第119話:眠れない夜
アウローラ地方は、作物の育ちやすい温暖な気候の土地だ。
それゆえ、元は農耕民族であるユピテル人からすると住むにはうってつけの場所であると言える。
そんな、アウローラの都心部を前にして、参謀会議は開かれていた。
陣中会議とでも言えばいいのだろうか、やけに駄々広いテントの元で、これまた急ごしらえの机の周りに、各参謀達が集まっている。
今宵俺たちが野営している場所は、首都圏の一歩手前の地域だ。
これが戦いの前の最期の夜になるだろう。
そして、この会議によって――明日からの俺たちの命運も決まるといっていい。
固唾を飲んで誰もが見守る中、ラーゼンが口を開いた。
「―――索敵によると、この先には3つの重要な拠点がある。おそらく、奴ら―――東軍はそれらに主戦力を集中させている」
ラーゼンは言いながら3本の指を立てた。
「都市『アウローラ』、都市『ヌレーラ』、そして、要塞――『イルムガンツ』」
要塞と聞くと、大層物騒なものに思える。
「問題は、これらが非常に近い距離にあるということだ。どこを攻めても1日経てば援軍が到着するほどの距離だろう」
そして、それら3つの拠点は、通常よりも相当近くに建てられているらしい。
「―――1つを攻撃した場合、かなりの速さでそこを落とさないと、他の拠点からの援軍により挟撃されるということでしょうか?」
バロンが質問をした。
「そうだ。向こうの索敵にかかってから接敵し――戦いが激化する頃には、すでに後ろを取られているような――なんともいやらしい距離だよ。ネグレドめ、相当前からこの状況を想定していたようだな」
半日以内に、攻め入る先の拠点を落とさなければ、挟み撃ちにあうということか。
やはり、敵地で戦うという点では不利を受けざるを得ないのだろう。
ここまであまり抵抗を受けなかった代償とでも言うべきか、なかなかに固い守りが展開されそうだ。
ラーゼンが続ける。
「ここまで集めた情報によると、敵軍の総数は約10万近いと予想される。おそらく拠点ごとにそれを振り分けているのだろう」
10万を3つにわけるなら約3万ずつ振り分けるはずだが――、
「だが、これの兵力の割り振りはこの際どうでもいい。問題は――ネグレドがこのどこにいるか、だ」
アウローラ総督ネグレド。
彼を拿捕することが、俺たちの軍の最も最短の勝利条件とされている。
無駄に自分たちよりはるかに多い10万の兵全てを相手にすることはない。
ネグレドを捉える、もしくは討ち取ってしまえば、残っているのは首都から逃げ出した門閥派の腰抜けばかり。
何人兵がいようと負けるはずがないということだ。
「順当に行けば、この地方の心臓――アウローラにいると考えられますが・・・」
「確かに。都市アウローラは東軍の盟主都市だ。そこを総督が離れるのは少し抵抗がありますな」
参謀たちは口々にそう言うが、
「それらの意見にも一理はある―――だが、私ならば要塞イルムガンツに陣を張る」
ラーゼンはそう断言した。
「何故でしょうか」
「・・・アウローラとヌレーラ――2都市の中間にあるこの要塞ならば、たとえどちらが攻められても動きやすい。後手に回ったとしても打開が用意な位置だろう」
「なるほど」
「無論――ネグレドは私ではない。保証はできん」
ラーゼンとしても絞りきれないということだろうか。
「故に――我々も軍を分ける」
「というと?」
「まず、攻めるのはアウローラと要塞の2箇所だ。私とシルヴァディとの軍に分けてこの2つの拠点を同時に攻める」
敵が戦力を分けているなら、こちらも分けて対応する、というのがラーゼンの示した作戦だった。
攻め入るのは、ネグレドがいる可能性の高いアウローラとイルムガンツの2か所である。
「ネグレドがどう分けているかは知らないが、10万の軍を3つに分けている場合――単純に考えれば3万ずつ振り分けているだろう。そうである場合、我々の半分に分けた3万の軍でも同数の戦闘に持ち込める可能性もある」
あくまで可能性があるという言い方にとどめるのは、そんな敵軍の兵数の細かい内約など、戦ってみなければわからないということだろう。
あるいはもっと情報収集やら索敵やらに時間を使うべきなのかもしれないが・・・如何せん、あまり時間をかけるべきではないという方針がある。
兵糧が既に心もとないのだ。
「しかし――残ったヌレーラから援軍は間に合ってしまうのではないですか?」
「たしかにヌレーラは完全に無視する事になる。ヌレーラからの援軍は――要塞かアウローラ、どちらかには来るだろう。だが、2箇所を攻めているおかげで、援軍の量は少なく済む」
直感的に――これはきっと賭けに近い作戦なのではないかと、俺は思った。
隣のオスカーを見ると、彼も緊張した面持ちだ。
まず、ヌレーラにネグレドがいた場合、これは無駄な作戦になる可能性もある。
