第143話:降伏宣言
「―――おい、貴様、ここから先は…ぐはぁっ!」
「――なんだ、いったい!? 止めろ止めろ―――!」
「―――ぎゃあああ! ダメだ、コイツ、速すぎる!」
イルムガンツ要塞司令部。
この要塞の司令官としてここに御座するネグレドの後方―――つまりは司令部への通路から、そんな声が聞こえてくるのが分かった。
声は、剣が肉を断つ鈍い音と共に消え、聞こえてくるのは1人の人の足音だけだ。
―――ズシャアア!!
その足音は、すぐに司令部の扉を木っ端みじんに切り刻む。
「……ついに来たか」
ネグレドが呟いた先、現れたのは1人の少女だ。
金髪に、白い皮鎧。右手に構える一振りの細身の剣。
美しい容姿とは裏腹に、多くの返り血を浴びながらも彼女自身は五体満足であることから、実力者であることがわかる。
「――き、貴様、何者だ! そ、そこを動くな!」
ネグレドの隣では、司令部の中に常駐していたネグレドの副官が2人、剣を抜いて少女に声を張り上げる。
だが、少女はそんな言葉には少しもひるまず、鷹のようにネグレドを見据えていた。
「私は西軍―――プロスペクター閣下所属、第1独立特務部隊副隊長シンシア・エルドランド。そちらは…ネグレド・カレン・ミロティック総督でよろしいでしょうか?」
凛とした声は、尋ねながらも、確信を持っているという雰囲気を見て取れた。
「…いかにも、私がネグレドだ」
「そうですか…ならば、降伏を要請します」
ネグレドが質問に肯定すると、少女は間髪入れずに言い放った。
面倒な建前は抜きなのだろう。
「断った場合は?」
「…残念ですが、この場でお命を頂戴いたします」
「――なんだと!? 貴様‼」
「やめんか!」
少女の言葉に、ネグレドの副官は血相を変えて剣を振り上げるが、それをネグレドは鋭い声で制する。
「お前ら2人が剣を振った瞬間、その娘に返されて終わりだ。それくらいわかるだろう」
「し、しかし…」
「いいから…黙っておれ」
「…はい」
副官2人が声をおさめ、剣の構えを解いたことを確認したうえで、ネグレドは再び少女に向き直った。
「…エルドランドということは、天剣の娘か…クザンはどうした?」
「…立派な最期でした」
「そうか…アイツも逝ったか」
少女の返答に、ネグレドは瞼を閉じる。
アウローラに来て以来、何にしても頼りにしていた相棒だった。
そんなクザンが、ネグレドを残していったということは、きっと、そういうことなのだろう。
「……」
とてつもなく長く感じる間、ネグレドは無言で、何かを考え込むように黙っていた。
少女――シンシアも急かすことはなく、老人の返事を待つ。
そして、ネグレドは目を開いた。
この時間にこの老人が何を考え、何を思ったのか、それを知る人間は後にも先にも彼だけだろう。
「―――テディ、降伏のラッパと白旗設置の指示を。ナビドは、白の照明弾を打ち上げろ」
「――そんな、閣下…」
「まだやれます! 閣下、どうかご再考を!」
「―――ならん!」
白旗と、白光の打ち上げ。
それは、全兵士共通の降伏の報せだ。
反駁する2人の副官を、ネグレドは厳しく諫めた。
「2人とも、それほどまでに私を殺したいのか? 今、ここで」
「い、いえ、そういうわけでは…」
「ならば行け。そこの娘がまだ私たちを生かしているうちにな!」
「「―――は、はいっ!」」
気が付いたように、副官の2人はビシッと敬礼をして、顔を青ざめさせながら駆け足で出入り口へと向かう。
丁度シンシアとすれ違う形になったが、部屋を出ていく2人を、シンシアは止めなかった。
「…2人を行かせてくれて感謝する」
「いえ、貴方の指導がいいのでしょう。もしもすれ違いざまに私に剣を抜いていたら、流石に斬らざるを得なかったので」
「…そうかもしれんな」
そう言って、ネグレドはシンシアから視線を外し、思い出すように少し遠いところを見つめた。
そして間もなく、再びシンシアに視線を戻し、ゆっくりと言った。
「…シンシア・エルドランドよ、今この時を持って…我々、東軍は――ラーゼンに降伏する」
降伏を決意した敗軍の将。
ネグレドのその姿はそれでも、歴戦の智将のように毅然としていた。
どこか哀し気に映るその瞳が映すのは、この先の未来についての絶望か、それとも、これまでの過去への憧憬か、目の前の少女には、ついぞわかることはなかった。
● ● ● ●
「押せぇ――ッ! 右が薄いぞ! 弾幕を集中しろ!」
要塞門を攻略する最前線で、オスカーは声を張り上げていた。
