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 当然ながらカエルムの空には月が無い。

 それだけに、星の光はより眩く夜の闇を飾っていた。

「……この星空をあなたと一緒に見たかったわ」

 誰もいない屋上で、私は呟いた。


 ケムリ医師がいなくなってからだいぶ時間が経ってしまった。

 だが私は未だにこの場所から動けずにいる。

 どこへ行けばいいのか分からないのだ。

 私の目的地はここだったから。

 あの人と会って、たくさん話して、優しく微笑む彼の笑顔を見て…。

 そうする筈だったから。


「寒いわ……」

 冷たい風が、私が独りであることを分からせるように強く吹いた。

 流れる自分の髪を見ていると、全ての希望が攫われていってしまうような感覚に陥る。

 だがそんなのは夜が誘うセンチメンタルに過ぎない。

 涙も流さない。

 私は風を背に受けながら屋上を後にした。





「お待ちください」

 エントランスから外へ出ようとした私を、受付が相変わらず落ち着き払った声で引き留めた。

「…何かしら」

 ケムリ医師の忠告が脳裏をよぎり少しだけ身構えたが、私はそれを悟られないように彼女の元へ向かう。


「明日も面会ということでケムリ医師からは伝えられております。その際はこちらの整理券をお持ち下さい」

 受付が差し出してきたのは、少し厚みのある小さなカードだった。

 数字の5が刻まれた透明なカード。


 数字。

 地球の文字。

 透明であるから、中になにか仕込まれているようには見えない。

 しかし、それら全てが私を安心させるために作られたように思えてしまう。


「今日はそんなもの必要なかったじゃない」

「ここには日に大勢の面会希望者が訪れますから、本来はこのようにしていただいております」

「案内が遅くなっても別に構わないわ。話が通っているのならそれで十分よ」

 私は番号札を受け取らず、そのまま出口へ向かった。

 もし深読みしすぎているとしたら申し訳ない事をしたことになるが、用心に越したことはない。


 ケムリ医師のことを信用しているわけではないが、この病院ではどんな物も受け取らないほうが良いという彼の言葉は、なんだか妙に説得力があったのだ。





 帰りのことを考えていなかった。

 と言ってもこの星に私が帰る場所なんてないのだが。


 まだタクシーはつかまるだろうか。

 微塵の危機感を覚えるが、それは目に留まった一台の車が瞬時に消し去ってくれた。

 代わりにうっすらとした嫌悪感が去来する。


 闇に溶けそうな真っ黒な車体。

 病院の前で待っていたのは、ここまで来るのに使ったのと同じタクシーだった。

 またあの運転手の話し相手を務めなくてはいけないらしい。


「随分と遅かったじゃないですか」

 私が乗り込むと、運転手はさっそく馴れ馴れしく喋りかけて来た。

「わざわざ待っていたの?」

「まさか。ここにいれば誰かお客さんがつかまると思いましてね」

「こんな時間に? まあ良いわ」

「どちらまで?」

 運転手は私との会話もそこそこに、タクシードライバーらしいことを尋ねてきた。


「泊るところを決めていないの。どこかよさげなホテルまでお願い」

「特に予定も立てずにこんな星まで来たんですか?」

 その質問からは若干の茶化すような空気を感じた。

 本当に馴れ馴れしい運転手だ。

 あなたにとって私はこんな夜中に獲得した貴重な客の筈なんだから、もっと丁寧な接客をしたらどうなの。


「…いいから、どこか安全で清潔なホテルまで送って。お金はいくらでもあるからどこでも構わないわ」

「言ってみたいですね、そんなセリフ」

「はやくして」

「畏まりました」

 運転手はそう言ってようやく車を走らせた。

 疲れを感じ、私はシートに体を深くうずめる。


「どうでした?」

 と運転手。

 少しは客の事情を察して欲しい。

 私は今休みたいのだ。


「なにが」

「最愛の彼との再会は」

「……私が誰と会ったかなんて、あなたに言ったかしら」

「おや当たりですか。喜んだでしょう、こんな遠くまで会いに来てくれたんですから」

「さあね」

「さあね?」

「……」


 私がこの星までやって来たことに関して、あの人が喜んでくれたかどうかなんて分からない。

 脳だけの彼が何を考えているか、確認のしようがないからだ。

 私に言えることは、ただあの人と会ったということだけ。

 つまりは何も知らない。


「お客さんの彼が羨ましいですよ」

「……」

「私も地球に妻を残してきたんですがね、仕事があると聞いてこんな星まで来てみたらタクシーの運転手ですって。最初こそ頑張ろうと思いましたよ。でも流石に寂しい。今では妻に会いたくてしょうがないんです」

