第138話:世界の頂点
少し長いです。
白髪が魔力の流れによって棚引いている。
金色の眼光は鋭く光り、口元には笑みがこぼれている。
右手には剣。
真っ白い両刃の―――幻想的な剣。
ユピテル人の持つ平均的な直剣と同じ規格の剣だが―――その白さはそれがただの剣ではない事を誰もが知覚するほどの神々しさを内包している。
それを持つのは白い剣とは対照的に浅黒い肌を持つ―――1人の男。
―――剣を抜いたのはいつぶりか。
男、『軍神』ジェミニは遠い記憶を思い起こす。
―――そうか、メリクリウス以来か…。
かつて『聖錬剣覇』と戦って以来、剣を抜いた記憶も、魔力を解放した記憶も――傷を負った記憶もない。
「―――『烈空』、光栄に思え。俺が剣を抜いたのは―――人生で3度目だ」
そうジェミニが言い放った正面。
そこにいるのは、ジェミニと相対するにはあまりにも小さい、1人の少年だ。
烈空アルトリウス。
血に濡れたボロボロの服と、満身創痍の体。
それを抱えながらも、ジェミニの想定を超えてついに手傷さえ負わせた、凄まじい少年。
その焦げ茶色の瞳を大きく見開いてジェミニを見据える少年が、いったい何を思うのか、ジェミニの知るところではない。
だが、遠慮はしない。
この少年は、かつて本気を出した相手―――伝説の魔導士部隊『暁月の連隊』、そして史上最強の剣士『聖錬剣覇メリクリウス』―――これらに届く力を持っていると、ジェミニは判断したのだ。
無論―――彼らはジェミニは及ばなかった。
果たして、目の前の少年はどうなのか。
―――ククク、真か偽か―――ウルよ、貴様の予言の可否…問わせてもらうぞ。
人生で3度目の全力を出せる喜びを胸に―――ジェミニが動いた。
● ● ● ●
「…はぁ…はぁ…」
ようやく―――光明が見えたと思った。
おそらく、全身全霊をかけた、速度。
ゼノンの動きすら超えたんじゃないかと思わせるような加速の剣。
その剣は、間違いなくジェミニに届いた。
だが…。
魔力を解放し、剣を抜いたジェミニの姿は、それまでとは一線を画していた。
彼の握る真っ白い剣は、日光に反射し不気味に薄く光っている。
先ほどと変わらぬ笑顔を見せるジェミニは、それでも先ほどと違い、隙が見えない。
――剣の型はざっくばらんな適当な構えなのに。
まるで素人のような―――ゼノンやシルヴァディが見たら小言の一つでもいうような、そんな構え方。
それなのに…隙がない。
いったいどう攻めれば勝てるか、そのイメージが全く持てない。
「さあ。行くぞ烈空よ。貴様の修練のその意味を―――この俺に示して見せろ!!」
「―――っ!?」
そして―――ジェミニの体が、ブレた。
―――ヤバいッ!
半ば反射的に――あるいは本能的に、俺は右に体を動かした。
「――――っ!」
――それを、避けれたのは、多分運が良かったのだろう。
ただ、ジェミニは、真っすぐと、そう、一直線に俺に近づき、剣を縦に振り降ろしただけだった。
―――ヒュンッ!
