第126話:最強の魔女
『シンシア、お前も知っての通り、アルトリウスは戦いを経て急速に成長している』
内戦の始まる少し前、父はシンシアにそう話した。
『本来ならば、充分に体を鍛え、段階を経て得ていくはずの力を、たった15歳でモノにしやがった。とんでもないセンスだ』
そういいながらも、深刻そうな顔で父は続けた。
『だが…第四段階の力を十全に振るえるほど、アイツの体は出来上がっていない。俺はそれほど詳しくはないが…特に魔力核への負担が大きいだろう』
『魔力核、ですか』
『ああ、おそらく――あいつは年齢の割に、何度も魔力核の限界を超えて使用する激戦を潜り抜けてきたんだ…あいつの魔力核は既にボロボロだよ』
『そんな…』
『まあ別に今すぐ命に関わるようなことはないだろう。だが…これ以上無理して魔力核の限度を超えて戦い続けたら…いずれ体にその反動が来るだろう。早熟の魔導士は、寿命を縮めるというのは、よく言われることだ。一応無理はするなと忠告はしたが…アイツはそういうのを聞く奴じゃあないからな』
確かにアルトリウスは、人知れず無茶をする人だ。
長く共に戦ってシンシアは身をもって経験している。
シンシアや他の隊員、友であるオスカーやミランダ、果てはシルヴァディやゼノンまで――守るためならば彼はいくらでも危険を顧みずに強敵と戦いに行くだろう。
『だからシンシア、お前も大変だとは思うが…できればアイツがまた無茶をしないよう―――見てやってくれないか?』
そんなシルヴァディの言葉に、シンシアはゆっくりと頷いた。
● ● ● ●
「―――ちょっと、どういうことですか!?」
敵兵が間近に迫る中、シンシアは伝令に来た兵を怒鳴っていた。
「ですから、少しの間この場を離れるので、指揮をシンシア副隊長に任せると…」
「それは聞きました! だから、いったいどうして隊長が戦場から離れるんですか!」
「いえその…『少し嫌な予感がするから、確認してくる』と言って、1班の方々を連れてどこかへ行ってしまいました」
「嫌な予感って…」
―――もう、父さんといい隊長といい、勝手すぎます!
内心シンシアはため息をつく。
ただでさえ、父が勝手に敵陣の中に突っ込んでいってやきもきしているのに、アルトリウスまでどこかに行ってしまうなんてシンシアからするとどうにもならない気持ちがわなわなと湧いてくる。
――全くこっちの気も知らないで…。
本当はシンシアも共に行きたいが…今シンシアがここを離れては、本当にこの隊を指揮する者がいなくなってしまう。
「わかりました…指揮を引き継ぎます」
歯がゆさを噛み締めながら、シンシアは頷いた。
―――どうか、無事で…。
少女にできるのは、そんな淡い祈りをすることだけだった。
● ● ● ●
俺は息を大きく吸い込んだ。
相対するは眼前にいる2人。
『摩天楼』ユリシーズと『魔断剣』ゾラ。
どちらも強力な魔法士と魔剣士。
考え得る限り最悪の組み合わせだ。
魔力を全身に行き渡らせる。
先ほどの爆炎を喰らっても、まだ魔力の量は残っている。
無駄遣いはしないが…出し惜しみもしない。
――集中しろ。
ギャンブランと戦った時はもっと速かった筈だ。
狙うはユリシーズ。
魔法士というからには、剣による近接戦闘は不向きだろう。
ゾラにも反応できない速さで一気に片をつける。
――最大加速…。
「いかんっ! こやつまだ上がるか! ユリシーズ!」
そうゾラが叫んだ時には、既に俺は空気を掻き分けるかのようにユリシーズ目掛けて飛び出していた。
「…来る方が分かっていれば!」
ユリシーズは既に俺を待ち受けるかのように腕を前に掲げている。
左からはユリシーズと俺の間に割って入ろうとするゾラ。
問題ない。
――全てを置き去りにする。
魔力を吐き出す。
身体に纏う魔力の限界を越えろ…っ!
「オオ――ッ!」
「なっ…消えっ!?」
世界最速。
迅王ゼノンの加速領域。
見るもの全てを置き去りにするようなその速度。
ほんの一瞬だが、これ以上ないタイミングで俺はその速さに達した。
早さの先、空気すらも抵抗に感じる中、向かうのは奴らの背後。
ゾラの体も飛び越えて、ユリシーズの後ろから剣を突き立てる。
魔力障壁だろうと、魔剣士の剣は防げない。
それが、この世界において魔法士が魔剣士に劣る理由。
「ハァァァァア‼︎」
間違いなく、捉えたと、そう思った。
だが――。
―――キイィィィイイン!!
金属音が、鳴り響いた。
「――!?」
ゾラの剣ではない。
ユリシーズの身体に俺の剣が触れる直前―――剣が空中で止まったのだ。
何か、固い感触と共に、依然として俺の剣は少しも前に進まない。
まさか――魔力障壁?
