そして彼女は微笑んだ。
いきなりだが短髪の美少女は正義であると俺は思う。
それに優しくて可愛くて料理が得意で可愛くてケバくなくてその上可愛くて……。
正直架空を妄想する程辛いことはないので言うが結論そんな美少女は存在しない。(人生の経験論)
だから、俺は今猛烈に感動しているのだった。
高校受験で第一志望に落ち、一度は自殺だって考えたが生きていて本当に良かったと思う。そう、俺が暮らすことになった特進クラスには、まるで絵から飛び出てきたかのような美少女がいたのだった。
秋下友絵。
何度も言うが超絶美少女である。
彼女が校内を歩くとその側で歩いていた男子、いや女子までもが振り返る。
二度目はありえない美少女に会ったことを夢と疑い振り返る。
三度目は確認しても信じることが出来ずもう一度振り返る。
四度目は美少女の御尊顔を目に焼き付けるために振り返る。
五度目は端末の写真に捕らえるために振り返る。
もはや二度見ならぬ五度見だ。それ程の美少女がその学校にはいるのだった。
始業式から男子の話題は秋下さんだった。
「秋下さん美少女…!」
「それに立ち振る舞いもお嬢様じゃねえか!」
「抱きてぇッ!」
と特進クラスの男子達は様々な声を漏らしていた。俺だって抱きたい。
秋下さんは初回の高校予習テストでは見事100点満点をたたき出し、成績にかなり自信のあった俺は73点といきなり敗北を味わされることになった。ってか高校生がlogなんて解いてんじゃねえよ!と文句を言いたいが可愛すぎて言えないのは仕方ないことだろう。
しかし俺はクラス二位で成績順で席決めをした為、いきなり秋下さんの隣の席に座ることになった。なんという幸運。いままでの自分の勉強の努力を褒めたたえたい。
初日から数学の授業は早速あった訳だがもはや集中できなかった。内容は連立方程式と簡単だったし、何より隣で無防備に眠る秋下さんが気になって仕方なかった。たまに微笑むのを見ると頬を抓りたくなったが抓ったらセクハラになるしこれからの存在するか分からない秋下さんとのハピネスライフが消えそうになるから止める。と秋下さんの魅力を語ると二度ほど日が沈むまで話し続けてしまうのでこの辺りで止めておこう。
しかし秋下さんは秀才でありながら不思議ちゃんだった。昼食はカロリーメイト一つで済ませ、すぐに教室から出て行く。追おうかと思ったが友達に呼び止められたから止めた。そして休み時間終了5分前になるとゆっくりとした動作で戻って来てまた眠りにつく。
「秋下さん、寝てばっかだな…」
俺の席の周りで友達が眠る秋下さんに向かって言う。しかし秋下さんは目を覚ます様子もなく幸せそうに眠っていた。
「授業中も寝てるからな。案外夜にニコ動とか見てニヤニヤしてるかもよ」
俺がそう言うと、俺の友達は馬鹿にするように笑って首を横に振った。
「秋下さんはニコ動見てるような奴じゃねーだろ。どっちかといったら手芸でもしてそうだ」
「そう言えば俺手芸部入ろうとしてたんだった」
「お前手先器用だから手芸部でもやっていけるだろ。俺らは運動部でも入るけどな」
授業開始のチャイムが鳴り俺の席の周りにいる友達が散る。俺が何気ない動作で秋下さんの方を見ると、こちらを見ていた秋下さんと偶然目が合った。
「へ…は?」
「愛媛くん、だったっけ?」
紹介が遅れたが俺の名は愛媛鈴也である。出席番号は相澤に続いて二番だ。しかしそんな事はどうでもいい(どうでもよくはない)。俺は初めて秋下さんに話し掛けられたのだ。
「お、おう。そっちは、秋下さんだよな」
「秋下友絵よ。よろしくね、愛媛くん」
彼女はそう言ってもう一度眠りについた。授業は始まっているのだが、そんな事気にしないと言ったような堂々とした眠りである。
彼女の透き通るような声が耳の中で反響する。
俺は知らず頬が弛んでいた。
「よろしく、秋下さん」
眠る背中に声をかけても、彼女から返事は返って来なかった。
