第133話:避けられぬ運命へ
『精霊召喚』。
ユリシーズがウルより伝授され、そしてヒナに伝授した、最終にして最強の至伝魔法。
もっともユリシーズもこの魔法の全てを理解しているわけではない。
『精霊召喚』、それは―――膨大な魔力と詠唱文、そして、何よりも可視化できない《精霊》という概念の綿密なイメージ―――それらと引き換えに――精霊を喚び出すことができる魔法だ。
無論、彼らを召喚できるのは、精霊たちからして自分たちを使役するに足る器と魔力を持つ人間だけであり、ゆえに―――たとえ魔力があっても、イメージができても、彼らを召喚できるとは限らない。
精霊の持つ魔力は無限。
そして、召喚した精霊の司る属性の魔法に制限はない。
ユリシーズの知る限り、精霊に対抗できるのは精霊のみ。
魔剣士も、魔法士も―――そもそも人間自体、彼らと比べれば存在レベルが違うのだ。
―――あるいはあの人なら、彼らにも勝るのかもしれませんが。
少なくとも、この場にいる人間に、精霊――超自然そのものを相手取ることはできはしまい。
「イフリート!」
『おぅ!』
ヒナの掛け声に合わせて、炎の化身―――イフリートから膨大な魔力が発せられる。
「―――アマドール! 応戦しなさい! お爺に当てちゃダメですよ!」
『わかってますわよ!』
ほぼ同時に、アマドールから魔力の収束が完了する。
ゴォォォォォォオン!!
―――衝撃。
巨大な真っ赤な炎と純白の光は、周囲を埋め尽くさんとばかりに衝撃と爆音を発して激突する。
ヒナの召喚したイフリートは、ユリシーズの召喚したアマドールでなければ止められないし、また逆もしかり。
視界いっぱいに広がる魔力の奔流は、辺り一面を飲み込み、先ほど隕石の落ちたクレーターを再び吹き飛ばす。
しかし―――イフリートもアマドールも、ヒナもユリシーズも無傷。
なにせ精霊の力は五分。
属性ごとの相性が介在すればまた話は変わってくるが、「炎」と「光」の間に相互関係はない。
互いに炎と光をいくらぶつけ合っても、込められた魔力自体に大した差はない。
威力は打ち消し合うのだ。
つまり勝敗を分けるのは、精霊以外―――それを召喚した魔法士の優劣になる。
すなわち、どちらが長く精霊を維持できるか―――。
――となれば、こちらが不利ですね。
ユリシーズは思う。
召喚をした後も、精霊の維持には、常に莫大な魔力を消費し続ける。
既にユリシーズはアルトリウス相手に秘伝の魔法を使っており、残存魔力という意味ではヒナに分がある。
―――しかも…イフリートとは…。
炎の精霊イフリートは気難しい精霊だ。
その代わり、気に入った相手にはとことん入れ込むタイプである。
つまり―――彼を召喚せしめているヒナは、相当あの炎の化身に気に入られている。
かつてユリシーズでは彼を制御するのに相当な苦労を要した。
最後に召喚したのはいつだったか、確かにまだユリシーズが光君を名乗っていた頃かもしれない。
それをまさかこの歳の少女が手懐けるとは…。
まさに異才。
ヒナはアルトリウスに劣っていると思い込んでいるが、十分に彼女も化け物である。
「…ふう」
紅の瞳をメラメラと輝かせる少女の姿に、思わずユリシーズは、ため息をついた。
―――全く…その思い切りの良さは…羨ましいことですね。
愛する男のため、家族や師すら敵に回す―――ユリシーズには到底できない選択だ。
事実、かつてユリシーズはその逆―――師や故郷を捨てきれずに、愛する男と殺し合ったことすらある。
―――でもきっと、そう言うところですかね…。
かつて、あの人に、「こいつはお前を越えるかもしれない」と…そう言わしめたヒナと自分の差。
きっとそれは、想いの差。
恐らく経験でも、技術でも勝っているのに、それがあるがゆえにヒナは壁を越えていくのだ。
――確かに…この状況は私に分が悪いです。でも…。
戦っているのは2人だけではない。
ユリシーズはほくそ笑んだ。
離れた場所で戦うもう一組―――イリティアとゾラ。
もう一方の師は―――そう簡単には越えられない。
なぜなら―――彼自身が越えてきた壁の数が、ユリシーズなどとは比べ物にはならないからだ。
「まったく…お爺、頼みますよ…」
一人、小声でつぶやいた彼女の言葉は、周囲を埋め尽くす魔力の渦の中へ消えていった。
● ● ● ●
とてつもない強大な魔力そのものの迫力。
その2人の傍にいる――異質なモノ達は、尋常じゃないほどのそれを発していた。
燃え盛るような紅の―――肉眼での視認すらできる魔力と、穢れのなさすぎる真っ白な魔力の流れ。
うねりとなってそれらはその場を支配していた。
―――あれが精霊…。
銀髪を棚引かせる騎士――イリティアは、そんなこの世の理から外れたモノを横目で見ながら、冷や汗を流した。
「ふぉっふぉっふぉ、イリティアよ、そう驚いた顔をするでない。見るのは初めてか?」
