第146話:帰都
お待たせしました。
新章というよりは、しばらくは内戦の後日談です。
アウローラの決戦から約2か月後――。
ユピテル共和国の首都ヤヌスの元老院。
数ある元老院の執務室の中でも、現在は最も要人の出入りが激しい部屋があった。
その執務室の中で、書類に目を通していたのは、銀髪の男、ラーゼンだ。
内乱を終えたラーゼンは残りの東方の統治は部下に任せ、そうそうに首都に帰還していた。
ライバルであり、敵対勢力の旗頭であったネグレドは死んだ。
ネグレドがいない東方など、彼がいなくとも制覇は容易であると判断したのだ。
それに、戦争は部下に任せることができたとしても、首都の統治はラーゼンがいなければ成り立たない。
なにせ、いまやラーゼンは、このユピテル共和国に唯一存在する軍団の保持者にして、政治的な最高決定機関である元老院を掌握する最高権力者である。
軍団は彼の指示一つで、国の端から端までを横断するし、元老院は彼の出した法案を満場一致で可決するだろう。
だが、それは逆に、彼のリーダーシップがなければ何もできないということも意味する。
ユピテルが初めて経験することになった「内乱」という未曽有の戦後処理を、彼抜きに行うことなどは不可能だろう。
ラーゼンは首都に帰って以来、毎日のように激務をこなしていた。
国勢調査に、財政再建、安全保障や、税制改革、やることはいくらでもあるのだ。
そんなラーゼンの執務室に、訪問者があった。
ノックの音だ。
「入れ」
「失礼します」
扉から現れたのは、銀髪に眼鏡をかけた小柄な少年だった。
「―――オスカー、帰ったか」
見間違えるはずもない、ラーゼンの1人息子、オスカーである。
「はい、先ほど首都に戻り、その足で来ました。軍装であることをお許し下さい」
「ああ、かまわん」
息子がそう言いながら敬礼するのを、ラーゼンは心なしか上機嫌で迎えた。
もちろん、久しぶりに息子と会えたということが嬉しかったという可能性もあるが、今回に関しては少し違うだろう。
なにせ、ラーゼンがオスカーに任じていたのは、ラーゼンが首都に戻った後の、軍団指揮――つまりは残存する東方の共和主義勢力の一掃だ。
そのオスカーが帰ったということは…。
「――東方の残存する共和主義勢力は全て降伏し、アウローラ以外の属州も全てが恭順の意を示しました。これで…ようやく内戦は終わりですね」
そう、これにて、東方のネグレドの影響下にあった共和主義勢力が駆逐されたということだ。
つまりは、内戦の完全な終結を意味する。
「そうか、よくやった。なかなかの手際の良さだ」
「いえ…概ねゼノン閣下のおかげですし―――それに、既にアウローラの決戦で雌雄は決していたのでしょう。戦闘をするまでもありませんでした」
ラーゼンの言葉に、オスカーは苦笑する。
実際、残存勢力の掃討と言っても、戦闘にまで至ったのは1度か2度ほどで、あとは軒並み降伏の受け入れを受けて回ったに過ぎない。
ラーゼンもそれには苦笑する。
結局のところ、ネグレドを失ってしまっては、肥沃な東方の土地と言っても、烏合の衆を生み出すだけだったのだろう。
「それよりも、問題は―――持ち出された国庫、いえ、ガストンの行方です」
続いて出てきたオスカーの言葉に、ラーゼンの目が鋭く光る。
「――やはり、見つからなかったか」
「…はい」
都市アウローラの決戦が終了して間もなく、国庫を盗み逃亡したとみられるガストンを捜索するようマティアスに命じたのだが、結局見つけることはできなかった。
その後も根気よく捜索の命令も出し、正式に指名手配の通達も出したのにも関わらず、目撃情報すら入ってこない。
「あの日、マティアスは『誰か』の介入があったと言っていましたが…」
「しかし、肝心のその『誰か』が、どこの誰か全くわからない。当の本人の記憶が曖昧なのだからな」
ガストンを追って、追い詰めたところまでは、詳細に報告したマティアスだったが、その後の報告はまるで奇怪だった。
なにせ、そこから数時間――その「誰か」が介入してから数時間の記憶のみが、綺麗に抜け落ちているというのだ。
彼だけではなく、彼と共に行動していた兵士全員が、だ。
