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 あの人の脳を移植するための身体を見つけることは難しくはないだろう。

 むしろ大通りから外れたこの町ならば、誰にも気づかれることなく一つの命を奪うには都合が良いようにも思う。

 問題はどのような手段を用いるかだ。

 非力な私でも実行可能な方法を考えなくてはいけない。


『あなたにとっての救いと、彼にとっての救いは必ずしも合致するわけではない』

 不意に、カスミ院長の言葉が蘇る。

 なぜ、こんなことを思い出したのだろう。

 まだ迷っているというのだろうか。

 私が誰かを殺害することが、あの人を救うことにはならないのではないかと。


「ここまで来て、私はまだ……」

 余計なことを考えまいとグラスに残った酒を飲み干すが、思考は鈍ることなく頭の中でぐるぐると巡る。

 ……人を殺めた私を、あの人は変わらずに愛してくれるだろうか。




「あなた、こんな所に一人でどうしたの?」

 店の騒がしささえ忘れて考え込んでいた私は、その声を聞いてすぐ傍に誰かがいる事に気付いた。

「ここ、よろしいかしら」

 ベージュのスーツを着たその女は言いながら、私の向かいの席へ腰を下ろす。

 若くはないが、年を取っているという風でもない。

 この店の中では最も整った身なりをしているが、私はどうもこの女に不信感を抱いてしまう。

 常に口角を上げた仮面のような笑顔。

 それが私の警戒心を煽るのだ。


「遠くからいらっしゃったの? 何も知らずにこの店に来てしまったんでしょう」

「…誰よあなた。私に構わないで」

「ふふっ」

 邪険に扱う私に、女は優しく微笑みかける。

 その仕草さえ作り物のようで、私は彼女に何か裏があるのではないかと疑ってしまう。

 そうでなくても見知らぬ人間に話しかけられたのだ、誰だって私のような反応を示すに違いない。

「あなた、とても疲れた顔をしているわ。何か悩んでいるんじゃなくて?」

「……放っておいてくれないかしら」

「私達はあなたを助けたいの。どんな事でもいいから話してみて」

「見ず知らずの人間に話す悩みなんて……」

 そう言いかけて、私は口を噤んだ。


 私達、と言っただろうか。

 この女は何かの組織に所属しているのか?

 私に話しかけてきたのは、彼女が何かしらの指令を受け、それを遂行するため?

 女に対する不信感が一気に膨らむ。

「何のために私のところへ来たのよ」

「恐がらないで。私に任せてくれたら全て解決するわ」

 要領を得ない返答に、私の中にあった疑念は未だその正体を現さないまま、さらに大きさだけを増していく。


「ちょっとごめんなさいね」

 女はまたこちらに笑い掛けると、内ポケットから煙草を取り出してオイルライターで火を点けた。

 そしてどこか演技がかった様子で煙を吐き出す。

「ふぅー」


 酷いにおい。

 明らかに地球で売られている煙草とは違う。

 こんな物を、よくそんなニコニコと吸えたものだ。



 そう思った瞬間、私の頭に強く打たれたような衝撃が走った。

 頭痛がして、激しい睡魔に襲われるように意識もぼやける。


 何が起きた?

 酒?

