②
「・・・っていうか、よっ、四次元ってなんだよ!」
「おっそ・・・」
「遅くないっ! あまりに衝撃的に訳分からん言葉投げつけられた所為で、自分の在り方とか諸々に考えが飛んで、帰ってくるのに時間がかかってたんだよ!」
「まぁ、キヨの場合、自分の在り方を考える時間はわりと必要だって、僕も思うよ。ってか、そういうことならもう少し瞑想してていいよ。僕、本でも読んでるから。勿論、オタクな感じの本じゃなくて、普通の、一般的な、どこの誰に見せても恥ずかしくない、決して手首に金属の輪っかかけられて、俯きがちになった頭に顔を見られないような上着をかけられて、下を向いて歩く羽目になるようなやつじゃない本」
「それっ、犯罪者だろ! 俺だって、そんな手錠かけられて顔を隠されて連行されるような、危険な本なんて読んでねーよっ! つーか、オマエ、オタクに対して何か、誤解してるだろっ!」
「僕がオタクを誤解しているとしたら、全ての責任はキヨにあると思うけど?」
「・・・すみません。その点は、深く、深く反省しているといいなぁって思わないでもないです」
「なんで希望的観測な発言になっているんだよ。っていうか、だからどの次元の話なわけ? さっきの、好きな人が出来ました的な、頭の沸いた話は」
「好きな人が出来たってことが、なんで頭が沸いた話ってことになるんだよっ! そもそも次元も何も関係ないだろ! リアルに好きな子が出来たんだって!」
直視するには辛すぎる事実にうっかり向かい合ってしまった瞬間、全力で遠ざかっていた現実に戻ってくることが出来た。戻る、というか、事実を直視するのが辛すぎて、現実に跳ね飛ばされてきただけなのかもしれないが。
それでもとにかく戻ってきた現実で、全力で理不尽にすら思えるほどの謎の発言に突っ込みを入れれば、返ってくるのは呆れた様な呟きで。
理不尽さを増したそれに、更に強い突っ込みを入れれば、とても淡々とした声がオタクに対してなのか、俺に対してなのか、もう判別不能なくらいの酷い誤解を繰り広げ、俺の興奮はヒートアップ以外の術を失って、必死の抗議を高らかに謳い上げる。
・・・が、しかし。
全ての責任は自分にあるという謙虚な自覚を持ち合わせている為、どれだけ高らかに謳いあげても、最終的にはとてつもなく痛い場所を鋭く、鋭く突かれる羽目になり、最後は涙目で祈りにも似た必死の叫びを上げてしまった。
自分の耳に入ってくるその声は、あまりにも哀れだ。自分の声だからというだけではなく、客観的に評価しても、哀れだと思う。人を好きになった、ただその事実を告白しているだけだというのに、信じてもらえない虚しさを漂わせ、諦めすら抱こうとするその声に、哀れみを感じない人はいないだろう、というくらい、哀れで。
・・・まぁ、哀れみというものは、種類や当事者同士の関係性の上で、全く相手が感じてくれないケースもあるらしい。
たとえば、もう結構な長さの付き合いで、濡れ衣を着せられまくっているこっちを哀れめ、と言わんばかりの心情でいる、親友相手であるケースとか。
「リアルつったって、キヨの場合、リアルの定義が僕と違うことが山のようにあったから、確認してるんだろう?」
「・・・」
「で? 結局、何次元? それによって、相手の性別も違ってくるし・・・」
「女っ! 女だから! 普通に三次元の、この、現実の話なんだって! だから相手の性別は女に決まってるだろ! 俺は男なんだからっ!」
「・・・今、一番ときめきを感じている相手は?」
「・・・二次元の真琴君、括弧、性別男、括弧閉じる、です」
「だろうね」
ここは、俺の部屋だった。シメさんと二人でだらだらする時は、大抵、俺の部屋にシメさんが来るパターンで、今日も例外なく、俺の部屋だった。ちなみに、両親はいない。父親は当然、平日の午後は働いているし、母親は専業主婦なのだが、やたらと元気が有り余っているのか、平日の午後は主婦仲間とどっかでお喋り大会を行うか、習い事に行くかしていて、ほぼ不在なのだ。