帰宅する前の放課後に、クラス毎の係を決めることになった。学級委員長、副学級委員長、掃除委員長、宿題提出委員長などと様々な係があり一年継続の仕事だ。学級委員長や雑務係を選んだ暁には過労死をするアレだ。
そこで俺は落とし物係に立候補した。落とし物係とは落とし物を拾って落とし物箱に入れるだけというほとんど何もしなくていい係である。他の係に比べて圧倒的に仕事量が少ないのだ。
しかし特進クラスは頭が流石に良く、考えてる事が同じ奴が腐るほどいた。
「じゃあ落とし物係を立候補している男子22人はジャンケンしてくださーい」
溢れ出る疑問に俺は立ち上がって叫び散らした。
「に、22人!?このクラス男子25人しかいないのに…!アホだらけじゃねえか!」
するとテスト成績三位の俺の隣に座る眼鏡が半笑いを浮かべながら言う。
「しかしアホ同士で限られた座席を取り合うなど中々白熱した戦いになりそうじゃねえか…」
「そんな戦いはいらねえ!」
「その戦い、俺も参加しよう!」
成績五位のアホがまた一人落とし物係立候補に参加。計23人の倍率11、5倍の戦いだ。神戸大学理学部より倍率が高い。
「でも鈴也には落とし物係のような変な係じゃなくてもっと凄い役に立つ係があるはずなんだよな。ほら、雑務係とか」
「もしそうなったら遺書には必ず貴様の名前を書く!」
「でも他にだってあるだろ?飼育係とかよ」
飼育係。学校で飼っている動物の世話をする係だ。高一ではウサギを世話することになる。しかしこの係も一週間に三回仕事があるというハードワークである。
「飼育係ねえ…悪くねえんだけど」
「じゃあ鈴也は飼育係な!はい決定拒否権なし!」
半強制的に飼育係に決定された。正直落とし物係をしたい訳ではなかったので別に構わないのだが何だか腹が立つ。飼育係の資料を先に決定した学級委員長から受け取り、席に座って目を通すと、その資料に目を通すもう一つの視線を感じそちらを向いて言った。
「どうかしましたか秋下さん」
秋下さんは身を乗り出して俺の資料を覗いていた。俺は秋下さんから見やすいように資料を傾ける。その資料には大きくウサギの写真が貼ってあった。秋下さんの無表情が写真を見て少し崩れる。
「可愛いのね」
「ウサギがですか?」
「可愛いわ」
秋下さんは写真を指差して初めて笑った。
「この子の世話をするのね」
「まあそうなりますね、一週間に三度」
「私もするわ」
「…え?」
秋下さんは不意に手を上げた。まっすぐと上げられた細い手に争っていた男子の視線が集まる。学級委員長だけが落ち着いて秋下さんを指名した。
「私、飼育係になるわ」
彼女の決意に満ちた声を聞いて副学級委員長が黒板に秋下と書く。愛媛と秋下が並んで赤いチョークで決定を表す円でくくられた。
「その子はウサギというのね」
「へ?知らないの?ウサギ」
「知ってるわ。可愛いウサギね」
やはり彼女はよく分からない。正真正銘の不思議ちゃんだった。
俺が有り余るこれからの好奇心をため息とともに吐き出し、前を向くと男子が無言で俺を見つめていた。俺は首を傾げる。
するとその中の一人が声を震わせて叫んだ。
「次は男子飼育係を狙って勝負だぁぁぁぁぁッッ!!」
「何故だぁぁぁぁぁッッ!!」
それから約一時間俺と学級委員長を含めたアホ男子総勢25名の飼育係に対する討論が続いたのだった。
飼育係の変更はなく、俺と秋下さんが今日からウサギの世話をする事になった。放課後秋下さんは待ち切れないと言った風に高速で走っていき、俺が後で歩いてウサギ小屋に向かったのだが秋下さんはいず俺が捜しに行くとなぜか校長室前で迷子になっていた。
「何してるんですか」
「遅いのね」
「ん?なんで俺責められてるの?」
「しかしウサギさんのお家はどこかしら」
ウサギ小屋ではなくウサギさんのお家というところが可愛い。
「少なくとも室内ではないでしょう」
「それなら冬にウサギさんが寒いわ」
「なんか体に毛布みたいなのいつも着てるから温かいって!」
ちなみに毛布とは体毛の事である。
