第137話:『烈空』VS『軍神』③
ジェミニは縦横無尽に動き回る少年を追いながら、歓喜していた。
不思議な敵だった。
最初は部下に背負われ、死にかけた状態だった。
それが、どういうわけか、目の前に立って現れた。
まるでなにかを悟ったように、ジェミニと相対した。
少年は常にジェミニの評価を覆した。
速さも、膂力も、飛躍するように上がっていく。
いくら殴りつけても地に伏せず、何度でも起き上がり、その度に一歩一歩成長していく。
今まで出会ってきた敵は、一度殴ればそれまでだった。
でもコイツは違う。
活きがいい。
何度殴ろうが、何度蹴りつけようが、地に伏し、宙に舞っても、すぐに顔を上げて立ち上がり、何度でも向かってくる。
「―――うぉぉぉおおお!」
そして、少年は雄たけびと共にジェミニに迫る。
「いいぞ!」
そう、これだ。
少年は起き上がるたびに速くなる。
神速流だったか。
剣術に詳しくないジェミニでも、その流派をおさめる剣士が、一段階違う速さを有する事は知っている。
少なくともかつてジェミニと相対することができた剣士は誰もが神速流を使っていた。
迫り来る少年の剣を避ける。
避ける。
避ける。
避ける。
「―――っ!」
―――そう、そして、次にこれだ。
《読み》。
まるでこちらの動きを先読みするかのように、剣が置かれている。
「ハハッ!」
思わず笑みが零れる。
自身に迫り来る剣に、焦りや恐怖など感じない。
あるのは喜び。
歓喜に似た叫びだけだ。
「いいぞ、小僧‼ 期待以上だ!!」
そんな少年の腹を蹴り飛ばす。
そう、いくら死角から攻撃しようと、その剣を振り切るには、ジェミニの反応速度を超えるしかない
『――教えてやるよ軍神…どうして人は学ぶのか――どうして努力をするのか、その意味を』
少年はそう言った。
――どこかで聞いたセリフだ。
そう―――遠い昔―――かつてまみえた好敵手―――『聖錬剣覇メリクリウス』も似たようなことを言った。
たしかにメリクリウスは強かった。
この世の剣を極めた頂点。その先にいた。
だが――彼ではジェミニに届かなかった。
技や努力では越えられぬ壁がそこにはあった。
―――果たしてこの小僧が、その域に届くのか。
もしも届けば―――それは新たな可能性だ。
《予言》。
かつて闇狗ウルが言った。
『――ユピテルが2つに割れるとき、軍神ジェミニを倒す者が現れる』
そしてそれが、ジェミニがこの場所に来た理由。流れに導かれるまま内乱に参加した理由だ。
軍神ジェミニを倒す者―――もしかしたらそれが、この少年であるのではないか?
そんな新たな可能性が―――ジェミニの中で浮上していた。
「―――」
そして―――再びゆらりと立ち上がった少年は、どこか違う雰囲気を纏っていた。
少年は顔を上げる。
やけに哀しげな顔だ。
全身は自分の血にまみれ、その様相は異様そのものだ。
それでも、瞳だけは、凛として決意を帯びている。
これで終わりではないと、まだ先があると、その目はそう物語っている。
―――そそる…やけにそそる目だ…。
現時点で、まだ少年は、かつてジェミニが戦ってきた最高峰の戦士たち――100点を越えるまでには来ていない。
だが―――当初75点と評価した少年が、この短時間ですでにジェミニの中では…90点の大台にまで乗っている。
――小僧、貴様が…貴様がそうなのか?
100点のその先。
ジェミニの本気をぶつけても、倒れないその域まで、彼が行けるならば―――。
● ● ● ●
動体視力と反応速度。
この『軍神』ジェミニを相手にすることにおいて、なによりもこれを何とかしなければ勝機はない。
タイムラグのない反射速度は、見てから動いていては間に合わない。
どれほど動きを読もうと、奴がどれほど素人だろうと、圧倒的な速さは、技術を意に介さない。
奴の視界を―――意識を超える。
それ以外に答えは見つからなかった。
限界?