そのうえ、ただでさえ兵数が劣っているこちらの軍を2つに分けるというのはリスクも高い。
「それゆえ、この作戦は時間が勝負だ。半日発つ前に――2つの都市を落とす。いや、ネグレドを確保する。それが勝利への最短ルートだ。もしもこちらが落としきる前に敵の援軍が間に合ってしまった場合――ただちに撤退し、もう一方の軍団に合流する。幸い――戦場が近いということ自体はこちらも利用できる事だからな」
そうか、都市間の距離が近いということは、攻める側も合流が容易であるということか。
その場合は、撤退する側は犠牲を出しつつも、もう一方の拠点は落とせる可能性が高い。
その拠点を抑えたうえで持久戦に持ち込むということだろうか。
とはいえ、リスクの大きいことに変わりはないが・・・。
無論、俺とオスカー以外の参謀も、この作戦がリスクを孕んだものであることは察しているだろう。
そして、それはきっとラーゼンも同じだ。
ラーゼンのこの方針に―――異議を唱えるものはいなかった。
● ● ● ●
その日の夜は、やけに静かな夜だった。
いつも通り適当に作った石小屋の中で毛布にくるまり、なにもない天井を見上げる。
――明日が命運を決める日となるかもしれない。
そんな妙な緊張感のせいでどうにも寝つきは悪い。
会議では、方針の決定のあと、細かい軍の配置や、敵の動きに対する対応策、そして、敵軍を最速で突破するためにラーゼンが用意していた秘密兵器についても説明があった。
まぁ俺の隊にはあまり関係のない話だったが―――確かに、やってみるだけの価値はある作戦だと思う。
とはいえ、実際は出たとこ勝負というのが本当のところだろう。
作戦がハマるかハマらないかなど、やってみなければわからない。
カルティアでは常に有利な状態で戦っていただけに――不安は尽きない。
そんなことを考えていると、俺の石小屋の入り口に、不意に人の気配があった。
「隊長、起きていますか?」
聞き慣れた高い声――シンシアだ。
「ああ、起きてる。どうぞ」
石小屋といっても、扉をつけているわけではない。
簾のように布を吊るしているだけで、別に誰でも入れる。
「では・・・失礼します」
布をめくって、1人の金髪の少女――シンシアが入ってきた。
よく見た鎧姿ではなく――髪はおろし、ベージュのシャツに短パンというラフな服装だ。
もはやこちらもそれなりに見慣れたものだな。
俺は起き上がり、毛布の上に座る。
今日しか使わない予定だったので、この石小屋に机や椅子はない。
「どうした? 作戦の内容なら明日、班長を集めて伝達するつもりだが」
「――あ、いえ、作戦は別にいいんです」
そう言いながら、シンシアは少しぎこちない動きで、ちょこんと俺の隣に座った。
昔は一定以上近づくことすら許してくれなかったのに、変わるものである。
「その・・・父に言われたんです。隊長が緊張しているから、様子を見てきてくれって」
「師匠が?」
確かに前にシルヴァディとはそんなような話をしたが・・・。
「私も――たしかに最近の隊長は少し思いつめたような顔をしていたと思ったので、それで・・・」
また、顔か。
そんなに俺の感情って顔に出やすいものなのかな。
「・・・大丈夫だよ。別に――少し考え事をしていただけだから」
「そうですか・・・」
シンシアはなんとも言えない表情だ。
「だから、心配ない。明日からは戦争だし――シンシアも戻った方がいい。それに――」
「それに?」
「1人で夜に男の部屋に来るなんてその――噂になるかもしれないだろ?」
一応、俺も男である。
別に俺自身は噂など大して気にしないが、シンシアからすると嫌なことかもしれない。
・・・もう既になっているらしいけど。
「噂とは?」
シンシアはキョトンとしている。
あれ、知らないのか。
「え、いやだから――その・・・俺とシンシアがそういう関係だって・・・」
「へ?」
途端にシンシアの顔が真っ赤になった。
「え、その・・・すみません、私、そんなつもりじゃなく・・・」
あれ?
やっぱり知らなかったのか。
オスカーの話だと軍では有名な噂らしいが・・・。
まあそうか、知っていたらこんな疑われるようなことはしないか。
「――わかってるから、落ち着いてくれ」
気にしないというそぶりで、シンシアを宥めるも・・・、
「そうですよね。隊長は恋人がいるんですから・・・迷惑でしたね」
なんで知っているんだ――と思ったが、以前シルヴァディが酔って漏らしたんだったか。
「恋人というか・・・いや、まあ確かに恋人みたいなもんだが・・・」
返答に困っていると、シンシアは不思議そうな顔で聞いてきた。
「その、どんな人なんですか? 隊長の恋人さんって」
「え、どっちの?」
「どっちって・・・2人もいるんですか!?」
シンシアが驚愕の声を上げた。
なんだよ、そこはきいてないのかよ!