剣の直撃を防ぐほどの?
まさかそんな密度の障壁があり得るのか…。いや…違うな、それよりも…。
「――っ!」
考える間も無く、俺は真下から、何かを感じた。
いや、真下どころではない。
ここら一帯の地面から、強大な魔力反応を感じたのだ。
―――か、回避を!
咄嗟に俺は――飛んだ。
『飛行魔法』――。
かつて友を助けるために完成させた、俺だけの魔法。
そして、俺に取っては回避の奥の手である。
おそらく20メートルほどは上がっただろうか。
眼下に広がるのは、無数の火の柱。
ユリシーズを中心に、見渡す限りが地面から突き刺すように発生した火柱によって覆い尽くされていた。
もしも兵士が残っていたら、これだけで殆どが全滅していたであろう、広範囲殲滅魔法――。
正直――圧巻だった。
先ほどの剣を防いだ魔法といい、この広範囲殲滅魔法といい、俺にはまだ使えない魔法だ。
「まったく、世界は広いな…」
燃え盛る大地を見ながら、俺はそう呟いた。
素直に尊敬する。
魔法士として『八傑』に名を連ねるだけはあると言うことだ。
そしてそれと同時に相手にしなければならない経験豊かな老人も、充分に厄介だ。
さて、どう攻略しようか。
剣を防いだのは、おそらく魔力障壁とは違うな。
発生した音は金属音だった。
まるで剣と剣がかち合った時の音。
だとしたら…。
火柱が止み、俺は地面に降り立った。
● ● ● ●
―――恐ろしい子ですね…。
地面に颯爽と降り立った少年を見据えながらユリシーズは思う。
世界最高と名高い魔法士であるユリシーズと同等の魔力総量。
神撃流筆頭剣士であるゾラと渡り合う剣術。
そして、ユリシーズもゾラも視認が出来ないほどの速度の超加速。
ユリシーズも奥の手の1つである秘伝を切らされた。
おまけに…、
「――『飛行魔法』ですか。まさか本当に使えるなんて…信じられませんね」
先ほどの火柱の殲滅魔法で仕留めきれるとは思っていなかったが、まさか空に逃げるとは…。
思わずユリシーズは呟いた。
魔法で自由に空を駆け抜けるというのは全魔法士の夢である。
ユリシーズとて飛行魔法の研究のためだけに2年ほど無為に過ごしてしまったことすらある歴代の魔法士永遠の課題、それが『飛行魔法』だったはずだ。
『烈空』アルトリウスは空を飛ぶとは聞いていたが、実際に見ると、ユリシーズですら一抹の嫉妬を抱かずにはいられない。
「…そっちこそ、操っていたのは《金属》―――しかもただの金属じゃない。《流体金属》だろ? まさか剣を防がれるとはね」
「!?」
少年がお返しとばかりに言った言葉に、ユリシーズは驚嘆の顔を浮かべる。
――《流体金属》。
ユリシーズが魔法士にして『八傑』と呼ばれる所以の1つである。
高純度の白魔鋼を長い時間をかけて溶かし、自身の魔力を通すことで、自在に操ることを可能とするユリシーズの秘伝の1つ。
魔法士に対して剣しか攻撃手段を持たない魔剣士の攻撃を、この《流体金属》を硬化させることで防ぐことができるのだ。
更には刃状にして斬撃とすることもできるし、硬化も軟化も思いのままだ。
しかも普段はユリシーズお得意の迷彩魔法によって背景と同化させている――まさに見えない刃にして見えない盾。
土属性を極めた先にある――ユリシーズの用意した魔法士による対魔剣士への回答の1つだ。
剣すらも通らない、自在に動く見えない金属の盾。
それが、絶対防御―――ユリシーズを『摩天楼』と言わしめる常時発動型の秘伝魔法だ。
「まさか…一度見ただけでバレるとは思いませんでしたよ」
「金属音がしただろう? それでわかったんだ」
――なるほど、音ですか…。
魔剣士であると同時に、魔法士でもある彼だからこそたどり着いた答えだろう。
凄まじい洞察力である。
…なるほど、たしかにあの子達が言っていただけはありますね。
内心、冷や汗をかきながら、ユリシーズは思い出していた。
自分の教え子たちが語った、アルトリウスという少年の話を…。
数年前―――東方の反乱で、ユリシーズは懐かしい顔と再会した。
かつてはユリシーズから魔法を学び、とっくの昔に独り立ちした愛弟子の1人、イリティア・インティライミである。
騒乱はユリシーズとイリティアによってすぐさま収まったが、イリティアはなにやら首都で出会った少年について相談があるらしい。
『――《同期》しようとしたら、魔力核が暴走してそのまま《魔力神経》が繋がった⁉︎』
思わずユリシーズはイリティアの言葉を疑った。
ある少年の家庭教師をしていたのだが、彼に魔力を知覚させる《同期》をしようとしていたら、まるで魔力核の魔力が意思を持ったように脳へ逆流し、そのまま魔力神経を繋げてしまったというのだ。
