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 あの人との面会を終えた私は屋上へ行くことにした。

 特に理由はない。

 なんとなく外の風に触れたいと思ったのだ。


 屋上へ向かうエレベータ―の中で、あの人へ次はいつ面会へ来るのかを伝え忘れたことを思い出した。

 まあいい、帰る日程なんて決めていないし、当分はこの星にいる予定だ。あの人に会おうと思えばいつだって会える筈。

 そもそもあの人から私からの問いに対する答えを聞くまでは帰るつもりなんてない。


 エレベーターは屋上の一つ下の階で停まった。

 ここからは階段を上る必要がある。

 私はエレベーターを降り、目の前の短い階段に踏み出した。

 やがて辿り着いた扉を開けると、強烈な風が吹き込んできたと同時に眩い茜色の光が私の目を眩ませた。


 もうじき夜が来てしまう。

 この星では、地球よりも一日が6時間ほど短いということを忘れていた。

 目を細め屋上を見渡すが、やはりここも規格外に広いということが分かった。

 私が生まれた国の、最も大きな空港くらいか、もしかしたらそれ以上の大きさかもしれない。


 少し離れたところに中型の輸送車が停めてある。

 恐らく飛行機で搬送された急患を運ぶためのものだろう。

 その証拠に、ここには何機ものエアクラフトが待機している。

 中でも一際目を引くのは、一番奥の病棟にある地球の空母を想わせるように巨大な飛行船だ。

 扁球体のそれは一切の突起を排除したスマートな造形をしており、それでいて遠くからでも伝わる圧倒的な存在感を放っている。

 一体どんな目的で使用されるのだろう。

 あれほど巨大では緊急時には向かない筈だ。


「あれが気になりますか?」

 背後から聞こえた声に私は振り向くと、そこにはケムリ医師が白衣を風になびかせ立っていた。

 僅かな不快感を押し隠し、私は彼と向き合う。

「私の後を付いて来たわけじゃないわよね」

「脳だけの患者に『何とか言え』だなんて、あなたもなかなか酷い人だ」

 私の問いかけを無視して、ケムリ医師は口元に笑みを浮かべながら言った。


「盗み聞きなんて随分じゃない。どこから聞いていたの? 部屋の扉はしっかり閉められていたはずよね」

 私は扉にぴったりと耳をくっつけるケムリ医師の様を想像し、若干の寒気を感じた。

「あの病室では全てが筒抜けなのです。あなたが屋上に来てくれて良かった。こうして事情を説明できるのですから」

「どういう事かしら。何を言っているのか、まるで分からないのだけど」

「ハハ」

「早く続けて」

「何から言うべきか…。とりあえず申し訳ない、と。次に、彼についてあなたに教えましょうか」

 ケムリ医師はそこで言葉を切り、景色の良く見えるフェンスのそばまで歩いた。

 私もそれに付いて行く。

 ここで帰るなんて選択肢は無い。


 フェンスを目の前にしたケムリ医師は、もう半分以上も沈んだ光をまっすぐ見つめた。

 私はそれを少し離れたところから見ていた。

 この星は本当に地球そっくりだ。

 我々を照らすあの夕陽でさえ。

 しかしあれは太陽なんかではない。

 それは分かっているのだが、私はどうしても地球を離れた遠い場所に居るという実感が持てなかった。


「レミリ星の軍事基地がテロに遭ったというニュースは知っていますか」

 レミリ星。

 その星の住民は好戦的なことで知られ、彼らと外交を行う際は常に神経質でなくてはならないというのが常識だ。


 唐突に投げかけられた問いに、今回は『またこんな感じね』なんて思わなかった。

 きっとそのことが、あの人と何かしらの関係があるからだ。

 だから私は答えた。

「もちろん。レミリ星はこの辺の宇宙では最も軍事に秀でた星の一つよ。それが襲撃されたんだもの、恐らくここ最近では一番の注目すべきニュースだわ」

「それについて、どこまでご存知かな」

「『被害は甚大』、とだけ」

「そうでしょう」

 それは明らかに、全てとは言わないが我々一般人が知り得ない情報を知っているというような物言いだった。

 あの人のことも、ケムリ医師はやはり知っているのだろう。


「ゆっくりでいいからお願い、知っていることを教えて」

「当然お教えしますよ。あなたになら、いや、あなたにしかこれは話せない」

 いつだって回りくどいその言葉は、今回ばかりは急かす必要が無いように思えた。


 なんとなく分かってきた。

 ケムリ医師はこちらの意思を無視してはおらず、僅かに掠める程度の返答をしてくる。

 それが彼のこれまでの人生で獲得した癖なのかは知らない。

 そんなことは重要ではない。

 これから語られるであろう、あの人に関する真実にこそ、私は耳を傾けるべきなのだ。


「一から、すべてお願い」

「単刀直入にお伝えすると、レミリ星のテロは彼がやったことなのです」

「あの人がテロリストの一員だったって言うの?」

「そうじゃない。正確には」

