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目が覚めると酷く汗を掻いていたので、すぐにバスルームへ向かった。
熱めのシャワーを浴びながら、私はしばらく立ち尽くす。
夢の中で聞いたあの人の悲痛な叫びが、耳鳴りのようにいつまでも耳にこびりついている。
悪夢だった。
目を背けたい現実ほど、どういう訳かより鮮明に眠りの中で襲い来るものだ。
不安や恐怖は、いつだって私の頭の中で何よりも大きく存在する。
しかし、あれは果たして現実を表したものだろうか。
あれこそ、あの人が今も感じている苦しみだというのか?
分からない。
考えたところで今の私には答えなんて出せないし、何かが出来るわけでもない。
だが希望はある。
ケムリ医師の言葉を信じるしかない。
あの巨大な飛行船。
どんな目的で造られたものかは不明だが、あれを使えば救うことが出来る。あの人を。
確かにそう言ったのだ。
そのためには、飛行船の所有者である院長に会わなくてはならない。
どんな手段を用いようとも、私に協力してもらう。
私は蛇口を固く締め、バスルームを後にした。
ホテルの前には既にタクシーが停まっていた。
傍まで行くとドアが開いたので、私はその黒塗りの車へ乗り込む。
このタクシーに乗るのはこれで三回目だ。
「おはようございます。どうです、よく眠れましたか?」
シートに座るや否や、やはり運転手が話しかけてきた。
こういった『他愛のない会話』は嫌いだ。
私が快眠できたとして、それを報告して何になるのか。
それ以前に、昨夜は最悪の眠りだったのだ。
「……うなされたわ」
「はは、やはりこういうホテルは合いませんでしたか」
運転手は笑い飛ばし、車を走らせた。
「夢に彼氏さんでも出てきましたか」
窓から遠くの景色を眺めていたところに、運転手の質問が飛んできた。
朝はなるべくそっとしておいてほしいのだが、まあいい。
もとよりこの男が黙って運転してくれるなどとは思っていない。
「うなされたって言ったでしょ」
「大きな不安ってのは夢に出てきてしまうもんです。あなたが抱えている不安がどんな事かなんて、昨日お話ししただけでなんとなく予想がつきますよ」
「言ってみなさいよ。私がどんなことに頭を悩ませているのか」
運転手のさも私を良く知っているかのような物言いが、たびたび私の神経を逆撫でする。
腹を立てた私は、そんな事を言ってつい彼の話に乗ってしまうのだった。
「そうですねぇ。彼氏さんの病状について、ですか? いやすみません、お客さんを元気づけようと思ったのですが、こういうのは良くないですね」
「ねぇ、私をからかってそんなに楽しいかしら」
「いえ、だからそういう訳じゃ……」
「もう話しかけないで。病院まで黙って運転して」
あんな夢を見たせいだろうか、今日はいつにも増して心穏やかでいられない。
根本的にこの運転手とは合わないのかもしれない。
確かに私を心配してくれているのだろう。
でも本当に私を理解出来るのはこんな赤の他人なんかじゃなく、私自身ともう一人、あの人だけなのだ。
薄っぺらい慰めなど、私は必要としていない。
「着きましたよ」
マグナ病院に着くと、私に言われたようにそれまで黙っていた運転手は告げた。
「ありがとう」
「お帰りは……」
「別のタクシーを適当に見つけるわ」
私は運転手にそれだけ伝えて車を降りた。
昨日と同じように正面の入り口から病院へ入り、受付へ向かう。
私の姿を認めた受付嬢が少しだけ姿勢を正し、今日も美しい3つの瞳で迎える。
「面会ですね」
「ええ」
「少々お待ちください。すぐに案内の者が参りますので」
私は短いやり取りを終え、恐らく来るであろうケムリ医師を待った。
昨日と違い、彼に案内してもらうのはあの人のいる病室ではない。
それは受付嬢も知っているに違いない。
知っていても、私が院長と会うことを表沙汰にしようとしないのだ。
この病院を、さらにはこの星を取り巻く陰謀の最中に、私は既に巻き込まれているのだろう。
構うことはない。
この星に巣食う地球人が欲しているあの人の秘密。
その手掛かりを私から探りたいと言うのなら、表面上は協力してやる。
しかし最後には何もかもが無意味だったと気付く筈。
あの人が生きてさえいれば良いなんて、私はそんな甘ったるいことは考えていないのよ。
「お待たせ致しました」
意外と早くやって来た案内者はケムリ医師ではなく、彼よりもやや若めの男だった。
この男も白衣を着ており、また目が3つあることから、ソルム人の医者であることが見て取れる。
そもそも、この病院にはソルム人以外の医者はいるのだろうか。
「参りましょう」
医者はケムリ医師と比べると、言葉遣いだけではなく立ち振る舞いからもしっかりしている印象を受ける。
別にケムリ医師のことを貶しているわけではない。
なんだかよく教育されているというか、さらに言えばよく躾がされたような、そんな異様な堅苦しさをこの医者からは感じる。
「ええ」
私の返事を聞くと、医者は白衣を翻しエレベーターの方へ歩き出した。
昨日と同様、私もそれに付いて行く。
エレベーターに入った後、医者が押したのは20階のボタンだった。
そこが院長室のある階層らしい。
微かな浮遊感と共に稼働音だけが響く中、私は耐えきれずに尋ねた。
「今日の案内役はケムリ医師ではないのね」
すると医者は僅かにこちらを振り向いたのだが、すぐに扉へと視線を戻した。
「……はい」
医者は答えた。
それ以上の会話は無く、私達を乗せたエレベーターは静かに上昇していく。
「どうぞお入りください」
エレベーターを降りてすぐ、目の前にある両開きの扉の前で医者は私に言った。
「あなたは入らないのね」
「ええ、私はただの案内役ですから」
粛々と頭を下げる医者に、私は少しの寒気を感じた。
飼い慣らされた奴隷。
それとも、ソルム人の中でもとてつもなく腰が低いだけか。
どちらにせよ私は誰かに敬われるような人間ではない。
「そう。ご苦労様」
私はそう言って扉に手を掛けるが、そこから動き出せない。
進むしかないのだが、ここに来てまた恐怖心が湧いて出てきたのだ。
この先でまた、私の知らない真実を告げられたとしたら……。
いや、十中八九、私はこれからあの人に関する凄惨な現実を突き付けられるだろう。
その上で、全てを受け止めなくてはならない。
なぜなら私は、あの人を苦しめる何もかもを排除し救い出さないといけないから。
それなのに。
「大丈夫、全部上手くいきますよ」
空耳だったのだろうか、囁くような声はまだ頭を下げたままの医者が放ったものかは分からなかった。
しかしその通りだ。
全てが上手くいく保証はない。
それでも私が進まなくては、あの人が救われることなんて絶対にありえない。
「……当然でしょ」
扉を開けた私を、医者はなおも頭を下げ見送った。
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