95.動乱の予兆
ヨシツネとの決闘騒ぎを経て、千人近い鬼人族がシナノ国に移住してきた。
今は新たな土地に家を建て、彼らの集落を作ろうとしているところだ。
さすがに決闘時の約束を破るつもりはないらしく、今のところは忙しく働いている。
しかし、いつまでもおとなしくしているかどうかは、分からない。
あいつら、脳筋だからなぁ。
そんな内憂を抱えていたある日、ハンゾウから悪い知らせがもたらされた。
「カイ国に、ミカワとスルガの兵が入ったってぇ?」
「はい。ミカワ、スルガ、トオトウミから、それぞれ1万ほどの兵士が入国したようです。さらに悪いことに、カイの兵が魔境外縁部に集結する動きがあります。こちらも1万ほどですが、さらに増える可能性もあるでしょう」
「それって、この国が狙われてるってことだよね? なんでまた、そんな話になってるんだ?」
状況は明らかに、我が国が狙われていることを示していた。
しかし、なぜそうなったのかが分からない。
外界から隔離されたこの国の存在が、なぜ知れ渡っているのか?
その疑問に対し、ハンゾウが手掛かりを示唆する。
「俺も気になって調べたのですが、カイ側から人の入った形跡がありました。少人数ですが、明らかにこの国の状況を探る者がいます」
「マ・ジ・で? それって絶対に情報が漏れてるよね……いくらカイ側の地形が緩やかだとはいえ、無意味に人を送るような場所じゃない」
「おそらくそうでしょうね。しかもヤミカゲ隊に調べさせたところ、嫌な臭いがすると言っていました」
「嫌な臭いって、どんな?」
「魔物が嫌う薬草の臭いだそうです」
「つまり魔物除けの、お香みたいなものを使ってるってことか……そんな便利な物を、カイ国が持ってるの?」
「おそらくそうなのでしょうが、人族の中でそんな物が流通してるとは、聞いたことがありません」
そんな議論の中で、スザクが口を挟む。
「私も魔境の魔物を遠ざけるほどのお香など、人族には到底作れないと思いますよ~。それこそ人智を超えた存在が、裏にいるのではありませんか~?」
そう言われてピンときた。
「シュテンか?」
「その可能性は高いですね~」
「そんな馬鹿な。一体どうやってこの国のことを?」
ハンゾウの疑問には、ウンケイが応じた。
「一昨年のミカワ軍侵攻に、それらしきダークエルフが関係してたんですよね? であれば、我々の存在に気づいていても、不思議ではありませんよ」
「し、しかし、この地に国を築いていることまでは、分からないはずでは?」
「ひょっとしたら、気づかないうちに情報を取られていたのかもしれませんね。鬼神は闇魔法を使うと聞きますから、尋問などはお手の物でしょう。記憶すら操られているのかもしれない」
ウンケイにそう言われると、誰もそれを否定できなかった。
部屋の中に重苦しい雰囲気が立ちこめる。
「……なるほど。実際に密偵が入りこんでいるからには、たぶんそういうことなんだろうな。そして今回はミカワだけじゃなく、スルガとカイも巻きこんだってことさ。やってくれるじゃないか、シュテンめ」
「大至急、防衛態勢を整えましょう。迷宮に潜っている者を呼び戻し、部隊を再編します。それと関係者を集めて、防衛会議を開きましょう」
「分かった。ウンケイは手配を頼む。ハンゾウは引き続き、敵の動向を探ってくれ」
「「はいっ!」」
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翌日、各種族の代表と大臣級の人物を集め、防衛会議を開いた。
「それでは、カイ国境の異変に対する防衛会議を始める。まずは最新の状況を、ハンゾウから」
「はい。ここ数日で、人族の連合軍がカイ国との国境付近に集結し、侵攻する動きを見せています。このままだと2、3週間で、スワの海東側の平野部へ、侵攻される恐れがあります」
会場内にどよめきが走る。
そんな中、防衛大臣を務めるイットウサイが質問を投げかけた。
彼は獅子人族の老戦士だが、獣人にしては落ち着きと思慮のある貴重な人材だ。
「敵の総兵力はどれくらいかな?」
「は、カイ国が3万、ミカワ、スルガ、トオトウミから1万ずつで、合計で6万にもなる模様です」
どよめきがさらに強まる。
早くも負けたような顔をしている奴までいた。
そんな奴らを無視して、俺は話を進める。
「イットウサイ、今の我が国の戦力は?」
「そうですな……まともに戦える戦士が5千、魔法兵が千、訓練中の兵士が約1万といったところでしょうか」