 そう言ってケムリ医師はフェンスから私のほうへ向き直り、少しだけ目に力を込めた。

 心なしか、それは何かしらの覚悟を決めるような、後ろめたさを残す表情だった。


 私はただ次の言葉を待った。

 ケムリ医師の都合など、どうでも良い。

 あの人以外の事なんて。

 早く続きを。


「レミリ星の軍事基地で起こったテロ、それは全て彼が一人で行ったことだと言ったら、あなたは信じますか?」

「……私が信じるか否か、それは問題ではないわ。真実であれば」

「私は嘘は吐かない」

「…そう」

 今、私はちゃんと無表情で居られているだろうか。

 愛しのあの人が突然に姿を消してしまったと思えば、それが宇宙を騒がすテロ事件を起こすためだったというのだ。

 誰にでも優しい彼が(私に対しては特に)誰かを傷つけるために全てを捨て去って地球を離れたというの?

 そんなの…。


「そんなの嘘だわ」

「言ったでしょう、嘘ではないと。彼は一人、宇宙遊泳用のポッドを改造した機体に乗りレミリ星の軍事基地へ向かったのです。可能な限りの武装を積んでね」

「なぜそんなことが分かるの? あの人がこの病院に運ばれた時、口なんて利ける状態ではなかったんでしょう?」

「ここからは、ああ…。本当に申し訳ないと思っている。でも、ここまで話してしまったら全てを伝えなくてはなるまい。いいですか、これから先が本題なのです」

 ケムリ医師は辛そうに顔を背けた。


 彼の背後では僅かに頭を出した夕陽が空を淡く染めている。

 薄暗い屋上には、私たちのほかには誰もいない。

 正直、私はここから逃げ出したかった。

 ただでさえ理解が追いついていないというのに、ケムリ医師はこれ以上何を告げようとしているのだろうか。


 怖い。

 どんな事実でも、あの人の全部を受け止めると覚悟したつもりだった。

 その覚悟が、鈍りそうになる。

 私の知らない彼を知ることが、こんなにも恐ろしい事だなんて思わなかった。


 …だが逃げたりはしない。

 私のあの人を想う気持ちに限界なんて存在しない。

 どんなに酷い真実だって、受け止めてみせる。

 そのためにここまで来たのだから。


「……続けて」

 私は改めてケムリ医師に視線を送り、話の続きを促した。

 待っていてくれたのだろうか、彼はゆっくりと口を開いた。


「脳だけになった彼に施されているのは、延命措置だけではない。それは…、投薬や通電を用いた記憶のサルベージです。それによって彼が軍事基地で行ったことの一部が明らかになった」

「通電……?」

「あなたが薄々勘付いている通りです。それは……拷問に近い」

 ケムリ医師はそう言って眉間に皺を寄せ、まるで自身が苦痛を感じているかのような表情を浮かべた。


 いや、確かに苦しんでいるのだろう。

 彼はこの話をすることに苦痛を感じている。

 それでもなお私に伝えなくてはいけない、何か特別な理由があるに違いない。

「なぜそんなことを」

「本来、脳からの記憶の抽出は容易だ。だが彼に関してはそうもいかなかった。脳だけになってもなお、彼は基地で起こったことを我々に知られることを拒んだのです。これは説明のしようがない、ひとえに彼の強靭な精神力というほか…」

「あなた達はそもそも…」

「そう、そもそもなぜ我々は彼の記憶を欲するのか。これだけは言わせて欲しい、彼の脳を好き勝手に痛めつけているのは、我々の意思ではないと」

「そんなことはどうでもいいの」

 私はケムリ医師の言葉を遮った。


 これから告げられるどんなことも、私を癒すことは無い。

 それでも、じわりじわりと締め付けられる胸の痛みに耐えかねて、私は堪らず彼を急かしてしまう。

「この星はまだ発展途上です。そしてこの星の開拓に携わった大部分が他でもない、あなた方地球人だ。言葉は悪いがあなた達はこの星を牛耳っている。そしてここを一つの国として独立させようとしているのです。まだ完成されていない力のない国、他の星に関する重要な機密なら手に入れておきたい筈でしょう。そのためにたった一人の犠牲で済むのなら、拷問くらい容易く行われるでしょう」

 ケムリ医師は言った。

 それはひどく悲痛な表情で。


 この短時間で、彼に対する印象は大きく変わった。

 彼は決して他人に興味が無い訳ではない。

 こうして患者に対して心を痛めることができる、立派な医者だ。

 それを敢えて表に出さないだけなのだ。

 彼の目元で煌めく、微かな光がそれを証明している。


「つまり、あの人に対する拷問は、地球人の命令でしているという事ね…。あなた達は、彼の記憶をどこまで覗いたの?」

「彼から得られた情報はほんの僅かだ。レミリ星へ向かう途中の情景、瀕死の状態で脱出する際のポッド内の風景。それと……、あなただった」

「私?」

「そう、私は考えるのです。彼はなぜ一人で戦うことを決意したのかを。彼はきっとそうせざるを得ないような、ただならぬ情報を知ってしまった。何を置いても、一つの星に反逆しなくてはならない、そんな理由が彼にはあったのです」

