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初詣と山登りとやまされ教  作者: 魚屋ボーフラ
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四阿屋山 その1

 宝登山(ほどさん)神社を後にした私は、奥秩父にある四阿屋山(あずまやさん)へと向かった。

 持参したガイドブックには、標高が七七二メートルの初心者向けの低山とある。しかし初心者向けとはいえ、山頂付近には急峻なクサリ場もあるというから、もちろん侮ることはできない。

 夜が明ける頃には登山口となる麓の道の駅に到着した。ここには温泉施設も併設されているが、こんな朝の早い時刻からやって来る人の姿はなく、駐車場はひっそりと静まり返っている。

 登山靴に穿き替え、フリースにレインウェアを羽織り軽く準備体操などもしたが、その間も誰一人としてやって来る登山者の姿はなく、辺りは変わらぬ静寂に包まれたままだ。

 想像していたこととはいえ、特に私のような登山初心者にとっては、一人で人気のない山に入って行くにはそれなりに思い切りが必要で、私は未練を断ち切るようにバックパックを背負うと、ゆっくりと歩き始めた。

 時刻は午前七時半になろうとしていた。

 風もなく穏やかに晴れ渡った大空は清々しく、顔に当たる冷気は心地よいくらいである。

 ガイドブックに従い、登山口より鳥居山コースへと分け入っていく。雑木林の尾根伝いに続くこの道には、落ち葉がまるで川の流れのように吹き溜まっている。しかし遮るもののないなだらかな斜面には暖かな陽も差し込み、心配した雪もない。

 歩き始めて一時間ほどで、両神(りょうかみ)神社へとたどり着いた。

 ここまで一人の登山者とも出会うことはなく、静かな山の社には、神主や巫女や修験者の類いがいるはずもなく完全に無人で、おみくじ百円也と書かれた小箱の前に、賽銭箱が一つ置いてあるきりである。

 そういえば夜明け前の宝登山神社ではお参りもできず、もちろんおみくじも引いてはこなかったので、それじゃあここで引いてみるかと小銭入れを取り出した。だが右手に百円玉を握りしめ、いざその小箱へ投げ入れようとすると、その肝心のおみくじがどこにも見当たらないことに気が付いた。

 しかし、いくら廃屋のような荒れ果てた社であろうとも、仮にもしめ縄などが飾られた一応は神社の体裁が整えられているその場所で、財布から取り出した一枚の硬貨を、奉納するその直前になって気が変わったからや~めた、などと、おいそれと財布の中へ再び戻すという行為には、いくら信心深くない私であろうとも、罰あたりな行為だと躊躇(ためら)われた。

 私は右手にその一枚の百円玉をしっかと握りしめたまま、はてこれを一体どうするべきか、と腕組みしながら思い悩んだ。

 しかし、祈願を受ける立場の神社にしたって、所詮はおみくじ百円也を餌に私から金銭を騙し取ろうとした小悪党に過ぎないのだ。私はその妥協案として、右手に握りしめた百円玉と交換に、小銭入れから一枚の十円玉を取り出した。

 山登りの安全に家内安全、健康祈願、恋愛成就に今年こそジャンボ宝くじが当選しますように、などとその十円玉に思いつく限りの願いを込めて賽銭箱に放り込むと、ああ、何と素晴らしいコスパ初詣であることかと一人悦に入った。

 今考えると、私のこのような恥ずべき行為も、山の神様は全て見ていたのかも知れない。そう、こんな邪心に満ち満ちた祈願は、受け入れられるどころか、恐ろしい災厄を私にもたらすであろうということも、この時の私の脳裏を掠めはしなかったのである。

 そしてこの廃屋に等しい両神神社を後にした私は、ガイドブックに従いその先の尾根を左に抜けていった。そこからはいよいよ目指すべき四阿屋山の山頂も望めるようになる。しかしそこには急峻なクサリ場も待っているのである。

 そしていよいよ最初のクサリ場に到達した。そこにはわざわざ、スリップや転落、落石の危険があるため十分な装備のない者は登ってはならぬ、と注意書きが貼られていた。

 しかし十分な装備と言われても、この時の私にあるのは普通の登山靴にストック、軍手、雨具ぐらいのものである。

 そういえばこの前の年、著名な漫画家が一人で群馬県の山に行き、転落死したことを思い出した。ちょっと怖くはなったが、幸い私は先ほど、山の神社に手厚く賽銭などを奉納し、純真無垢な心で十分な安全祈願をしてきたばかりだ。きっと、ありがたい山の神様が私のことを守ってくれるはずだとそう思い、なに構うものかと歩みを続けた。

 しかし警告するだけのことはあり、この山のクサリ場はなかなかどうして本格的である。クサリ伝いに登る急な岩場が途切れることなく続いていく。これまで経験した山登りでも、急な斜面では登山客の補助となるクサリやロープが整備されている箇所はいくつも見てきた。ところがここでのそれは補助的な役目どころではない。両手でしっかりとクサリを掴み、完全に体重を預けないと登れないような箇所がいくつもあるのだ。

 しかし、ふと我に返ると虚しくなる。こんな人気のない場所で無様な格好をさらしながら山の斜面に張り付き、自分は一体、何をむきになっているのかと。

 奥秩父の四阿屋山なんて、よほど山に詳しい人でもなければ知らない山だろう。決して他人に自慢できるような山ではなく、特別に眺望の素晴らしい山でもない。危ないからや~めた、そう言って引き返して、麓の温泉でひとっ風呂浴びて帰った方がよっぽど有意義だ。しかし不思議なことにこの時の私は、しっかりとクサリを握りしめ、一心不乱に上だけを見て登っていったのである。

 そう、まるで何かに取り憑かれたかのように……。

 それから間もなく、私は無事に山頂へとたどり着いていた。岩場がそのまま途切れただけ、といったそんな風情の山頂で、登山者が数人集まれば、すぐに身動きが取れなくなってしまいそうな狭さであるが、360度、眺望は開けている。

 バックパックを下ろした私は、陽の当たる適当な岩場を見つけると、腰を下ろして背中を預けた。時刻は午前九時二十分。およそ二時間弱の道中であった。

 ドーン! ドーン!

 その時、麓の村から花火を打ち上げる音が聞こえてきた。

 考えてみるとこの翌日は成人の日なので、どうやら記念行事が行われるようだ。

「成人の日か……」

 独り言ちた私は自分が二十歳だった時の成人の日を思い出していた。

 当時我が家は東京の練馬で魚屋を営んでいた。練馬区は成人の日の式典は毎年としまえんで行っていて、それは今でも続いている。新成人は入場無料となるため、中学時代の友人たちと出席した私は式典そっちのけでアトラクションに乗ってはしゃぎまわり、夕方になると居酒屋で飲み会を開いてどんちゃん騒ぎをした。

 しかし自分も考えてみればこの年ちょうど四十歳。言わば二度目の成人式ともなるこの日を、まさかたった一人きりで奥秩父の山の上で迎えることになろうとは思いもよらなかった。

 あの頃、周りにいた四十歳はみんな分別のある大人に見えた。自分はちっともそんな大人にはならないなあ、などと思いながら日々を過ごしていたが、あれから二十年、自分はやはりずい分変わってしまったのだと痛感した。

 誰もいない山頂で一人きり、若かった頃を思い出してそんな感傷に浸っていると、南側の斜面の茂みから、がさごそと草を掻き分ける音が聞こえてきた。



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