動作が全て終わった後―――その音は遅れて聞こえた。
まず感じたのは、空気が震える感触と、突風と、大地の揺れ。
「―――!?」
その光景に、思わず俺は息をのむ。
「―――大地が…割れた?」
恐らく、ほんのコンマ数秒前まで俺のいた位置。
そこに―――幅数センチもない谷ができていた。
もちろん、以前からあった天然の谷ではない。
―――今。
たった今、この男の剣の振りによってできた―――剣撃の跡だ……。
「――――????」
わけが、わからなかった。
こんなの、当たったら終わりじゃないか。
「ん? なんだ、先程までの威勢はどうした?」
「―――っ‼」
気づくと既に、剣の間合いに、奴はいた。
のらりくらりと、相変わらず雑に剣を振り上げて。
もはやそこに行きつくまでの―――視認も追い付かなかった。
そんな、バカな―――。
俺は、毎日のように見てきたんだ。
この世界で最速と呼ばれる男の剣を。
見えないなんて―――。
剣が振り降ろされた。
「―――ッ!」
―――死。
予感を感じた。
本能の叫びとも取れるそれに従って、俺は身を仰け反らせる。
死の予感は、風圧と共に俺の頬をかすめ、地面と空を裂く。
「―――なっ…」
「ハハッ! 流石によく避けるな!」
俺の頭をガンガンと鳴らす警鐘と共に、軍神の笑い声が響く。
そしてすでに、奴の剣は振りかぶられていた―――。
三撃目。横薙ぎ。
避けられない。
「―――っあああぁあぁあぁあ!」
筋肉が軋む感触を感じながら、俺は剣を立てていた。
―――ガアアァアアアァアアン!!
およそ、剣と剣が衝突した音ではない。
まるでこの大地そのものを剣で受けたような衝撃が、剣を通して俺の全身に響く。
踏ん張る足は痺れ、その衝撃が地面に行く間もなく、俺の体は易々と吹き飛んでいく。
剣を受けて吹き飛ぶなんて、そんな現象聞いたことはない。
なんだあの合理も何もない―――力任せに振り切った剣は。
それなのに、どんな剣よりも速度があり、どんな剣も敵わない破壊力を内包してやがる。
あんなの、受けられない。
「―――ぐふッ…」
地面に膝をつく、全身に未だ衝撃が残っている。
まるで痺れたように体が痙攣している。
いや、それだけじゃない。
「―――あ…」
恐怖。
恐怖心だ。
これには、勝てない。
その恐怖が、俺の心を支配していく。
ダメだ。
恐れるな。
しっかりしろ。
視界にジェミニを捉える。
ただ真っすぐと、俺に向けて歩いてきている。
絶対に見失わない。
どうきても―――。
「こっちだ」
「―――!」
音もなかった。
見えなかった。
すぐ横に、そいつはいた。
乱暴なまでに乱雑に、真上に振りかざした剣を持って―――。
―――受けられない威力の剣。
「…っうあああ!」
ならば―――流す。
感覚を研ぎ澄ませろ。
何千回もやってきた技だ。
勢いを殺すように、側面へ流すように、剣の腹を傾ける。
見えなくても―――速さを予測しろ。
ポイントは同じ―――。
「―――『流閃』‼」
水燕流の基礎にして最奥の技。
どんな剣でも流す必殺にして必勝の奥義―――。
―――ガキィィン!!
角度が変わると、弾けるように俺は吹き飛ばされた。
「―――つうっ!」
地面に放り出された俺の身体は、未だにその衝撃でジンジンと震えている。
―――流せなかった。
角度も、タイミングも、最適なはずだった。
でも―――意味がなかった。
流すとか、受けるとか、そういう問題じゃない。
俺の握っていた剣は、半ばで折れかけていた。
ヒビが入り、もう1撃でも受ければ、間違いなく砕ける。
それほどの、威力。
「…流しの技か。それは見たことがあるが…やめたほうがいい。意味はない」
ゆっくりと、ジェミニはそう言った。
「剣技の頂点とは、過去に戦ったことがる。俺にはどれも通じなかった」
