第130話:炎姫の意思
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かつてこれほど頼りになる少女を見たことがあっただろうか。
凛とした佇まいで、ユリシーズとゾラを睨みつける少女――ヒナの姿は、とても綺麗だった。
「―――アル、無事でよかった」
これも聞き覚えのある声に、首をひねる。
みると、俺の周りにはヒナの他にも何人かの人がいるようだ。全員――俺の見知った顔だった。
「まさか、イリティア先生?」
そのうちの1人、慈しむような顔を浮かべるのは美しい銀髪を持つ女性―――イリティアだった。
俺に魔法を教えてくれた人だ。
そうか、ヒナと一緒だったから、それで…。
無論、地面に伏したままの俺は動けないので、感動の抱擁というわけには行かなかった。
起き上がろうともがく俺に、何人かの人影が寄ってきた。
「…お前ら」
「すみません隊長、遅くなりました」
彼らは、オスカーの撤退の補助を任せた1班の面々だった。
どうして彼らがヒナやイリティアと共に現れたのだろう。
「…撤退が終わったので、隊長の援護に行こうとしていたところ、あの2人と出会ったのです。まさか本当に隊長のお知り合いだったとは…」
気づいたように答えるのはフランツだ。
変な偶然もあるものだ。
「……貴方たち、早くアルトリウスを連れて下がりなさい!」
俺たちが話していると、ヒナが声を張り上げた。
「ここは私とイリティア先生でなんとかするわ。アンタ達はやる事があるでしょう?」
決意をしたかのような声だった。
「…了解」
フランツは意思を汲むかのように俺を抱える。
「――おい、待てよ!」
俺は動けない体でもがく。
体に痛みが走るが、関係ない。
ヒナと先生を残していく?
冗談だろ?
「あの敵が誰かわかっているのか? 残して行くなんて――」
「―――アルトリウス、大丈夫よ」
抗議する俺に、ぴしゃりとヒナは言い放つ。
心配するなと、そういう顔だ。
「でも…」
「アル、大丈夫ですよ。ヒナと私を信じてください」
言い淀む俺に、イリティアが言った。
ヒナもイリティアも、既にこちらを向いていない。
正面――ゾラとユリシーズを見据えている。
「…本当に――大丈夫なのか?」
「アル、心配しないでください。今日のヒナは誰にも負けません。そして、私も――」
表情は見えないが、イリティアの言葉は気休めではないような気はした。
そして、ヒナの背中も―――どこか闘志を感じるような、そんな強さを感じた。
この4年で――彼女も変わったということか。
「大丈夫よアルトリウス…私を信じて行きなさい」
「…いいのか? だって、君は…」
そうだ。
ヒナが強くなってるとか、イリティアがいるとかそういう問題だけじゃない。
だって俺の敵は、戦っているのは、東軍――ネグレド・カレン・ミロティックの軍だ。彼女からしたら―――。
「私はアルトリウスの味方よ。たとえ――世界の全てを敵を回しても、私は貴方と共に行く…それが答えよ」
凛とした声は、昔と変わらない、やけに安心するような声だった。
「…すまない。ありがとう」
「困った時はお互い様よ」
そんな懐かしいセリフを最後に、俺の意識は途絶えた。
● ● ● ●
ユリシーズの前方。
ゾラのいく手を遮るかのように現れたのは、アルトリウスを庇うように立ちふさがる赤毛の少女。
そして、その傍に立つ銀色の髪の剣士。
他に――7人の若い軍人。
いずれもアルトリウスを守るように、ゾラとのユリシーズの前に立ちはだかっている。
7人は――先ほども見た顔だ。
アルトリウスと共にこの右翼の戦闘に介入してきた――おそらくアルトリウス隊の隊員だろう。
どうして2人と共に現れたのかは知らないが、とにかく、敵軍の後退は終わったと言うことか。
もっとも、その7人は大した問題ではない。
ユリシーズやゾラからすれば警戒するほどの強さを持っているわけではない。
100人集まればどうだか知らないが、たった7人ではなんの脅威にもならない。
問題は残る2人。
ユリシーズのよく知る2人だ。
ユリシーズの弟子の中でも稀有な才能を発揮した2人。
『炎姫』ヒナと、『銀薔薇』イリティア。
どうして王国へ旅に出た2人がここに…。
いや考えるだけ無駄だろう。
アルトリウスに会うことが、ヒナの目的だったのだ。
彼に並び立ち、彼と共に生きるために魔法を学んだ少女が――彼のピンチに駆けつけないわけがないのだ。
彼女がここにいるという事実がその全てだ。