前例がないどころか、以降もあり得ないと断言できるほどの現象である。
80年を生きるユリシーズでさえ、そんなことは聞いたことはない。
《魔力神経》というのは、何度も魔法を反復し使い続けることにより獲得できる魔法士の努力の結晶なのだ。そう簡単に繋がってしまっては世界中の魔法士達の立つ瀬がないだろう。
『何かの間違いじゃないですか?』
『いえ…その後すぐに無詠唱を覚えてしまいましたし…』
『…本当だとしたら、よっぽど化け物ですねその子は』
そんな風に半分ほど冗談として笑い飛ばしたユリシーズだったが、後に出会う少女によって、その少年の存在は不気味なほど現実味を帯びる事になる。
『――流石ヒナちゃん、同年代の中だと抜きん出てますよ』
再会したイリティアの口利きで弟子に取ることになった才能豊かな少女、ヒナだ。
これまで出会ってきた子の中では最も魔法の才能があり、その上、ストイックなほど研鑽を怠らない申し分ない弟子だった。
この子ならば自らの至伝すらも会得できると思わせるほどのダイヤの原石。
これ以上ない弟子と思っていたのだが、
『いえ、私なんてまだまだです。アルトリウスと比べたら…』
『アルトリウス?』
どこかで聞いたような名前に、詳しく話を聞いてみると、首都で出会った少年のことであるらしい。
曰く、無詠唱を息をするかのように使い、完全版の魔法書を8割方マスターしている上、中級魔法を上級と遜色ない精度で発動させる天才であるとか。
ヒナは、そんな彼に追いつくためにユリシーズの弟子になったという。
――アルトリウス・ウイン・バリアシオン。
その名前はすぐにアウローラまで飛んできた。
曰く、天剣シルヴァディの弟子にして、様々な魔法と剣技を使い空を飛ぶ『烈空』の魔導士。
エースの集う部隊を率いてあらゆる敵を打ち倒したカルティアの英雄。
アルトリウスと会ったことのないユリシーズからしたら、ひたすらに呆れるほど信じられない話だった。
そんな記憶を思い起こしながら、改めて目の前の少年を見やる。
見た目は成人間もない、普通の少年だ。
だが、その内に潜むものは、とてもではないが、普通の少年とはかけ離れた圧である。
――噂には効いていましたが、まさか、この年齢でここまでの域に達しているとは…。
間違いなく、あの時…西に感じた力――強者の芽吹きの力は彼なのだろう。
まさにヒナ以上の才能と脅威を、この少年から感じる。
かつて、天剣パストーレを倒したシルヴァディと出会った時以上の衝撃だ。
―――全く、お爺も厄介な戦争に首を突っ込んだものです。
ユリシーズにとってはネグレドとラーゼンの戦いなどどうでもいい。
魔道の探求者である彼女にとって、政治や国の体制に興味はない。
世界がどうなろうが生きているだけの力もある。
だが、ゾラとユリシーズは切っても切れない縁がある。
かつて数多の国を共に駆け回り、さまざまな弟子を共に育ててきた相方。
まだ幼い時に出会って以来、不思議と何度も顔を顔を合わせることになった腐れ縁。
恋仲になったこともあれば、敵になったこともある――60余年付き添ってきたパートナーだ。
かつて彼に救われてから、死地は彼と共にすることに決めている。
―――でもどうやら死地はこの戦争ではないようですね。
こちら側にあの人がいる限り、ラーゼン軍に勝ちはない。
そして、1人ならまだしも、ゾラとユリシーズが揃っている状態で、アルトリウスに負けるとも思えない。
――ヒナちゃんは旅に出てて良かった。
もしもここにいたら、きっと辛い現実を――愛する人の死という現実を目の当たりにしてしまうのだから。
「おい、ユリシーズ…範囲魔法を使うならあらかじめそう言えい…危うく死にかけたわ」
腰をさすりながら老人が近づいてきた。
「お爺なら大丈夫でしょう、魔法はいくらでも断てるんですから」
「まぁそうじゃが」
「…それよりお爺、少し時間を稼いでください。もう1つ秘伝を使います」
この少年を仕留めるには出し惜しみをしている場合ではないだろう。
「…ようやくやる気になったか…言っておくが、こやつ想像以上じゃ。長くは持たんぞ」
「――お願いします」
ヒナとアルトリウス。
同時代の同世代に、これほどまでの才能を持つダイヤの原石が揃い――出会ったという事は、きっと何か意味のある運命的な事だったのかもしれない。
「――でも、運命というのは…残酷なものですよ」
『摩天楼』―――魔女ユリシーズは少し哀しげにそう呟いた。
読んで下さりありがとうございました。




