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タクシーは私を乗せ、暗闇を照らしながら走る。
そのスピードの緩慢さに、私は時折後ろを振り返っては何者かが付けて来てはいないか確かめた。
「大丈夫です。ここを走る車なんて、余程のことが無い限り見かけませんから」
運転手が言った。
その根拠は分からない。
だが未だに落ち着きのない私を安心させようと、彼はそう言ったのだ。
「なぜあんな場所にいたの」
私はまだ心のどこかで運転手を疑っていた。
私の記憶を探ろうとする地球人のもとへ、このまま連れて行く気なのではないかと。
事実、この運転手とは数回タクシーに乗っただけのごく浅い関係でしかなく、どんなに言い繕っても信用するに足る人間とは言えないのだ。
「なんとなくですよ」
「なんとなくでこんな寂れた通りに来る訳ないわ。ねえ、あなたは何を知っているの?」
「私の何を怪しんでいるのか分かりませんけど、私はただのタクシードライバーです。知っている事なんて、この街の道についてだけですよ」
運転手は笑い混じりに答えた。
本当に偶々ここを通っただけなのだろうか。
そんな訳はない。
この道には余程のことが無い限り車は走らない、というのはさっき運転手自身が言ったことだ。
何か理由があって、もっと言えば何かしらの理由で私を乗せるためにこの通りに来たことは分かり切っている。
「今は中心街へ向かっているのよね」
「いえ、中心街へは向かっておりません」
運転手はさも当然のようにそう答え、それを聞いた私に再び緊張が走る。
「ちょっと待ってよ、それならどこへ向かっているの?」
「もうすぐ到着します。何も心配は要りませんよ」
「お願い、ちゃんと答えて」
「バーです」
それは全く予想していない言葉だった。
ようやく追跡の手から逃れたというのに、なぜこれからバーに行かなくてはいけないというのか。
そこにどんな意味があるというのだろう。
「どうしてそんなところに行くのよ」
「そこが終点だからです」
「終点?」
「そうです。大丈夫、あなたが不安に思っているようなことは何もありませんよ」
「何もかも理解できないわ。それにあなたやっぱり、あの人のことを知っているのね」
「行けば分かります。こんな言い方しか出来ず、申し訳ありません。でも信じて下さい。私はお客さんを連れ去ろうとした連中とは無関係です」
「なにも説明してくれないのに、どうやってあなたを信じれば良いというの?」
「……申し訳ありません」
そう言ったのを最後に、運転手は黙り込んでしまった。
冗談じゃない、私はまだ何も知らされていないのと一緒だ。
とりあえずバーに来てくれなんて、そんなの了承できない。
こんなところで引き下がれる訳がない。
「知っているかもしれないけど、私は追われているの。ここから早く出たいのよ。バーに行く理由なんて、私には無いの」
「いいえ、お客さんはそこへ行かなくてはならないのです。そうでなくては、ここから出る事なんて出来ませんから」
「これ以上混乱するようなことを言わないで。頼むから私が納得のいく説明をして」
「すみません」
暖簾に腕押し、どころか返って来るのは意味不明な答えばかりだ。
終点? バーに行かないとここから出られない?
運転手は何を伝えたいというの。
バーには何があるの。
そこには……。
「誰が私を待っているの」
「……流石です。ですがお答えできません。じきに分かる事です」
「いい加減にして。私が今どれほど不安かあなたには分からないでしょうけど、とにかく安全な場所へ行きたいの。私に危害を加える気が無いなら、お願いだから言うことを聞いてよ」
「そこが最も安全なのです。ほら、着きましたよ」
運転手が言うと車は停止した。
話に夢中で気が付かなかったがそこには確かに、暗闇に浮かぶようにぽつんと灯りをともす一軒の店があった。
小さいがどことなく品のあるその店は、薄汚れたこの裏通りでは明らかに場違いで、まるでたった今そこに現れたような不思議な存在感を放っている。
「嫌よ、行きたくないわ」
私は運転手に告げるが、それを無視するようにタクシーのドアが開かれた。
夜の冷たさが車内に流れ込む。
「お降り下さい」
「その理由が無いわ」
「…お客さんが最も大切に想っている方が、バーでお待ちです」
「え……?」
思わず聞き間違いを疑った。
私にとって大切な人なんて、一人しかいない。
あの人が、私を待っている?
「あり得ないわ。だってあの人は……」
「彼と会うことで、あなたの物語はようやく終わりを告げる。あなたはやっと自らの幸せに向かって進めるのです。さあ、もう行ってください。お代は結構ですから」
運転手が何を言っているのか、相変わらず理解が出来ない。
しかしこの先にあの人がいるかもしれない、そう考えるだけで体は無意識に動き出す。
操られるように、私はタクシーを降りていた。
「あなた、何者なの」
「ただのタクシードライバーだって言ったでしょう。それでは、私はこれで失礼します。帰りは必要ないでしょうから」
ドアが閉まる。
タクシーはゆっくりと動き出し、呆然と立つ私から遠ざかっていく。
やがて辺りを照らすのは、バーから洩れる柔らかな光だけだった。
私は引き寄せられるようにその光へ向かう。
あの人が待っている。
それが本当なら、確かにあれは私の辿り着くべき場所だ。
長く追い求めた場所、終点の光へ、私は歩いた。
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