9.龍真の前世
スザクやホシカゲと話しているうちに、興が乗ってきたので、前世の話をすることになった。
「俺はさ、日本て国に住んでたんだ。そこには俺みたいな黒髪黒目の人間が、いーっぱい住んでるんだぜ。信じられるか? 1億2千万もの人間が住んでるって言ったら」
(わふ、ちょっと想像がつかないです)
「そうですね~。このオワリですら百万人もいませんからね~」
「へ~、でもこのオワリだけで、百万人近くもいるのかぁ。なんかそれも驚きだな……それで俺は、その日本の田舎の方で生まれてな、22歳までは勉強してたんだ」
するとホシカゲが、不思議そうに問う。
(わふ、ご主人様は学者様だったですか?)
「いやいや、違うよ。日本では普通、6歳から15歳まで学校で勉強するんだ。義務教育っていってな。そして家に余裕があれば、さらに上の学校にも行ける。おれは大学まで行かしてもらったから、22歳まで勉強してたってわけ。それから就職したのが、中堅どころの自動車部品メーカーだったんだ」
今度はスザクが訊ねる。
「自動車とは、なんですか~?」
「う~ん、まあ、馬のいらない馬車って感じかな。燃料を燃やして動くエンジンってので、車輪を回すんだ。俺はそのエンジン関係の部品設計をやってた。仕事はそれなりに楽しかったよ。いろいろトラブルもあったけどな。大事な時に問題が発生して、後始末に走り回ったこともあった。でもまあ、けっこう充実してたと思う」
俺が懐かしそうに語ると、ホシカゲは身を乗りだすようにして聞く。
彼の耳が、期待を示すようにピコピコと動いていた。
実はこの話の続きは、あまり楽しくないんだけどな。
「……そんな生活だったんだけど、33歳の時に大きな出来事があった。なぜか俺が、海外へ赴任することになったんだ」
(海外って、どんなところです?)
「南の方の発展途上国なんだけど、そこがまた物騒なところでさ。ひどい目にあったよ」
あの時はやられたなあ。
最初は抵抗したんだけど、”君ならできる”って押しきられて、行かざるを得なかったんだ。
赴任先は某国の営業所で、3人の日本人と数人の現地社員が働いていた。
基本的に営業が仕事なんだけど、”顧客のニーズにすばやく応えるため、エンジニアが必要だ”って名目で、俺が送りこまれたんだ。
最初はそこの所長と2人の営業マンに歓迎されて、それほど感じは悪くなかったんだよな。
ところが1週間くらいしたら、営業マンが1人、急に辞めやがった。
最初は、”へ~、大変だな~”ぐらいに思ってたんだが、なぜか俺にお鉢が回ってくる。
技術一筋でやってきたこの俺に、いきなり営業をやれなんて、もうムチャクチャだ。
そりゃまあ、人が足りないのは分かるよ。
だけどさあ、現地の言葉も満足に話せないエンジニアに、何を期待してるんだって話だよな。
そもそも営業ってのは、顧客に自社の商品を売り込んで、注文を取ってくる仕事だ。
そのためには常に情報を集めなきゃいけないし、時には接待とかも必要になる。
他にも在庫の管理とか、トラブル対応なんかもあるから、めちゃくちゃストレスが溜まる仕事なのだ。
しかも現地の社員は5時過ぎると、みんな帰っちゃうんだぜ。
日本人だけが夜遅くまで仕事してるの。
いわゆる文化の違いってやつ?
治安の悪さにもびっくりした。
そこは人の命が極端に安い社会で、下手すると1回の食事代で人殺しを請け負うこともあるらしい。
さすがにスラム街でも行かなきゃわりと安全だとはいえ、近場で銃撃戦もあったりした。
そんな環境でも、とりあえず後任が決まるまでって条件で、俺はがんばったんだ。
毎日、夜遅くまで仕事して、休日も家に持ち帰ったりしてさ。
最近は通信技術の発展でどこでも連絡が取れちゃって、仕事から逃れられないのが始末に悪い。
そんなストレスフルな生活を送ってたのに、何ヵ月待っても後任は決まらない。
何度、所長に抗議しても、”もうじき決まるから、もうじき決まるから”って言われるばかり。
そうこうするうちに、衝撃の事実が発覚した。
ちょっと仕事から逃げたくて倉庫の陰でさぼってたら、現地社員がそれに気づかずにお喋りしてたんだ。
外国語だから細かいところは曖昧だけど、さすがに半年も仕事してれば大体分かる。
そいつらがこう言ってたんだ。
”日本人は大変だな~、いつも夜遅くまで仕事して。しかし、あれだろ? あのタツマってのは、だまされたんだろ? 前の営業マンが辞めるのが分かっててタツマを呼んで、そのまま営業として使っちまおうって。あの所長も悪い奴だよな~、ギャハハハハハ”
もうね、それを聞いた時、何を言ってるのか分からなかったよ。
いや、認めたくなかったんだろうな。
俺はしばらくそこで、呆然としてた。
そのうち、ようやく気を取り直した俺は、所長を問いつめたんだ。
”最初から俺に、営業やらせるつもりで呼んだんですか?”ってね。
しかし歴戦の所長が、それぐらいで非を認めるはずがない。
”いや、あくまでこの件は偶然で、君にはとても感謝している。頼む、もう少しだけ耐えてくれないか?”と言われてしまった。
もう埒があかないんで、今度は日本にいる開発部の上司に電話した。
”課長、こんなことになってるんですけど、どうしましょう?”って。
さらに、”俺は営業やるために会社に入ったんじゃないんで、帰してください”って頼んだんだ。
そしたらなんて言われたと思う?