そんなイリティアが相対するのは1人の男。
齢は80を越える老人にして―――まだまだ現役の動きをする老獪な剣士―――ゾラだ。
普段は8本持っている剣が、現在はその半分の4本。
単純に考えれば戦闘力は半分になってもおかしくないが、剣術とはそんな単純なものではない。
元々ゾラは8本の剣を同時に使うことはない。
何せ人間の腕は2本しかない。
使いたくてもそれ以上使えないのが人間の限界である。
ゾラが剣を8本も持っているのは、「たとえいつ剣を使い捨ててもいいように」という理由からだ。
どんな状況でも想定し、柔軟に対応する―――まさに神撃流の権化。
敵の奥義一度を無効化するために剣一本失くすことを厭わない。
なにせ神撃流を《万能》と昇華させた張本人である。
つまりそう言う意味では、たとえ剣の数が半分であったところで、ゾラ自体の戦闘力が変わるわけではない。
むしろ彼はまだ3本も「使い捨てられる」と考えるのが自然だ。
「安心せい! 奴らは奴らの相手で必死じゃ。こちらに手を回す余裕はなかろうて!」
老人は口元に笑みを浮かばながら、地面を蹴ってイリティアに剣を振る。
とても彼が老人とは―――いや、それどころか、魔力の使えない人間であるとは微塵も感じられない動きだ。
老人が笑みなのは、余裕があるからなのか…はたまたわざと余裕があるように見せているのか…。
少なくともこの老人は剣の道に進んで70年近く。
それだけでイリティアの人生三回分だ。経験では大きく劣る。
立ち合いの回数。
戦争の経験値。
死線の数。
全てがイリティアのそれを上回っている。
それに―――イリティアに神撃流を教えたのはゾラだ。
それだけでも既にこちらの動きが読まれる理由としては十分だろう。
…アルも手を焼いたでしょうね―――。
―――ガキィン!
老人の剣を盾で防ぎながら、イリティアは思う。
アルトリウスに神撃流を教えたのはイリティアであり、その後、アルトリウスの師となったのはシルヴァディだ。
そして―――イリティアもシルヴァディも、少なくとも神撃流に関してはゾラの門下であり、アルトリウスも当然その系譜にある。
きっとアルトリウスも動きを読まれ、苦労したに違いない。
―――ですが…。
「―――ハアアっ!」
ガアアァアアン!
「ほう!」
軽快に飛び交い、攻撃を仕掛けてくるゾラの剣を、盾の力で弾き返す。
そう、この盾。
ゾラの元を離れてから戦場で身につけた甲剣流。
これはゾラに有効だ。
甲剣流の真骨頂は堅牢な防御。
盾の技を磨いた甲剣流の剣士を突破するには、それを吹き飛ばす強力な一撃か、あるいは盾の裏側に回り込む速さが必要だ。
その点―――魔断剣ゾラは、決め手に欠ける。
確かにゾラは、魔力を使えないにも関わらず、かなりの速度で動く。
そして、剣の威力も、身体能力が強化されていないとは思えないパワーがある。
だが、それでも―――この世の最速を極めようという神速流の魔剣士には速さで劣り、練達した甲剣流剣士の盾を壊すまでの威力もない。
イリティアは知らぬことだが、先ほどのアルトリウスとの戦いで、ゾラが完全に読み勝ちながらも苦戦―――防戦を強いられたのは、アルトリウスの速度がゾラを大きく上回っていたからだ。
そして、イリティアの持つ盾。
これもゾラにとっては厄介なものだ。
単純な剣の打ち合いであれば、その経験と類まれなる読みによって、勝機を手にすることもできる。
だが、甲剣流は打ち合いをしない。
敵の剣を避けることもなく、盾で耐え続け、そして隙をみて一撃をお見舞いする。
それが甲剣流だ。
無論、相手が甲剣流の剣士であったとしても、速度で大きく上回っていれば、盾の後に回り込み、勝つこともできる。
だが現在、盾を持つイリティアとゾラの速度はほぼ互角。
盾の死角へ回るなど容易にできることではない。
「ふむ…中々に硬い盾じゃな」
少し距離を置き、ゾラがため息交じりに言った。
「いつまでも守ってばかりか? これだから甲剣流は好かん」
「…生憎、剣を合わせれば負けてしまいますので」
そう―――こちらから攻めに回れば、負ける。
剣と剣の打ち合いでなら、手数も、経験も全て向こうに分があるのだ。
「あの少年とは大違いじゃな。奴の攻めには中々手こずったわ」
「ふふ、シルヴァディは真剣に教えてくれたようですね」
自身の師にして、偉大な剣士であるゾラにこうまで言わせるとは、アルトリウスの成長は尋常ではないようだ。
―――上手くシルヴァディには気に入ってもらえたようです。
いや、当然だ。
自分の技や力に自信がある者ほど、アルトリウスをみたら己の全てを教えたくてたまらなくなるだろう。
イリティアからすれば才能の原石のような少年だった。
きっと目の前のゾラも、あちらで戦っているユリシーズも――ここが戦場でなければアルトリウスを弟子として勧誘していたに違いない。
そして、きっと、あの人でさえも…。
「―――‼」
