第105話:決意の灯火
次の日――俺はラーゼンからお呼びがかかった。
最高司令官を待たせるわけにもいかないので、すぐに総督府に向かう。
カルティア総督府はそれほど大きい建物ではないが、やけに清潔な2階建ての館だ。
ラーゼンの執務室は2階の奥にある。
扉の前で立ち止まり――深呼吸をする。
何の用で呼ばれたのか、当たりは付けている。
「・・・アルトリウスです」
「入れ」
ノックをすると、すぐにそう聞こえたので、扉を開けた。
ラーゼンは正面―――机に座っていた。
いかにも待ち構えていたような雰囲気だ。
「やあアルトリウス、早いな」
「いえ、総司令閣下の命ですので」
俺は入室するなり机の前に立ち、敬礼をする。
もうこれも板についたものだ。
「・・・本日は何用でしょうか」
聞くと、少しラーゼンは目を細めた。
「・・・少し君と話がしたくてね」
「話・・・ですか」
今この部屋には俺とラーゼンだけだ。
珍しくゼノンもいない。
「ああ、オスカーに聞いたよ。君の内戦への参加を取りやめてくれとね」
「そう、ですか」
どうやらオスカーがラーゼンに働きかけたようだ。
しかし――
「やはり・・・内戦は避けられませんか?」
尋ねると、ラーゼンは肩を竦める。
「避けられない。まぁ向こうがどう対応するかはわからないがね。おとなしく従ってくれれば、別に戦争なんて起こらないのだから」
ルシウスは言っていた。
内戦は避けられない。
そういう運命だと。
「閣下に引く気はない、と」
「ああ、ない。・・・というよりも引けなくなった。『元老院最終勧告』の話は聞いただろう?」
「・・・はい。閣下の指揮権の剥奪と軍団の解散――横暴なことだとは思います」
やはり『元老院最終勧告』がなされたという噂は本当だったらしい。
多分故意に流したのだろう。
ラーゼンが指揮権を手放さなければ・・・彼は国家の逆賊としてみなされる。
総督として蛮族を征服した指揮官に対する扱いとしては甚だ不当だ。
「ふむ、元老院――門閥派も焦ったのだろう。よほど私のことが怖いと見える」
「・・・」
ラーゼンは俺の言葉に終始、小気味の良い笑みを崩さない。
最終勧告に従わないことに、何のためらいもないように思えた。
「さて、アルトリウス。君についてだが」
ここで、ラーゼンが話を戻した。
「君は元々オスカーから借りたようなものだ。アイツのいう通り、これまでの働きも凄まじい。報酬を受け取り次第、退役してもらっても構わない」
ラーゼンは俺に従軍を強要しないようだ。
「別に君だけじゃないさ。退役を希望する兵は全員受け入れるつもりだ。私の軍は元々はカルティアを征服し、統治するための軍だ。その後――内戦に突入するなんてのは職務の範囲外だろう」
「・・・それで、残る兵はいるんでしょうか」
「私の予想だと、8割は残る」
「そんなに・・・」
全8個軍団中、6~7個軍団くらいは残るということだろうか。
「・・・このカルティア方面軍は――私が自ら編成した軍だ。志願兵も多い。誰もが――私の勝利を信じている者か、今の国家の体制を良しとしない者たちだろう」
確かに、カルティア方面軍の兵士は全体的にラーゼンに対する絶対的な尊敬と忠誠の雰囲気が見て取れる。
彼が狙ってそうしたのか、それともただ勝利し続けた結果か――ともかく、ラーゼン個人を慕う兵の数だけでもちょっとしたものだ。
「だから・・・そうだな。私にもユピテル共和国の未来にもそれほど興味のないのは君くらいだろうな」
「――! 別に、そういうわけでは・・・」
内心ビクッとした。
俺はラーゼンに忠誠を誓っているわけでもなければ、ユピテルにそれほど愛着があるわけでもない。
多分、国に対する帰属意識というのは、他のユピテル人と比べて低いだろう。
前世でも、日本は好きだったが、国の為に命を賭けるかと言われたら全力で拒否していた。
ユピテルも好きだが――俺にとっての国なんてそんなものだ。
ラーゼンや、彼を支持する人たちのように、国の体制が危ないから戦ってでもなんとかしよう! なんてほどの心意気はない。
「はは、構わない。君が戦う理由が――どこか他のところにあるというのはわかっているつもりだ」
どうやらラーゼンには見透かされているらしい。
「そういうわけだから、別に君の退役を止めたりはしない。確かに戦力としては大きいが・・・元々君の存在は計算に入れていなかった。いなくても・・・勝ってみせる」
俺のことを計算に入れていなかった・・・。
ということは少なくとも1年以上前からラーゼンは内戦を予期していたということになる。
カルティア戦役などはついで、ということだろうか。
だが・・・。
「本当に、勝てるのでしょうか?」
ルシウスの言葉を信じるならば、ラーゼンは俺がいないと負ける。