恐らく本当なのだろう。
俺よりも優れた水燕流の技の使い手など、過去にこいつが戦っていないわけがないのだ。
それが通じたかどうかは―――ここにこの男が五体満足でいることがその答えだ。
流せない。
受け流せないほどの膂力。
ただそれだけだ。
なんの技術も、なんの型も介在しない、ただのパワー。
剣を受ければその剣は折れてしまうのではないかと思うほどの、力。
事実―――もうこのフランツの剣で受けることはできない。
「…ああ、先に言っておくがこの剣に何か特殊な能力があるわけではない。あえて言うなら―――丈夫であるというところか」
何を勘違いしたのか、ジェミニはそう言った。
「『不壊剣モンジュー』。初代軍神が、英雄オルフェウスの為に鍛えた一振りであるらしい。この世で唯一、俺の力に耐えられる剣だ」
そう言って真っ白い剣をこちらに向けるジェミニ。
純白の剣。
恐らく白魔鋼で鍛えたのだろう。
確かに、どこか幻想的で―――業物であると一目でわかる。
だが…そんなことはもはや問題じゃない。
「さあ、続きだ」
「―――っ!」
振り下ろされる剣。
デタラメな剣筋なのに、俺の知るどんな剣よりも速い。
型も合理もないのに、俺の知るどんな剣よりも強い。
反撃をする隙間もない。
単に、強い。
身体の速さも、反応速度も、パワーも。
全てが負けていた。
魔力の乗ったジェミニの動きは、先ほどまでとは比べ物にならない。
「――うぉおおおお!!」
剣を振った。
これまでで一番必死だった。
あらゆる技を、あらゆる奥義を、あらゆる剣を―――。
俺の培ってきた全てを、ぶつけた。
俺も速かった。
多分、ギャンブランと戦った時より、ゾラとユリシーズを相手にした時より、ずっと速かった。
それでも。
―――防戦。
いや、防げてはいない。
もはや俺はひたすら逃げていた。
アイツの斬撃から、とんでもない速さから、異常なパワーから。
もう次は受けれず、受けれなければ、確実に死ぬ。
――――強い。
もはや、どうして俺が生き残っているのかもわからない中、頭の中ではそんな感情しか出てこない。
世界の頂点。
強さの象徴。
そりゃあ、誰も勝てないわけだ。
否応なしにそれをわからされる。
挑んだことが間違いだった。
まさにそう思わせる―――。
そうだ、まるでこいつは、俺が目指したその先にいるような男だ。
あの時―――俺が誓った―――目指した先。
全てを救える力。
たとえ世界を敵に回しても、自分を通せる傲慢な力。
冗談じゃなく、本当に体現していた。
―――ああ、多分こいつは世界相手にだって勝つのだろう。
きっとこいつに倒せないものなんてない。
通せない我はない。
理不尽や不条理を自身の力で打ち砕く―――そんな俺が憧れた力。俺がなりたかった存在。
いや―――きっとこいつ自身が理不尽の権化だ。
―――ふざけるな……。
生まれながらにして、最強?
誰も勝てない?
満たしてみろ?
ふざけるなよ…・・。
なんだこいつは?
ずっと笑顔で戦って―――まるで戦うのが楽しくて楽しくて仕方がないって顔をしやがって。
ふざけるな…俺がどれだけ―――何を思って戦っていると思ってるんだ。
コイツは―――ジェミニは戦いを求めている。
最強であるがゆえに戦いを求め、戦いを呼ぶ。
まるでそれが自身の存在意義であるかのように、笑いながら戦争をする。
俺とは逆だ。
俺は戦いなんてしたくない。
誰も殺したくない。
「―――っ」
唇を噛み締めた。
コイツは……倒さなきゃならない。
こんな奴を野放しにできない。
血反吐を吐いても。
何度地に伏そうと。
俺は決めたんだ。
前世とは違う。
勝てない道理は、無理やりこじ開ける。
そう、まだだ。
俺の全部は―――アルトリウスの全部はここじゃない。
もっと―――深淵まで―――。