ここで、イリティアは思いだした。
そうだ、目の前の2人に夢中で、あの人のことを忘れていた。
「師匠、あの人は…どこですか? まさか戦争に参加していないんですか?」
―――あの人。
少なくとも、ヒナと共に旅に出る前はアウローラ近郊にいたはずだ。
てっきりイリティアは、あの人が東軍の切り札であると、そう思っていた。
「―――いや。おるよ」
イリティアの問いに、ゾラはにやりと笑う。
「―――『軍神ジェミニ』は、この戦場のどこかにな…」
そんな老人の低い声は、どこか確信めいて聞こえた。
● ● ● ●
「急げ! もうすぐだ!」
フランツは声を張り上げながら走っていた。
アルトリウスに治癒魔法をかけ続けながら、道なき道を後退していく。
「隊長の容体は?」
「―――なんとか重度の怪我は治しました…正直もう魔力が無いのであとは、医療班任せですね」
フランツの質問にアニーが答える。
少し顔色が悪い。
魔力切れの徴候だろう。
交代で治癒魔法をかけるといっても、やはり治癒の要はアニーだ。
彼女の消耗が一番多いのは仕方がない。
とはいえ、傷口は塞げたということは、一応命の危機は去ったということだろうか。
「よし、もうすぐで医療班の陣だ。一旦治癒を中断して、速度を上げるぞ」
フランツはそう言って、隊員を鼓舞する。
既に先ほどの地獄のような戦場からは大きく離脱している。
敵軍は要塞内に撤退しており、あたりに敵はいないだろう。
「それにしても、すごい魔力だな…この距離でもビンビン感じるぜ」
アルトリウスを背中に担ぎながらそう言うのは、隊員の1人、ウェルゲンだ。
彼が横目で指すのは、おそらく先ほどまでいた場所から感じる、とんでもない出力の魔法だろう。
戦場に残してきたあの4人の戦闘の余波である。
既に大分離れているにも関わらず、膨大な魔力が発せられているのがフランツにもわかる。
「…本当にあの2人に任せて大丈夫だったんですか?」
そういうのは、女性の隊員ノエル。
魔法士であるノエルは特に魔力の放出を敏感に感じるのだろう。
心配そうに後方を眺めている。
「さあ、どうだか知らないけど…あの赤毛のお嬢さんは相当なレベルだと思うよ」
これまた魔法士のサムが答えた。
「どうして?」
「目だよ。どこか達観していて――凄みのあるあの目―――隊長にそっくりだ」
「…確かに、言われてみれば…まだ若いのに隊長と似たような雰囲気があったかも」
彼らはアルトリウスのことを毎日のように見てきた。
確かにあの赤毛の少女の纏う雰囲気や、決意に満ちた瞳は、アルトリウスに似ていると言われればそんな気がする。
見た目は全く違うのだが、不思議なこともあるものである。
「ひょっとして隊長の恋人だったり?」
「はは、それは我らが副隊長殿は災難だったなぁ」
「違いないね!」
そう言って気楽な会話をできる程度には、フランツ達も落ち着いていた。
先ほどまでは一瞬も気を抜けない状況だったのだ。
アルトリウスの最低限の治療も終わり、何とか危険な状態を脱した。
敵軍は退いている。
―――隊長にひとまず安心できる。
そんな思いがあったからだろう。少し彼らは気が緩んでいた。
――だからなのかもしれない。
―――前方。
何の前触れもなく、それは来た。
フランツ達1班の向かおうとしていた、医療班の構える陣のある方角から――――その男は歩いてきていた。
「――――‼」
フランツは思わず、立ち止まった。
フランツだけではない。
その場にいた隊員全員が―――動きを硬直させた。
―――この感覚は―――似ている。
かつて、カルティアでの最終決戦。キャスタークの戦いで出くわした、『双刃乱舞』の放つ殺気に。
しかし、今回は殺気というよりは―――ただの内包する力のオーラとでも言おうか。
―――ヤバい。これは…ヤバい。
ともかくヤバいものが来ると―――それだけがフランツの脳天に響いていた。
でも、わかっているのに、体は硬直して動かない。
射抜かれたように、足は竦む。
「…ほう」
そう言いながら現れたのは、1人の男と…そしておまけのようにその後ろを歩く剣を背に携えた少女だった。
もっとも、明らかにミスマッチである少女のことなど、フランツ達の目には入らなかった。
彼らの眼を釘付けにしたのは、長身の男。
白髪に、浅黒い肌。
紺の薄着の上下に、金色の瞳。
獰猛に笑みを浮かべる口元。
そして、目を逸らそうにもにじみ出る圧倒的な存在感―――。
―――強い。
格が違う。
一目でわかった。
シルヴァディやゼノン、アルトリウスのような―――ある一定の域を超えた強者。
そしてその3人すらかすむ程の絶対感――。
そう感じた。
男は立ち止まるフランツ達を目にやり、射抜かんとするような金色の瞳で見つめ、数秒――。
そして口を開いた。
「ふむ…40点に、36点、32点と…それくらいか、悪くない」
「――――!?」
―――なんだ? 点数?