だから尋ねたのだが、
「・・・私が負けたことがあったかね?」
・・・これ以上ない説得材料ではある。
常勝にして不敗。まるで勝利の女神に愛されたようなような男。
それがカルティア戦役を通してのラーゼンの評価だ。
結局兵たちが彼に従うのは、国の未来とか、そういうこと以前に、ラーゼンに従えば勝つと・・・そう信じているからだろう。
「・・・正直、兵力という部分では負けているよ。兵の質自体は歴戦だが、実質的に私が抑えているのはカルティアのみ。しかも抑えたばかりで、大した経済力もない。首都と東方属州を持つ奴らの方が明らかに地力が上だ。これが国対国の戦いならば、間違いなく負けるだろう」
ラーゼンが苦笑して言った。
兵力、傘下の土地面積。
それだけを見れば大国に小国が戦いを挑むようなものであるようだ。
「だが、これは国の中の内乱だ。そうなれば重要なのは金でも兵でもない、どちらが民衆を味方につける大義を持っているか、ということだ。その点、我々に負ける道理はない」
「・・・」
ラーゼンの勝利の自信の根源は、大義を持っているという点であるようだ。
それはルシウスも言っていた。
大義があるのはラーゼンだ、と。
俺は考えていた。
ユピテルを2つに割る内戦。
かたや歴戦の兵を率いる圧倒的なカリスマ。
民衆を味方につけた一人の傑物。
相対するは、長年大国を支えてきた屋台骨。
元老院というシステムと、それを信じる共和主義者たち。
彼らの持つは、肥沃な大地と、国力。
前世の戦争であるなら、俺は間違いなく後者が勝つと予想しただろう。
資源と質量は覆らない。
2度の世界大戦で国家総力戦を知っている俺は、知っている。
国力の差はそのまま戦力の差につながると。
だが、俺はこの世界の戦争も知っている。
1人1人の兵の質や、兵士の士気。
そして、個人で圧倒的な戦果を叩き出す一部の強者。
それらが、どれほど勝利に関わってくるのか、嫌でもわからされた。
この世界において、数などは飾りに過ぎない。
きっと、先見の明を持つ人間というのは、こういうとき上手く勝ち馬に乗れる人間のことを言うのだろう。
しかし、残念ながら、ここまで説明されても、俺はラーゼンが事を成すことができるかなんてことはわからない。
俺は組織において――歯車的な役割の方が向いている。
ただ与えられた仕事を着々とこなす。
そういうことの方が楽なのだ。
精々中間管理職あたりが関の山だろう。
その程度の器である俺に、そんな高尚な判断ができるはずがない。
そういうのはオスカーの考えることだ。
「それで、どうする?」
澄んだ瞳でラーゼンが言った。
「退役するなら――特務隊長としての活躍と文官としての成果で計2000万Dほど支給する。勲章は――後に、我々が勝てば適当なものを3つほど進呈しよう。我々が負ければ――ネグレドにでも頼んでみろ。カルティア遠征軍は《逆賊》となる前の真っ当な軍と扱われる。退役兵として無碍にはされないだろう」
2000万Dは大金だ。
軽く屋敷が買えるレベル。
慎ましくなら、一生食べていける額だろう。
そして、ここで退役するならば、あくまで内戦においては《中立》の立場になれる。
まぁ、門閥派が、俺をどう評価しているかは知らないが・・・ラーゼンの言い分を信じるならば、問題はないらしい。
ラーゼンの言う通り、俺はこの国に対して特に愛着があるわけでもない。
俺が愛着があるのは、この世界で触れ合った色々な人たち。
家族や、友人、師に、部下。
そんな大切な人たちの一人、オスカーに頼まれたから、俺はカルティアに来た。
今度は、オスカーは俺に頼まなかった。
もうここで降りていいと、そう言った。
戦力を必要としているはずのラーゼンも、俺に頼りはしない。
きっとゼノンもシルヴァディも頼ることはないだろう。
確かに俺は国や主義なんてそんなものはそれほど重要視していない。
退役したときに貰える金は魅力的だし、戦争をするのは嫌だ。
でも・・・。
「・・・退役はしません」
俺はそう答えた。
多分、ここで逃げたらだめだ。
ルシウスの忠告が本当に正しいのか―――きっと俺には確かめる使命がある。
「ほう・・・では、私と共に、内戦に馳せ参じると?」
ラーゼンは驚きの声を上げるが、顔はそれほど驚いてはいない。
まるでそう答えると知っていたかのような、そんな顔だ。
「はい。ただ――」
俺は深く吸い込んだ。
「・・・1つ、条件―――いや、お願いがあります」
● ● ● ●
数日経っただろうか。
俺たちは集められた。
おそらく、最低限を残して招集可能な全てのユピテル兵が、そこにはいた。
街の外、まるで再び都市でも攻略せんとばかりに、軍団が整列している。
その数、およそ8万。
こう見ると圧巻だ。