もはや自身が最高司令官であることも忘れ、一般兵と混じって指揮を執っている。
要塞門は、何層にも張り巡らされた巨大、かつ堅牢な鋼鉄の扉だ。
魔法でごり押しすることも、ロープをかけてよじ登ることも難しい。
攻城兵器は組み立て終わり、既に使っているが、全く効果があるようには見えない。
門の上からは大量の敵兵が魔法を撃ってきており、その迎撃をしながら門を突破するのは並大抵のことではない。
もっとも、オスカーの中での本命は、シンシア率いるアルトリウス隊による、内部からの陥落であり、少なくとも既に彼女たちが要塞内部に潜入していることはわかっている。
オスカーたちにできるのは、門の前で粘り続け、より多くの敵をこちらでひきつけることだけだ。
とはいえ、既に西軍も多くの兵を攻城戦で失っている。
門の前には無数の屍と血の匂いが散乱している。
そろそろ限界が近いことは目に見えてわかった。
だが、退けない。
退くわけには行かない。
シンシア達が要塞内でまだ戦っているというのに、残していくわけには行かないのだ。
「よし! 中央の兵が減った! 今こそ全魔力を―――」
そこまで叫んだとき―――不意に、何か敵軍に動きの変化があることが分かった。
「―――なんだ?」
怒号と、魔法、破砕音で騒がしかった門の周りが、やけに静かになったことがわかる。
―――いったいどうした?
気のせいか、門の上からの魔法の雨が止んでいる。
その静寂さに、こちらの兵も釣られて動きを止めている。
無論、オスカーも薄気味悪い現象に、思考がまとまらない。
しかし―――すぐさまその原因に、オスカーは気づいた。
「―――白い…照明弾!?」
門の後方―――小山の上から、巨大な白い光の球が打ち上げられていたのだ。
光の球は空中で止まり、激しく光り輝いている。
そして、耳を澄ますと、かすかに聞こえてくるラッパの音。
さらには―――
「――白旗…」
門の上に掲げられた、真っ白な旗。
これらが揃えば、誰でも気づく。
『降伏』。
東軍―――イルムガンツ要塞が降伏したのだ。
「――――」
それらを兵士が見たとき、一瞬…ほんの一瞬だけ静寂が訪れた。
全員がその事実を信じられなかったのだろう。
だが、それがまごうことなき降伏宣言―――つまりは自分たちの勝利だとわかった瞬間―――。
「わああああああああああ!!」
歓声と怒号にも似た雄たけび。
戦場はそれらで埋め尽くされた。
「オスカー…」
「――ああ、そうか…やってくれたか…」
どっと肩の荷が下りた感触を噛み締めながら、オスカーはミランダと顔を見合わせる。
「―――よし、行こうか。彼らを労ってやらないと」
そして、2人は凄まじい歓声の中、ゆっくりと開きつつある門へと歩き出した。
● ● ● ●
「…師匠、なかなかに粘るじゃないですか」
息を切らしながら、ヒナは声を出した。
相対するは、桃色の髪をはためかせる美女、ユリシーズ。
そしてその傍らに浮く、膨大な魔力を発する光の精霊アマドールだ。
ヒナの傍には、そのアマドールと激しく魔力をぶつけ合う炎の精霊イフリート。
もう相当な時間、イフリートとアマドールの魔力のぶつけ合いが続き、戦況は膠着している。
代り映えのない景色にも見えるが、お互いにとってこれが最善択だ。
なにせ、双方の最大火力が、「精霊召喚による精霊の魔力行使」であり、召喚した精霊の格が同格である以上、精霊同士の力は拮抗する。
ただ2体の精霊の魔力がぶつかり合い、辺りを魔力と炎、そして光で包むだけだ。
『おい、ヒナ! このままじゃらちが明かないぜ! こっちの方が魔力に余裕があるんなら、もう一体召喚しちまおうぜ!』
ヒナよりやや前方で真っ赤に燃え盛る炎の化身は、やけに楽しそうにそんなことを抜かす。
「…無理よ」
『はあ? どうしてだよ?』
「…そんなに魔力に余裕がないわ」
ヒナは冷や汗を垂らしながらそう答えた。
確かに―――理論上、もう1体精霊を召喚することは可能だし、実際にそれができれば精霊が1体であるユリシーズに対して有利に立てることは間違いない。
しかし、実は既にヒナの魔力は、さらに1体の精霊が維持できるほど残ってはいない。
むしろ、イフリートの維持すらギリギリのラインである。
これは別にヒナがおかしいわけではない。
逆―――最初からヒナの半分程度の魔力しか残っていなかったはずのユリシーズが、ここまで魔力を持続させていることの方がおかしいのだ。
―――何か私の知らない魔法を?