『―――それ以上は、もうやめておいた方がいい』
…黙れ。
『もう限界だ。倒す以前に―――反動で死ぬぞ』
どうせ、倒せなければ死ぬさ。
『だが――』
いいから…寄越せ―――。
「―――――――ッ!」
目を見開いた。
意識も思考も、やけに薄い。
視界は紅みを帯びていて、おぼつかない。
でも―――力が溢れてくる。
おぼろげな視界なのに―――目の前、白髪を棚引かせる男の動きが見える―――。
相変わらず、狂ったように嬉しそうな笑顔を浮かべる軍神の姿が…。
「―――ふざけるな…」
なんだその笑みは…。
「―――む?」
「―――ふざけるなぁあぁぁああぁぁぁ!!」
怒りか、憎しみか、嫉妬か。
もはや俺を動かすその感情が何か、俺にもわからなかった。
でも、コイツだけは倒さないと。
生かしていてはいけないと―――そう思った。
● ● ● ●
叫びと共に、剣を抜いて以来、防戦一方だった少年の動きが変わった。
首筋には血管が浮き出て、目は酷く充血している。
「―――ガアアアァアアアア!!」
「―――‼」
少年が跳躍した。
ここ暫く見られなかった少年の攻勢。
しかも―――速い。
「ハハハ! いいぞ烈空! まだ上があるか!」
歓喜の声を上げながら、無造作に剣を振る。
が、少年の姿は消える。
「―――そうやって笑って…戦いを何だと思っていやがる」
―――後ろ。
「―――フン!!」
咄嗟にジェミニは反応する。
しかし――ジェミニの剣は空を斬る。
少年の姿は再び消える―――。
「―――ほう、上か!」
少年の姿は上空―――飛翔していた。
―――《飛行》。
ジェミニも見たことのない、空中を浮く魔法だ。
「―――ふざけるなよ軍神。世界はアンタを楽しませるための道具じゃないんだ」
「説教か小僧が!」
ジェミニの剣が振られる。
その剣圧は空気すらも切り裂く。
空を翻すかのように、アルトリウスの体は舞う。
そして、矢のようにジェミニに向かって降りてくる。
――ガキイイン!!
鋼鉄が弾き合う音と共に、初めて鍔迫り合いの形ができた。
アルトリウスの攻めを、ジェミニが受けたのだ。
しかも―――力は拮抗する。
「―――最高だ…最高だぞ烈空! その力、その速さ、予言の相手に相応しい!」
「黙れよ軍神…ッ!」
興奮するようなジェミニにアルトリウスは叫ぶように声をひねり出す。
「―――力には…責任があるんだ。成さねばならない事、背負わなければならないもの、そのために、人は力を手にし、戦うんだ! なのに、なんだお前は…っ! 戦争で、こんなにもたくさんの人が悩み、命を懸けて戦っているのに、お前の剣からは何も感じない。何の責任も、何の決意も感じない! それほどの力を持っているのに!」
「―――ふん、何も知らぬ小僧が!」
キン、とようやく金属音が離れる音が響く。
膂力で勝ったのはジェミニだ。
アルトリウスの剣をはじき出す。
「どうして俺が責任を背負う! 生まれながらに、世界によってこの力を持たされた俺が、何の業を背負う必要がある!」
「―――何も背負う気もない奴が…戦場に出てくるな!」
アルトリウスが動く。
常人には目視も不可能な高み。
ジェミニの動きを読み、右に左に揺れながら、ジェミニの喉元に剣を振るう。
だが、ジェミニの速度の方が速い。
アルトリウスの剣は当たらない。
「ふん、ならば貴様は、呼吸をせずに生きろと言われてそれが可能か! 戦いは俺にとっては全て。そのように生まれ落ちた―――俺には権利がある。ただ一人、戦いの為に生き、戦いの為に戦うその権利が!」
煌めくジェミニの金色の目と、血走るアルトリウスの目が交錯する。
「烈空よ、貴様こそ何を背負って戦う! 貴様とて、その力―――戦いの為のものであろうに!」
ジェミニの白い剣閃が走る。