予想外の台詞に、フランツの思考は霧散する。
「いや、待て…その抱えている死にぞこない―――75点だな。なるほど50点を越える者は久しぶりだ」
困惑するフランツをよそに、男は後ろに抱きかかえられているアルトリウスを指して言った。
「残念だな、さしずめ医療班の元へ行き、それの治療をしようとしたのだろうが…この先には医療班の陣はない。それを連れて行っても意味がない」
「―――なっ!?」
男を前にして、初めてフランツの声が出た。
知らないうちに喉は乾き、背中からは汗が噴き出している。
―――なんだ? 忠告? 助言?
間違いなく強いであろう強者。
敵か味方かも明確にはわからない。
「…貴殿は西軍か? 東軍か?」
なんとか絞り出てきた言葉はそれである。
固唾を呑む、フランツに対し、
「ふむ…西か東―――ラーゼンかネグレドか…」
男はそう言って顎をさする。
そして逆に問うた。
「―――貴様らは西軍で間違いないな?」
西軍。
すなわちラーゼンの軍かと。
「―――だったらどうなると?」
そう答えると、男の瞳孔は開かれる。
口元の笑みはより広がる。
「―――ならば俺は東軍だ」
「――――‼」
―――東軍……敵‼
瞬間―――フランツは覚悟を決めた。
おそらく自身の上官―――アルトリウスは何度もしてきたであろう覚悟だ。
ここで自分がしなくては何になる。
フランツは叫んだ。
「アニー! 隊長を抱えてすぐにどこかへ逃げろ!」
「―――え、でも…」
「いいから行け! 魔力の切れたお前では話にならん!」
困惑するアニーに、半ば強引に命令する。
「―――わかった」
アニーは一瞬取り乱すも、すぐに真顔で首を縦に振った。
今、優先すべきことは何よりもアルトリウスの安全だ。
そして、この場で最も戦闘中に足手まといになるのは、魔力を切らしたアニーだろう。
ならば、2人には早くこの場を離脱してもらった方がいい。
アニーはウェルゲンからアルトリウスを受け取ると、なけなしの魔力で身体強化をし、すぐさま後退していった。
不思議と、目の前の男は動かなかった。
―――好都合だ。
アルトリウスがいなければ、変に庇うこともない。
全力で戦える。
フランツは目の前の男を見据えて、剣に手をかけた。
まだ距離があるが…おそらくこの距離などあってないようなもの。
シルヴァディもゼノンもアルトリウスも―――シンシアでさえ一瞬で詰めてくる距離だ。
男はそんなフランツを見やり、一言、
「―――逃がすのは先ほどの奴らだけでいいのか?」
「…なんだと?」
「足手まといがいるならば、初めから減らしておいたほうが―――お互いやりやすいだろう?」
「ぬけぬけと……」
本音か挑発かもわからない言葉に唇をかみしめながら、フランツは左右を見やる。
いずれも共に戦場を駆けてきた戦友にして、あの隊長の背中を見続けてきた猛者どもだ。
誰もが剣を手に、覚悟を決めた顔をしている。
皆気持ちは同じ。
刺し違えてでも時間を稼ぐ…そういう意気だ。
「サム、ウェルゲン、ジェイド、ノエル、ラムザ……悪いが私に命を預けてくれ!」
アルトリウス隊1班の―――命を懸けた戦いが、始まった。




