第103話:高まる気運
戦後処理も落ち着いたカルティアだったが、最近はどこか軍団全体がそわそわしているように思える。
まるで少し前――《間期》の終わりがけ間近の――もう少しで大規模な戦闘が始まるという時期のようだ。
士気が高まっているというか、緊張しているというか―――とにかく戦いの前というのは異様な雰囲気が出るものなのだ。
俺の隊でも例外ではない。
兵士たち全員を寝泊まりさせるような建物はないので、相変わらず駐屯地暮らしの俺達の部隊だったが、如何せん、少し緊張した雰囲気が伝わってくる。
「・・・フランツ、なんで、皆こんなに真剣な顔をしてるんだ?」
まさかまた、No3決定トーナメントでも開催するのだろうか。
あれはエイドリアナが3連覇したせいで、もうやらなくなった行事だったはずだが。
気になったので聞いてみたのだが、そんなフランツも深刻そうな顔をしている。
「・・・隊長、聞いていないのですか?」
「なにを?」
「――『元老院最終勧告』が出されたという噂です」
「―――!?」
元老院最終勧告。
2人の執政官が揃って賛成しないと採択されない――そもそもよほどの緊急事態でなければ提出すらされない最終警報のようなものだ。
元老院最終勧告は、あらゆる命令の上位に位置し、これが発令された場合、如何なる事態でも従わなければならない絶対権限だ。
違反すれば国家の逆賊とすらみなされる。
「・・・内容は?」
「ラーゼン総督閣下に・・・その――軍の解散を命じる内容ではないかと噂されております」
「・・・噂ということは、確証はないんだな?」
「まあ、はい」
「・・・・」
ラーゼンに軍を解散させる。
つまりは司令官権限を破棄させるということか。
しかし・・・いくら門閥派でも、カルティアをこれほど短期間で征服したラーゼンに、問答無用で権限を剥奪するような命令を――しかも元老院最終勧告を使って指示するだろうか?
いくら何でも横暴が過ぎると思うが・・・それほどまでに首都の情勢は切迫しているのか。
「バカげた噂だが・・・もしそれが本当だとしたらヤバいな」
「ええ」
恐らく、隊の――いや、軍の雰囲気が「異様」なのはその噂のせいだろう。
誰だってわかる。
ラーゼンの指揮権を剥奪するなど、それは明らかに不当な扱いだ。
抑止力という意味でも、軍隊の解散などもってのほかであるし、一つの地方を手中に収めた軍団司令官に対しての扱いとしては、過去に類を見ないほど苛烈なものだ。喧嘩を売っているとしか思えない。
そして、従わなければ国家の逆賊とする元老院最終勧告。
これは・・・。
「・・・もしかすると、ラーゼン閣下は従わず――祖国に向けて兵を出すのではないか、と皆そう考えております」
そう、不当な扱いに憤慨したラーゼンが、このカルティアの軍を解散させぬまま首都に攻め入るのではないか、と、この軍団の兵なら誰もがそう思うだろう。
誰もがそれを感じ取り―――あるいは高ぶり、あるいは悲観し、あるいは不安に感じているのだ。
しかし――。
「・・・もしもそうなったとき、フランツ、お前はどうする?」
「はい?」
「お前は――祖国――ユピテル共和国と戦えと言われて、剣を振れるか?」
「・・・私は隊長と共にならばどんな相手とでも戦いますよ」
「・・・そうか」
「隊の皆も同様の考えでしょう。だから、我々が思うのは、隊長がいったいどうするつもりなのか、ただその一点でしょうね」
隊の皆からは随分慕われているらしい。
俺にとっては、嬉しいような苦しいような、そんな言葉だった。
俺はそれには答えずに、苦笑してその場を去った。
――噂。
そう、たかが噂である。
だが、俺はどうも単なる噂とは思えなかった。
まるで仕組まれたような――奇妙な感覚が、俺を襲っていた。
「――ああ、その噂ですか。そうですね、確かにここ数日、軍の間で仄めかされていますね」
駐屯地から少し外れたあたりで剣を振ろうと思ったら、先客を見つけたので話を聞いた。
金髪の美少女――副隊長のシンシアだ。
彼女は特に文官というわけではない―――というかそちらの方面はさっぱりなので、ここのところはずっと暇だったようだ。
聞いた話によると、たまにシルヴァディにも剣を見て貰っているらしい。
「シンシアはどうする? もしもその噂が本当で――総督が首都に向かって進軍したら」