少年の剣と交差するその白い剣撃は、ついぞ鈍い音を立てて、アルトリウスの剣を半ばから砕いた。
「―――っ!」
アルトリウスは身を翻し、上空に舞う。
「―――また上か、温いぞ烈空!」
ジェミニはすぐに上空に視線を移すが―――。
「―――なッ!」
一瞬――ジェミニは顔をしかめた。
―――光。
太陽光という自然の光は、アルトリウスの体を紛れさせるようにジェミニの目を照らす。
「…何だって背負うさ。それが、たとえ世界だろうと」
視界の穴。
光に紛れた降下。
ジェミニの動体視力を持っても、そのアルトリウスの動きは見えなかった。
アルトリウスはその折れた剣を突き立てる。
背後から―――心臓を貫くその位置に。
虚。
完全な虚を突いた技。
上空からの剣撃という、アルトリウスにしかできない上からの剣だからこそ可能な、逆光を利用した攻撃。
見えなければ、反応速度がどれほどずば抜けていようと、避けられはしない。
そして、アルトリウスの剣は、ジェミニに届いた―――。
誰が見てもそう見えた―――そのとき、
「…惜しいな、烈空」
ジェミニは、最後の枷を解いた。
「―――!?」
完全に決まったはずだったアルトリウスのその剣は、届かなかった。
きっと、本来なら届くはずだった。
だが…その折れた切っ先は、止まっていた。
ジェミニのから、数センチ手前。
まるで何も無いように思えるその空間が、アルトリウスの剣を止めていた。
ユリシーズの使うような流体の金属ではない。
そんな小手先の魔法を、ジェミニは使わない。
つまりそれは―――その空間は―――
「――――魔力、障壁?」
アルトリウスの顔は驚愕に包まれていた。
信じられない物を見たとでもいうような、そんな表情だろう。
『魔力障壁』―――果たしてジェミニのそれを、従来のそれと同義に扱っていいのかはわからない。
だが、ジェミニの全身を覆うそれは、間違いなく魔力ではある。
ユリシーズの使う全力の魔力障壁を、およそ数百層にまで重ねて密にしたような、そんな魔力の鎧だ。
実際アルトリウスの剣を止めている空間では、今も何枚もの魔力障壁が砕かれ、突破されている。
だが、その層が砕けるよりも、新たな魔力障壁が形成される速度の方が速い。
たった数センチの間に広がる―――無限にも等しい空間。
それが、軍神ジェミニを倒すためには避けて通れない、正真正銘最後の壁だ。
「…『絶対領域』。俺はこれをそう名付けた」
「―――ちっ!」
アルトリウスは剣を下げ、勢いよく後退する。
「―――どんだけ…奥の手を…」
「安心しろ。これで終わりだ」
歯噛みするようなアルトリウスに、ジェミニは言い放つ。
小細工はなし。
これを突破できるなら、ジェミニにこれ以上の打つ手はない。
「そうか、だったら―――」
アルトリウスは再び剣を構える。
「―――魔力が切れるまで―――削り取る!」
少年は大地を蹴る。
まだ勝てると、そう思っている。
確かに、ジェミニが『絶対領域』―――魔力の鎧をまとえなくなるまで削れば、その剣はジェミニに届く。
何百層にも及ぶ防御魔法など、魔力の消費は半端ではない。
もしもユリシーズが同じことをやろうとしたら、ものの数秒で魔力は枯渇しただろう。
だが―――ジェミニはユリシーズではない。
かつて――『聖錬剣覇メリクリウス』も、『暁月の連隊』もこの魔力の鎧を突破しようと全霊を懸けた。
だが―――それは叶わなかった。
ジェミニよりも――メリクリウスと暁月の連隊の方が先に魔力を枯渇させたのだ。
軍神ジェミニの恐ろしさは、その驚異的な身体能力でも、動体視力でもない。
ただ単に―――生まれ持った圧倒的な魔力量。
それが、彼を世界最強としてたらしめるのだ――――。
● ● ● ●
―――なんだこいつ!?
俺は心の中で叫んでいた。
一体どうやって…どうすれば勝てるんだ!
技?
速さ?