少し前ではユリシーズと同じように、ゾラが全身を硬直させている。
ゾラにとってヒナは初見のはずだが、イリティアは違う。
なにせ、イリティア・インティライミに剣を教えたのはゾラなのだから…。
―――さて、どうしますかね…。
風向きの変わった戦いの行く末を、彼女は読み切れていないでいた。
● ● ● ●
ヒナとイリティアがこの場に間に合ったのは、ある意味必然で――そして偶然が重なった結果だった。
ユースティティア王国に到着して間もなく、とある商人、ジモンより『カルティア征服』の報せを聞いたヒナは、すぐにユピテルに帰る事を即断した。
―――内乱。
いつかそれが起こるであろうことは、ヒナもイリティアも既にわかっていた。
そしてアルトリウスが、それに参加するであろうことも。
だが、ヒナは知っている。
祖父――ネグレドの有する数多の戦力を。
『蜻蛉』。
『魔断剣』。
『摩天楼』。
そして―――。
「―――早く、戻らないと」
予感があった。
カルティア遠征に行くと聞いた時とは違う予感。
すなわち―――アルトリウスの死。
ヒナを動かすには充分だった。
散々苦労して通ってきた王国までの道のりを超特急で南下する。
盗賊などは目もくれずに燃やし尽くした。
ヒナが戦場についたころには、既に戦争は始まっていた。
運がいいのか悪いのか、イルムガンツがアウローラよりも北―――ユースティティア王国よりは近くにあったが故に、ヒナはアウローラよりも先にこちらの戦場に気づく事ができた。
そして、偶然―――撤退しているオスカー達の隊を見かけたのだ。
無論、ヒナはオスカーとほとんど面識はない。物心つく頃に大貴族のパーティで会ったことくらいならあるが、それだけだ。
だが、オスカーのそばにいた茶髪の少女、ミランダには見覚えがあった。
魔力切れなのか、やけに苦悶の表情をしていたが、間違いない。
学生時代、低学年の頃から高身長であったミランダはそれなりに目立ったのだ。
…決して当時から垣間見えた胸元の発育の良さに憧れたわけではない。
ともかく、そばにいるミランダという少女と、ファリド一門特有の銀髪から、ヒナは彼をオスカー―――つまりはアルトリウスをカルティアに連れて行った張本人であると判断した。
「貴方…オスカー・ファリド・プロスペクターね」
行く手を阻もうとするオスカーの警護兵たちを半ば強引に掻き分け、ヒナはオスカーに迫った。
「君は…まさかヒナ・カレン・ミロティック君かい!? どうしてここに?」
どうやらオスカーの方はヒナの事を知っていたようだ。
たしかにヒナは学生時代アルトリウスに次ぐ生徒―――いや、むしろ彼さえいなければヒナこそ神童と呼ばれていてもおかしくはない才女だった。オスカーの記憶に残っていてもおかしくはない。
「そんなのどうでもいいわ…アルトリウスはどこ?」
驚愕するオスカーには目もくれず、ヒナはアルトリウスの居場所を尋ねる。
見るからに、彼らは戦場から撤退しているように思えるのだ。
なんだか嫌な予感がする。
オスカーと一緒ではないのか。
そもそも内乱に参加していないのか。
それとも既に命を―――。
そこまでヒナが想像したところで、オスカーは歯噛みするように答えた。
「―――バリアシオン君は…1人で戦場に残って…殿を…」
「―――‼︎」
――味方を撤退させるために1人残った。なら…まだ間に合う。
「――行かなきゃ」
ヒナはその場に向かうことを即決した。
「ま、待ってくれ…ミロティック君―――、君は…味方なのか?」
すぐに立ち去ろうとするヒナを、オスカーがとどめる。
もしも敵であるならアルトリウスの元へは行かせないとでもいうような、そんな気概が読み取れた。
「…貴方の味方かどうかは知らないわ。ただ―――過去も未来も、私はアルトリウスの味方よ」
「…そうか」
そう答えると、納得したのか、オスカーは深く頷き、
「…じゃあ彼らを連れて行くと良い。バリアシオン君直属の部下だ。居場所も知っている。本当は僕が案内したいところだが…残念ながら僕は勝つために中央軍に合流する」
アルトリウスの部下だという7人がすっと身を前に出した。
誰もが、ヒナとイリティアを警戒した面持ちで見ている。
なにせ、オスカーはヒナのことをミロティックと呼んだ。
それはつまり、彼らが戦っている東軍の総大将・ネグレドの身内であることを指す。
ヒナ自身は既に家など捨てているが、それを知っている人はいないだろう。警戒するのも当然だ。
「君たちがどれほど頼りになるかはわからないが…どうかバリアシオン君を頼む」