誰かが現れたところまでは覚えているようだが、それ以上は何も覚えていない。
その「誰か」がどのような容姿だったかも、どのような声だったかも覚えていないというのだ。
気づいたら、目の前にいたはずのガストンはいなくなり、国庫も消えていたという。
あまりに荒唐無稽な話だが、信じないわけにもいかない。
ありえないというわけでもないのだ。
「記憶に介入か――もしくは幻惑系に長けた魔法士でしょうか…」
「…ふむ」
あの内乱に関係する魔法士といえば真っ先に上がるのは『摩天楼』だが。
「『摩天楼』も『魔断剣』も、『軍神』も―――あのアウローラの決戦の以後は姿を見ません。国庫の金を狙い、逃亡したという可能性は、ゼロではないかと」
「…たしかにゼロではないが、ゼロには近いだろうな」
「まあ…ゼノン閣下もそう言っていましたが」
無論、ラーゼンはゼノンと違い、先ほどオスカーの言った3人と面識があるわけではない。
だが聞く限り―――摩天楼にしろ魔断剣にしろ、金に執着するような人間ではないように思える。
軍神も、ラーゼンの中では考え得る限り最悪の敵だったが、金に無頓着という点では前者2人と同じだ。
「…まあいい、今後とも捜索は続けるさ。もっとも―――既に国内にはいないだろうが」
これだけ探しても見つからないということは、既にユピテルにはいない可能性が高い。
北のユースティティアか、東のフェルメニアか、それとも一足飛びにパルトラ同盟か…。
いずれにせよ、面倒なことには変わりはない。
「しかし――国庫がないとなると少し大変ですね。東方の兵はお許しになったということですし」
「ああ、既に私財も切り詰めている。門閥派の貴族共の資産だけではとてもではないが賄いきれないからな」
東方の兵というのは、内戦でネグレドの部下としてラーゼン相手に戦った――言わばつい先日まで敵軍だった者たちだ。
だが、これをラーゼンは何も罰を与えることなく、そのまま全員の権利を保障した。
それだけではなく、国の為に戦った軍人として、報酬まで出すことを決めている。
これが「内戦」の難しいところでもある。
戦った敵も、侵略した土地も、それは他国ではなく、元から自国のものなのだ。
略奪もできなければ、厳罰を与えることもできない。
例えラーゼン相手に剣を振った敵であろうと、彼らは「ユピテル国民」であるのだ。
ラーゼンがユピテル全体の統治者である以上、そこに何か区別をするわけには行かない。
無論、東方の防衛力を担っていた10万にも上る兵士全てを処刑するなどは実利に基づいても害でしかない。国の健康な働き手をそれほど一気に失うということがどういうことか、わからないラーゼンでもないのだ。
そのような理由から、ラーゼンは敵対した兵士全てを許した。
許さなかったのは、元から罪を犯し、「国家の敵」と認定させた門閥派の上級貴族のみである。
「…上級貴族の方々は処刑に?」
「いや。厳正な罪に基づき、財産を没収して、流刑にしたよ。今頃プロス島辺りで詩でも書いているんじゃないか?」
「はは、彼らに詩の才があるとは思えませんが、碌なことは書いていなさそうです」
「大方、独裁者の誕生を嘆くような痛ましい詩だろうさ」
「間違いないですね」
バシャックを筆頭とした門閥派の議員や上級貴族たちは軒並み財産が没収され、田舎の離れ小島に流刑という形で移送した。
もう二度と歴史の表舞台に出てくることはないだろう。
とはいえ、いくら金持ちだろうと、数十名程度の財産を没収した程度で補うことのできる国庫ではない。
敵味方双方の兵士たちへの給与の支払いに、そもそも必要なこの国の運営費。
国を統治していくのにも必要なのはなんにしてもまずは金だ。
第一に解決しなければならない問題でもある。
一応、ラーゼンはいくつか考えているが…ここにきて少し前までいた「右腕」の存在が無いことが響いている。
「――そうだ、お前の今後についてだが」
そこで不意に思い出したように、ラーゼンは口を開いた。
「ひとまず3年ほど、《アウローラ総督》をお前に任せたい」
「―――アウローラ総督ですか!?」
思わずオスカーは声を上げる。