 いや違う、酒でこんな酔い方はしない。

 麻酔のような、もっと強制的な……。

「……ねぇ…、それ、やめてくれる…?」

 私がそう言っても、霞がかった視界の中で女は煙草を消そうとしない。

 さらにすぅーっと気持ちよさそうに煙を取り込み、それをまた一気に吐き出した。


「大丈夫よ、その調子で私に心を許して。あなたを助けたいの」

「馬鹿なこと……言わないで…」

 次第に吐き気もしてきた。

 立ち上がろうにも体に力が入らない。

 呼吸をするたびに煙草の煙が肺に侵入し、私の意識を削り取っていく。


「私達に付いてくれば、あなたはきっと幸せになれる。もう悩む必要なんてなくなるのよ」

「…やめてったら…。それ……消してよ」

「いいえ、あなただけじゃないわ。あなたが幸せになることできっと『彼』も救われるわ」

「っ……!」

 この女はあの人を知っている。


 カエルムを支配する地球人。

 あの人の記憶を探ろうと目論む正体不明の闇。

 女は私を連れ去るためにここへ来たのだと、ようやく理解した。


「お願い、あなた次第でこの星はもっと発展できるの。それがあなたを含め全ての地球人のためになるのよ!」

 ハイになった女はそう言って目を見開き身を乗り出した。

 そして驚くほど強い力で私の両肩を掴み、自らの元へ引き寄せる。

「私の言うことをきいて! あなたはこの星のために身を捧げるべきなのよ! 分かるでしょ!?」

「……やめてよ…!」

 力を振り絞り女を突き飛ばすと、彼女は椅子ごと後ろへ倒れた。

 煙草による影響は思った以上に女のほうにも及んでいたらしい。


 私はそのまま店の出口へ駆けだした。

 それと同時に、店内にいた何人かの男が慌てて立ち上がりこちらへ向かって来る。

 最初から私はこの店へ誘い込まれていたのだ。


 酒を飲んでいる客たちを押しのけながら、抽象画のように歪んだ世界を走る。

 オイとかコラなどと言葉をぶつけられても、私は立ち止まることなくひたすら出口へ急いだ。

 辿り着いた扉を力任せに開け、躓きながらも階段を駆け上がる。

 外はいつの間にか夜になっていた。


「戻って来て! 出来ることならあなたを傷つけたくないの!」

 閉じかけた扉の奥から女の声が聞こえた。

 それは真に私を想っての言葉ではない。

 無傷のまま私を連れ去ることが、きっと彼女にとってのベストな実績となるのだ。


 私は振り返らずもと来た道をまた走り出した。

 誰か追ってきているだろうか。

 そんなの、考えるまでもないだろう。

 ここで私を見逃すなんてありえない。

 今はただ走り続けなくては。

 



 街灯も無い暗闇を行くうちに、私は今どこを進んでいるのか分からなくなってしまった。

 誰かが付いてきている様子はないが、安心なんて出来ない。

 一刻も早くこの裏通りから出たい。

 中心街の灯りを探すが、狭い道では周囲が建物に囲まれており、それすらかなわない。


「ここはどこなの…?」

 意識は幾分はっきりとしてきたものの、それがむしろ恐怖を掻き立てる。

 しかし立ち止まるわけにはいかなかった。


 あの人を救い出す。

 その希望を、私はまだ捨てていない。

 希望は私自身だった。

 私を脅かすこの星を、私は必ず生きてあの人と脱出してみせる。




「おぅい」

 無我夢中で走る私の耳に、消え入りそうな声が聞こえた。

 思わず声のした暗闇に目を凝らすと、道の脇に一人の老人が座り込んでいるのが見える。


「おぅい」

 汚れたフードを被ったその老人はもう一度私を呼び、手招きをした。

 家を持たず、ここで暮らす者のようだ。


 老人の手が何よりも眩しい救いの手に見えて、私はそこへ吸い寄せられるように駆け寄った。

「追われているの。お願い、中心街へ行くにはどこを進めばいいのか教えて!」

「これ……」

 老人は私の問いかけには答えないで、代わりに握りこぶしを差し出してきた。

 何かを手渡そうとしている。


「……何?」

 小刻みに震える老人の拳の下に、私は手の平を差し出した。

 すると拳はゆっくりと開かれていく。

「……」

 無言で開かれた手からは何も落ちてはこなかった。


 次の瞬間、それは素早く私の腕を掴む。

 氷のような冷たさが伝わり、全身が粟立つ。

「つ…つかまえた」

「嫌……!」

 必死に老人の手を振り払い、私はまた走り出した。

「おぅい! い、いたぞぉ!」

 逃げる私の背後から老人の叫び声がする。


 私は愚かだ。

 この期に及んでまだ誰かにすがってしまうなんて。

 あの人がいなくなってしまってから、強く生きようと決めたのに。

 それなのに、私は今の今までずっと弱いまま。

 私だけがあの人を救えるというのに。




 道は狭い十字路に差し掛かった。

 どちらを行けば良いのか見当もつかない。


 そのまま真っ直ぐ走り抜けようとした時、突然右の道から車が飛び出し私の行く手を塞いだ。

 考える間もなく引き返し、どこか隠れるための横道を探す。


 もう体力も限界に近付いている。

 精神的にも私は折れてしまいそうだった。


「待って! お客さん! 私です私!」

 それは聞き覚えのある声。

 自然と足は止まっていた。


 振り返った先に黒塗りのタクシーを見た瞬間、私はその場に崩れ落ちてしまう。

 つい先程の決意がたちまち消え去っていく。

 彼もあの人を苦しめる連中の仲間である可能性だってあるのだ。

 それなのに、緊張は解けて涙がこみあげて来る。


 差し伸べられた手を、振り払う勇気もない。

 どんなに強がっても弱く、いつまで経っても孤独になれない、私はどこまでも愚かなのだった。

読んで頂きありがとうございます。

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