自分など、この人の群れの中では本当に小さな存在であるように感じる。
大量の人がいるのにも関わらず、口を開くものは誰もいない。
誰一人声を上げず、静まり返っているのは、少し不気味にも思えた。
そして。
正面――誂え向きに建てられた台座の上に立つのは1人の銀髪の男だ。
彼こそ、この軍団の頂点に立つ、この土地の征服者。
ラーゼン・ファリド・プロスペクター。
カルティア戦役の勝利者だ。
静寂の中、ラーゼンが口を開いた。
「――先日、首都からある知らせが届いた」
不思議とよく通る声だった。
大声ではあるが、とてつもなく大きいというわけではないが、不思議と空気を伝わるのだ。
流石に全員が聞こえてはいないだろうが、少なくとも前の方にいた人間は彼の言葉を聞き逃さないだろう。
「曰く――カルティア総督ラーゼン・ファリド・プロスペクターは、その征服を持ってその任を終えたとし、軍団指揮権を剥奪。直ちに軍を解散するように、という《元老院最終勧告》だ」
元老院の決定によってラーゼンが属州総督から解任されたのだ。
そして、それは、ラーゼンの最高司令官としての地位の剥奪も意味する。
本来なら、きっと兵たちは誰もが驚き、軍団は喧騒に包まれるだろう。
だが、立ちならぶ兵士たちは誰もが、口を堅く結んでいる。
知っているのだ。
元老院が、不当な最終勧告によって、ラーゼンの地位を追い落とそうとしているという事実は、噂として流れ、このカルティア軍全員が知っている。
そして、今日集められた理由は、その解散を告げるためではない。
誰もが――それを分かっている。
ラーゼンが続けて口を開いた。
「諸君。私は非常に遺憾に思う。これ程までに国のことを思い、国のために戦った私に対しての――この元老院の行いに。権力争いしか能のない門閥派の連中にだ」
誰もが固唾を呑んで見守っている。
聞き入っている。
「彼らの罪は3つ。1つ、我々の――大いなる戦いに茶々を入れようと『鷲』を盗んだこと」
鷲。
かつてギレオンという門閥派によってユピテル軍の象徴、鷲が盗まれた。
「2つ、言論で統制されるべきユピテルの首都において、暴力に訴え、民衆派の家族を襲ったこと」
かつて、ラーゼンの妻は門閥派の貴族に狙われた。
「3つ、崇高なるユピテルの――共和国の未来を、現実を見ずに理想を押し付け、この国を破滅へと導こうとしていること」
門閥派は、元老院による統治こそ、至高であると思っている。
だが、それではこの国は大きくなりすぎだ。
俺にもそれくらいはわかる。
政治的に停滞しているのだ、この国は。
「諸君。私は憂いている。この国をこれ以上奴らに任せていいものか。未だ現実を見ず、ありもしない未来に夢を見る共和主義者共に牛耳られているこの国の未来を、私は非常に憂いている」
ラーゼンの声は次第に音量が上がっていく。
それなのに、澄んでいる。
語り掛けるように、訴えるように、ラーゼンは続ける。
「私は明日、カルティアを発つ。ヤヌスに向けて、馬を走らせる。この国の未来のために。この国を救うために。私と共に馬に乗るかは諸君らの自由だ」
彼が指すのは遥か東――。
ユピテル共和国の首都『ヤヌス』。
ヤヌスに向けて馬を走らせるというのがどういう意味か、わからない者などここにはいない。
「これは革命でも、反乱でもない。民衆が――ユピテルの全ての民が望んでいる。この国が誰かによって救われることを。この国の病を誰かが取り除いてくれることを」
それは真摯な台詞だった。
きっとラーゼンの本心――国を救いたいという根っこの部分の、嘘偽りない言葉なのだろう。
「ならば、その業、私が背負おう。私ならばできる。諸君らは知っているはずだ。我らがどのようにして、ここまで勝利し続けてきたのか。我らがどのようにして、この地を手に入れたのか」
銀髪の痩躯の男は、大きく息を吸い込んだ。
「――行くぞ、ヤヌスへ。大義は・・・・我らにあり」
そう締めくくり、ラーゼンは壇上から降りた。
不思議と、歓声は上がらない。
かつてのカルティアとの戦争で、彼が一言発せば、誰もが歓喜し、叫んでいた光景にはならなかった。
今回の敵は蛮族ではない。
今回の敵は他人ではない。
今回の敵は同胞――同じ国民だ。
あるいは敵軍にはかつての友人がいるかもしれないし、もしかしたら家族がいるかもしれない。
そんな感慨が、彼らの喉を押しとどめた。
だが、誰もが決意の灯火をその瞳に宿していた。
言いようのない興奮と、この手で国を救うという高揚感。
言葉のない歓声。
声の上がらない熱気。
それらが立ち込め、その場は異様な雰囲気に包まれていた。
翌日、ユピテル軍は、カルティアを出立した。
――賽は投げられたのだ。
読んで下さりありがとうございました。