普通、属州総督とは、何度も執政官を務めたベテランがなるものなのだ。
しかもアウローラというのは、東方の属州の筆頭格であり、言い換えるならばユピテルにおける、東方の最高司令官である。
オスカーはまだ15歳。
大抜擢にも程があるだろう。
「ああ、本当は先に執政官を任せるつもりだったのだが、今は逆にアウローラ総督を任せられるような人材がいない。戦地になってしまった都市の事後処理もでき、尚且つアウローラの兵たちも認められるような人材となると――お前しかいなかった」
実際、内戦の最終局面、イルムガンツ要塞にてネグレドを破ったのはオスカーである。
ラーゼンが許したことによりそのまま残ることになるアウローラの兵たちとしても、自分たちを仕切るのならば、ネグレドを倒したオスカーというのは正当性もある。
そもそも、ラーゼンが首都に戻った後の、東方掌握をオスカーに任せたのも、この人事をスムーズに行うためだ。
「まあ、属州統治というのは、国の統治の予行練習のようなものだ。いずれ私に代わって国のかじ取りをすることになるなら、丁度いいだろう」
「…それって―――」
「ああ、オスカー、お前が私の後継者だ」
「―――‼」
驚くオスカーに、ラーゼンは少し目を細めながら語り掛ける。
「この先のユピテルは、今までのように元老院による合議制ではなく、1人の強力で有能なリーダーシップの元、トップダウン式に統治される一枚岩の大国になるだろう。そうでなければ、国の運営は不可能だ」
元老院の合議では、迅速に法案を成立させることもできず、いくつもの政策の遅滞を招いた。
国土が広くなり過ぎたあまり、選挙に時間がかかり、選挙が終わる前に任期が切れてしまうなんてこともあった。
そして、何より、元老院という指導体制の権威が、既に国民の中で完全に失墜している。
だから、違う体制が必要なのだ。
「そんな――国の指導者に必要な物は3つあると言われている。《正当性》、《権威》、《力量》の3つだ」
ラーゼンはそう言って指を3本立てた。
「《正当性》は、納得できる手段でその地位に就いたということであり、《権威》は貴種である――いわゆる権力者の血統であること、そして《力量》とは、実際に国を運営していくに足る実力があるのかどうかだ」
そして、ラーゼンはこのうちの2つを折りたたむ。
「だが、実際に私が何よりも必要だと思うのは《力量》。統治者に足る《力量》があるかないかだ。他は確かにあって困ることはないが、《力量》は絶対にないと困るものだからだ」
オスカーを見つめるその男の瞳は、父としてのものだろうか、それとも優秀な部下を持った上司としての物だろうか。
「ゆえに―――私がお前を後継者に選んだのは、お前が息子であるからではない。誰よりもお前が、指導者としての《力量》を示したからだ。きっと私は、お前が血の繋がりの何もない赤の他人だったとしても、お前を後継者にしただろう」
「…父上――」
「ふ、とはいえ、もしもアウローラ総督で失敗するようならいつでも撤回はするつもりだがな…そのつもりで心してかかれ」
「―――はい」
たくましい顔つきで返事をした、息子に、ラーゼンは満足そうに頷いた。
「詳しい人事はまた追って通達する。今日は帰って休むといい」
「―――は……あの、1つだけ尋ねてもいいでしょうか?」
ラーゼンの言葉に頷き、その場を去ろうとしたオスカーだったが、ふと気づいたように言った。
「なんだ?」
「その…バリアシオン君は――どうなったのでしょうか? 確か彼は治療のため首都に戻っていたはずですよね」
「―――アルトリウスか…」
アルトリウス・ウイン・バリアシオン。
2人にとっては馴染み深いその少年の名前が出ると、ラーゼンの表情は少し暗くなったように思える。
オスカーは、彼は要塞イルムガンツで重傷を負ったという話を聞いただけで、その後の話は一切聞いていない。
オスカーの中では、アウローラ総督の任よりもまず確かめたいことだったが…。
「…そうだな、会ってやるといい。今は…自宅に移っているはずだ」
「…はあ…」
どことなく低いラーゼンの声に、どことなく不安を感じながら、オスカーはその場を後にした。