違う、そんな―――何かがあれば勝てるとか、そんなんじゃない。
意味が分からない。
何度も打ち込んだ。
何度も必死に奴の懐に迫り、剣を突き立てた。
それなのに、その空間は一向に縮まらない。
鈍い音もせずに、俺の剣は空気に止められる。
たった数センチの空気が、鋼鉄を何層も重ねたように重く、硬い。
魔法はもちろん、剣でさえもそれを貫くことが叶わない。
絶対領域とはよくいったものだ。
魔力障壁か―――とにかく密度の異常に高い魔力であることはわかった。
だが…おかしい。
それを、どうしてこうも常時展開していられる?
これを維持するには莫大な魔力を常に消費し続けるはずだ。
それなのに、まるでジェミニに魔力切れの傾向は見えない。
笑顔で俺に剣を振る。
おまけに、コイツ自身の速さは欠片も衰えないし、パワーなんて言わずもがな。
俺は一発でも貰えば死ぬ。
なんだ?
なんなんだこいつは!?
行けると思った。
力が溢れてきていた。
そして、多分これが俺の全てで―――きっと命を削っているんだということも分かった。
でも、それでも届かない。
決めきれない。
「――――っ!」
「ハッハッハッハ! いいぞ! 踊れ踊れ‼」
相変わらず軍神はむかつくほど笑顔で、俺の剣が迫るたびに笑い声を上げる。
嘘だろう。
嘘だと言ってくれ。
ここまでやっても、勝てないのか。
無理だ。
こんな奴――誰にも勝てるはずがない。
ああ―――なるほど。
これが世界最強。
この世界における、強さの頂点。
そりゃあ必要ないわけだ。
技も、魔法も。
『―――お前の目指すその道は、何よりも遠い』
そうだな。
お前が言っていた通りだ。
遠い―――遠すぎる。
アレに勝てる人間なんていない。
それが、よくわかったよ。
白の剣が走る。
まさに、目にも留まらぬ速さ。
「どうした烈空! 速さが落ちているぞ!」
軍神が、やけに煽る。
しかたがないだろう、既に―――俺の魔力は切れている。
速さは大きくジェミニに劣っている。
どうしてまだ自分が避けられているのか、それもわからない。
―――ああ、もうダメだ。
心が―――折れそうだ。
あの日、あの少女を守れなかった―――後悔したくないと誓ったあの日から、決して折れてこなかった心が、ダメになってしまそうだ。
―――勝てない。
コイツには何をしても勝てない。
どれだけ頑張っても、命を燃やしても、火事場の馬鹿力が出たとしても―――勝てない。
俺の全てでも、届かない。
もう立ち上がる力も、立ち向かう気力もない。
足りないんだ。
もうあと何年研鑽すれば勝てるとか、そういうのじゃない。
コイツのそれは、努力で越えられる壁じゃない。
無理だ…もう―――。
―――プツン。
そう…何かが切れたような、心が折れたような、そんな音が聞こえた。
そして――
「―――ブフッ」
同時に―――まるでそんなお前に価値はないとでもいうように、痛みが俺を襲った。
心臓を締め付けるような痛みと―――そして、全身あらゆる場所に走る激痛。
とっくに体は限界だったのだ。
これまでマヒしていた感覚が、一気に戻ったように俺の体に痛みと恐怖を走らせる。
握る剣は地に落ち、俺はその場に膝をつく。
耳鳴りと頭痛がガンガンと襲い、口の中は血の味が襲う。
「―――む?」
ジェミニは動きを止めた。
「―――なんだ…こんな幕切れか…つまらんな」
笑みに包まれていた顔は、俺を見下げて残念そうな顔をしている。
「なるほど、所詮は予言などは占い―――あてにはならんというところか」
もはや、俺の視界は闇の中、狂ったような痛みで今自分が立っているのか座っているのかもわからない。
淡々と、軍神の低い声だけが響いている。
「小僧―――烈空よ。接戦とは言えないが、善戦ではあった。久々に楽しめたぞ」
そんな慰めにもならない言葉が聞こえてきた。
もはや答える気力もない。
呼吸ができているかすらわからない。
ただあったのは、敗北感と諦め。
きっと、無理だったんだ。
どれだけ無茶をしても、無理を通しても、俺の剣は奴に届かない。
―――何かで頂点になるって、こんなにも大変なんだな。
もしかしたら、アルトリウスの中身が俺でなく―――違う人なら越えられたのかな。
いや、元のアルトリウス君はエドモンの一件で死ぬんだっけ?
