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 病院を出た私に、初めてこの星に来た時と同じ爽やかな風が吹いた。

 だが爽やかなのは風がそうであるだけだった。

 今の私には、それが心地よいだとか新鮮だなんて浸る気力もない。


 とにかくこの場所を離れ、どこかで考える時間が欲しい。

 明らかに異常なこの精神状態を元に戻す必要がある。

 そう考えることで、私はまだ辛うじて正常なのだと自らに言い聞かせた。




 病院の前には何台かのタクシーが停まっている。

 その中に見慣れた黒塗りのタクシーを見つけ、私は咄嗟に視線を逸らした。

「帰りは来なくても良いって言ったのに……」


 気づかぬふりをして、適当に白色の車体のものへ乗り込む。

「どちらまで?」

 運転手が尋ねてきた。


 素っ気ない声に、私は少し安心する。

 もしあの黒塗りのタクシーに乗り込み、『どうでした?』なんて聞かれたりしたら、私は感情を抑えきれずヒステリーを起こしてしまうに違いない。

 善意も悪意も、爆発しそうな今の私には等しく不快だ。


「街のほうへ。どこか落ち着いて食事でもできるお店までお願い」

 返事はなく、車は走り出す。


 遠ざかっていく病院が、私の胸に押しつぶされそうなほどの不安を募らせていく。

 大丈夫、まだ希望はある。

 私ならやれるわ。

 今までどんなことだって乗り越えてきたんだもの。




 車の窓から見える景色は、殺風景な広野からやがて建物がいくつか目につくようになってきた。

 辺りはすっかり高いビルに囲まれた賑やかな街並みに変わる。

 中心街に入ったらしい。

 道行く者たちは、見ればそのほとんどが地球人であることが分かる。

 ソルム人の姿は見つけることが出来ない。

 彼らはこの町で暮らすことを許されていないのだろうか。


 タクシーはしばらく大通りを進んだところで左折し、比較的静かな脇道へ入った。

「どこへ向かっているの」

「……もうじき到着いたします」

 何かを誤魔化すにしても強引な、粗末な返事が返された。

 次第に人の姿も見えなくなり、道はより狭く、昼間だというのに薄暗くなってきた。


「ねえ、どこへ向かっているの?」

「……」

 とうとう何も答えない運転手に、微弱に感じていた危機感が一気に湧き上がる。

 もう一度外に人の姿を探すが、たまに見つけるのはボロボロの服を着て道端に座り込んでいるような浮浪者ばかりだ。

「ねえ! こんな所に本当に…」

「着きました」

 私の言葉を遮り、運転手は車を停めた。


 そこには乱雑な街並みに溶け込むような、薄汚れた店があった。

『バル』

 店の看板にはそう書いてある。

 酒場。

 とても落ち着いて食事が出来るとは思えない。


「申し訳ないんだけど、大通りに戻って別の店を探してくれないかしら」

「……」

「ちょっと」

「入り口は階段を下りてすぐです」

 タクシーのドアが開かれた。


 どういう訳か、私の言い分は聞き入れてもらえないようだ。

 いつもならこんな運転手、怒鳴りつけてやるところだが、今はそんな気になれない。

 店に入り、もう一度別のタクシーを呼んでもらうしかない。

 私は金を払い車を下りた。


 運転手に言われた通り、暗く冷えた階段から店の入り口へ向かう。

 その先には当然のように汚れている一つのドアがあり、私はそのノブを恐る恐る引いた。

 途端、凄まじい喧騒と鼻をつまみたくなるようなアルコールの匂いが私を襲う。


 外からは想像もできないほど広い店内は沢山の地球人で賑わっていた。

 しかしこの場に居る誰もが、お世辞にも清潔感があるとは言えないような見た目をしている。

 人を外見で判断することは好きではないが、そんな私のポリシーを軽々と覆す程には、彼等には説得力があった。

 明らかに場違いな私は客たちの視線を受けながら店内を進み、丁度空いていた一番奥のテーブルに着く。


「注文は?」

 髭面で体格のいい店員が傍までやってきて私に尋ねた。

「タクシーを呼んで欲しいの」

「こんな所にタクシーなんざ来るかよ。それより何飲むんだ」

「でも、ここまで来るのに私は…」

「早くしな」

「……紅茶で良いわ」


 困った。

 歩いて街へ戻るにも、外は危険すぎる。

 道中に安心して眠れるような場所も見当たらなかった。

「そんな洒落たもんウチには無え。適当に持って来るぜ」

 店員はそう言い残して店の奥へ消えた。

 取り残された私は引き留めることも出来ず、ただテーブルの傷を眺めながら待った。



「はいよ」

 何を考えるでもなく呆けたように座っていた私の前に、琥珀色の液体が注がれたグラスが置かれた。

 僅かに滴を零し、大きく揺れるそれから視線を移した時、店員は既に店の奥へ戻っていた。


 私は目の前の酒を手に取り、ほんの少し口に含む。

 強い酒だ。

 バーボンに似ているが、もっと癖がある。

 しかし不思議なことに、アルコールの熱さが喉から胃へ、そして全身へスムーズに広がっていくような心地よさを感じる。

 私はさらにもう一口その酒を口に含み、飲み込んだ。


 あの人はこんな私を見てなんて言うだろう。

 突き付けられた困難から目を逸らし、酒なんかに逃げてしまっている。

 逃げる、とは少し違うだろうか。

 そもそも私には逃げ道など無い。

 あの人を救い出せるか、もしくは失敗するか。その二つだけだ。


 失敗すれば私は何者かに殺されてしまうかもしれない。

 ケムリ医師のように。

 それならば、どうやってあの人を救い出せば良いというのか。

 カスミ院長が私に伝えたことは、むしろ私を混乱させた。

 


 まず生命維持装置を使うには、あの人の脳を移植するための身体が要る。

 病院から遺体を調達することは出来ないし、そもそも目立った行動は控えないといけないから手術自体を飛行船で行う必要があるだろう。

 身体はあらかじめ飛行船に用意しておかなくてはならない。


 それならあの人の脳をデータ化することに賭けるか。

 記憶が完全でなくても、またあの人と話をすることだけを望むならそうするべきだと思う。

 しかしカスミ院長はあの人の人格が破損しかねないという危険性を仄めかしたのだ。

 壊れたAIと化したあの人を、今度こそ私はあの人として受け止めることが出来るだろうか。

 私が選ぶべき答えは。


「……身体を調達するのは、病院の外でなくてはならないわ」


 正解などない。

 私が選び目的が達成されたとき、はじめてそれが正解となるのだ。


 ケムリ医師は私がこうすることを知っていたのだろうか。

 自分を捨て、ただあの人のために生きてきた私なら、関係のない誰かを犠牲にすることが出来ると。


 有難いことにこの星にはたくさんの命で溢れている。

 医者として、ソルム人として口に出せなかったあなたのメッセージ。

 ケムリ医師、私にならそれを実行できるわ。

 とうに何者でもなくなってしまった私にならば。

読んで頂きありがとうございます。

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