一瞬そう言った思考をするヒナであるが、すぐにその可能性は棄却する。
少なくともユリシーズは、至伝までの全てをヒナに伝えたはずだ。
結果的に敵にはなってしまったが、2人の師弟関係自体は純粋なものである。
そこを、ヒナは疑っていない。
教えられなかった魔法はあるかもしれないが、それらはもれなく失敗作のはず。
有用な魔法を教えていないはずがない。
かといってヒナが旅立ってから新たに何らかの魔法を開発したという可能性も少ない。
となると、残されたのは一つ。
「単純に―――消費魔力を抑える技量―――」
そう小声でつぶやきながら、内心歯噛みする。
少なくとも『精霊召喚』という魔法は、ヒナは使い始めて日が浅い。
それに対し、ユリシーズはもう何十年も前からこの魔法を使っている。
同格の精霊を喚び出せたとしても習熟度に差が出るのは当たり前である。
『精霊召喚』に限らず、どんな魔法でも、その理解と慣れ、習熟度や向き不向きによって、扱いの難易度が変わる。
例えば、同じ炎属性でも、よく慣れた『炎球』と、あまり使わない『炎槍』では、その消費魔力の効率が変わったりもする。
同格の『炎球』と、『水球』では、向いている属性かどうかで消費魔力に差が生じる。
となれば、それは『精霊召喚』にも同じことが言えるだろう。
向き不向きはわからないが、少なくとも習熟度においては、ヒナはユリシーズに大きく劣る。
この点で、残魔力量の差という部分を、ユリシーズはカバーしてきているのだ。
「流石は世界最高の魔法士と呼ばれるだけはあるってことね…」
「―――ヒナちゃん、何か言いました?」
ヒナの呟きに、ユリシーズは涼し気な顔で声を出した。
「―――いえ、別に!」
あの余裕顔が果たして演技なのか、それとも本当に余裕があるのか、ヒナには判別がつかない。
こういった際の駆け引きは、おそらく場数を踏んだ数の違いが物を言う。
ヒナは旅の最中、盗賊こそ何度か相手にしたものの、戦場は初めてだ。
その違いは大きい。
持久戦に持ち込んでしたり顔だったが、まんまと五分以上の戦いに持ち込まれてしまったわけだ。
ヒナは内心焦っていた。
―――どうしよう、イチかバチか、もう1体の召喚するべきかしら?