「奥さんもそう思ってくれていると良いわね」

「きっと思ってますとも、私たちは永遠の愛を誓い合った仲なんですから」

 私の意地悪に、運転手は真っ直ぐに答えた。


 彼と違って、私は自分に自信を持つことが出来なかった。

 あの人の気持ちが離れてしまったのではないかと不安で仕方がなかった。

 だから確かめに来たというのに、それすら叶わないなんて。


「たぶんお客さんの彼は無口なんでしょうね。素直に気持ちを口に出したりしないんでしょう」

「……そうだったかしら」

「きっと、いや絶対に嬉しかったと思いますよ」

「そんなの……。やっぱり分からないわよ」

 会話は堂々巡りになるかと思われたがそこで話は途切れ、車内は静寂に包まれた。

 急に心が冷えていくような感覚がして、不覚にも運転手が何か話をしてくれないだろうかとさえ考えてしまう。


 車の窓からは、街の光が遠くに見える。

 私は夜景を見ても、それを綺麗だと思ったことはない。

 カエルムの夜景はなおさら、むしろそのエゴに満ちた輝きに憎しみすら覚える。

 あの人を苦しめる街の光。

 彼は今でも……。


「あのね、あの人は……」

 自分でも気付かずに零れた言葉を、私は慌てて塞き止めた。

「なんです?」

「いいえ、何でもないわ」


 赤の他人に弱音を吐くなんてどうかしている。

 私は目を閉じ、全ての思考を止めた。






「着きましたよ」

 運転手に起こされると、突き刺すように眩い光が視界に飛び込んできた。

 毒々しくカラフルな輝きに目を凝らし、どうやらそれがホテルの看板であるということが分かった。


『ホテル・スターライト』


 わざとらしい程に何もかも俗っぽいその建物は、私が想像していたような格式ばったホテルとは明らかに異なる。

「着きましたよ」

 運転手がもう一度告げる。

「ふざけないで」

 私は吐き捨て、バックミラーに映る運転手を睨みつけた。


「なんのことでしょう」

「なんのことって、一から説明してあげましょうか。あのね、ここは所謂ラブホテルという場所なの。そして私はこんな所に泊まる気はないのよ。それとも、私とちょっと話しただけで仲良くなったとでも勘違いして、万に一つのチャンスを掴んだなんて思ってる訳じゃないわよね」

「落ち着いて下さいよ」

 相変わらず呑気な声で運転手は言い、こちらを振り返った。

 そこで私は、運転手が思ったよりずっと若々しい見た目をしていることに気付いた。


「お客さんは安全で清潔なホテルまで送るように言いました。そうですよね?」

「それがどうしてこんな事になるのよ」

「良いですか、カエルムはまだ発展途上で治安の維持も成されていない。危険なんです、特に街は」

 そう言われて私は窓から周囲を眺めた。


 目の前のホテル以外に、建物らしきものは見当たらない。

 あとはひたすらに真っ直ぐな道路が伸びているだけの殺風景な荒野に、私たちは居た。


「お客さんのように騙されやすい人間は、街へ行けばきっと何かしらの面倒ごとに巻き込まれてしまうでしょう。面倒ごと程度ならまだいい、もっと危険な命に関わるような事件に遭うことだって十分に考えられるのです」

「さぞ私のことを分かっているかのような物言いじゃない」

「何も言わず私の言うことを聞いて下さい。ここは自動精算だからぼったくられるなんてこともないし、オートロックだから安心です。部屋の清掃だってしっかりされているから、衛生面でも大きな問題はありません。部屋の外へ出さえしなければ、一番安全なホテルなんです」

「……ここ以外に無いわけ?」

「そうです」

 私を見る運転手が目に力を込めて答えた。

 嘘は吐いていない、と思う。


 不安は残るが、それよりも早く横になって眠りたいという気持ちが大きい。

 今日はいろんなことがあり過ぎた。

「分かった、ここで良いわ。明日も病院までお願いできるかしら」

「ええ、喜んで。明日の朝、こちらまでお迎えに上がります」

「どうも」

 私は運転手に礼を言ってタクシーを降りた。

「いいですか、部屋に入ったら外へ出ては駄目ですよ」

 最後の忠告を背に、私はホテルへ入った。

 




 適当な空き部屋へ入り、私は中央に置かれた円形のベッドに倒れ込んだ。

 シーツから何かを隠すように甘い香りが漂う。

 ベッド横の壁に取り付けられた大きな鏡には私の姿が映っている。

 ひどい顔だ。

 あの人と会うために整えた化粧もすっかり崩れてしまった。

 


 彼に癒して欲しかった。

 限りないあの人の優しさで、何もかも包んで欲しかった。

 こんな遠い星で独りの私を。


「どうして……」

 言葉に出来ない侘しさに、私はただ涙を流した。

読んで頂きありがとうございます。

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