「別に・・・普通についていきますよ。お師匠様も・・・あと一応父も行くに決まっているので」
「・・・そうか、そうだな」
シンシアは特に迷いなどはないようだ。
信頼する師匠と、そして、実の父親。
ゼノンとシルヴァディはラーゼンの腹心中の腹心だ。たとえ何と戦うとしても、ラーゼンについていくだろう。
「隊長はどうするんですか?」
「・・・さあ?」
俺か。
俺は―――どうだろう。
ずっと考えていた。
考えていたはずだった。
2年前――まだ首都にいたころから予想していたことだ。
だが、俺は、どうするべきなんだろう。
答えられぬまま、俺はその場を後にした。
何故か剣を振る気にならなかった。
「――どうしたんだい、バリアシオン君。珍しいね」
銀髪に、眼鏡をかけた少年が驚いたように言った。
気づくとオスカーの元に来ていたのだ。
ここは執務室。
文官としては大活躍をしたオスカーは、今でも忙しそうに書類とにらめっこしている。
「いや、その――ちょっと話したくて」
「そっか」
オスカーは書類を置き、改めてこちらと向き直った。
俺はオスカーの正面のソファーに座っている。
「それで、どうしたんだい? やはり君も例の噂とやらに惑わされている口かな?」
オスカーは眼鏡の奥から見透かしたように言う。
「噂――そうだな。俺には噂には思えないけど・・・」
「その通りだよ」
「――!」
オスカーの言葉に、一瞬、俺は目を見開く。
「噂でもなんでもない――事実だよ。父が噂としてわざと流したんだ」
「やはり・・・そうか。『元老院最終勧告』は来たんだな・・・総督の指揮権を剥奪して軍を解散せよって・・・」
俺の言葉にオスカーは苦笑しながら頷いた。
『元老院最終勧告』が来た。
それはオスカーの父、ラーゼンがわざと流した噂だ。
少し感じていた違和感の正体はこれかもしれない。
噂でもなんでもない事実なのだ。
だとしたら。
それが意味するのは――。
「総督は・・・本気なのか?」
今まで、聞いたことはない。
正直カルティア戦役のことでいっぱいいっぱいだった。
そして、
「ああ。父は―――内戦を辞さない覚悟だ」
オスカーが低い声でそう言った。
――内戦。
民衆派の筆頭にして、民衆に――門閥派を倒すことを期待されたラーゼンという旗印。
『元老院最終勧告』がなされたということは、門閥派が、現実にそれが起こると危惧したということだろう。
勧告に従えば内戦は起こらない。軍を解散するとはそういうことだ。
そして、それはラーゼンが改革を諦めたということと同義だ。
逆に、この勧告に従わなければ、否応なしに戦いは始まる。
軍を解散しなければ国家の逆賊とまで言われてしまっては、ラーゼンに引くべき道はない。
「少し早いけど・・・門閥派も焦ったね。『元老院最終勧告』なんて父には何の意味もないのに・・・いい兵士を煽る材料だよ」
「兵士を煽る材料、か」
「うん、明らかに不当な内容だからね。正式な方針の発表の前に噂で流して――門閥派のイメージを悪くしたんだろう」
「なるほど」
とはいえ、そんなことをしなくても、このカルティア方面軍はラーゼンに心酔している兵士が大半だ。
主義主張の前に、司令官として――常勝の将、ラーゼンに付き従う兵士は多いように思う。
「だから・・・内戦は必至だよ。向こうがどう出るかは知らないけど・・・少なくとも父に引く気はないみたいだ」
「そっ・・・か」
2年前――オスカーが訪ねてきた日。
俺を頼り、カルティアに来てくれと頼ってきた日。
話していた危惧は―――現実に迫っていた。
思えば、あの時の時点で既に始まっていたのかもしれない。
オスカーの叔母の死――もうあの時・・・引き返せない道に足を突っ込んでいたんだろうか。
「オスカーは・・・総督について行くのか? その・・・内戦に」
オスカーは静かに答えた。
「・・・僕は行くよ。僕は旗印の息子だ。そして・・・もう継ぐと決めた」
「継ぐ?」
「そう。父の意思を―――救国の意思を――そしてその責任を背負うと決めた。だから行くよ」
「・・・・」
責任。
そうだ。
彼は当事者の息子だ。
行かないという選択肢はない。
「バリアシオン君」
黙る俺に、オスカーが言った。
「なんだ?」
「君は別に――来なくてもいい」
「!?」
やけに低い声だった。
来なくてもいい?