いずれにしても―――もはや意味のないことだ。
このまま、この軍神が本軍に行けば、西軍は負ける。
多分ここが天王山だったんだ。
まぁ…西軍が負けて世界がルシウスの言ったようになるかなんて、どうせもう確かめようがない。
でもきっと正しい。
平和な未来は、これでもう失われてしまった。
世界は―――少なくともユピテル共和国は混乱と混迷の時代に突入する。
俺にできるのは―――家族と、大切な人たちの無事を祈る事くらいか。
守れなかった約束ばかりだけど、どうか許してほしい。
俺は頑張ったよ。
頑張ったんだ……。
これで終わり。
ルシウスの希望には沿えなかったかもしれない。
俺が死ねば悲しむ人もいるだろう。
でも、無理だ。
なにより俺が折れてしまった。
この世界は俺が生きるには残酷過ぎた。
残酷で、現実的で、辛くて。
そして、悲しすぎた――――。
「―――おい軍神…てめぇ、誰の許可を得て俺の弟子に手を出してんだ?」
怒りの声が聞こえた。
聞き慣れた―――頼もしい声だ。
「…え?」
ぼやける視界で上を向く。
おかしい。
なんでこんなところにいるんだ?
視界の端――ほとんど動かない首を回した先にいた、声の主。
黄金の髪。
黄金の剣。
獰猛な目に、歴戦の傷。
「――ししょ…なん……で…」
彼は、俺の剣の師匠。
こんなところにいるはずのない――前線にいるはずの人。
そう―――天剣シルヴァディ。
黄金の髪の剣士が、そこにはいた。
「アルトリウス、喋るな。おい、さっさと連れて行け。できるだけ遠くだ。ほかの転がっている奴らも、早くだ」
「は、はい!」
シルヴァディの後ろから、紺色の髪の少女の姿がみえる。
アニーだ。
彼女の魔力が回復して――シルヴァディを呼びに行ったのだろうか。
いや、そんなことより…
「ししょ、う…早く…逃げ、て下さい…アイツは―――」
言葉が出てこない。
喉に血が溜まってうまく喋れないのだ。
ダメだ。
戦っちゃダメだ。
早く逃げてくれ。
軍神ジェミニには、勝てない。
勝てないんだ。
あれは規格外。
人の身で挑んじゃいけない化け物だ。
シルヴァディでもきっと…。
「すまないアルトリウス。結局いつも、お前に1番無理をさせて、辛い思いをさせて―――大丈夫だ。お前は絶対に逃がしてやる」
「――ししょ…」
「大丈夫だ。わかっている。アイツは俺に任せて…お前は安心して寝てろ」
「――でも…ゲホッゲホッ」
声が出ない。
もう呼吸すらままならない。
駄目だ、止めなきゃ。
だって、勝てないんだ、アイツには。
落ちる意識を必死につなぎとめて、声を出そうともがく。
「なぁに、死にはしないさ。―――俺が今まで嘘を言った事があったか?」
「―――っ!」
声が出ない中、引きずられるように俺はシルヴァディから離れていく。
シルヴァディは事実しか言わない。
天剣シルヴァディは強く、自信家で、面倒見がよくて、意外と抜けてるところもあって、ちょっと口が軽くて―――でも事実しか言わない。そんな俺の師匠だ。
でも―――かつて何度も俺を救った太陽のようなその背中は…いつになく陰がさしているような、そんな気がした。
残してはいけない―――。
そう思った。
必死に手を伸ばした。
手を伸ばそうとした。
必死に声を出した。
声を出そうとした。
でも伸ばそうとした俺の腕は動かない。
声はかすれ、宙に消えていく。
そこからは―――記憶はない。
俺の意識が途絶えたのだ。




