槌だったか…何を答えたのかはよく覚えていない。
わからない。
目を閉じて眠ろうとしても、寝付きが悪い。
ようやく睡魔が来たと思っても、それは悪夢への誘いだった。
―――その夢では、いつも俺はどこかよくわからない場所を彷徨っていた。
それはヤヌスの街のようで、かといってどこかで見たことのあるカルティアの都市のようにも見える。
見覚えのある街なのに、どこを歩いているかわからないまま、俺は彷徨っていた。
すると、1人の少女が、俺の手を引き始める。
どこかへ連れて行ってくれるようだ。
見覚えのある子だ。
何年か前、洞窟で出会ったような、そんな子だ。
暖かい気持ちになりながら、その子に手を引かれたまま、俺は歩いて行く。
でも、唐突に―――恐怖と共に、俺の足は硬直する。
手を引き、先に進もうとする少女の手をギュッと握り、俺はその場に立ち尽くす。
だめだ…。
ここから先には行ってはいけない。
直感でそう思った。
少女が不思議そうに「行かないの?」と俺を見つめるのを、歯を食いしばって引き留める。
だってその先には…。
「―――また会ったな、『烈空』よ」
白い長髪に、浅黒い肌。
狂暴で凶悪な金色に光る眼光。
手に握られた純白の剣。
『軍神』だ。
『軍神』ジェミニが…俺達の前に立ちふさがっている。
気づくと、もう他に道はなかった。
世界は真っ黒に覆われ、俺と、俺の手を握る少女と、そして、そんな俺に立ちふさがるジェミニしかいなかった。
「さあ、『烈空』よ…戦ろうか」
「―――ひっ!」
ニヤつきながら俺に迫る軍神に、俺は、硬直する身体を無理に動かそうとして、その場に尻もちをつく。
「どうした? 威勢がないな。俺に技を…人の努力する意味を教えてくれるんじゃないのか?」
そういって俺を見据える軍神の姿は―――俺に怒りでも勇気でもなんでもない―――ただの恐怖を与えた。
―――怖い。
恐怖の戦慄が、俺を襲う。
だって…だってコイツは、強すぎる。
俺では勝てない。
この身をもってわからされたんだ。
「―――い、いい嫌だ! 誰がお前と…お前みたいな化け物と戦うものか!」
俺はそう叫んだ。
ガクガクと身体は震え、逃げ出したいのに足は竦む。
そんな俺に、軍神は、ただ一言。
「そうか、だったら貴様も、その子供も死ぬだけだ」
気づくと、少女は俺の手から離れていた。
いったいどこに? と思考をめぐらした時にはもう遅い。
―――グシャ。
そんな鈍い音と共に、血と肉の破片が俺の体に飛び散った。
「…え?」
少女は死んだ。
木っ端微塵に。
俺の目の前で。
軍神によって、潰された。
「あ……あ…あ…」
思考が追い付かなかった。
とにかく、混乱していて、まるで恐怖に支配されているようだ。
身体も動かない。
「何を呆けている『烈空』。ほら、剣を抜け。戦え」
「嫌だ…」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
「戦え。戦わなければ、守れないものがあるのだろう?」
嫌だ嫌だイヤダイヤダ。
嫌だイヤダイヤダ。
戦いたくない。
苦しみたくない。
勝てるわけないんだ。
戦ったって、どうせ勝てない。
俺は負ける。
そんなことが分かっているのに挑むなんて、そんなの辛いだけだ。
「そうか、興醒めだな」
ジェミニの顔からは笑顔は失われる。
そして、その手が俺に伸びる。
「―――お前のせいだ烈空。お前の弱さが招いたことだ…」
そんな声と共に、俺の身体は弾けるように破散する。
悪夢はそこで終わる。
誰に手を引かれているかはその都度変わった。
おぼろげでも、俺の知り合いであることは確かだった。
でも、いつも最後に、アイツが、まるで彼らが死ぬのは俺のせいだとでもいうように、全てを奪っていく。
睡眠は恐怖に変わった。
眠る事さえも、許されなかった。
そんな眠れない夜、ベッドの中に温もりを感じた。
ごそごそと、布団の中に潜り込んできた音と共に、少女が中から顔を出す。
リュデだ。
見るとリュデは、ほとんど全裸に近い格好で、欲情的に俺にしなだれかかっていた。
「―――アル様、私は、アル様のためなら――どんな扱いをされても構いません」
俺の耳元で、リュデはそうささやいた。
「アル様の苦しみを少しでも和らげれるなら、私は―――」
きっと…謙虚な彼女が精一杯の勇気を振り絞って、言葉も食事も受け付けない俺を元気付けようとしてくれたのだろう。
女を抱けば、男は苦悩を忘れられると、誰かに教えられたのかもしれない。
でも、
「―――やめて…くれ」
多分、冷えた声で、俺はそう言った。
「……そうですか。そう、ですよね。すみま、せん…でした」
彼女は申し訳なさそうに目を逸らした。
そしてただそう謝って、部屋を出て行った。
目元から雫が垂れていた様な気がする。
…リュデが嫌だったわけじゃない。
でも、俺なんかに、彼女を抱く様な資格もない。
俺は弱い。
強くあろうとして、なのに最後までそれを通しきれずに、師に全ての尻拭いをさせてしまった。
シルヴァディを死に向かわせたのは俺だ。
最低だ。
最悪だ。
俺なんかに…愛される資格なんてない。
そして、そんな俺が、このことで彼女を傷つけてしまったということに、俺は一層、自分が嫌になった。
気でも狂ってしまえばもっと楽だっただろう。
それも夢の中の話だったら、これほど苦しむことはないだろう。
でも、いくら頭がぐちゃぐちゃになっても、残念ながら理性は健在だった。意識は落ちなかった。
――死にたい。
そう思った。
こういった鬱展開が苦手な方がいたら申し訳ありません。
数話の辛抱ですので。