”いや、それはそれで不幸な話なんだが、今の君の仕事も重要なんだ。すでに営業部からは重役を通して話が通っていて、うちも受けいれてる。申し訳ないが、しばらくは今のまま耐えてくれ”
おいおいおいおい!
いつの間にか俺、元の職場からも売られてたんだぜ。
この時点でようやく、会社が俺を営業として使い倒すつもりなんだって、気がついた。
荒れたなあ、あの時は。
その晩はメチャクチャ酒飲んで、酔いつぶれたね。
だけど、次の朝になれば、また仕事は始まる。
えっ、辞めればよかったじゃないかって?
そりゃそうなんだけどさあ、日本人てそういうとこ真面目なのよ。
今俺がやらないと、他の人に迷惑が掛かるとか考えて、我慢しちゃうんだ。
結局俺は、それまでと同じように仕事をし続けた。
半年もやってるとさすがに慣れてきて、やる気がなくてもなんとかなるもんだ。
それからしばらくは、おとなしく仕事をしてた。
だけど、なんの希望もなくてさ、まるで死んでるみたいだったよ。
それを見た所長は、安心したんだろうな。
あろうことか、今度は俺に数字を求めてきやがった。
たしかに営業ってのは数字を上げてなんぼの仕事だけど、俺に割り当てられる目標がどんどん厳しくなっていったんだ。
そうすると、さらに仕事が増えるよね。
でも俺のやる気は上がらないから、もう悪循環よ。
そんな状況で無理して仕事してたら、やがて体に異変が起きたんだ。
それまでも胃が痛くておかしいと思ってたけど、とうとう血を吐いた。
真っ赤に染まった便器を見た時に、マジで命の危険を感じたもんさ。
おかげで精神的にも不安定になって、頭痛や動悸なんかの症状も出てきた。
あのままだと絶対、うつ病になってたと思う。
事ここに至り、俺はとうとう病院に駆けこんで、診断書を書いてもらった。
そして自分のキャリアを棒に振る覚悟を決めて、それを所長に突きつけたのだ。
そしたら所長、なんて言ったと思う?
”今、君に抜けられたら困るんだ。後任が決まるまでもう少しがんばってくれないかな?” ときたもんだ。
お前それ、何回言ってるんだっての。
しかもそれだけに留まらず、こっちを脅してきたんだぜ。
”今ここでドロップすると、君のキャリアにも傷が付く。ここは大人になって、もうひと踏ん張りしてみたらどうだろうか?”
さすがに俺も、これにはブチ切れた。
俺は所長の説得は早々に諦め、”あ、それじゃあ、人事と直接話をします”、と言って部屋を出た。
それから速攻で母国の人事部に連絡を取り、交渉の開始だ。
当然、事なかれ主義の抵抗はあったが、断固として拒否してやった。
もう俺のキャリアなんて関係ない。
どんなに会社に尽くそうが、体を壊しちまったら負けだと思ったからな。
幸いにも、赴任してからの勤務記録や内容は、それなりに残してあった。
そもそも営業職じゃないのに、営業やらせてる時点で、問題ありまくりだ。
俺は労基署への通報もちらつかせながら、帰任交渉をした。
おかげでさほど掛からずに帰任が決まり、引っ越し準備や諸々の手続きに入った。
人間、現金なもので、先が見えれば元気も出る。
こうして俺は、決定的に体を壊すことなく、無事に日本へ帰ってこれたのだ。
えっ、営業の仕事はどうなったのかって?
知らないなあ、所長がどうにかしたんじゃないか。
それで帰国してからどうしたかっていうと、まず休暇を取った。
溜まりに溜まった有給休暇があったからな。
そうして心身を癒やしながら、改めて会社と話をした。
一応、会社からは元の職場への復帰を打診されたけど、先が暗いのは目に見えてる。
あまり穏便とはいえない手段で、帰国したわけだからな。
さらに言えば、会社をすっかり信頼できなくなっている自分に気づいた。
結局、俺は退職金を少し積み増してもらい、自己都合で退職したわけだ。
12年ほどの、長いんだか短いんだか、よく分からない会社人生だったな。
それからしばらくのんびりしてたら、いつの間にかこの世界に転生してたってわけだ。
そんな経緯を、いろいろと地球の話をまじえて話してたら、もう真夜中になっていた。
話を聞き終わったホシカゲたちが、感想をもらす。
(わふ~、大変だったのです~)
「見かけによらず、苦労されてるんですね~、主様」
「見かけによらずってのは、余計だって~の。でもまあ、そんな状況だったせいか、あまり前世への未練とかはないかな。逆に中途半端だった分、こっちで後悔しないよう、精一杯生きてみたいと思う」
「キャハハハハ、それなら主様にピッタリですよ~。この世界は危険も大きいけど、成り上がる可能性も高いですからね~」
「あまり危険なのは勘弁だけど、得られるものは大きいかもな。なんにしろ、これからよろしく頼むよ。スザク、ホシカゲ」
「了解で~す」
(こちらこそ、なのです)