もう1体を召喚しても、数秒程度なら維持する魔力はある。
その数秒で一気にユリシーズの精霊を圧倒し、短期決戦を狙うという手段がまだ取れる。
しかしその場合、それで勝てればいいが、もしもアマドールを残してしまった場合、一気に形勢は逆転する。
リスクの高い手段だ。
―――いや、迷っている場合じゃない。
少なくとも2体の精霊を受けて、アマドールが無事で済むわけではないのだ。
やらずに後悔するなんて絶対に嫌だ。
「――『君臨せし……」
そう―――ヒナが魔力を集中し、詠唱を始めたときだった。
不意に、ユリシーズの視線があらぬ方を向き、その顔が驚愕に包まれたのだ。
「―――?」
慌ててヒナもそちらを向くと――――。
「―――照明弾!?」
思わずヒナは叫んだ。
遠目に見えるイルムガンツ要塞、その小山から―――白い光の球が高く打ち上げられていたのだ。
魔法で巨大な白色の照明球を浮かすことの意味は、戦場ではたった一つ。
『降伏宣言』。
イルムガンツは、東軍は、祖父は…負けたのだ。
● ● ● ●
防戦一方。
『銀薔薇』と呼ばれた騎士、イリティアは、齢80歳を超えた老人相手に、翻弄されていた。
お互い致命傷には至っていない。
老人『魔断剣』ゾラの攻撃は、イリティアの盾を突破できず、その代わり、イリティアは攻撃に出れる回数も少なく、当たらない。
甲剣流の使い手からすれば、この現象はおかしいことではなく、むしろ拮抗しているというだろう。
だが、イリティアとゾラの場合、一概にそうとは言えない。
なぜなら、イリティアが魔力で身体能力を強化して戦っているのに対し、ゾラは魔力など使わない――素の状態で戦っているからだ。
つまり、この状態が長く続けば、不利になるのはイリティアであり、魔力が切れた瞬間、一気にこの拮抗は崩れる。
もちろん、ゾラも長い戦いで身体に疲労はあるが、魔力の切れた魔剣士のように大幅に動きが下がることはないだろう。
つまり、イリティアは魔力のあるうちにこの老人を倒さなければならないのに対し、ゾラの方はイリティアの魔力が切れるまで粘ればいいだけなのだ。
そして、粘るということについて、この老人の右に出る者はいない。
意味もない左右の揺さぶりに、思わず剣を振らずにはいられないわざと作られた隙。
そんなゾラの技によって、着々とイリティアは削れてた。
「ふぉっふぉっふぉ、ほれほれ! まだまだ元気そうじゃな!」
「貴方はもうちょっと歳を考えてください!」
そんな言葉を交わしながら、2人の剣は交差する。
ゾラの右の剣を、左の盾で防ぎ、ゾラの左の剣を右の剣で受ける。
手数が上のゾラに対し、防御で動くイリティア。
これが魔剣士同士の戦いであれば、動きの多いゾラのほうが先に魔力を切らすのだろうが、残念ながらゾラは特異な部類の人間だ。
努力と執念のみで強者の階段を駆け上がってきた男に、常識は通じない。
そして―――、
「―――ッ!」
「ほう、ようやく魔力が尽きたか!」
イリティアの動きが、急激に落ちた。
明らかな魔力切れだろう。
待っていたとばかりにゾラは攻勢に移る。
連撃、そして連撃。
怒涛の勢いで迫る2本の剣に対し、イリティアは盾を突き出すだけで精いっぱいだ。
「ほれ、これでどうじゃ!」
連撃で盾を正面に集中させてからの、側面への移動。
魔力が切れた今、ゾラの方が速さが上だ。
剣を振りかぶりながら、ゾラはステップを踏む。
当然、これには反応できないと、思っていたゾラだったが―――。
「ようやく、本物の隙ですね!」
「―――!?」
盾から離れた側面。
盾の裏側で、ゾラを待ち受けるかのように用意されていたのは、「魔法」だった。
間違いなく、そしてここぞとばかりに、ゾラの腹をめがけて用意されていた、『氷槍』――。
そう、イリティアは魔力の切れたフリをしていたのだ。
ゾラが完全に勝利を確信し、単調な行動に移った際の隙。
そこに、魔法を撃ちこむ。
それが…イリティアの導き出した勝機だ。
「―――ぬおおおおおお!!」
珍しく雄たけびを上げながら、ゾラは仰け反るように体を捻る。
しかし、既に氷の槍は発射されている。
確かに、ゾラは魔法を斬ることができる。
だが、魔力障壁のない体で、この近距離では受けきれまい。
しかし―――氷の槍は、ゾラの体を貫かなかった。
半身に体をくねらせたゾラの皮膚に傷を付けながら、氷の槍は空に飛んでいく。
致命傷には至らない。
「―――それくらい、予想済みです!」
魔法の速さを越えれずして、この剣士は神撃流最強などと言われない。
当然、魔法が避けられた時のために、イリティアは剣を置きに行っていた。
仰け反ったゾラの隙だらけな胴に向けて、剣を薙ぎ払う。
彼の両腕の剣は間に合わない。
しかし、
――キンッ!
