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「君は酒場で捕まってしまったんだ。ドラッグを吸わされ、意識が薄れたところをね。彼らは君をマグナ病院まで運び、僕にそうしたのと同様に記憶のサルベージを行った」

「そこまでは理解しているわ」

 私は頷き、紅茶を一口飲んだ。


 この香りも味も、全ては視覚情報から引き出された記憶の一部でしかない。

 『紅茶を飲む私』という記憶が創り出したイメージなのだ。


「僕と違うのは、君に関してはそれがサルベージだと気付かなかったことだ。君は外から覗かれていることに気付くことなく、これまでの人生を追体験していたんだよ」

「ゾッとするわ。でも、それなら酒場からこの場所に来られたのは何故なの? あなたの話が本当なら、私は今存在しない記憶の中を生きていることになるわ。それに、この瞬間も外から覗かれているのよね。あなたの存在を知られることは、私にとって自分の記憶を探られるよりも危惧すべきことなのよ」

「すまない、君を助けるためにはこうするしかなかったんだ」

 彼は言って目を伏せた。

 だがすぐに元の力強い瞳で私を見ると、話の続きを始める。


「ここは僕が創り出した特別な場所なんだ。外部からの干渉を受けない、君と二人だけで話すための。実は随分と前から僕は君の記憶の中に入り込んでいたんだよ。でも彼等が見ている以上、君の前に姿を現すことは出来なかった。様々な方法で君との接触を試みながら、僕はようやくこの場所を用意することに成功したんだ」

「それならあの運転手も……」

「あれは君の記憶の中に確かに存在する人物だ。少しだけ彼の姿は借りさせてはもらったけど。そんなことは良いんだ。もうじきこの場所も彼らに勘付かれてしまう。君から僕に関する有用な情報が得られないと分かったら、きっと君は処分されてしまうだろう。ケムリ医師がそうであったように」


 分かってはいたが、ケムリ医師の死は作られた記憶などではなかった。

 彼の死に報いることなく、私は捕らえられてしまったのだから。


「でも、これからどうすれば良いというの?」

「大丈夫、僕が君を起こしてあげる。もう本当に時間が無いんだ。君の記憶のサルベージをここまで進めてしまったのは全て、僕の我儘でしかない。最後に、君とこうして話がしたかった。それだけの理由だ。許して欲しい」

「ちょっと待ってよ、私がこの世界から抜け出したとしてあなたはどうするのよ」

「いいかい、目を覚ましたらすぐに屋上へ向かうんだ。既にカスミ院長が飛行船の中で脱出の準備を済ませている。君はそれに乗って地球へ帰るんだ。この星で起きていることを伝えれば、君は完全な保護のもとで安全に暮らすことが出来る」

 口早な彼の口調が、最後の時間が迫っていることを伝える。


 冗談じゃない。

 あなたをこの星に置き去りにしたまま、私だけ逃げろと言うの?

 そんなこと、誰が望むというのか。

 少なくとも私にとっての幸せはそんな選択の先には存在しない。

 あなただってそうでしょう?


「嫌よ、あなたのいない人生なんて。私はあなたと帰るためにここまで来たのよ。私の幸せはそこにしかないのよ」

「僕のいない人生にだって君の幸せはある」

「それであなたは幸せなの? そんなことを言えるほど、私のことはどうでも良くなってしまったの?」

「違う、それだけは違う!」

「それならどうしてそんな事を言うのよ!」

 バーに互いの声が響く。


 この星に来て何度目になるだろうか、流すまいと決めていた涙が込み上げて来る。

 私はそれを必死に堪えた。

 泣いてしまえば、それは彼との別れを認めることになるからだ。


 想えばこうして激しく言い合ったのなんて初めてだった。

 私のどんな我儘も、彼はいつだって優しく聞いてくれたから。

 だから分かっている。

 私を想っているからこそ、彼はこうして声を荒げるのだと。


「……私は、あなたを諦めたくない」

「君の気持ちは嬉しい。君がこれまで僕のためにたくさんの苦痛を味わって来たことも知っている。でもね、もう苦しむ必要はないんだ。僕はもう助からない。だから君は生きて、僕の分も幸せになって。それだけが、今の僕にとっての願いなんだ」

 彼が笑った。

 それは私がもう一度見たいと望んでいた笑顔ではない。

 涙を流した笑顔なんて、見たくはなかった。


「そろそろお別れだ。いいかい、目覚めたら頑張って飛行船まで走るんだ」

「……嫌よ」

「僕に会いに来てくれてありがとう」


 瞬間、視界は再び歪み始める。

 今度は彼の周囲だけでなく、私以外の全てがぼやけ、形を失っていく。

 やがてそれらは私を残して急速に遠のく。


 小さくなっていく世界の中心に、彼はいる。

 泣いている。

 煌めく一粒の光が零れ落ちた時、彼の口が微かに動いた。


 愛してる。


 その言葉さえ届かぬスピードで、私は覚醒に向かって急浮上していく。

 次第に頭上が明るみ、意識は現実へと近づく。

 そして私は目を覚ました。

 




 天井から照らすライトが眩しい。

 辺りを囲う機械がやかましく鳴り響き、事の異常を伝えている。


 私は顔に取り付けられている人工呼吸器を外し、それを投げ捨てた。

 体を起こし見渡すと、数人のソルム人の医師達が言葉を失ったままこちらを凝視している。


 隣のベッドには、円柱の容器に浮かぶあの人の脳が置かれていた。

 私は彼に微笑み掛けた。

「しばらく会わない間に、随分と嘘が下手になったじゃない」


 あなたが私の幸せを望むなら、私はそうするつもりよ。

 涙なんか流して、私さえ生きていればそれでいいですって。


 見ていて。

 これから私は最高の幸せに向かっていく。

 あなたの願いを叶えるために。

 もちろんあなたと一緒に。


読んで頂きありがとうございます。

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