向上心がある、明るい、社交的等と言えなくもないのだろうが、そのお喋り大会でのちょっとしたお茶やお菓子の代金、それに習い事の月賦などは、父親の労働の成果である給料から出ているわけで、片方は働き、片方は楽しくその金を使う、という構図を思うと、男って損だな、なんてうっすら思わなくもない。
もしくは、専業主婦って幸せだな、俺も将来、専業主婦になれないかな? 専業主夫ならなれるのかな? とか。
ただ、思うところは多々あれど、そういった事情で俺の家は平日はほぼ常時、俺だけのパラダイスになる。その為、学校の帰りがけとかにだらっと過ごすにはもってこいなのだ。その俺のパラダイス、つまり俺のフィールドである俺の家の、俺の部屋の・・・、俺の・・・、俺の、フィールド、俺の、陣地・・・、が、今、酷い、ことになっていた。
数秒前に交わした会話を最後に、ここはシベリアかっ! と突っ込みを入れたくなるほど、悲しいくらい、冷たく痛い・・・、耳が取れちゃうっ、みたいに騒いでみたくなるくらいの沈黙が広がっているのだ。もしくは、もう圧迫死ですっ! とか、内蔵そろそろ全部出るんですけどぉ! と泣き言を口にしたいくらいの、重い沈黙が広がっている。
・・・全ての罪は、俺にある。
分かっている、そんなこと。分かってはいるけれど、俺には償う術すら見つからず、探しても見つかる気もしない為、ひたすらにこの場に立ち尽くす以外、術はない。
極寒の地に一人で惨めに立ち尽くすこの姿を、誰か哀れんでくれないだろうか? ・・・なんて思ってみても、今、この場にいるのは俺以外にはシメさんだけで、そのシメさんの冷たい眼差し、醸し出す重い空気がこの沈黙を生んでいるのだから、哀れな俺を助けてくれるはずもなく・・・、というか、そもそもシメさんは勿論、俺だって床にべったり座っていて、立ち尽くしてなんかいないわけだが。
ただ、それでも正直、あと少しで目の端に涙が浮かびそうな心境であることは、事実なのだが。
まぁ・・・、三次元で出来た好きな人の話をしていたのに、問われたからといって、二次元、つまりオタク方向で今一番、俺の胸を熱くさせている人の名を正直に答えたのが悪いのだと、本当に、本当に重々承知しているんだけど、俺が愛を偽るなんて不可能なことなので、それは仕方がないと思う。
仕方がない、そう、仕方がないのだ。本当に、本当に、仕方がない・・・、だって、だってっ、真琴君は、真琴君はぁ・・・、マジ、萌えるっ! あの憂いを秘めた目つきが堪らん!
「・・・後半、声に出てるけど」
「うぉっ!」
「あのさ・・・、まずはその病気を治さないと、全てはどうにもならないと思うんだけど、この僕の意見について、どう思う?」
「・・・これ、病気じゃなくて、持って生まれた何かだと思うんだけど」
「持って生まれた持病か、持って生まれた前世の業って可能性はあるかもね。まぁ、持病だとしても、前世の行いの結果って可能性は残されていると思うけど」
「・・・俺、そんなに前世で、何かしたのかな?」
「あれじゃない? 前世で、同性愛者を迫害して、その時迫害された人達の呪いがかかったとか」
「俺っ、何度生まれ変わったって、そんなこと絶対にしないけど! 他にどんな犯罪やらかしても、それだけはしないっ! だって、何度生まれ変わったって、俺は俺だろうっ? だったら、絶対しないって! 俺はっ、俺は・・・、そんな、人生の潤いを自らの手でぶち壊すような愚かな振る舞いだけは絶対にしないとっ、これだけは断言出来る!」
「・・・あのさ、ちょっと確認してみるんだけど、今、何の話してたか、覚えてる?」
「俺の愛についてだろっ!」
「・・・いや、一応、発端はキヨの恋についてだったと思うんだけど」
「・・・おぉっ!」
「あのね・・・」
「ちっ、ちげぇーよ! シメさんが、俺の告白を素直にそのまま受け取ってくれないから、こんな、話がややこしいことになってるんだろっ!」