金属音が響いた。
イリティアの剣が、剣によって止められた音だ。
「―――今のは危なかったわい」
確かに、ゾラの両腕の剣は間に合わなかった。
だが、別の剣は間に合っていた。
「まさか―――足で剣を抜いたんですか!?」
そう、今の一瞬でゾラは足の指で腰の剣を引き抜き、イリティアの剣を弾いたのだ。
確かに―――よく見ると彼の靴はブーツなどではなく、底の柔らかい足袋のような形状の履物だ。
指の稼働も自在にできるだろう。
「――ふぉっふぉっふぉ!」
ゾラはそのまま足の剣を捨て去り、曲芸師のようにくるくると回転し、大きく後退する。
「腕の数しか剣が使えんなどと、誰が決めた? 3本、4本、使える剣の数に限度などないわ」
まさしく老獪に、ゾラは笑う。
これがゾラの真骨頂。
かつて、魔断剣と呼ばれる前――『百剣』と呼ばれ、恐れられた剣士。
魔力なくして、名だたる強豪と渡り合ってきたその実力は、伊達ではないのだ。
「さて、イリティアよ…どうやら今の『氷槍』で今度こそ魔力は切れたようだな」
「――どうしてそれをっ!?」
「ふぉっふぉっふぉ、ただの勘じゃよ。魔剣士というのは魔力切れの時、誰もが同じ顔をするもんじゃ。先ほども少しおかしいと思ったら、魔力切れの演技だったじゃろう? だから、ギリギリで魔法を避けることができた」
「―――ッ!」
圧倒的な実力の差。
いや、今まで経験してきた場数の差だろう。
戦いが長引けば長引くほど、その差は顕著に表れる。
ゾラは軽傷を負い、剣を1本失った。
対してイリティアは魔力が切れた。
どちらかといえば――いや、確実に有利なのはゾラだろう。
――そもそも有利だとか不利だとか、そんなものがこの老人にあるのだろうか。
《万能》。
それがゾラという剣士だ。
どのような状況でも不利はない。それがゾラなのではないだろうか。
そんな錯覚すらも抱きかねない。
しかし…
「…さて、では決着を…と行きたいところだが、残念ながらここまでのようじゃな」
完全に流れを掴んだはずのゾラだったが、出てきたのはそんな言葉だった。
「ここまで? いったい何を言って…!?」
一瞬その言葉の意味を探るも、すぐにイリティアも気づいた。
空に浮かぶ白い光の球。
『降伏宣言』。
東軍の敗北の報せだ。
「―――ユリシィィーーズ!! もう終わりじゃ! ダルマイヤーを回収して、さっさとずらかるぞ!!」
そして、そんな大声と共に、老人が猛然とダッシュをかける。
「え、ちょ、ちょっと!」
「イリティア、お前はまた今度相手をしてやる。ほれ!」
そう言って投げられたのは―――一つの拳大ほどの球…。
そして、それを認識した瞬間、イリティアの視界に白い煙が立ち込める。
「――!? 煙幕ですか! …相変わらず変わった物を…」
「――そうじゃ、小童に言っておけ! もしも無事なら次は是非ともサシで戦ろうとな! 盛大に負けてやるわ! ふぉっふぉっふぉっふぉ!」
そんな笑い声と共に、ゾラの気配は消えていった。
魔力の切れたイリティアに煙幕を払う手段はない。
その煙が晴れたころ、すでにイリティアの周囲には誰もいなかった。
あまりにも手際のいい引き際に、少しぽかんとしてしまったが、
「そうです! いつの間にかだいぶ離れてしまいました。ヒナのもとに戻らないと…」
気づいたようにそう呟きながら、イリティアは駆け出した。
● ● ● ●
「……」
「……」
実質的な停戦を意味する降伏宣言を目撃しても、ヒナとユリシーズ、2人の魔法士はお互い無言でにらみ合っていた。
もしかしたら降伏の照明弾は相手が魔法で見せている幻ではないか、なんていう警戒をしていたのかもしれない。
『おいヒナ、戦わないならもう帰るぞ。これ以上アマドールの奴の顔なんて見たくねえ』
『それはこっちのセリフです! もう帰りますからねユリシーズ!』
そんな2人の魔女を置いて、のんきに会話を進めるのは2体の精霊だ。
「え、ちょっと待ちなさいよイフリート!」
「ちょ、アマドール!? 嘘ですよね!?」
驚く2人の魔女を置いて、炎の精霊と光の精霊は透明になるかのようにすぅーっと消えていった。