内戦に参加しなくてもいいということだろうか。
「でも・・・俺の隊は・・・」
俺の隊は、このカルティア戦役の後半、目覚ましい活躍をみせた。
エース部隊と言っていいだろう。
そして、ラーゼンはこの部隊をカルティア戦役のためではなく―――内戦――そして、さらにその先の為に作った。
行かないなんて選択肢があるのだろうか。
「元々僕が君に頼んだのは、使節と、カルティア戦役の副官だ。それについては途中から色々あって、違う形にはなってしまったけど・・・君は充分にその役目を果たしただろう?」
そうだったか。
確かに、俺の仕事は本来からは少し逸脱している。
「僕は最前線で、ずっと君を見てきた。幾万の蛮族の中に切り込んでいき、見たことのない魔法で敵を次々と吹き飛ばし――恐るべき剣技で敵を薙ぎ払う―――『烈空』の活躍を。――部下や、他の兵が傷つかないように、一人派手な魔法で敵の注意を自分に引き続ける――自己犠牲の塊のような僕の親友の姿を」
「・・・・」
「君は強いよ。きっと、いずれはこの世の頂点に立ってしまうんじゃないかってくらいの戦士だ。君が内戦に――父と、僕と共に来てくれたら、とても頼りになると思う」
そうだろう。
それくらい俺にもわかる。
俺と、俺の部隊なしで――内戦を勝ち抜けるとは思えない。
オスカーは、一拍置き――そして続けた。
「―――でも、君ほど戦場が似合わない戦士も、この世にいないだろう」
「――!?」
「君は、優しいんだ。勇み足で敵軍に切り込んでいくときも――大規模魔法であたり一帯を焼け野原に変えたときも――いつも、戦っている君はどこか悲しそうで、儚げで・・・とても戦士の顔には見えないんだ」
そんなようなことを、前にも言われた気がする。
誰だろう、シンシアだったか。
俺は、そんな酷い顔で戦っていたのだろうか。
「僕が頼んだ君が負うべき責任は、もう果たした。だから、そんな君が、わざわざまた戦場に行くことはないんだ。父は僕が説得しよう」
オスカーは少し遠い目をしているだろうか。
それでも真っすぐにこちらを見つめている。
「勿論、内戦に参加しなくても報酬は払うよ。カルティアにいる間に、それなりの金額を用意しよう。本来なら勲章も何個か貰えるはずなんだけど・・・叙勲は首都でやらなきゃいけないから、悪いけどそっちは内戦の結果次第かな。もしかしたらプロスペクター家なんてこの世からなくなっているかもしれないからね」
「オスカー・・・」
「そんな顔をしないでくれ。これは・・・君を巻き込んでしまった僕なりのけじめさ。大丈夫、君がいなくても父は勝つよ。元々は君はいない前提だったんだから」
「・・・そっか」
俺がいなくても勝つ、か。
俺も自惚れが過ぎたかな。
オスカーの口ぶりからすると、ラーゼンは随分前から改革の決意をしていたのだろう。
カルティア遠征が始まってから、あるいはもっと前から――。
何とも言えない感情にさいなまれながら、俺はオスカーの部屋を後にした。
しかし、どうしてオスカーの部屋に来たんだろう。
もしかしたら、カルティアに来た理由の再確認でもしたかったのかもしれない。
俺は物思いにふけりながら寝床に戻った。