「へぇー・・・」
「・・・すみません、全ての罪は俺にありました」
気がつけば、話は盛大に逸れていた。逸れまくっていた。部屋に広がっていた重すぎる沈黙に堪えきれず、思考がいつも通りの世界へ旅立ってしまい、結果、知らない間に口からは決して漏らしてはいけない、俺が旅立っていた世界を垂れ流していたらしい。いつも通りのことではあるのだが、自分のフィールドにいると、滾る思いを胸に秘めておくことが難しくなるらしい。
漏らしてしまったそれの所為で、話は逸れ、最終的に、うっかり・・・、そう、うっかりなのだが、当初の問題を失念してしまっていた。・・・仕方がないと思う。だって、途中、俺のかつての人生についての謂われのない汚名まで着せられたのだ。
前世と現世という考えがあるなら、それはつまり、両方合わせて一人の人間の長い人生と考えることも出来るわけで、そう考えるなら、前世の汚名は現世の汚名、現世の汚名になるのなら、現世に生きるこの俺がその汚名は晴らさなくてはならない。
・・・なーんてことを真剣に考えていたわけではないのだが、ついうっかり力の限り熱意を込めて反論してしまった為、うっかり始まりを忘れてしまい、結果、また室内はあまりにも冷たく重い空気で支配されることになった。全ての非を認めた、俺の潔い謝罪を最後に。
視界には、床が映っていた。謝罪と同時に頭を下げていた為、ついたった今まで映っていた親友の姿が消え失せ、床だけが映る視界になってしまったわけだが、下げたままの頭の辺りに突き刺さる、重い視線の存在は見えなくても感じていた。
視線なんて物理的なものではない存在が、こうもはっきり突き刺さる現実に、現実逃避に近い心境で多少の不思議を感じながらも、どうしてもその現実に立ち向かえない。
俺ってなんて弱い人間だろう・・・、なんて、自己嫌悪まで沸いてきた頃、静かな、静かな、本当に静かな溜息が聞こえてきて、弾かれたように顔を上げれば、シメさんが神様にお祈りするみたいに目を閉じ、少しだけ顔を仰向けていた。
「・・・叶わないと思う」
「突然、その結論っ?」
・・・本当に、神様からご神託でも降りてきたのかもしれない。
シメさんは、溜息と同じくらい本当に、本当に静かな声で突然、それだけを厳かな口調で発すると、あまりのことに雄叫びを上げた俺に目を向けることなく、静かに目を閉じて仰向けの姿勢を維持したまま、静止し続けた。まるで、更に続く神様のお言葉を聞き続けているみたいに。
突然の、失恋宣告。酷いと思うより先に、衝撃で身体がぐらぐらと揺れ動きそうになりながらも、俺は目を閉ざし続けるシメさんに、その宣告について問い質すことは出来なかった。
宣告が本当に神様的なものから降ろされたものだったらどうしよう、みたいな、微かな畏れがあったのと、もう一つ・・・、万が一、シメさんの淡々とした声で、理路整然とした説明をされてしまったら衝撃が倍増するので、それは遠慮したかったからだ。
結局、シメさんの宣告と俺の衝撃による激しい突っ込みの一言を最後に、その場は三度、沈黙に支配されて、その支配は先の二回の沈黙のように解かれることはなく、俺の初めての恋、その告白による一連の大騒ぎは、その日はそのまま幕を閉じることになった。
・・・一体、どうしてこんなことになったのか?
俺の中で、初恋が実るまでの日々はその閉じた幕の裏に静かに繰り広げ始める。
正直言えば、そこまで長い年月が必要だったわけじゃない。相手が気になり始め、恋になるまでは、本当にあっという間のことだったのだから。
でも、相手が気になる状態に至るまでは、多少の時間があったわけで、俺の脳はその要因が発生した時期まで遡って、その光景を劇のように脳内に広げ始めていた。
勿論、最初に当たるシーンは約二ヶ月前、人生の転換期・・・、とまでは言わないけれど、まぁ、多少は生活に変化が起きた、高校入学の時点から始まっていた。