「それって…」

「そこまでは我々に読み取ることは出来なかった。だが普通に考えれば、彼のやったことは自殺行為です。それでも生きて帰った。恐らく、彼自身も死ぬ覚悟でレミリ星へ向かったに違いないでしょう。ですが、とにかく彼は土壇場で生きることを選んだのです」

「それにどんな意味が?」

「恐らくあなたがそうであって欲しいと思っている通り、彼は命が尽きるその際に、あなたともう一度生きることを望んだのです。それは、我々が彼の脳からサルベージした僅かな記憶のほとんどがあなたで占められていたことからも説明できる。彼は結局、全てを捨て去ることが出来なかった」

 装飾されていないまっさらな真実とは言えなくても、私はその言葉を信じたかった。

 それこそがあの人から聞きたかったことだからだ。

 たとえ遠く離れていても、あの人は私のことを想っていると、そう信じていたかった。


「ありがとう、だいたいは分かったわ。でも、どうしてこんなことを私に教えてくれたの」

「あなたはどう思っているか分かりませんが、私も医者です。一番に願うのは患者を癒すこと。例え命令されたことでも、生きる事を望む彼を苦しめるなんて本意ではない。本心では、今すぐにでも彼を解放してあげたいのです」

「それが出来ない理由があるということね」

 私は特段深い意味もなく尋ねたのだが、ケムリ医師は口をつぐんでしまった。

 だがまだ伝えたいことはあるようだ。


 彼は険しい表情のまま答えた。

「かつて海を越え新天地に辿りついたあなた方は、そこで暮らす人々に何をしたか。それは御存じでしょう」

「ここはもともとあなた達の星だったの…?」

「このカエルムは…、我々は『ソルム』と呼び続けていましたが、あなた達の暮らす地球と実に似ている。それに地球人とソルム人、その形質だってどういう事か非常に類似している。だが、我々の間には決定的な違いがあるのです」

「目の数、なんてそんな単純なことではないわね」

「ええ。我々にはね、『闘争』という概念が無いのです。故に一切の軍備を持たない。穏やかに時間が流れる平和なこの星では、そんなものは必要が無かったのです。我々ソルム人は、何よりも命を大事にする。侵略行為に対する抵抗でさえも、ソルムに生きる者にとっては生命への侮辱に値します」

「己を守る事さえ、ソルム人には許されないと?」

「すみません、あなたには関係のないことでしたね。でも、あの病室でこれを話すわけにはいかなかった。あそこでは全てが監視、盗聴されている。あなたの発言も、彼の記憶に関する手がかりとして一部始終が記録されるでしょう。ところで、あなたがさっき眺めていたあの飛行船…」

 ケムリ医師は遠くの、あの巨大な船を見た。

 私も同じように、薄暗闇の中でもはっきりと視認できるほどの、その大きな飛行船に目を向ける。

「あれはね、何でもできる船なんです。本当になんでも…」

「なんでも…?」

「ええ。大人数が暮らすことも出来るし、難しい手術でなければ可能です。それに、下手な戦闘機よりも立派な武装が施してあるから、あれ自体での安全な長期宇宙航空も出来る」

「そんなの…」

「そうでしょう、あなたはそんなことには興味なんて無いでしょうね。あなたが気になっているのは、彼を救えるか否か、それだけだ。それも、もちろん可能だ。むしろ、あの船でなければ彼を救うことは出来ない」


 私は、懸命に考えた。

 今までのケムリ医師の言葉、それは全てこのことを伝えるための前置きに過ぎなかったのではないかと。

 ならば、その相手がどうして私なのだろうか。


「あの船でしか出来ないことって?」

「私の口からは言えません。言ってしまえば、私と無関係の者まで危険に晒すことになります」

「だったら私には…、今の私にはそれを聞いてもどうすればいいのか、分からないわ」

「それは違う。あなたは一つの目的に向かって動いているはずだ。何を犠牲にしても、その目的を果たすための強い意志がある。この短時間で、私にはあなたの強さが十分に伝わりました。それに、これからあなたが何をしようとしているのかも」

「…あの船はどうやって動かすの?」

「あの船は院長の所有物だ。あなたなら、院長と会うことは簡単だ。私から手配しておくから、明日も面会という体でここに来ると良い」

 ケムリ医師はそう言って、まるでなんの前振りもなく屋上の出口へ歩き出した。

 動けずにいた私は、その背中をただ目で追うことしかできない。


「あの」

「一つだけ忠告を。この病院から、例えば帰り際に受付から何か渡されても、それを受け取らないほうが良い。もしホテルを予約しているなら、すぐにキャンセルをして他のホテルに泊まるべきだ。さっきも言ったように、あなたは彼の記憶を探る手掛かりとして既に目を付けられている」

 そう言い残し、ケムリ医師は今度こそ私の前から立ち去って行った。


 完全に日も沈んだ暗闇の屋上で、私はしばらくそこにいた。

 何から処理すれば良いのか。


 いつの間にか私とあの人は単なる距離とは別の、幾重もの壁で隔たれているように思えた。

読んで頂きありがとうございます。

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