「それなら夏にウサギさんが暑いわ」
「暑い方がウサギは多分好きなんですよ」
「そう言えばそうね」
彼女はそう言って校長室をノックし始めた。俺は慌てて止める。
「何してるんですか!」
「ウサギさんのお家はきっとここよ」
「俺の話聞いてた!?」
「聞いていたわ」
「じゃあウサギさんのお家はお外ではないでしょうか…?」
「そうね」
俺が何とか秋下さんの腕を取って走ってウサギ小屋に向かった。校長室が空室で本当に良かったと思う。もし校長室に校長がいたなら、俺と秋下さんは今頃長時間の説教を受けている事だろう。
俺達はようやくウサギ小屋に着き貰っていた鍵でウサギ小屋の鍵を開けた。中から真っ白のウサギが姿を現す。
「これがウサギさんのお家なのね」
「想像異常に汚いな。今から掃除する?」
「そうね」
彼女はモップを掃除箱から取り出し、俺はバケツに水を入れてウサギ小屋の近くに置いた。
「まずは箒で吐いてその後モップ掛けするか。あー小学生以来だな。こういうの」
「そうね」
「秋下さんは何で俺の独り言に首肯しているんですか?」
「そうね」
「いや、だからさ…」
彼女は俺の存在などないとでもいう様に掃除に集中し始める。俺はこの時16年の人生で初めて無視されるという寂しさを知った。
それから10分ぐらい二人とも無言でウサギ小屋の掃除をしていると、不意に秋下さんが俺を呼んだ。
「愛媛くん」
「え?あ、はい。なんでしょう」
「楽しいわ」
「へ?」
ウサギ小屋に住むウサギの世話ではなくウサギ小屋の掃除が楽しいのだろうか?
俺が考え込んでいると、彼女は少し強く復唱した。
「楽しいと言っているの」
「掃除が?」
「そうよ」
彼女はしゃがみ込んでゴミを拾いながら言った。
「愛媛くんはどう?楽しい?」
俺は近くにいたウサギを抱えながら言う。
「楽しいとか楽しくないとかそんなのは知らないな」
「愛媛くんは楽しくなさそうね」
彼女は無表情だった。
「愛媛くんは第一志望に落ちたのでしょう」
不意な彼女の質問に一瞬驚いたが、冷静に答えることが出来た。
「…よく分かったね」
「だから楽しそうじゃないのね」
「それを言うなら、秋下さんも楽しくなさそうに見えるよ」
「私は楽しいわ」
しかし彼女は無表情だった。
「俺は正直、楽しくはないよ」
秋下さんのような美少女に会えて良かったとは思うが、それでもやはり第一志望に受かりたかった。一緒に同じ高校を目指した仲間の中で俺だけ不合格だったのだ。
そこで彼女は気を使ったように言う。
「私だって第一志望に落ちたわ」
それは何となく予測できた。いくら不思議ちゃんとはいえ秋下さんは天才だ。こんなそこまで偏差値の高くない学校に行く必要など何もない。つまり、彼女が第一志望に落ちたことなど分かっていた。
「でも幸せよ」
彼女は無表情だった。しかし彼女の瞳は真っ直ぐに俺を捕らえていた。
「私は後悔しないわ」
俺は彼女のその言葉を聞くとなんだか凄く自分が恥ずかしくなってきた。
「私は後悔が嫌いよ」
後悔しない大切さを俺は忘れていたのだ。それなのに過去の話をずっと…。
「秋下さんは強いね」
「私は強いわ」
彼女は胸の前で拳を握りしめる。そんな彼女に半笑いでの対応。
「そっちじゃなくて、心がね。力強くてカッコイイよ」
「そうね」
「ははは、少しぐらい謙譲してもいいと思うよ」
「謙譲することも嫌いよ」
「そう言うと思ったよ」
抱えたままのウサギを彼女の側に寄せる。すると彼女はしっかりとウサギを抱き抱えた。
「可愛いのね」
そういう彼女の表情は珍しく明るかった。無意識にそんな彼女を見てふっと笑う。それに彼女は気づき頬を膨らませて抗議してきた。
「どうして笑うの」
「別に笑ってないよ」
「笑ったわ」
「笑ってないって」
「笑ったわ」
「笑ったとしても秋下さんに笑ったんじゃないよ」
「相手はこの場には私しかいないわ」
「いるよ」
「いないわ」
「俺に、馬鹿だった俺に笑ったんだよ」
「そうね」