「弩の配備状況は?」
「ようやく3千になるかどうか、というところです」
「増産は可能かな?」
「他の生産力を振り分ければ可能ですぞ。矢の方も増産しましょう」
生産関係を統括するベンケイがそう答えた。
「最優先で頼む。それとハンゾウの方で、敵の足止めをできないかな?」
「足止め、ですか?」
「うん、物資に火を掛けるとか、魔物をけしかけるとかして、少しでも進軍を遅らせて欲しい。もちろん、貴重な忍者を失うぐらいならやめるけど」
「……了解しました。至急、検討します」
「うん、頼む。それで、敵を足止めしているうちに砦をいくつか作ろう。イットウサイの方で建設予定地を選んでから、アヤメと相談して欲しい」
「かしこまりました」
「了解しました」
とりあえず思いつくことは指示した。
後は準備を整えつつ、士気を高めていけばよいだろう。
この際だから、不満も吐き出させとくか。
「他に何かないかな? 気になることがあれば、なんでも言って欲しい」
すると、兎人族のヨサクが恐る恐る手を上げた。
「……そのう、なんとか戦を回避する手段はないだかに? 例えば人族と話し合えば、戦を避けられるかもしれないだに」
その言葉にうなずいている者もいたが、それ以上に怒りを露わにする者が多かった。
「人族との話し合いなど無駄だ。あいつらは我らを対等な存在だとは思っていないからな!」
「そうだそうだ! 1戦して大損害を与えてからならまだしも、最初から下手に出れば、奴らは付け上がるだけだ」
「そのとおり。奴らは平気で約束を破るからな。そんな話し合いなど、最初からしない方がマシだ」
その勢いに、ヨサクら和平派もタジタジである。
しかし、完全に外交手段を捨て去るなんてのも論外だ。
俺は横に座っているヨシツネに目線で合図した。
「静まれいっ! タツマ様からお言葉がある!」
彼の一喝で場が静かになった。
「ありがとう、ヨシツネ……コホン。みんなの気持ちも分かるけど、外交を放棄することには賛成できない」
「しかし――」
「静まれいっ!」
また騒ごうとする過激派を、ヨシツネが再び一喝する。
「さすがに俺も、敵が交渉に乗ってくるとは考えてない。でも物事には順序ってものがあって、敵の侵略に抗議したかどうかってのも、後々重要になるんだ。なので、敵国には抗議文を送りつけよう」
「しかしそんなことをしても、奴らは受け取らんでしょう。下手をすれば、使者を殺されるだけになるかもしれませんぞ」
イットウサイが冷静に指摘する。
「うん、そうなる可能性は高いと思う。だからまずは、矢文という形で抗議文を送っておく。それだけだと黙殺されるだろうから、さらにオワリ国に仲介を頼むつもりだ」
「オワリ、ですか? しかし、協力してくれましょうか?」
「オワリは少数民族を迫害しない貴重な国だからね。それに昨年の戦争で恩を売ってある。今後の連携も匂わせれば、協力してくれる可能性は高いと思うよ」
これはすでにウンケイやハンゾウ、外務大臣とも相談してあることだ。
去年のオワリ戦役で加勢したおかげで、俺はノブナガに気に入られている。
今ではたまに国主邸に招かれることもあるほどだ。
なので彼に会談を申しこみ、事情を打ち明けて仲介を依頼する予定だ。
この外交政策を聞いたヨサクたちは安堵したものの、一部の過激派は不満顔だ。
あちらを立てれば、こちらが立たずか。
まったく面倒な話だ。
俺は内心でため息を吐きつつも、さらに言葉を重ねる。
「もちろん、これぐらいで敵が引き下がるとは思ってない。まずは敵に打撃を与え、停戦に持ちこむのが基本方針になるだろう。ただ、戦争を始めるなら、どうやって終わらせるかも考えておかねばならない。そのためにはあらゆる手段を用いるつもりだ。みんなも一丸となって、協力して欲しい」
この言葉に表立った反論はなく、会議は閉会となった。
やがてほとんどの者が去った部屋に、ごく一部の者だけが残る。
「思ったよりは、混乱が少なかったですかね」
「ああ、表面的にはそれほど危機でもないからな」
「問題は鬼神の存在と、内部ですね?」
「うん、今日の会議でも意見の食い違いは見えたしね。それと、シュテンの手の者も入りこんでるだろう?」
「まず入っているでしょうね。その辺のあぶり出しと、オワリ国との外交が当面の課題でしょうか」
「うん、その方向で頼むよ」
さて、この国が生き残れるかどうかは、これからの動きに掛かっている。
俺も一層、気合を入れなきゃな。