「まあ、うん。一応そうなるけど」
目を泳がせながら答える。
「その方達はその――他にも恋人がいる事を了承しているんでしょうか?」
「うん、2人とも承知で将来を約束してくれたよ」
「そ、そんなことが・・・」
シンシアは信じられないことを聞いたという感じだ。
まぁ――ユピテルは一夫一妻制だし、当然の反応か。
「――2人ともいい子だよ。ずっと一途に想い続けてくれる優しい子と、とても聡明で努力家の子だ。俺なんかにはもったいないくらいのね」
「そうなんですか・・・」
あとは――別に恋人ではないが、最近になって気づいた――どこまでも尽くしてくれるミサンガをくれた子が・・・。いや、それはまた別の話だ。
「では――首都ではその人達とも会ったんですか?」
「いや、会えなかったよ。2人は首都にはいないんだ。片方とはもう4年くらい会ってないな・・・」
そう思うと、少し不安だ。
エトナは手紙が残っていたが――ヒナとは連絡が取れていない。
この年齢の4年というのは、性格や感性が変わるのが当たり前だ。
今会った時、ヒナは俺の事をまだ想ってくれているだろうか。
ヒナはアウローラにいるはずだ。
いったいどういう風に再会を果たすのか――。
ラーゼンが約束を守ってくれればいいのだが。
「まぁ、でも別に――シンシアが気にしないなら、俺も気にしないよ」
「気にしないとは?」
「その・・・噂になるって話」
「そう、ですか・・・」
シンシアは深く考え込むように宙を見ている。
その横顔の透き通るような白い頬は――明かりのついていない暗闇の小屋の中ではやけに目立つ。
いったい何を思っているのか、俺にはよくわからない。
相変わらず人の表情を読むのも、女心を察するのも苦手だ。
シンシアももう17歳。
俺の前世だと女子高生だが、この世界だと女盛りか。
「シンシアこそ、恋人とかいないのか?」
「・・・そんなもの、いりません。私は父を越えるまで剣に人生を捧げると決めているので」
「そうか・・・シンシアは美人だし――もったいない気もするけど」
「お、お世辞は結構です」
「別にお世辞じゃないさ。シンシア程の美人なら――隊の皆も放っておかないんじゃないか?」
「そんなこと・・・私なんてその――女性としての魅力は大したことがないので」
「充分魅力的だと思うけど」
「も、もう! からかわないでください! どちらにせよ、私はもしも将来伴侶を選ぶとしても、自分より強い人と決めていますし――隊員はありえません!」
「お、じゃあ俺は圏内だな」
「な、何言ってるんですか! 恋人がいる癖に!」
「はは、ごめんごめん」
シンシアが美人というのはお世辞でもなんでもないが――本人が剣に一途というなら仕方がないか。
しかし、シンシアより強い人か。
いったい世界に何人いるんだろう。
少なくともこの西軍には俺を含めて3人くらいしかいいないぞ。
しかも父を越えるまでって・・・シルヴァディより強い奴なんてよっぽどいないだろう・・・。
まぁ――そういうことなら、噂がたとうがそれほど気にすることもないか。
「もう隊長はすぐそうやって・・・」
からかいすぎたのか、シンシアは顔を真っ赤にしながらプイっとそっぽを向いてしまった。
「悪かったよ。シンシアの反応が面白いからさ。昔とは大違いだ」
昔はもっとツンケンしていた。
「別に、意地を張っても仕方がないと思っただけです。それに、父のことを除けば、別に隊長は最初から・・・・」
そこで、シンシアは口をつぐんだ。
「最初から?」
「い、いえ、何でもないです」
「なんだよ、気になるな」
「・・・戦いが終わったら教えてあげます」
「えぇ・・・」
それフラグじゃないか?
流石の俺でも知ってるぞ。
これ死亡フラグって言うんだ。
「―――さあ、思ったより元気そうなので私は戻りますね」
「あ、ああ」
シンシアは俺に構わずに腰を上げた。
「・・・隊長、明日は――無茶はしないでくださいね」
そして小屋から出る直前、シンシアはふと振り返る。
「父に聞きました。前回のキャスタークの戦いで、隊長は相当無理をして体に負担をかけたって・・・」
「ああ・・・」
そういえば、シルヴァディに言われたな。
俺の成長速度に身体がついて来ていないとか。
「強敵がいたら、1人で戦わず、隊の皆で戦いましょう」
「・・・わかったよ」
別に――俺だって望んで1人で戦ったわけじゃない。
できるなら皆で戦った方がいいに決まっている。
「約束ですよ?」
「ああ」
そう答えると、シンシアは金髪の髪をたなびかせながら、満足そうに去っていった。
そのあとはすぐに睡魔が襲ってきて、ぐっすりと眠れた。
案外シンシアと話すことでリラックスできたのかもしれない。
読んで下さりありがとうございました。