彼女はそう言い残すと嬉しそうにウサギを撫で始めた。もう彼女の視界にはもう俺はいないのだろう。しかし間違いなく俺の視界に彼女はいた。
そして、彼女が言い残した「そうね」という言葉は、何だか意味が少し分かって嬉しかった。
「でも遊んでばっかりじゃ駄目ね。掃除が終わってないわ」
「今日ぐらいいいんだよ、遊んでも」
「駄目よ」
「駄目かねえ」
「駄目よ」
「なら掃除しますか」
「そうね」
彼女はウサギを地面に下ろす。
「でも、掃除が終われば下校時刻まで遊んでもいいわ」
「そうだな」
「愛媛くんは暇人なのね」
「秋下さんこそ」
「私は忙しいわ」
「なら帰るか?」
「嫌よ」
彼女は無表情でまた地面を掃きはじめた。俺も同じく地面を掃く。そしてゴミを一カ所に集めて掃き捨てた。
「楽しいわね」
彼女はもう一度俺に確認の意味を込めてそう言った。
「そうだな」
「愛媛くん楽しそうじゃないわね」
「またこの流れやるの?」
「冗談よ」
「あっそ」
「愛媛くん、楽しもうね」
俺が秋下さんを見ると秋下さんは微笑んでいた。俺は無意識に視線を反らす。
「どうして目を反らすの」
「反らしてねえ!」
恥ずかしかった。改めて秋下さんが美少女だということを確信した。
「反らしたわ」
「反らしてねえよ」
「愛媛くん熱でもあるのかしら」
「…どうしてだよ」
「愛媛くん真っ赤よ」
すぐにでも洗面所に行って顔を洗いたい気分になる。
「可愛いわ」
「うるせえ!」
「冗談よ」
「…あっそ」
「掃除を再開しましょう」
「そうだな」
やはり秋下さんはよく分からない。すると秋下さんは近くに置いてあったモップをバケツに入れた水で濡らしこちらに覚束ない足取りで持ってきた。
俺は余りにも秋下さんの足がふらふらしていたので心配気に言った。
「ちょっと危ないから俺に貸せ。重いから俺が掃除するよ」
「助かるわ」
彼女が俺にモップを渡そうとすると、まるで狙い定めたように無邪気なウサギが彼女の足首に突撃した。彼女はそのままバランスを失いモップの先を俺の顔面にクリーンヒットさせる。
モップが綺麗で良かった、なんてポジティブな考えを今はしている時ではない。
顔面はびしょ濡れなのだ。勿論眼鏡も。
「秋下さん!?」
「悪いわ」
「もっと反省の気持ちを込めて言ってくれない!?」
「超絶悪いわ」
「変わったの台詞だけじゃねえか!」
「悪いのね」
「もっと気持ちを込めてくれ!」
彼女は柔らかいハンカチを取り出して俺の顔を拭く。優しい拭き方だった。
「悪かったわ」
「そうだな」
「しつこいわ」
「黙れッ!」
「嫌よ」
「もう、本当に、ヤダ!」
「私もよ」
「なんでだよ!」
「楽しいわ」
「どっち!?」
「楽しいわ」
このまま続けてはツッコミ死をしてしまう。だから諦めて近くの水道で顔を洗った。もしツッコミ死とかしたらダサすぎだろ…。
それから無言で掃除を続けると、ようやくウサギ小屋は綺麗になって俺達は一段落を着くことが出来た。近くのベンチに二人並んで座る。
しばらくは二人とも無言だったが、先に秋下さんが口を開いた。
「眠たいわ」
「俺もだ」
「肩を借りて寝てもいいかしら?」
「駄目に決まってるだろ!」
「どうして?」
答えれない。答えれる筈がないから話を逸らす。
「まず寝るな!」
「いつのまにか暗いわ」
確かに7時を過ぎている。辺りはまだ明るいが、それでも下校時刻は近くなっていた。
「そうだな、今日はもう帰るか」
「そうね」
「秋下さん、家どこ?」
「友絵」
「…は?」
「友絵でいいわ」
「…は?」
「友絵と呼んで」
おいおいちょっと待て。なんだこのラブコメ展開。
「いやいや、秋下さんは秋下さんですって」
「秋下友絵よ」
「知ってますから!」
「私は秋下という名字、嫌いよ」
「…へ?」
「なんでもないわ」
「あ、そうですか」
俺はそう言って秋下さんと俺のバッグを取りに行った。背後にウサギ小屋を丁寧に閉める音と烏の鳴く声が響き渡る。俺が後ろを向くと、そこに風が荒れるように吹いた。