残されたのは、殆ど魔力の切れた2人の魔法士――つまりはただの女が2人だ。
「「……」」
思わず2人は顔を見合わせる。
つい半年前まで毎日顔を合わせていた師弟であり、そして今の今まで殺し合いをしていた敵同士。
思わぬ形で決着がつかなかった今、お互いがどう接しようか困惑している状態だ。
そんな中、先に会話の口火を切ったのはユリシーズだ。
「…最後に、もう1体の精霊召喚をしようとしていたようですが、アレは悪手ですね。私の魔力はもう本当に残りわずかだったので、何もしなくてもヒナちゃんは勝ってましたよ」
師として、弟子の悪かった点はどうしても指摘したかったのだろう。
免許皆伝を授けたとはいえ、ユリシーズにとってヒナは思い出深い弟子なのだ。
「そうでしたか…いえ、師匠があまりにも余裕そうなので少し焦ってしまいました」
悔しそうにヒナは答える。
技量に、心理戦。どちらも負けた。
もしもアルトリウスがユリシーズの魔力を削っていなければ、接戦にすらならなかっただろう。
「でもまあ…イフリートには驚きました。そもそも、ここに現れることも予想外でしたし…恋する乙女の力は侮れないですね」
「…茶化さないでください」
「ふふっ、私は大真面目ですよ」
そこにあるのは、殺し合った2人の関係ではなく、お互いがお互いを認める以前の師弟関係に近いものだった。
そんな2人の元に、「ユリシィィーーズ!」と遠くから声が聞こえた。
間違いなくゾラの声だ。
「師匠も人の事は言えないですよ」
「…お爺はもうお爺ですから。昔は格好良かったんですけどねぇ」
思いだすようなユリシーズの顔は、ヒナの知らないユリシーズの一面だ。
もしかしたらユリシーズも、ヒナと同じような理由でこの戦争を戦っていたのかもしれない。
「では私はもう行きますが…そうだ、ヒナちゃん、彼について、1つ忠告を」
ユリシーズは立ち去り際に、ふと思い出したように口を開いた。
彼というのは言わずもがなアルトリウスのことだろう。
「魔法も剣も想像を凌駕する凄まじい坊やでしたが…あれは生き急ぎすぎです。魔力核を酷使しすぎてますね。いったいどうやったらあれほどボロボロになるのか…」
「――!」
ユリシーズの物言いに、ヒナは思わず顔をしかめる。
「詳しいことはわかりませんが…彼の事を想うなら、あまり無理はさせないようにした方がいいですよ。もっとも、もう手遅れかも知れませんが」
「それって…」
「どうせすぐにわかります。自分で確かめなさい」
そして、ユリシーズは少し哀しそうに、それでも厳しい目でヒナを見据えた。
「ヒナちゃん、もしも次に戦場で会ったら、こうは行きません。次は―――越えて見せなさい。真正面から貴女の全てを懸けて」
「…はい」
ヒナは深く頷いた。
彼女たちは師弟だが、その道が袂を分けたとき、今日のように敵対することに躊躇はない。
それが彼女たちなりの覚悟であり、師弟の在り方だ。
そして、ユリシーズは去っていった。
彼女とゾラの今後の身の振り方は知らないが、まぁあの人たちに限って心配するだけ無駄だろう。
「…ヒナ、無事ですか?」
ユリシーズが経って程なく、イリティアがヒナの元にやってきた。
「…! 先生こそ、無事でよかった」
イリティアは大きな怪我こそないものの、魔力も殆ど切れて満身創痍といった感じだ。
むしろあのゾラを相手によく生き残ったものだ。
「先生、この後どうしますか?」
「そうですね…私は気になることがあるのでそれを確かめたいですが…ヒナはどうしたいですか?」
イリティアとしては、ゾラの言っていた『軍神』の所在が気になる。
たとえネグレドが降伏したとしても、『軍神』がいるならば彼一人で戦局などひっくり返ってしまうからだ。
もしも本当に『軍神』がいるならば、イリティアとしてはヒナとアルトリウスを連れてさっさと遠くへ避難したかったのだが…
「私は…とにかくアルトリウスに会いたいです」
「……そうですね」
恥ずかしくなるほど純粋な少女の言葉に、イリティアは微笑みながら頷いた。