そんなオスカーの言葉と、警戒する7人に導かれ、半ば監視をされつつヒナたちは戦場へ急行した。
その途中で、例の隕石が降ってくるのを見つけた。
「あれは――師匠の秘伝!?」
師匠――世界最高の魔法士と呼ばれているユリシーズに秘伝の魔法を使わせる相手など限られる。
「急ぐわよ!」
そして、とにかく必死に駆けた。
まさに――絶体絶命のアルトリウスを目前に間に合ったのは、偶然の賜物だろう。
彼の部下達に抱かれながら去っていくアルトリウスの顔を思い浮かべながら、ヒナは思う。
――やっぱり変わっていないのね。
背がとても伸びていた。
顔は大人びていた。
声が少し低くなっていた。
体中は傷だらけだった。
でも相変わらず優しげな雰囲気と、思わず見とれてしまう真摯な目―――それは間違いなくヒナのよく知るアルトリウスだった。
きっと部下にも慕われているのだろう。
直属の部下だという7人は、道中もずっとヒナがアルトリウスに危害を加える存在かどうか警戒していた。
もしもヒナがおかしな動きをしたら、命を懸けて行く手を阻んできただろう。
本当はヒナも、彼を見た瞬間抱きしめたかった。
頰に触れて、キスをして――久し振りに会った感動を分かち合いたかった。
でも、アルトリウスは死にかけで、彼をそこまで追い詰めた2人はまだ眼前にいた。
「―――ヒナちゃん…彼を助けるということはそっち側につくつもりですか?」
そのうちの1人――ヒナの師にして、『摩天楼』の二つ名を持つ美女が言い放った。
明らかな殺気のこもった言葉だ。
「…そっち側もこっち側もありません。元々私のいる場所はアルトリウスのいる場所ですから」
ヒナは答えた。
決めたのだ。アルトリウスと共に生きると。
そして、彼も、ヒナが想い続ける限り添い遂げると言った。
ならば、たとえ祖父だろうと師だろうと―――アルトリウスの敵ならヒナの敵だ。
「なるほどなぁ…これまた厄介なのを育てたのぅユリシーズよ」
「気をつけてください。ヒナちゃんも秘伝――《流体金属》を使えます。魔力が切れない限り剣は通りません」
「ふぉっふぉっふぉ、それではワシは何もできんなぁ、任せるぞ」
老獪に笑うのは中肉中背の老人だ。
この老人もヒナは知っている。
『魔断剣』ゾラ。
神撃流の筆頭剣士であり、そして――
「久し振りですね、師匠方」
イリティアが言った。
そう、この2人はどちらもイリティアの師匠だ。
魔法をユリシーズに教わり、剣をゾラに教わった…それが『銀薔薇』イリティア・インティライミなのだ。
「ヒナ…わかっていると思いますが、『魔断剣』ゾラは魔法を斬ります。なので私が相手をします」
「…大丈夫ですか?」
「ええ、私の生徒があれほど頑張ったのです。私が踏ん張らなくてどうするのですか」
そう――。
アルトリウスはこの2人を相手にしてたった1人であそこまで戦ったのだ。
ゾラは既に半分の剣を消費しているし、ユリシーズは秘伝魔法を切らされている。魔力の消費は大きいだろう。
2人とも万全の状態ではない。
――流石ね、アルトリウス。
自分もようやくアルトリウスと並べるくらい成長したと思ったが、まだまだだ。
見ない間に一歩も二歩も先へ行ってしまう。
でも――これからは共に――。
歩幅は違うかもしれない。距離も離れているかもしれない。でも同じ道を一緒に歩もう。
それがヒナの覚悟であり、戦う理由だ。
「ふむ、イリティア、お主も剣を取るか…こちらとしては、逃してくれればそれでええんだがのう」
「そんな連れないことを言わないで下さい。どうしてアルがあそこまで無理をして貴方達の足止めをしていたか――わからない私ではありませんよ」
「…なるほどのぉ」
ゾラの目が鋭く光る。
ここに来るまで、例の7人から西軍の戦略は聞いた。
祖父―――ネグレドを討つ。
それが西軍の勝利条件だ。
たしかにこの2人がそばにいては、祖父を倒すなどは不可能だろう。
「いいの? ヒナちゃん…自分のお爺さんですよ?」
「…あのとき…家を出る前に燃やしておけば良かったですね」
「そう…そこまで彼のことを…」
もう何も言うことはないというように、ユリシーズは黙った。
もはや交わす言葉はない。
お互いの手の内はよくわかっている。
相手は自分たちの師。
手探りなんて意味はない。
初手から全力で行く――。
「イリティア先生、最初から《至伝》で行きます」
「ええ、頼りにしていますよヒナ!」
2人の弟子の―――師を超える戦いが始まった。