その中で、秋下さんは凜然と立っていた。
突如吹き荒れる風に短髪を揺らしながら。
風がどこから来ているのか分かっているようにその方向を見つめながら。
しかし凜然と立ち尽くす彼女は幻のように繊細で。
手を伸ばして掴むだけでぼろぼろと砕けていきそうだ。
しかし実際は俺が手を伸ばしてもきっと届かない。
彼女は俺と同じ世界にいない。
たった10メートル程度の距離なのに、彼女が別の惑星にいると思われるように思われた。
秋下、友絵。
彼女はこの世界の人ではないのかもしれない。
気づけば俺と彼女は見つめ合っていた。
彼女は俺を優しい瞳で威嚇していた。
「どうしたの」
彼女の瞳の奥は鋭かったけれど、声は落ち着いていた。俺は何とか躊躇いを払拭して笑い返す。
「なんでもねえよ、行くか」
「そうね」
彼女は俺から無言でバックを受け取り俺の後ろに付いてきた。俺は迷わず進む。しかし一つの疑問が浮かび上がって来て俺は足を止めた。
「秋下さんって家どこ?」
「友絵よ」
「だから秋下さんでいいって!」
「友絵と呼んで欲しいわ」
「理由を聞く。なんで?」
「友絵と呼んで欲しいからよ」
話にならない。何故1+1は2なのかと聞かれた時に1+1は2だからと答えるようなモノである。
仕方なく彼女の要望に答えることにした。
「…友絵」
「何?」
「えっとーなんだっけ?」
しまった、聞きたいことを忘れた。
「私の家の事ね」
「聞いてんじゃねえか!」
「別に聞かないとは言ってないわ」
「まあそうだけどよ…」
「それで、私の家は香川県よ」
「なんだ香川かよ…って一回帰宅までに海挟んでんじゃねえか!」
ちなみにここは大阪である。
「そうね」
「四国で生きとけよ…」
「傷つくわ」
「でも往復何時間かかるんだよ?船に乗るのか?」
「飛行機よ」
「すげえな!ってか飛行機の定期ってあんのか?」
「公共の飛行機じゃないわ」
「…へ?」
「自家用ジェットよ」
ん?んん?
「自家用ジェットってあの?」
「そうね」
「もしかしてお金持ちだったりする?」
「ええ」
「…月のお小遣ってどれぐらい?」
「お小遣なんてないわ」
俺は首を傾げる。高校生にまでなってお小遣がない人なんていたのか。
もしかしたら想像以上にそこまでお金持ちではないのかもしれない。
「欲しいものは何でも手に入るわ」
「アンタはドラえもんか!」
「違うわ」
「知ってる!」
欲しいものは何でも手に入る。俺の欲しいものとは何だろう?腐るほどある。
プレステ4、パソコン、新しい時計。
それに秋下さん…?
俺は激しく首を横に振った。
「いやいやそれはねえ!」
「何が?」
「…え!なんでもない…」
声に出ていた。
「鈴也って不思議ちゃんなのね」
「アンタに言われたくはねえよ!」
俺がそう言うと彼女はくすりと微笑んだ。それに驚き彼女の表情を確認した時にはもう無表情に戻っていた訳だが。
俺達はそのまま帰宅路に着いた。女子と二人で帰る経験などなく、すごくどきどきしたが人形と帰っていると思うと落ち着くことが出来た。秋下さんを人形と例えても別に間違いではない気がする。
「秋下さんってさ、今から帰ったら何時に家に着くんだ?」
「友絵よ」
「しつこいな!」
「今からなら9時には家に着くわ」
「しんどいな。それからはすぐに寝るのか?」
「お風呂に2時間ぐらい入ってから寝るわ」
俺は頭に浮かんだ妄想を首を振って払拭した。
「秋下さんの家のお風呂の大きさを見てみたいよ」
「寄って行く?」
「やめい!」
「一緒に入っていいわよ」
俺は必死に首を横に振る。
「秋下さん、ふざけるのもいい加減にしてくれない?」
「そうね」
彼女は急に興味を無くしたように歩きはじめた。俺は一人残される。
すると彼女は急に振り返って言った。
「鈴也の家はどこ?」
「俺の家?」
「教えて」
「この辺りだよ」
「行きたいわ」
「…は?」
「冗談じゃないわ」
「それ俺のセリフ!」
「良ければ行きたいわ」
「駄目!絶対に駄目!」