そんなもの知るはずがない。
もう限界は決めないって決めた。
認めるはずがない。
もっとだ。
もっと―――俺の全部を出しきれる。
軍神は相変わらず雑な動きだ。
構えはなく、常に仁王立ち。
隙だらけだと思い打ち込んだら、俺の剣の振りよりも先にアイツの蹴りが、拳が、俺の腹や顔面に衝撃を走らせる。
何度地に伏したか、何度立ち上がったか、もはや数えてはいない。
だが、体が動くのだ。
止まるわけにはいかない。
「―――オオオっ!」
前に。
前に出なければならない。
――分かる。
俺が速くなっているかはわからない。
でも―――徐々に―――感じる世界が遅くなっているような、そんな気がする。
気のせいか、ジェミニの動きも、よく見える。
もう少しだけ速く。
そしてその次はそれよりも速く。
「もっとだ…あともう少し―――」
意識を介在させるな。
向こうが反応速度にロスがないというのなら、こちらの駆動速度をさらに上げろ。
思考を挟まず、動くがままに体を動かし、剣を振る。
思考を置き去りに。
音すら遅れるように。
光が止まるくらいに。
―――胸がキリキリと痛むのが分かる。
本能が言っている。これ以上はやめておけ、と。
でも、俺は止まらなった。
止まったら、負けるだけじゃない。
俺の大切なものすべてが、俺の手から零れていってしまうような、そんな気がした。
―――嫌だ。
死ぬのは嫌だ。
俺は知っている。
死というものが、どれだけ痛くて、どれだけ苦しいことか。
15年経った今でも忘れることはない。
でも――そんな恐ろしさよりも、怖いものがある。
きっと、夢で見た未来。
俺の大切な人たちが笑っている未来を守れない苦しみは、死なんかよりも苦しいものだ。
止まらないその先に。
人としての限界を―――俺は越えようとしていた。
右に―――左に―――。
いや、もはや思考すらも億劫だ。
真っすぐ、最短コース。
神速流の最も得意なクロスレンジ。
体が動くままに任せろ―――。
「―――む!?」
一瞬―――軍神の顔が驚きに包まれたような、そんな気がした。
俺と――奴の体が交差する。
「――ハァァア!」
そこに―――全てを置き去りにするかのように、一閃。
剣を―――振り切った。
――ズシャアッ!
「―――ハァ―――ハァ……」
―――今のは?
確かに―――感触があった。
そして、初めて反撃をされなかった。
思考すら遅れる速度の剣。
――確実に奴の腹を切り裂いた、そんな感触があった。
剣を見ると、確かにその刃には、薄く―――赤い血が滴り落ちていた。
―――やった?
斬った?
肩で息をしながら、慌てて俺は振り返った。
「―――」
奴は―――軍神は倒れていなかった。
仁王立ちのまま、ゆっくりと―――こちらを向く。
その脇腹は、確かに血が滴り落ちていた。
だが―――。
「―――薄皮1枚…」
申し訳なさげにジェミニの肌に走る傷は、浅く―――猫が引っ掻いたような跡を残すような、そんなものだった。
「―――ふぅ…」
落ち着け。
まだだ。
斬れた。
確実に、今の一瞬、俺の剣はアイツの反応速度を越えていた。
ならば、できる。
今ので薄皮一枚ならば、あと何度でも同じことを繰り返せばいい。
そのはずなのに…。
「なん…だ?」
ジェミニは、仁王立ちも解き―――凶悪なほど口角を釣り上げている。
殺意ではない―――まるで心の底から喜んでいるような、そんな感情が―――やけに不気味に映った。
そして―――、
「ククク……ハッハッハッハッ!」
軍神は、高らかに笑った。
腹の底から、狂気なほどに喜びの声を上げた。
「―――な…何がおかしい!」
「―――ハッハッハ! いや、悪いな。前菜扱いなんてとんでもなかった」
「―――なにを…」
俺の言葉に、ジェミニは答えない。
ただニヤついた顔で、俺のことを見据えている。
そして、一言―――、
「ククク…小僧、いや、『烈空』アルトリウスよ。文句なし―――100点だ」
そう、軍神が言った瞬間―――。
「―――!?」
周囲が吹き飛ばされるような、膨大な魔力があたりを覆った。
この場を飲み込まんとばかりの質量すら感じられる、純然たる魔力それ自体の渦。
ジェミニはその中心にいた。
間違いなく、彼から発される―――異常なまでの魔力。
「―――マジ、かよ」
そして俺は気付かされた。
ジェミニが大きなハンデを背負って戦っていたことに。
こんな膨大な魔力、発していたならすぐに気づく。
でも――ここまで奴からは全くそんな魔力は感じなかった。
導かれる結論は一つ―――。
そう―――軍神は、それまで欠片も魔力を使っていなかった。
これまで彼は―――何も強化していない素の身体能力と反射神経だけで、魔力で加速した俺を圧倒し、上回っていたのだ。
「――おい、剣をよこせ!」
魔力の渦の中、そんな台詞の元、いつのまにやら現れていた少女が、ジェミニに背中に背負う剣を渡していた。
少女は―――当初言っていた通り、置物か、あるいは、その剣を持つ荷物持ちだったのだろう。
その色のない瞳と一瞬目が合うが――そちらに構っている暇はない。
正面、ジェミニは、特に溜めることもなくすらりと剣を抜き放つ。
真っ白い刀身の、神々しさを感じる剣だ。
そして、全く型にない適当な抜き方で―――ざっくばらんに剣を構えた。
先ほどの無手のときと同じような、なんとも粗雑で、合理もクソもない適当な構えだ。
それなのに―――、
「――さぁ、出し惜しみはなしだ。折れるなよ烈空。貴様の全てを―――見せてみろ」
そう言ったジェミニの姿は、まるで阿修羅か、はたまた魔王か。
この世界のあらゆる力を結集させたような、そんな凄みと強さを内包していた。
いや、阿修羅でも魔王でもない。
これが―――『軍神』。
これが…
「――世界の頂点、か」
その呟きは、魔力の渦の中に消えていく。
忘れかけていた恐怖という感情が、ゆっくりと忍び寄ってくる気配を感じた――。