俺の家といっても俺は親離れをして一人暮らしなのでマンションの部屋なのでそんなジャングルのような場所に彼女を連れ入れる訳にはいかない。ふと視線を向けるとエロ本があった…なんていう展開だって十分にありえる。
「残念だわ」
「俺はちっとも残念じゃないよ!」
「そうね」
「じゃあ帰るぞ、俺はこっちだけど秋下さんはどっち?」
「こっちよ」
彼女は俺とは別の道を指差した。俺は頷いて手を振る。
「じゃあ今日はおつかれさん、家に帰ったらゆっくり休めよ?」
「待って」
「は?」
俺の袖が捕まれる。彼女を見ると、彼女は無表情でこちらを見つめていた。俺に焦りが生まれる。
「なんだよ」
すると彼女の口からは想像もしないような言葉が出てきた。
まるで挨拶でもするかのように。
「好きよ」
「ん?」
聞き取れない。何だか今言われるには全く相応しくない事を言われた気がする。
「鈴也、好きよ」
「ん?」
思考停止。なにこのシチュエーション。ちなみに彼女の表情に変化はない。無表情のままだ。
「好きよ」
三度目にして、ようやく俺は内容を理解した。
「あ、あ、あ、秋下さんッッ!?」
「何?」
「何?じゃないですから!どうしたんですか!?」
「好きなの」
「何が!?」
「鈴也よ」
危うく吐血しそうになる。しかしなんとか平然を保って言い返した。
「俺と秋下さんは今日会ったんですよ!?」
「そうね」
「それで今日告白するなんて何て頭してるんですか!」
「73点の鈴也に言われたくないわ」
「なんで今日のテストの点数覚えてるの!?ってかなんで知ってるの!?」
「あてずっぽうよ」
「でしょうね!当たってるけど!」
「ところで、好きよ」
「ところで!?」
俺は慌てて取り乱す。しかし彼女は俺の側に寄って来て無表情のまま言い放った。
「好きよ」
「ストップストップ!」
「止まれないわ」
「止まれッ!」
彼女は俺の衿を掴んで自分に寄せる。
「ヘルプ、ヘルプカード使う!いくら短髪の美少女とはいえやって良い事とやって駄目な事はある!」
「これは良いことよ」
「駄目な事に決まってるだろ!」
「鈴也は私が嫌い?」
突然の質問に頭を書いていると、彼女は俺の近くに一層寄ってきた。
「嫌いなの?」
「好きです!好きですけど今はそんな時じゃないと思います!」
もうがむしゃらだ。自分が恥ずかしいことを言っているという感覚を忘れそうになる。
「今こそその時よ」
「絶対に違う!」
「どうして?」
彼女は突然俺を手放して少し強く睨みつける。
「私は好きなの」
「…はぁ」
「鈴也が好きなのよ」
「…ありがとう、ございます」
「だから付き合ってほしいわ」
「付き合う?」
愛媛鈴也は初の領域に足を踏み入れようとしていた。
「そうよ」
「あの…付き合うってなんでしょう?」
「いちゃいちゃする事よ」
「…?…いや絶対違うだろッ!」
一瞬納得した自分が怖い。
「じゃあ何かしら」
「そんな事も知らずに人に頼まないでくれる?」
「側にいることよ」
「…は?」
「鈴也と一緒にいることよ」
「それって付き合わなくても同じクラスだから一緒にいられるだろ…?」
「鈴也は私と付き合いたくないの?」
「いやいや付き合いたくない訳じゃなくもなくもないけどさ」
どっちだよ、と自分の中で突っ込む。しかし正直秋下さんのような美少女にこれから告白されるなんて経験は二度とないだろう。しかし秋下さんのからかいのような気もするし…。
「なら決まりね」
「え?」
「鈴也は今日から私の彼氏よ」
「…なんでッ!?」
「嬉しいわ」
「俺の了承無くして話を進めないでくれる?」
「了承ならしたわ」
「してない!」
「私は鈴也が好きよ」
「お、おう」
「鈴也は私の事を好きよ」
「…まあそだな」
「なら私たちは付き合っているのね」
「そこに至るまでの過程は!?」
「必要ないわ」
それ以上何か言いたかったが、彼女の気を変えてしまったら損するのは自分だと思い俺は頷いた。すると彼女は俺から離れてくすりと笑う。
「鈴也、明日は休みね」
「そ、そういえばそうだな」
急に話題変更される。ちなみに今日は土曜日で明日は休みだ。
「私の家に来てほしいの」
「ん?」
「香川よ」
「行けないだろ!」
「自家用ジェットで鈴也の家まで迎えに行くわ」
「絵柄的に可笑しくね!?」
「素敵よ」
「絶対邪魔だろ!」
「そうね」
彼女は頷く。そして告げた。
「なら鈴也の家に停めさすわ」
「変わってねえじゃねえか!」
「それが最も近所の迷惑にならないもの」
「俺自身に迷惑だろ!何その自分の事ばっかり考えるなって注意するみたいな表情!普通に腹立つんだけど!」
「そうね」
彼女は突如興味をなくしたように先を歩きはじめた。なんて疲れる相手なのだろう。ツッコミの辛さを初めて知った。
去って行く彼女を無意識に見つめていると、彼女は振り返って無表情のまま言った。
「明日、学校の屋上に許可を取って屋上に停めてはどうかしら?」
「本気で許可取れると思ってる?」
「ええ」
「答えは絶対取れません。だからさ、遊びに行くならこの近くにしてくれよ。香川まで船で行くのもだるいしさ」
「明日用事が入ってないか確認するわね」
「入ってる可能性あったの!?」
彼女は無言で手帳を取り出し中を覗く。そして消しゴムを取り出し何かを消したかと思えば俺に手帳を見せてくれた。
明日の予定は、明らかに抹消されたようだったが一応空白にはなっていた。
「ヒマよ」
「よく見ると昼から会議と書いているのですが一体これは…?」
「幻覚が見えているのね。残念な人」
「見えてねえよ!」
その予定表に彼女は修正するように俺との用事を書き込んだ。そこで彼女が手帳を直すのを確認して自分の家に歩き出す。もうとっくに帰宅時間は過ぎていた。
しかし彼女は俺を後ろから呼び止めた。
「鈴也」
振り返ると、彼女は俺に微笑みながら小さく手を振ってくれていた。
「明日、学校の前に10時よ」
「あ、了解了解。遅れないように気をつけるわ」
また彼女に背を向け歩き出す。それでも背後の気配は動き出す様子を見せなかったので、もう一度振り返り言った。
「帰れよ。香川ならかなり時間がかかるんだろ?今から自家用ジェットで迎えに来てもらうって言ってたけど、それでもしんどいだろ」
「しんどくないわ」
「…いや、さすがにアンタがどんな化け物でも疲弊は溜まるって」
「鈴也が癒してくれるわ」
「ん?俺はいつからホイミとかケアルとか使えるようになったのかな?」
「鈴也は私に取ってベホマやフルケアよ」
「詳しいね秋下さんッ!?」
「スクエニのゲームは結構するわ」
ゲームをしないお嬢様だと思っていたから意外である。
「良ければ明日3DSを持っていこうか?」
「私もそうするわ」
彼女はそう言って時を置かず首を横に振った。
「やっぱり止めておくわ。ゲームに熱中してしまったら、鈴也との大切な時間を無駄に浪費してしまいそうで嫌」
「…そうか」
「明日は遅れないでね、鈴也」
彼女は無表情のまま言う。俺が口を開こうとすると、彼女はまるで俺の言葉を遮るように呟いた。
そして彼女は微笑んだ。
「好きよ、鈴也」
それからどれ程経っただろうか。
気づけば俺はまた彼女を見つめていた。
彼女も俺を見つめていた。
一定距離を開けて、俺達は二人見つめ合っていた。
そんな時、強い風が俺達の間を吹き荒れる。
夜の世界にアスファルトに乗っていた熱の覚めた砂が舞う。
目に砂が入って、不意に目を閉じる。そして次に目を開けた時には、砂ぼこりは止んでいた。
そして砂ぼこりがどこかに行ったように、彼女の存在も消えてしまっていた。
彼女は幻であったかのように、先程の場所から消えていた。
虚無感だけが、俺を嘲笑うように包み込んでくる。
しかし俺は誰もいなくなった白い空間に微笑んで呟いた。
「また明日、友恵」
勿論返事は返ってこない。
でも。
確かに誰もいない空白から「そうね」という優しい声が聞こえた気がした。
風にのって、彼女が微笑んでいるようなそんな声だった。